00 プロローグ
「お嬢様?気が付きましたか?大丈夫ですか?」
「っん……?」
誰かに声を掛けられている。
ぼんやりとしていた意識が徐々に戻るにつれ、見慣れない天井が目に入る。
「えっ……?」
ここはどこだろう……?
私はなんで……ここにいるの?
視線を左右に逸らす。
どこかの部屋の一室だ。
声を掛けて来たのは……女性?
私はなんでこんな所に……、確か自宅への帰路にいたはずなのに……。
体躯を起こそうとすると頭がクラっとしてしまう。
「お嬢様!?まだいけませんよ!暫くは安静にしてないと」
そうたしなめられて、私は再びベッドへ体躯を横たえる。
「それでは私はお嬢様がお気づきになられたことを旦那様達にお知らせしてきます」
そういって女性は部屋から出て行った。
再びあたりを見回すと、枕元に手鏡を見つけたのでそれを手にとってのぞき込んだ瞬間……。
「んっ……?えっ……?はっー????」
自分でもびっくりするほどの大きな声が出てしまう。
手鏡をしばらく見つめたあと、視線を下にやり自分の体躯をじっと見つめる。
(私……子供になった!?)
手で貌をペタペタ触ると、手鏡の中に映っている人物も顔を触っている。
(貌が赤!)
変な所でびっくりしてしまう。
でもなんで?さっきまで私は自宅への帰路を急いでいたはずだ……。
それなのに気が付いたら子供になっている。
私は何がどうなっているのかわからなかった、頭がどうにかなりそうだ。
その時部屋の扉が開くと同時に声がかかる。
「もう大丈夫なのか、シビル?」
入って来た壮年の男性は心配そうに私を見ると手を握り締めた。
「もぅ、心配したんですからね。一時はもぅダメかと……」
こちら先程の男性よりやや若く見える女性だ。
「旦那様も奥様も落ち着いてください。まだお嬢様は目覚めたばかりですから……」
先ほど呼びにいった女性がやんわりと声を掛けると、
「うむ、そうだな。では引きづづき看病を頼んだぞ」
「お願いね」
と言って二人とも出て行ってしまった。
なぜだか知らないがとりあえずホッとした。
「さぁ、お嬢様。まだ本調子とは程遠いいのですから、ゆっくりお休みになってくださいね」
その言葉を耳に私はゆっくり目を閉じると、再び眠りに落ちるのだった。
§ § §
そうこうしてるうちに数日の時が流れた。
私はその間、看病してくれる女性に質問をしたり、聞き耳を立てたりして情報を集めた。
そうして少しずつ状況が分かってくる。
まず、私は――今の私はマクミラン伯爵家の三女という事だ。
年齢は十歳、遊びたい盛り。
もう一週間も前に猩紅熱で倒れ、一時はもうダメかと思われてたとか。
でもなんで私が子供の姿で今ここにいるかは分からないままだった……。
最初は夢も疑ってみたけど、こんな長時間続く現実感のある夢なんてありえない。
ベッドに起き上がりつつ手鏡を見ながら貌をペタペタと触る。
もうすっかり貌の赤みも取れ始めている。
お医者さんの話では、もう少ししたら元通りの生活に戻れるそうだ。
でも元通りの生活って?どんな生活なの?
まだまだ分からない事が多いから不安でいっぱいだ。
「失礼いたします。シビルお嬢様」
扉が開き、侍女が入ってくる。
歳のころは二十代前半ぐらいだろうか?
「おはようございます、お食事をお持ちしました」
「あ、お、おはよう」
侍女はワゴンに載せた食事をベッドの上に置く。
貴族ってベッドの上で食事をするの?それとも私が病人扱いだから?
「さぁ、さめないうちにお召し上がりになってください」
「う、うん……」
どっちにしても早くこの風習になれないとね……。
§ § §
体調は大分よくなり外出しても良くなった。
その間失敗もいろいろあったがすべては病気で生死をさまよったせいにされて、大きな不信感を抱かれる事はなかったようだ。
……大丈夫だよね?
最初は貴族!伯爵!すごい!と舞い上がっていたものの、内情を聞くとなんとなーくヤバイ感じだ。
伯爵にはそれにふさわしい品格が求められるらしく、伯爵家の財政は火の車らしい。
ヘタをすれば領地や館を手放さなくてならないようだ。
それに父である伯爵には現在男の子供がいない。
このままでは父の亡きあと親戚が爵位を継ぐことになり、そうなれば私達は着の身着のまま放り出されてしまう可能性があるようだ。
いろいろと詰んでるなこの家……
今伯爵の頭の中にあるのは、どうにか長女を爵位を引き継ぐ予定の親戚に嫁がせることと、二女を富豪に嫁がせて援助を求める事でいっぱいになっているらしい。
§ § §
「とはいえ、今どき領地や館を手ばなす貴族は珍しくないし、無くなっても一応は貴族だからね」
シビルの二歳上の親戚である、ローズはそう言って苦笑いした。
ローズは侯爵家の娘であるが、侯爵は外国に赴任しているらしく、それを嫌って私達の家に居候しているのだ。
私達が一緒にいるのは館の一室。
そこで先生を待っている。
習っているのは何と絵画だ、貴族としての嗜みらしい
「私達は精々お金持ちと結婚して、どれだけの援助を引き出すかしか期待されてないわ」
「そうなの?」
「えぇ、侯爵も隠そうとしてるけど内情は火の車みたいよ。領地や館を維持するのに四苦八苦してるみたい。お父様も大変よね」
「侯爵も?」
「今は私達貴族より、下手したら郷士や商人の方が財産がありそうよね」
「そうなんだ……」
またここで非情な現実が明らかになる。
娘を身分が低いが財産のある者に嫁がせて援助を引き出す、そしてその結婚により引き起こされる愛し合った者達が引き裂かれる悲劇、物語等でも定番のお話よね。
って私はこのままでは政略結婚に一直線じゃない。
ヘタしたら何処かのスケベ親父に嫁がされる可能性だって……。
もう元の私には戻れないの?
帰路についたところまでは分かっているんだけど、どうもその後が記憶があいまいで思い出せないのよね……。
このまま一生もどれないのかしら……。
そしてスケベ親父への政略結婚!?
そんなの絶対に嫌!
「失礼します」
そんな声とともに一人の女性が部屋に入ってくる。
四十代ぐらいの上品な感じのする女性だ。
ローズの話によるとこの辺りではそれなりに名を知られた画人であるようだ。
「お二人ともごきげんよう。それでは本日の授業を始めます」
「先生、宜しくお願いします」
ローズが挨拶をし、私もそれに続く。
絵画なんてしたことなかったので先生にはやる気がないとこっぴどくしかられたのはまた別のお話である。
§ § §
「魔法?」
先生に散々しかられた授業が終わった後、ローズは私の質問に不思議そうな貌を浮かべた。
「私、魔法を習いたいの」
「魔法なんて習ってどうするの?魔法の先生にでもなるつもり?」
良く分からない、という貌を浮かべるローズ。
魔法の元となる魔力は貴族とそれ以外とを分ける重要な要素の一つだ。
貴族になるには、まず国王から与えられる爵位、そして魔法に対する耐性、最後に必要なのが魔力だ。
この三つが揃わないと貴族になれない。
もっとも魔法に対する耐性と魔力がないと爵位が与えられることはないため、重要なのはこの二つだったりする。
そしてこの二つは遺伝するのだ。
しかし魔力さえあればよく、魔法は必ずしも必要とされてはいない。
故に魔法を使えるものは貴族でもそう多くはなく、その多くは嗜みで覚えてみました、という程度のささやかな物だ。
以前の私は貴族ではないので魔力はなく、当然魔法も使えなかった。
でも今の私なら――。
「無理かしら……」
「無理じゃないと思うけど……。伯爵の書庫に行けば魔導書はあると思うわよ?たしか伯爵も魔法を使えるんじゃないかしら?」
「そうなんだ」
「たぶん初歩の教練書みたいなのもあるんじゃないかな?行こう、一緒に探してあげる」
ローズの後ろについて一緒に書庫を目指す。
そしてたどり着いた、如何にもな部屋の扉を開けると不思議な臭いがした。
「なんか変な臭いがするね」
「これは本の臭いよ。知らないの?」
「ふーん」
以前の私の家では本はあるにはあったが、本の部屋などなく、こんなに沢山の本ももちろんなかった。
勝手知ったる他人の家、とばかりにローズはそのままトコトコと歩き出し本を見て回る。
私はあわててその後を追った。
「えーと、魔法、魔法っと……、あった!これじゃない?」
「え……どこ?」
「ほら、あそこの上、うー手が届かないな……。シビル、ここで四つん這いになりなさい」
「えー」
「いいから、早く!」
「もぅ、わかったわよ……」
私がシブシブ四つん這いになると、ローズは私の背にぴょんと飛び乗り本に手を伸ばした。
「ローズ、重い……。早く降りて……」
「もう、少しの間ガマンしなさい!……っと、とれたわ」
目的を達したローズはぴょんと床に降りると本を掲げる。
「あー、重かった。普通逆じゃない?ローズの方がお姉さんなのに……」
「シビルの為にとって上げたんでしょ?シビルじゃ私に乗っても手が届かないかもしれないじゃない」
そう言うとローズはそのまま机まで歩き本を読もうとする。
「ちょっとローズ。まってよー」
私も慌てて追いかけて隣の席へ。
「『初級魔法教本』だって」
ローズはペラペラと頁をめくる。
「前置きは飛ばすわね、うーんとここも飛ばし!あ、あった!ここから読めばいいみたい」
ちょっと勝手に読みとばし!重要な事書いてあったかもしれないのに……
まぁあとで読めばいいか……。えっと火を灯す練習?
「見てみて、火を灯すだって。面白そう、やってみよう?」
「でも危なくない……?」
「大丈夫だって、机には燃えやすい物ないし」
ってその本があるじゃん。でもローズは特に気にする様子もない感じでやり方を読んでいる。
えーと、まず眸を閉じて集中して……呼吸法?ふむふむ。そして火のイメージか……。
よし!やってみよう!
眸を閉じて、意識を集中……。そして人差し指の先で火が灯るイメージを……
「あ、見てみて、シビル!指先がら火が出た!」
その声で集中が途切れてしまった。もう、うまくいきそうだったのに……
きゃきゃと喜ぶローズを後目に、再度眸を閉じて意識を集中させる。
人差し指の先で火が灯るイメージをして、指先に力を籠める!
何かが発動するような感覚と共にローズの声で眸を開く。
「あ、シビルの指先からも火がでた!やったねー」
パチパチと拍手するローズ。そして私は自分の指先で揺らめく小さな火を見つめていた。
私にも魔法が使えた。
今はとてもとても小さな火だが、いずれはとても大きな炎になるかもしれない。
何がなんだがわからない今の境遇だけれど、私は初めての魔法に心が踊るのを隠し切れなかった。