第九話 絵本
今から自分は絵本を読まされるらしい。
自分がただの生後1ヶ月ならまだかなり早いが、親にとっては生後1ヶ月の人の脳が埋め込まれた上で1ヶ月経過しているので脳の発達としては実質的に生後2ヶ月なのである。まあ実際には30年以上経っているのだが。
ベビーベッドの横の柵を取り外して、腰から上だけ辛そうな体勢で自分の隣に横になった。
絵本など気が進まないのだが、どうせ動けないので観念して聞くことにする。
「ぷぅ ぷぅ」
最初の絵本なのだから、こんなものだろう。
赤ん坊に対して言葉を教えることは、本来非常に難しいことなのである。
「ぷーぷー ぷー?」
例えば我々大人がまる6年、別の惑星に飛ばされて宇宙人と過ごしたとする。もちろん、生命体としての根本や環境が違う以上、文化は全く異なる。身振り手振りを用いても意思疎通は絶望的であろう。向こうの世界では、深々と頭を下げることがこちらで言う中指を立てることのような意味になるかもしれない。そんな中で6年過ごしたとして、我々は6歳児のようにああも流暢に言語を扱うことができるだろうか。
「ぷー↑ーー↓ー」
ましてや、相手は赤ん坊だ。この絵本のように長音記号を上下させることと、声の高低は簡単には結びつかない。そんな、この世界のルールともいえるジェスチャー文化の基礎を、今こうして学んでいるのである。
「ぷっぷっぷー」
例えばこれは、跳ねるようなイメージ。言語と文化が密接に関わっているからこそ、この惑星の文化の「イメージ」を固定するために、擬音を用いて言語を学ぶのである。絵本は、単なる遊びではないのだ。
「ぷふふっ笑笑笑」
それは多分書いてないだろう。
「釘付けだね、かわいいなあ」
やはりこの惑星の親というものは不可解である。