13話「覚醒」
「エウドキア!!」
ソフィア様の咆哮が謁見の間に響き渡る。
こんなに怒りをあらわにした彼女を見るのは初めてだった。
味方の私でさえ身震いしてしまうほどの気迫を感じる。
「ソフィア殿!王命である!邪魔するなら貴女と言えど反逆罪になりますぞ!」
しかし、ゴルド将軍は毅然とした態度でソフィア様に忠告する。
歴戦の勇将だけあって全く物怖じしていないのは流石だ。
そのかたわらで、シリク将軍が微笑んでいる。
事前の予想では王都を守るゴルド将軍が現れるのは想定していたが、シリク将軍までは読めなかった。
なぜなら彼は南のクヴァ王国との国境に駐留しており、瞬間移動魔法陣を持たぬので早馬でも三日を要するからだ。
つまりこの処刑は昨日決められた事ではなく、もっと前から練られた女王陛下の罠だったのだ。
「いくらソフィア様でも、王宮で我々二人を相手するのは分が悪いでしょう。」
シリク将軍が諭すように声をかける。
先程からこの二人は私の事を一瞥もしていない。
私にはそれがどうにも腹立たしく感じられて、思わず声を上げてしまった。
「わ、私もいます!」
「図に乗るな小娘。大人しく下がっていろ。」
ゴルド将軍は少し驚いたような表情を浮かべて私を見たが、すぐに眉間にシワを寄せて睨みつけながらそう言い放った。
悔しいが彼の言う通りだ。
その瞬間、ソフィア様が自身の魔力を解放した。
そして、それを見た私はその魔力量に驚愕する事となる。
本当に四十分の一!?私の全力くらいあるじゃない!
王宮の制限下においてこの魔力量は驚異的と言えるだろう。
現に女王たちもソフィア様の事を注視している。
「王宮でもそれほどの魔力を出せますか。普段は魔力量を偽っていましたね?」
シリク将軍がソフィア様に問いかけると、彼女は不敵な笑みを浮かべて答えた。
「力を見せびらかすほど愚かじゃないだけよ。」
「しかし、白兵戦を生業とする我らには、その程度ではどうしようもないですよ。」
シリク将軍の発言は正しい。
今回ソフィア様が練った作戦は、ゴルド将軍から逃げ切る事を重点に置いていた。
この魔力量を持ってしても、王宮内では将軍一人に勝てないというソフィア様の考えなのだ。
ソフィア様は頑張って強がって見せているが、私には痛いほどその焦りが伝わってきていた。
しばし静寂が流れ、膠着していたその空気を最初に破ったのはシリク将軍だった。
彼は抜刀したかと思うと、目にも止まらぬ速度でダフネとの間合いを詰めた。
その速さは魔法による物ではなく、純然たる脚力による物だ。
速い!庇えない!
完全に遅れをとった私がダフネに手を伸ばすと、シリク将軍の剣はダフネに触れる直前で弾かれた。
これはソフィア様の防衛魔術だ。
「魔術の展開が速い。流石ソフィア様だ。」
「小僧が…!」
ソフィア様はそう吐き捨てると無数の火球を撃ち出し、シリク将軍をダフネから引き離した。
それでもシリク将軍は怯まずに攻撃を繰り返してくる。
ソフィア様はそれをギリギリのところでいなして、私はダフネを抱きしめながら謁見の間の扉まで走り出した。
しかし、恐怖で脚が動かなくなったダフネがつまずいてしまい、私たちの出だしは大きく遅れる。
すると、ゴルド将軍が怒号を発した。
「ソフィア殿!良い加減にしないか!」
ゴルド将軍は激昂した表情で大きな槍を構え、ソフィア様へ向けて直進した。
ソフィア様は自身を守るために結界を展開するが、それはゴルド将軍の一振りで粉砕される。
その一撃はそのままソフィア様に直撃し、彼女の小さな身体は壁へと叩きつけられて床に倒れ落ちた。
「ソフィア様!」
「殺してはおらん。貴様も諦めろ。」
ソフィア様は頭から流血しているが、腕が動いており、生きている事が分かった。
どうやらゴルド将軍は刃を当てず、加減して叩き飛ばしたようだ。
そして、シリク将軍は守る者がいなくなるこの瞬間を狙っていたかのように、私を突き飛ばしてダフネの胸ぐらを掴んだ。
「やめて!!」
床に倒れ込んだ私は声を張り上げたが、シリク将軍の放った一撃はダフネの心臓を貫き、白い大理石の床に鮮血が飛び散った。
ダフネは床に崩れ落ち、彼女の着ている薄黄色のドレスが血の色に染まっていく。
昨日買ってあげたばかりで、今朝嬉しそうに着た姿を見せてくれたのに、ボロボロになってしまった。
私は涙を溢しながら這うようにダフネに近づき、うつ伏せになった彼女を抱え上げる。
全く微動だにしない彼女の身体はいつもより重く感じられ、胸から妙に温かい血が溢れている。
私は必死に止血しようとしたが、どんなに力を入れて押さえても血が溢れ出てくる。
「そんな…やだ!…血が止まらない!…お願いします!助けてください!」
錯乱した私は処刑した張本人に助けを懇願した。
シリク将軍はそれを無視して女王陛下に尋ねる。
「この反逆者たちはどうされます?」
「…拘束して地下牢へ連れてゆけ。処分は追って通達する。」
女王陛下の言葉など既に聞こえなくなっていた私は、急速に体温が失われていくダフネを抱き締めながら泣き喚いた。
何度も彼女の名前を声に出し、必死に呼びかけた。
すると、驚く事にダフネは私の拘束を振り払い、急に立ち上がった。
「…ダフネ?」
私はぐちゃぐちゃになった感情でダフネの顔を見ると、彼女が笑っているのが分かった。
その事に気付いた女王陛下は、ダフネを見て驚嘆の声を上げる。
「な、なんだこの魔力は!?」
二人の将軍も信じられないといった顔をしている。
私は三人の反応を見て、ようやく冷静さを取り戻してきた。
ダフネからほとばしる魔力は、まるで制限などないかのように強大な物となっていた。
私が今まで見てきたどの魔法使いよりも力強く、禍々しい魔力だ。
少しの間ダフネを見つめていると、彼女は口を開き、彼女の声で、彼女の言葉とは思えない台詞を吐いた。
「これが三百年振りの肉体か。なんとも非力で脆弱な器だ。」
もう誰の目にも明らかだった。
今この場にいる少女はダフネではなく"魔王"なのだと。
「話は全て聞いていたぞ。アタシを解放したお前らに礼をやらないとな。」
ダフネの指に魔力が集まり、高密度な魔力の塊が出来上がる。
私が見た事のない魔法だったが、それは明らかに殺傷を目的とした物だと一瞬で理解できた。
私はそれが放たれる直前に叫んだ。
「だめ!ダフネ!」
魔力の弾は目にも映らない速度でシリク将軍に向けて発射される。
しかし、それは彼の頬を掠めて壁を貫いた。
「…外したか。まだこの身体の扱いに慣れないな。」
ダフネの姿をした魔王は不満そうな顔をしてボヤく。
そして、そのまま私の方を見てこう言った。
「それと小娘、アタシはダフネじゃない。魔族の王ヴァイロだ。」
魔王を名乗るダフネの表情や挙動は、いつもの彼女の物とはまるで違っていた。
本当にダフネは魔王になってしまったのだと、耐え難い事実に押し潰されそうになる。
魔王はそんな私の気持ちなど意にも介さず質問をする。
「なんで愛弟子を殺したあいつらを庇うんだ?憎くないのか?」
「…ダフネの身体で罪を犯して欲しくない!ダフネを返して!」
今、私の命はこの魔王の掌の上にあり、彼女の気分次第ではあっさりと殺されてしまうだろう。
しかし、私はダフネの声で悪辣な言葉を並べる魔王に無性に腹が立ち、思わず怒りをぶつけてしまった。
死も覚悟した私に、魔王は予想外の反応を見せる。
「…ふっ…あはははははははははは!!」
謁見の間にダフネの笑い声が反響する。
「可笑しい奴だ。この三人を屠ればいくらでも隠蔽できるだろうに。」
「…隠蔽?」
魔王の発言に違和感を感じ取った私は聞き返した。
先程、彼女はシリク将軍を殺そうとしていたのにも関わらず、私に対しては全く敵意を見せていない。
伝承では全ての人類を憎み、世界中を殺戮して回ったと聞いていたが、目の前のこの魔王は対話が可能なように思えた。
「いや、今のは聞かなかった事にしてくれ。」
バツが悪そうな表情を浮かべた魔王は、小さな声でそう呟いた。
そして、すぐさま女王陛下たちの方に向き直ると、強い口調で言い放った。
「小娘に救われた事を感謝しろ。またこいつらを狙うようならその時は殺す。」
私はそれを聞き、先程覚えた違和感は確信へと変わった。
魔王は間違いなく私たちを守ろうとしている。
「魔王ともあろう者が、我らの命を取らぬと言うのか?」
「貴様らに興味はないからな。」
震える女王陛下の質問に魔王が答える。
理由は分からないが、三百年の月日は彼女の心に変化をもたらしていたようだ。
それでもダフネは殺されてしまった。
心臓を貫かれた彼女の魂は、虚空に投げ出されて消滅しただろう。
私は自身の無力さに打ちひしがれ、溢れる涙を止められずにいた。
しかし、魔王はソフィア様の方を眺めながら私に問いかける。
「何故泣いている?お前たちは助かったんだぞ。」
「ダフネのいない世界なんて何の意味もないじゃない!」
ダフネの事を考えていない魔王の無神経な質問に対して、また八つ当たりのような怒りをぶつけてしまった。
睨みつけるように彼女の目を見ると、いつもと異なる真っ赤な虹彩が妖しく輝いている。
私の怒鳴り声を聞いて一瞬目を丸くした魔王は、ニヤリと笑みを浮かべてこう言った。
「安心しろ。こいつの魂は引き止めておいた。」
私は耳を疑った。
魔王がそんな事をする意味が分からない。
彼女は三百年振りに現世へ顕現できたのに、わざわざそれを手放そうとしているのだ。
「…なんで?」
私は言い伝えと別人のような行動をとっている魔王に対して、素直な疑問を投げかけてしまった。
「お前たちの事を気に入ってしまったのでな。」
魔王は天井を見上げながらそう言うと、彼女のまとう魔力が急激に減少した。
それが意味する事は明白だ。
「ダフネ!」
「カリス様!」
私がダフネの名前を呼んで駆け寄ると、彼女もそれに応えた。
彼女の胸の傷は完全に塞がっている。
私たちはそこが王宮である事を忘れて抱き締め合い、号泣しながらお互いの名前を呼び続けた。
今週も読んでくださって、ありがとうございます。
14話「二人」は12/27(月)の0時に更新予定です。
よろしくお願いします。