14 グウェンの夢
それからしばらくの時が流れたある日、私は部屋の掃除に来ているハウスメイドとおしゃべりをしていた。
「グウェン、秘書の勉強の方は進んでるの?」
「えぇ、出来るだけ毎晩やっていますよ。同室の者にはどうせ無駄なんだから早く明かりを消して寝た方が良い、と言われていますけど」
「ひどい!言い返したりしないの?」
「でも……可能性が低いのは事実ですし……」
そう言ってグウェンは貌を伏せる。
それでも掃除の手を休める事は無い。
うーん、伯爵家の領地じゃ秘書なんて仕事は無いしなぁ……。
なにせのどかな田園地帯だ。
領民の殆どは農業や畜産に従事しており、わずかな者が商店などを構えているだけである。
秘書の需要などあるはずもない。
私が力になれればいいんだけどな……。
折を視て伯爵に話を振ってみよう、そう思っていた時、
「お嬢様、失礼いたします」
コンコン、とノックの音が響き、扉が開くと現れたメイドからひと言。
「シビル様、伯爵がお呼びでございます」
「伯爵が……?わかりました。スグ行きます」
伯爵からの呼び出しって何だろう?怒られなければいいけど……。
そして呼び出された客間で、私は以外な人物に出会う。
「伯爵、お呼びでしょうか?」
「お久ぶりですね、レディ・シビル」
「貴方は……」
誰だったかな……貌は覚えてるんだけど……。
「お忘れですか?以前貴女に助けていただいたジョン・マクルーアです」
あー、あの馬車に挟まれていた!
でも、どうして伯爵館に?
「サー・ジョン・マクルーアがシビルにぜひお礼を言いたいとおっしゃてね。聞けば以前、サー・ジョンを助けたそうじゃないか」
「はい、ローズと一緒に……」
ホントはローズもいるべきなんだけど、外出中だから私だけ呼ばれた感じだ。
わざわざお礼なんていいのに……。
「あの時はレディ・シビル、そしてこの場にいないレディ・ローズのお陰で本当に助かりました。あの時は何のお礼も出来なくて申し訳ない」
「サー・ジョンはシビルたちに何かお礼をしたいという事だ、私が言うよりもシビルから直接話した方が良いと思って呼んだんだ」
「レディ・シビル、何か望みはありますか?私に出来る事であれば、出来うる限り叶えましょう」
「……私の望みですか」
サー・ジョンって事は準男爵よね……。
この国での準男爵というのは貴族――ではなくタダの世襲称号だが貴族に準ずる者として扱われる。
そして例外なく――大金持ちである。
と、いうよりも大金持ちでないと準男爵に成れないのだ。
大富豪の平民が大金を国に寄付する事で得られるのが準男爵という世襲称号である。
そして基本的には世襲称号だが代替わりの度に国から審査があり、一定の財産が無いとみなされると引き継ぐことができない。
そういう成り立ちで有る為に、貴族よりもよっぽど大金持ちで貴族然とした者ばかりだ。
お礼、お礼ね……。
あの時の私――たぶんローズも、何かしらの打算があったわけではない。
サー・ジョンの事も領民が事故を起こしたのだと思っていた。
領地を預かる伯爵が領民を守るのは義務だからだ。
そしてローズは違うが、私も伯爵家の者として『できる範囲』で助けただけなのだ。
もし仮に、私が魔法を使えなかったとしたら、精々人を呼びに行く程度で、あの場では助けられなかっただろう。
うーん。
どうしようかな。
こういう場合の『お礼』は過度の要求をするのはマナー違反になるみたいなんだよね。
かといって『何もいりません』って言うのもダメみたい、自尊心を傷つけられるとか何とか。
貴族同士の付き合いとはそういう面倒な物なのだ。
相手は片手間で出来る、それでいてこちら側の切実な要求に応えた、そういうのが良いんだけどな。
……あ!そうだ!
「サー・ジョン・マクルーア。でしたら私からお願いがあります」
「なにかな?遠慮せずに言ってください」
「伯爵家のハウスメイドにグウェンという者がおります。この者に秘書の口を紹介してはいただけないでしょうか?」
「ほぅ……、秘書ねぇ」
「シビル、なんだね、それは?」
おっと、伯爵の頭越しになっちゃった。
伯爵家で働いてる使用人の事だし、やっぱりそれはまずかったかな……。
「伯爵、グウェンは以前から働きながら秘書になる為の努力をしていました。それを知った時からグウェンにはチャンスをあげたいと思っていたのです」
「しかし……」
「もちろん、与えるのはチャンスだけです。サー・ジョン・マクルーアの紹介とは言え、能力が秘書になるには足りないと先方が判断したのであれば、それは仕方がありません。お願いです伯爵、グウェンにチャンスをあげてください」
私は必死に説得をする。
「私の方からは特に構いませんよ。……勿論伯爵家の使用人の事です。マクミラン伯爵が許せば、ですが」
「……わかった、許そう。一つシビルに聞きたいが、グウェンは伯爵家に不満がある、というわけでは無いのだな?」
「伯爵ありがとうございます!グウェンの伯爵家に不満があるというわけではありません。……ただ、秘書になりたいという夢があるだけです」
「しかし、どのような事を言われると思ったらレディ・シビルも欲が無い。……こう言っては何ですが、私にも大抵の望みは叶えられる力があると思っているのですがね」
と言って、マクルーアは私に対してニコリと微笑む。
「あら、サー・ジョン・マクルーア。伯爵家で長い間奉公してきたグウェンに対して報いてあげたい、というのが今の私の偽りざる本心です。そしてそれを叶えて頂けるサー・ジョン・マクルーアに対しては感謝の気持ちしかありません」
そう言って私はニコッと微笑み返すと、マクルーアは、
「それは嬉しいことを言ってくれる。本日は運悪くお会い出来なかったが、レディ・ローズに対しても何かお礼を考えないといけませんね」
と、言いながら妖しく笑った。




