6話「魔王」
今から三百年ほど前、この世界に突然魔族が現れました。
どこからやってきたのか、何から産まれたのかは未だに解明されていません。
彼らの姿形はヒトとそっくりなのですが、何故か人類の事を異常なまでに憎んでいました。
魔族は千人に満たない人数でしたが、"魔王"と呼ばれる一族の長を筆頭に凄まじい魔力と膂力を持ち、圧倒的なスピードで人類を殺戮して回ったのです。
魔族たちに二つの国を滅ぼされた人類は、その現状を打破すべく各国で同盟を結び、魔族に対抗するための連合軍を結成しました。
人々はその総司令官に任命されたミネシア王国の将軍の事を"勇者"、副司令官を務めたセントヘイム王国の魔女の事を"賢者"と呼び、人類の希望を託しました。
連合軍と魔族の戦争は五年間続き、人類にも多くの被害が出ましたが、最終的には勇者が魔王と相討ちする形で幕を閉じました。
人々は戦争の勝利に歓喜し、同時に勇者を失った悲しみに暮れました。
「この両者が相討ちした地名を由来とし、これを『ゲルダニア戦争』と呼んでいます。これ以降我々は魔族の存在を一切確認していません。」
この授業をするのも何回目だろうか?
私、ソフィア・カサヴェテスは六年前からセントヘイム王国の首都ヘフトの王立学園で教鞭を取っている。
今年で二百八十歳を迎える事になった私だが、何故この歳で急に教育に目覚めたかというと、十年ほど前にカリスを弟子にしたからだ。
その日、私は自身が支援している孤児院に挨拶へ行き、幼きカリスと出会った。
カリスを見つけた時に何よりも驚いたのは、"賢者"と呼ばれた私の師匠アナスタシアに彼女がそっくりだった事だ。
私がかつて師匠に救われたように、私もまたカリスを救わなくてならないのだと、半ば強迫観念にも似た感情に心を動かされて彼女を孤児院から引き取った。
最初の頃、カリスは慣れない環境に戸惑っていて大人しかったが、段々と心を開いてくれた。
彼女は聡明で少し生意気で、情に厚かった。
そんなカリスの成長を見ていくうちに、人を教育する楽しさというものが私の中に芽生えていったのだ。
そこでアナスタシアの一番弟子というツテを最大限に利用し、子供たちに勉強を教える立場になっている。
「先生!魔王以外の魔族はどうなったのですか?」
「聞いた話によると、魔王を殺した瞬間に他の魔族たちは塵になって消えたそうよ。」
生徒の質問に答えると同時に授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
「今日教えたところは、今度の筆記試験に出るからちゃんとおさらいしといてね。」
生徒たちは元気よく返事をすると、私に一例をしてからぞろぞろと教室をあとにする。
そんな彼らを眺めながら、私の意識は全く別の事を見つめていた。
先程の授業で話していた内容には続きがある。
歴史の闇に葬られた禁忌と言ってもいい。
これを知っている者は私の他にはもうセントヘイムの現国王しかいないのだ。
これは平和に見えるこの世界が、一時しのぎのものでしかないというお話。
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ゲルダニア戦争の終戦から四十一年後
私はアナスタシアからヘフトにある彼女の邸宅へ来るように命じられた。
いつもは家族や生徒で賑わっているその家は人払いがされており、珍しく静まり返っている。
「お久しぶりです、師匠。今日は急にどうしたんです?」
「ソフィア、今日はあなたに話しておきたい事があるの。」
私を呼び出したアナスタシアが、真剣な表情で話し始めた。
師匠は今年で七十二歳を迎え、最近持病が悪化して記憶が曖昧になりつつある。
私のように不老の魔法は使えずとも魔法で病を治せるのに、寿命は自然に任せたいのだそうだ。
きっと今日はまだ自身が元気なうちに、弟子の私に何かを伝えるつもりなのだろう。
「ゲルダニア戦争は知ってるね?」
予想外の問いかけに一瞬呆気にとられた。
当然知っている。
私の両親を奪い、私を孤児にした戦争なのだから。
師匠から放たれる重苦しい雰囲気を感じながら「勿論です」と答えた。
「あの戦争で勇者クレオンと魔王は死んだ事になっているけど、実は少し異なるのよ。」
「…どういう意味ですか?」
「私がクレオンの命と引き換えに魔王の魂を未来へ飛ばしたの。」
その時の私には師匠の口から出た言葉の意味が理解できなかった。
魂を未来へ飛ばす魔法なんて聞いた事がない。
しかし、彼女が嘘や妄言を吐いてるようにも見えないので話を進める。
「なんでそんな魔法を?」
「魔王の力が強すぎて正攻法で倒す事ができなかったのよ。」
勇者クレオンは魔法こそ使えないが剣術の達人で、一人で魔族を八十体以上屠った傑物と伝えられている。
師匠も世界に並ぶ者がいないほどの魔女であり、勇者よりも多くの魔族を討伐している。
そんな二人でも、魔王の命を奪う事は叶わなかったのだと言う。
「クレオンは魔王に致命傷を負わされ、死の間際に自身の命と引き換えにあの魔術を使うように言ったの。」
そう話すアナスタシアの瞳には悔恨の念が滲んでいた。
二人は他国の軍人同士ではあったがとても深い仲だったと聞いている。
そんな師匠を責めるように私は核心に迫る質問を投げかけた。
「その魔術は初耳です。一体どういう物なのですか?」
「昔に作られた禁術よ。若くて余命の短い魔法使いが、自身の魂を未来へ繋げて寿命を伸ばそうとしたみたい。」
いつの時代も天才はいる。
そんな者たちが生涯を賭して情熱を傾ければ、常識では考えられないような魔術を生み出してしまうのだ。
しかし、そうなると一つの問題点が浮かぶ。
「それじゃあ魔王は未来でまた人類を滅ぼそうとするのでは!?」
アナスタシアは唇を強く結び、少し間を置いて私の質問に答えた。
「そう、それがこの話の一番の問題なの。私たちは追い詰められていたとは言え、魔族による被害を先送りにしただけと言っていいわ。」
私は余りの衝撃に座りながらも眩暈がした。
まだあの戦争が終わっていないと告げられたのに等しいからだ。
「ごめんなさい、こんな大事な事を黙っていて…。」
そう言うと同時にアナスタシアは私に向けて頭を下げた。
老いて痩せ細ってしまった彼女の身体がかすかに震えている。
きっとこの四十年間、自分を責め続けていたのだろう。
彼女は人類すべてに途方もない嘘をついてしまっている。
それは彼女の罪なのかもしれない。
しかし、その嘘はこの世界に混乱をもたらさないための配慮なのだと、容易に察する事ができる。
私はアナスタシアに頭を上げるよう促し、質問を重ねた。
「それで、その魔術が解けるのはあとどれほど時間がかかるのですか?」
「正確には分からないけど、あと二百五十年くらいだと思うわ。」
これまた途方もない年月だ。
だが、私は不老の魔術を自身に施しているので"その時"まで生きている可能性は高いだろう。
私が不老の魔術を会得したのは本当にただの偶然だ。
そもそもこれは師匠ですら使う事ができないほどの希少な魔術なのだ。
私はこれを運命だと感じた。
アナスタシアの弟子が魔王を殺すために、巧妙に仕組まれた運命の悪戯なのだと。
戦火で路頭に迷っていた私の命を救い、立派に育ててくれた二人目の母親に恩返しをしなくてはならないと思った。
「魔王が復活する場所の目星は付いているのですか?」
それを聞いたアナスタシアは、懐から拳より一回り小さいサイズのサファイアを取り出した。
職人の手により丁寧にカットされたであろうそれは、窓から差し込む光を乱反射して見る者を妖しく誘惑しているようだ。
魔道具に宝石を使う事はよくあるのだが、これほど大きな物は初めて見る。
「これに魔王の魔力を記憶させてあるわ。奴が復活した時に光りだして、いる方向も示してくれるの。」
なるほど、これがあれば探すのにさほど苦労しないだろう。
「ソフィア、あなたにこんな大変な事を頼むのは申し訳ないけど、魔王が復活した直後に殺して欲しいの。」
そう言うとアナスタシアは再び深々と頭を下げた。
その時点で私の答えは決まっている。
「もう師匠ったら!頭を上げてください!魔王は私に任せて安心して余生を過ごすといいですよ!」
私は胸を張って自信たっぷりな表情で言った。
ずっと悩み続けた師匠には、これ以上辛い想いをして欲しくない。
なるべく明るく振る舞う事が彼女の救いになるだろう。
それを聞いた師匠は泣き崩れた。
「ありがとう、ソフィア。ありがとう。」
心の底から思い詰めていたのだろう。
そんな彼女を私は、泣き止むまで優しく抱きしめ続けた。
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あの時から私は常にこのサファイアを持ち歩いている。
今そのサファイアの中には微弱ながら赤い光が灯っていて、南西の方角を指している。
カリスたちが住む方向だ。
私は生まれ変わった魔王が胎児の段階でこの宝石が反応するのだと思っていたが、その予想は大いに外れた。
どうやら生きてる人間に魔王の魂が宿るようなのだ。
どういう基準で選ばれるのかは不明だが、"彼女"は選ばれてしまった。
宝石に光が灯った瞬間、私はすぐにその方角へ向かって捜索を始めた。
四日間ほど捜索していると、メイドームで私の愛弟子と並び歩く彼女を見つけたのだ。
宝石に宿る魔力の質と彼女の持つ微弱な魔力が一致していたので、すぐに魂の依代だと気が付いた。
私は恐怖を払い除けて話しかけてみると、幸か不幸かその少女には魔王の記憶は残っていないようだった。
その少女の名はダフネという。
軽い雑談の中でカリスからダフネに向けられた優しげな表情を見ていると、その場で彼女を殺める事などできるはずもなかった。
良い弟子に育ったカリスを見て感動すら覚えたほどだったからだ。
その場では行動を保留にし、別れる直前にダフネに触れて探知の魔法をかけておいたので、動向は容易に探れるようにはしておいた。
私は今、使命と良心の間で板挟みになっている。
アナスタシアと世界のためにダフネを殺さなくてはならないが、未だその約束を果たせずにいるのだ。
今週も読んでくださり、ありがとうございます。
7話「決意」は11/8(月)0時に更新予定です。
よろしくお願い致します。