8話「覚悟」
私は運命を呪った。
心の中にかつてないほどの怒りが込み上げてきている。
魔王の魂の寄生先がよりによってダフネだなんて…そんなのあんまりだ!
師匠の信念も理屈も理解できる。
しかしダフネの心はまだちゃんと残っていて、この子は"彼女そのもの"じゃないか。
それが事実である以上、私の腕の中で恐怖に震えているこの愛弟子を、誰にも差し出すわけにはいかない。
それが、ソフィア様だとしても!
私は自身の魔力を解放し、すぐに迎撃できるように杖を構えた。
これは師匠に対する明らかな背信行為だ。
「カリス、ダフネを離しなさい。このままではあなたも傷付けてしまうわ。」
敵意を持って魔力をまとった私に対し、師匠はまるで子供をあやすような口調で命令する。
師匠が実際に闘っている場面を見た事はないが、恐らく私では歯が立たないだろう。
決して戦闘タイプの魔女ではないはずなのに、重く研ぎ澄まされた針のようなプレッシャーを感じる。
これが二百年以上研鑽を続けてきた魔女の実力なのだ。
しかしこれは、師匠に勝つ事が目的ではなく、説得するための時間を稼ぐ闘いだ。
生ける伝説を相手にどれだけ通用するか分からないが、自分のすべてを出し切ってなんとかせねばならない。
師匠が情に厚い人なのは知っている。
自身が孤児経験者だからという理由だけで、セントヘイムの多くの都市に私財を投じ、孤児院の建設と運営を行っている。
弟子入りして間もない私が風邪で高熱を出した時も、一晩中付きっきりで手を握っていてくれた。
そんな師匠だからこそ、きっと今も葛藤しているに違いない。
私がこの窮地を乗り切るにはそこを突くしかないのだ。
「今ここにいるのは魔王じゃなくて"ダフネ"なんです!考えを改めてください!」
「今後もそのままという確証はない。だからダメだよ。」
いつもの柔和な表情と打って変わって、不気味なほどの無表情で答える。
それが無理をしているように見えて胸が苦しくなった。
ソフィア様にはそんな顔、似合わないよ。
私は魔力障壁を展開した。
これは物理的な攻撃の一切を遮断するための魔法だ。
一枚で攻城用の投石機すら防ぎ切る代物であり、それを何重にも張り巡らせた。
「一瞬でこんなに展開できるようになったんだね。」
そう言うと同時にソフィア様が右手に魔力を込め、次の瞬間その右手から何かを放出した。
それが魔力障壁に触れると、障壁は音もなく崩れ落ちた。
「魔力を腐敗させる魔法だよ。」
単純に魔女としてのキャリアが違いすぎる。
それはそのまま魔法の引き出しの多さに直結している。
私が知らない魔法を彼女がどれだけ使えるのか検討もつかない。
「お願いです!私たちにもう少し猶予をください!」
「今ならまだ私の力で殺せる。でも魔王の記憶を取り戻したあとではどうなるか分からないんだ。その時一番近くにいるカリスは間違いなく殺されるよ。」
私は自分の死を意識させられ身を強張らせた。
ソフィア様はその一瞬の隙を突き、一気に間合いを詰めてきた。
子供のような体躯からは考えられない素早さだ。
「くっ!」
至近距離から放たれたソフィア様の魔力弾を、ダフネに当たる寸前のところで弾き返せた。
弾いた魔力弾は後方にある樫の木に直撃し、まるでそれが小枝かのように簡単にへし折ってしまった。
師匠は本気でダフネを殺しにきている。
私にそう思わせるのには充分すぎるほどの威力だ。
私は瞬時に拘束魔術を師匠へ向けて撃ったが、軽々とかわされる。
それでも拘束魔法を撃ち続け、もう一度間合いを離す事に成功した。
「防御魔法ばかり教えたのが仇になったなぁ。」
初めて師匠が苦い顔をした。
過保護な師匠が自衛のためと言って、膨大な防衛術を教えてくれたのが功を奏した。
しかし私の魔力は、大量の魔法を空撃ちし続けているためいずれ底をつくだろう。
対照的にソフィア様はほとんど魔力を消費せずに私の魔法をかわしている。
まだ魔法は撃てる。でも説得を急がないと。
言葉よりも多くの魔法を放つ私の残存魔力は、限界の時を迎えるまで刻一刻と迫っていた。
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私はカリスの抵抗のせいで攻めあぐねていた。
いや、それは適切な表現ではない。
想像より遥かに頑張る弟子を利用し、ダフネを殺さなくてもいい理由を探していた。
私は卑怯者だ。
移動中に覚悟を決めたはずなのに、二人を見ると決心がブレる。
カリスとダフネの姿が、まるでアナスタシアと私を見ているかのように錯覚したからだ。
魔王の魂がここまで計算し、ダフネに取り憑いたとすら思えるほど残酷な現実だった。
「私が魔王の魂を破壊するための魔術を創り出してみせます!」
普段なら思わず吹き出し笑いをしてしまいそうな、突拍子もない事をカリスは言う。
「肉体と魂の成り立ちは知ってるのかい?」
「それも今から勉強します!だから時間をください!」
机上の空論の域にすら達していない、ただの子供の戯言だ。
数多の文献を読み漁ったが、魂に干渉する魔法など、アナスタシアが魔王にかけた物しか存在していないのだから。
例えそれが完成したとしても。どれほどの年月がかかるのか想像すらつかない。
「いつ完成するのかも分からないだろう!そんな物をあてにするのは無理だ!」
私は段々と苛立ちを隠せなくなってきて、語気が強くなる。
カリスの説得は決して無駄にはなっていない。
私の魔力と肉体は十全でも、心は確実に削られていた。
そして、幼稚なわがままにも聞こえるカリスの言葉を聞き続け、良心の呵責にも苛まれ続けた私は、ついに覚悟を決めた。
カリスの魔力を枯らし、ダフネを仕留めよう。
そこからは無心で攻め続けた。
カリスはそれにもよく反応し、鮮やかとも言えるほどの対応を見せた。
いつもなら、よく頑張ったなどと褒めているだろう。
しかし、これは授業ではなく実戦なのだ。
カリスからしたら永遠のようにも感じられただろう。
そこからの攻防は時間にして五分ほどだったが、二百近い魔法の応酬が私たちの間で火花を散らした。
そして、その瞬間が訪れた。
カリスの魔力が底をついたのだ。
私は速度を二段階ほど上げ、ダフネの心臓に向けて真っ直ぐ手を伸ばす。
魔法が使えなくなったカリスは、躊躇なくその間に割って入ってきた。
それじゃ、あなたが死んでしまうでしょ。
捨身でダフネを守ろうとするカリスを見て、歯を食いしばる。
そんな決死の弟子をかわすため、私は瞬間移動魔術を使ってダフネの背後に回った。
このフェイントを受けたカリスは、完全に不意を突かれていたように思えた。
ダフネ、ごめん。
魂の拠り所となる心臓を抉るため、魔力を込めた本命の一撃を放つ。
するとカリスも瞬間移動して、再び私とダフネの間に立ち塞がった。
魔力はもうないはず!どうやって!?
刹那に近いやりとりの中で、私の神経は驚くほど明瞭な物となり、意識を圧縮されることによって、通常では考えられない量の思考を巡らせていた。
きっと魔力が尽きる前に、あらかじめ張って置いた魔術なのだろう。
私の魔力に反応して起動する仕掛けを、背後を取られぬように用意していたのだ。
そんな事よりも!止められない!
高速で働く思考とは裏腹に、自身の攻撃の手を止める事ができない。
このままではカリスを貫いてしまう。
もうダメだと思った瞬間にそれは起きた。
私の手刀は、カリスの胸部に到達する前に障壁によって遮られた。
すぐにこれもカリスの仕業かと思ったが、彼女の表情がその考えを否定した。
私たちは目を見開いて驚き、黙って見つめ合った。
すると、ダフネが最初にその沈黙を破った。
「ごめんなさい、私が死にますから、もうやめてください。」
ダフネは嗚咽を漏らすほど号泣しており、とても魔法障壁を展開したようには見えない。
しかし、これは紛れもなく彼女の出した物だ。
私はその場に力なく座り込んだ。
これがなければ間違いなくカリスを殺していた。
魔力が尽きた無防備なカリスでは、私の攻撃は防ぎようがなかったろう。
私はダフネに救われたのだ。
「ダフネ!そんな事言わないで!私が守るから大丈夫よ!」
この中で一番疲弊しているはずのカリスが、ダフネを抱き締めて叫ぶ。
その光景は、我が子を守る母親のようにも見えた。
遠い過去、ゲルダニア戦争で故郷の村を魔族に襲われた時、命懸けで私を逃がそうとした母親。
その情景とカリスの姿が重なり、私の心を折った。
ごめんなさい、アナスタシア。私にダフネは殺せないわ。
師匠との約束を破り、自身の覚悟も曲げた私の心は、不思議と晴れやかだった。
今週も読んでいただき、ありがとうございます。
次回の9話「日常」は11/22(月)の0時公開予定です。
よろしくお願いします。