1話「邂逅」
初めて投稿させていただきます。
週一更新していけたらと思います。
これは、少女が魔女と出会い、成長していく物語。
私の名前はダフネ。
この平凡なマットン村で大工をしている父親と、優しい母親の間に生まれて健やかに育った。
好きな事は年の近い女の子と遊ぶ事。
将来は村で誰かと結婚して、同じような家庭を持つのだろうと漠然と考えていた。
しかしそんな想像は、運命の神様に嘲笑されるかのように、跡形もなく消え去る事となった。
ある時、私の暮らす村で伝染病が流行った。
主な症状は高熱と発疹で、子供や老人に限らず働き盛りの若者たちにも病魔の手が回り、僅か100人ほどしかいない村人の半数以上が床に臥した。
私は運良くかからなかったが、私の両親はまぬかれなかった。
近くに医者もおらず、街から呼ぼうにもそんなお金もない。
毎日ただ衰弱していく両親にパン粥を作り、必死に嚥下させようと努力した。
だが私の努力も虚しく、両親は亡くなった。
その日、私は産まれたての赤子のように泣いた。
翌日、村の人にその報告をすると、すぐに数人が両親の遺体を引き取りにやってきた。
私は駄々をこねて泣き叫びながら止めようとしたが、無理矢理引き剥がされて連れていかれてしまった。
死者は新たな病を呼ぶ為、燃やさなければならないらしい。
その後、よく遊んでいた友達も、一家全員亡くなっていたと火葬場で聞いた。
それから二日後、家族を無くした私は、父方の叔父に引き取られた。
あまり歓迎された様子は見られなかったが、村長の意向を破ると村八分にされる可能性があるという事で、渋々受け入れられた。
同じ村に住んでいるはずなのにあまり付き合いのなかった叔父の事を、何故かと不思議に思っていたのだが、すぐにその理由が分かった。
叔父夫婦には子供がいない上に他の村人ともあまり交流をしておらず、今回私が引き取られたのも奇跡に近いのだろう。
彼は畑仕事から帰って来ると、まるで暴君のように全てに当たり散らし、彼の妻にも平気で暴力を振るった。
彼女はその度に涙を流していたので私が慰めていたのだが、ある日それが見つかって彼の逆鱗に触れてしまい、私もその暴力の対象となった。
それが幼き私の地獄の始まりだった。
"そいつ"が私に暴力を振るう時、彼女は無事でいられた。
その事に気付いた"頭の良い"彼女は、そいつと一緒になって私を虐め始めた。
この家でのカースト最下層は私だ。
"そいつとこいつ"は私の事を奴隷のようにこき使い、幼児がおもちゃを扱うように乱暴に殴打した。
両親が死に、友達が死に、頼れる人もおらず、常に暴力の恐怖に晒されていた私は、それでもまだ絶望していなかった。
生きたい!死にたくない!
それがその時の私の原動力になっていたのだ。
そんな環境に身を置きながら三ヶ月ほど経ったある日、友達が近くの森に住む魔女の話をしていたのを思い出した。
--------
「ねえ知ってる?テネリザの森には魔女が住んでるのよ。」
私は突拍子もない事を告げる友達に目を丸くした。
テネリザの魔女の存在は聞いた事があったが、実際に見た事などなかったので、空想上の存在のような物だと思っていた。
冗談だと受け流していると、友達は前のめりになってこう続けた。
「嘘じゃないわよ!私のお父さんが川の上流で小屋を見つけた、って言ってたんだもん!」
実際に小屋があったとしてもそこに魔女が住んでいるとも限らないが、彼女が余りにも強く訴えるのでその場では合わせて驚いてるふりをした。
--------
翌朝、私は村から出てテネリザの森に入っていた。
本当に魔女がいるのかも分からないし、ただの変わり者が住んでいるだけかもしれない。
それでも私は家族以外に唯一心を許した友達の言葉を信じ、すべてを委ねた。
どの道あんな所にいれば、私は間もなく死んでいただろう。
とにかく何かを変えたかった。
この後どのような結末が待っていようと、あそこで死ぬよりはマシだと自分に言い聞かせ、険しい山道を進んだ。
途中足場が悪くて何度も転びそうになったが、川に沿って登っていく。
何時間歩き続けただろうか?
早朝に出発した筈なのに、既に日は一番高い所まで昇っている。
体力の限界など、とうの昔に超えていた私は流石に弱気になり、なかば諦めかけていた。
すると、草をかき分けた先に一軒の家を見つけた。
私は藁にもすがる思いでその家に向かった。
少し力を加えただけで折れてしまいそうな、小枝のように細い四肢を使い、もがきながら草木を掻き分けて進む。
確かに川沿いに家はあった、あの話は本当だったのだ。
その家は純白の漆喰を外壁とし、屋根を支える木骨が外に晒されている。この辺りでは見かけない珍しい作りをしていた。
家の周囲は、まるで最初から何も無かったかのように整地されており、一筋の緑すら見当たらない。
明らかに異様な空間が形成されているその周辺は、普段の私なら恐れて決して立ち入らないだろう。
しかし、この尋常ならざる雰囲気が、かえって魔女の存在を信じさせた。
「こんにちは!どなたかいますか?」
ドアの前に着いた私は一握りの躊躇もなしに、恐らくいるであろう家主に声をかける。
しかし、いくら待てども鳥のさえずりや川のせせらぎが聴こえるばかりである。
私は痺れを切らしてドアノブに手をかける。
鍵がかかっていない。
ゆっくりとドアを開け、恐る恐るその隙間から家の中を覗くと中は真っ暗だった。
光源はこのドアと窓を覆っているカーテンの僅かな隙間から差す光のみで、まだ目が慣れない私は部屋の全容を確認出来ずにいた。
中からは今まで嗅いだ事の無い不思議な甘い香りが漂って来る。
私は花の香りに引き寄せられる虫のように、その匂いの発生源へ無意識のうちに誘われた。
部屋に入って少し経つと段々目が慣れてきたのか、薄ぼんやりとだが中の様子が把握出来るようになった。
テーブルや棚の上には、見た事も無い道具や液体の入ったビンが、所狭しと乱雑に置かれていた。
家の綺麗な外装とは裏腹に雑然とした印象を覚えるが、これはこれで家主の法にのっとって、綺麗に陳列されている可能性がある。
…いや、ないな。
そんな事を思いながら香りのもとを探し、けっして荒らさぬよう丁寧に物色をする。
すると突然、背後から若い女性の声がした。
「お嬢さん、ウチで何してるの?」
私は突然の邂逅に全身の毛が逆立つほど心臓を跳ね上げ、振り返る事も声を上げる事も出来なかった。
しかし相手が女性であり、僅かな怒気や敵意すら含んでいないその声色に気付き、恐る恐る振り返ってみる。
まだ子供の私がこんな事を言うのもおかしな話だが、そこにいたのはとても愛らしい女性だった。
暗い部屋でも一際目を引いたのは、雪のような短めの白髪。
明るい場所でなら艶やかな光沢も相まって、彼女の神秘的な雰囲気を見事に演出していたであろう。
彼女はレースやリボンなどの装飾が施された、平民では手の届きそうにない黒色のワンピースを身に纏い、こちらの様子を伺っている。
「ご、ごめんなさい!勝手に入って!魔女様の家を探していたんです!」
声の主の可憐な姿を見ても動揺する心を抑えられない私は、咄嗟に言葉を並べていく。
それが不法侵入をした自分にできる、唯一の誠意の示し方であった。
「魔女は私だけど、どんな御用かしら?というかあなたどこから来たの?」
どうやらこの可愛らしい女性が噂の魔女らしい。
魔女に会えた喜びと、早く質問に答えなくてはという使命感で、私の思考は未だかつてないほど一個人と向かい合っていた。
「魔女様の弟子にしてもらいたくて、一人でマットン村から来ました!ダフネと言います!」
まるで上官を前にした軍人みたいに姿勢を正し、ハキハキと口を動かして自分の素性を明かす。
それを聞いた目の前の魔女は、大きな目を丸くさせて、奇妙な物でも見ているかのような面持ちだ。
確かに彼女にとってもこれは異常事態なはずだ。
マットン村からここまでは足場も悪く、大人の足でも半日はかかるだろう。
その悪路を私のような子供が一人で踏破し、あろう事か弟子入りまで志願したのだ。
魔女が動揺するのはむしろ必然と言える。
「ちょっと、ちょっと待って!いきなりすぎて…。一旦そこに座りましょう。」
魔女は少々興奮気味の私を落ち着かせる為、テーブルの横にある椅子に座るよう促した。
私は魔女の言葉に従い、背の高めな木製のダイニングチェアに腰をかける。
魔女もほぼ同時に腰を下ろすとすぐさま訊ねてきた。
「えっと、ダフネと言ったわね。あなたはこの家の事をどこで知ったの?」
彼女はここに住んでいる事が知られるのを、あまり好ましく思っていないようだ。
あえてこんな森の奥に住んでいるのだから、人と関わる事を避けている事は容易に想像できる。
「噂で森に魔女様が住んでいると聞いたんです。それで川沿いに探してたら見つけました。」
彼女の警戒心を上げぬよう、なるべく嘘偽りなく質問に答える。
友達はもうこの世にはいないのだから、わざわざ名前を出して彼女を不安にさせる必要も無いだろう。
「うーん、その程度なら問題無いか。でも一人でこんな所に来て、親が心配するわよ。」
「両親は…流行病で死にました。」
親の話をされて一瞬だけ自分の身が強張るのを感じたが、懸命に質問に答えた。
彼女はそれを聞き、申し訳なさそうとも悲しんでいるようにもとれる表情を浮かべた。
魔女という事を差し引いても、彼女はとても異質な者のように見える。
普通であれば、招かれざる客など相手が子供だとしても追い返されてしまうだろう。
しかしこの魔女はこんな私と向かい合って、ちゃんと話を聞こうとしてくれる。
「悪い事聞いちゃったわね…。でも他に保護者がいるでしょう?」
「叔父の家に引き取られたのですが…。」
私は言葉で説明しようとしたのだが、気が付くと立ち上がっていた。
彼女はそんな私を黙って見つめている。
私はその場で後ろを向き、上着を脱いで魔女に背中を見せた。
論より証拠とも言うが、背中にある無数の痣は、その時の私の環境を物語るには余りにも雄弁であっただろう。
「分かったから服を着てちょうだい。」
その声は少し震えているようにも聴こえた。
彼女は今、どのような表情をしているのだろうか?と少し怖くなったが、私は黙って上着を着直して再び席につく。
私は目を伏せたままで彼女の顔を見る事ができない。
その時少しの間沈黙があったが、この重苦しい空気を始めに破ったのは魔女だった。
「あなたが決死の想いでここに来た事はよく分かりました。質問ばかりになってしまうけど、最後に一つだけ聞かせて欲しい。魔女になって何をするつもりなの?」
彼女の最後の問い。
私は初めからこの答えを用意していたわけではなかったが、彼女の目を見て正直に自身の想いを伝えた。
「誰かから必要とされるような、生きる為の力が欲しいんです。」
彼女も私の目から視線を離さない。
色素の薄い蒼い瞳は、かすかな光を吸って宝石のようにキラキラとしている。
この曇りなき眼は、もしかしたら私の心を見透かそうとしているのかもしれないとも思えた。
それはきっとほんの僅かな時間であったが、私には妙に長く感じられた。
再び沈黙を破ったのは魔女だった。
彼女は窓の方を向いて長く息を吐き、少し不貞腐れたように言う。
「こんなの断れるわけないじゃない。あなたを弟子にするわ。」
その言葉を聞いて、私の目からせきを切ったように涙があふれた。
私は手で必死にそれをぬぐうが、安堵の気持ちから来るこの熱い物を止められない。
早くこの命の恩人に感謝の気持ちを伝えたいのに、上手く言葉にできずもどかしかった。
うずくまりながら嗚咽混じりに、ありがとうございます、と連呼していたつもりだが、言葉になっていなかっただろう。
するとろくに身体も清められず、森を歩いて泥だらけの私を魔女は優しく抱き締めた。
「もう大丈夫だから安心してね。」
彼女の温もりは私の身と心を同時に温めてくれているようだった。
その日、私はしばらく泣いたあとに気絶したように眠ってしまった。
これが私と魔女の出会いだ。