3話「商業都市」
読んでくださっている方々に感謝を申し上げます。
私がカリス様に弟子入りしてから四日目の事。
ここへ来た時にやつれていた私は、きちんとした食事と睡眠を与えられて清潔な環境を与えられたので、本来の明るさを取り戻しつつあった。
しかしまだ魔法を教えて貰えておらず、簡単な家事の手伝いを任されている。
カリス様曰く、「まずはここの暮らしに慣れる事」だそうだ。
今日も言いつけ通りに部屋掃除をしていると、カリス様から唐突な"お誘い"を持ちかけられた。
「ダフネ、今から買い出しのために私とメイドームに行こう。」
カリス様の言葉に私は耳を疑った。
メイドームとは故郷の村から一番近くにある街の事だ。
確かに近隣ではあるのだが、徒歩であれば村からでも六時間くらいはかかってしまう距離にあるのだ。
それよりもっと遠い森の奥深くからの出発ともなれば、身震いの一つや二つはしたくなる。
「今からですか!?もうお昼ですよ!?」
敬愛しているカリス様の言葉でも、二つ返事でとはいかなかった。
しかしカリス様は呑気な態度でこう答える。
「大丈夫、大丈夫。とっておきの移動手段があるからね。」
どうやらカリス様には秘策があるようだ。
どこかに移動用の馬でも飼っていたのだろうか?
そう告げられてもまだ不安を拭いきれなかったが、カリス様は棚から筒状に丸められた羊皮紙を取り出した。
それは床に広げられると、かなりの大きさの物だと分かった。
しかしその大きさよりもひときわ目をひいたのは、表面にびっしりと描かれた模様や文字だ。
私は文字が読めないので、そこに何が書かれているのか解読する事はできないが、恐らくこの国の言語ではなさそうだった。
「じゃーん!長距離移動魔法陣だよ!」
「長距離…まほうじん?」
長距離移動まではなんとか理解できたが、魔法陣という物は私にとって初耳であり、漠然としたイメージすら浮かばなかった。
私が首をかしげているとカリス様が説明を始めてくれた。
「魔法陣っていうのは魔道具の一種でね。魔女とかが魔力を注ぐと、あらかじめ設定された効果が発動するようになってるんだ。」
使用するためにはどうやら魔力が必要らしい。
まだそういった修行も受けていない私には扱えない物だという事が分かった。
コクコクと頷く私を見てカリス様は説明を続ける。
「これは二枚で一組になってて、片方の上に乗って魔力を注ぐと、もう片方の魔法陣へ瞬間移動出来るんだよ」
カリス様の事は信頼しているし、話している事もなんとなく理解出来ているのだが、内容が自身の常識を超越していたので唖然とした表情を浮かべてしまった。
そんな私を見たカリス様は
「最初は信じられないよね。私も師匠からこれを貰った時は半信半疑だったよ。」
貰ったという事は少なくともその時には魔法が使える状態だったのだろう。
そんなカリス様が半信半疑だと感じる物など、到底私の手に負えるわけがない。
カリス様の師匠の話は何度か聞いていたが、どうやら相当規格外の人物のようだ。
そのお師匠様の事で今の私が知っているのは、魔女として世界で五指に入る実力、年齢不詳の不老、そして女好きという事までだ。
一度お会いしてみたいが、神出鬼没らしいので気長に待つ事とした。
私が神妙な面持ちで考え込んでいると、カリス様は手を軽く鳴らして私の意識を引き戻し、母親のような柔らかな口調で言う。
「色々思うところはあるだろうけど、私の事を信じて欲しいな。」
カリス様の甘く優しい声でそんな事を言われてしまったら、私には首を縦に振る以外の選択肢はなかった。
「信じます!どこへでもついて行きます!」
未知の魔道具に対する不安は一瞬で世界の果てまで吹き飛んでいた。
興奮しながら想いをぶつける私を見たカリス様は、少々たじろいで苦笑いを浮かべながらも「ありがとう」と言ってくれた。
そんなこんなで、急遽メイドームへ買い出しに行く事が決まったので、いそいそと支度を始める
私はカリス様から貰ったお下がりの茜色のワンピースに着替えて髪を櫛で梳かし、今できる精一杯のおめかしをした。
そんな私を尻目にカリス様は普段着のまま革のショルダーバッグを身に付け、先に支度を終えていた。
「待たせてしまってすみません!」
「それ似合ってるじゃん!大丈夫だから気にしないでいいよ。」
初めての魔道具、初めての街、初めてのお洒落といった、浮かれてしまうには充分な材料が揃っており、その上でカリス様に褒められた私は完全に舞い上がっていた。
気が付くとカリス様はその魔法陣の上に立っており、私へ手招きをしながら呼ぶ。
「二人で乗るには狭いと思うけど、ここに来て。」
大判の羊皮紙とはいえ、人が二人乗るのもギリギリの大きさだ。
カリス様と密着するのは嬉しいが、恥ずかしくて一瞬だけ躊躇ってしまった。
私はそんな感情を隠すように急いで魔法陣に飛び乗り、カリス様に抱きつく。
カリス様は優しく私を迎え入れ、肩を抱いてくれた。
とても良い匂いがしたので気持ちが和らいで安心する。
「初めては怖いと思うけど安心してね。」
私はコクリと頷く。
まるでそれが合図かのように、カリス様は魔法陣へと魔力を送り込んだ。
魔法陣はカリス様の魔力を受けて放射状に緑色の光を放つ。
その光が魔法陣の隅々まで満ちると、今度は私たちの全身がその光に包まれた。
あまりの眩しさに私は思わず目をつむってしまい、抱きしめる腕の力が強くなる。
私が目を閉じてから数秒も経たぬうちにカリス様が声をかけてきた。
「ダフネ、もう着いたよ。よく頑張ったね。」
先程の説明で瞬間移動とは聞いていたが、やっぱりまだちょっとだけ信じられない。
私は恐る恐る目を開けてみると、そこはいつもの部屋ではなく真っ暗な空間だった。
「え!?暗い!さっきの部屋は!?」
カリス様は動揺する私を抱きしめ、落ち着かせるために頭を撫でながら声をかけてくれた。
「ここはメイドームの家のクローゼットだよ。魔法陣の出入り口にしてるんだ。」
そう教えてくれるとすぐにカリス様は暗闇の中にあるドアを開ける。
目の前に飛び込んで来た光景は私が初めて見るものだった。
「綺麗な部屋でしょ?ここには寝泊まりする程度の物しかないからね。」
良く言えばスッキリとしている。
悪く言えば生活感がないといった感じだろうか。
普段の道具だらけの部屋を見ていたので、カリス様の家のイメージとはかけ離れていた。
職場兼自宅だから単純に荷物が多いのだろう。
そんな思考を巡らせていたが、カリス様に手を掴まれて現実へ引き戻された。
「さあ、早速食材と素材の買い出しに行くよ!」
カリス様の言う通り、目的はただの買い物なのだ。
慣れない事が重なってそんな当初の予定を忘れかけていたが、その言葉を聞いて家から街へ出た。
メイドームはセントヘイム王国の西に位置する商業都市だ。
四方は城壁で囲まれており、兵士を含めて八千人ほどの住民が生活している。
中央には貴族の屋敷などがあって、領主が都市の内政を司っているようだ。
今回私たちが赴いたのは、都市の南に位置するノントン市場。
メイドームは交易の要所となっているため、この市場にはさまざまな食材と薬草などの材料が並ぶ。
カリス様の家は西の居住区の中央寄りだったので、比較的早く市場まで足を運ぶ事ができた。
「初めての街の感想は?」
「人がたくさんいて目が回りそうです。」
商業都市は住民以外の人が多く出入りしているため、人口より遥かに多くの雑踏がある。
それは完全に私の想像を凌駕しており、思わず圧倒されてしまった。
「正直でよろしい。まずはいつも食べてるパンを買いに行きましょ。」
私の大好きな白いパンの事だ。
それを聞いた私は内心飛び跳ねるくらい喜んでいたのだが、ぐっと堪えてカリス様に追従する。
カリス様は慣れた様子で、次々と買い物を済ませていく。
私は軽めの荷物を持ちながら、そんなカリス様を眺めている。
彼女なりの決まり事があるのだろうか?
辿る道筋に全く迷いが見られない。
意外と合理的な一面もあるのだなと、失礼な事を思いながら感心してしまった。
「これで全部かな。ちょっと行きたいところがあるから、ひとまず荷物を家に置いてこようか。」
あっという間に買い物を終えてしまったカリス様は、すぐさま次の行動を私に伝える。
初めての場所で意外と疲労が少ないのは、カリス様が私の歩調に合わせてくれたからだろう。
そんな事を考えていると、突然後ろから幼い声に呼びかけられた。
「カリス、久しぶり。」
私たちが振り返ると、そこには私よりも背が低くて可愛らしい女の子が立っていた。
今週も読んでいただきありがとうございます。
次回の更新は10/18(月)0時です。
現在はちょっと先のダフネ視点で物語を書いていますが、補足みたいな形で現在のカリス視点みたいなものも思案しております。
そちらは本編の更新日とは別に不定期であげていくつもりです。