謀略
「アーウィア、体調はどうだ」
「元気っス」
「そうか。どうにか峠は越したようだな」
「いや、昨日からずっと元気なんスけどね……」
宿で一夜を明かした俺たちである。寝ずの看病の甲斐あってか、雨に打たれた子猫のように衰弱していたアーウィアも幾分か持ち直したようだ。
安堵の息が漏れる。あのような痛々しい姿はもう見たくないものである。
「で、パウラ。お前はどうした。顔色が悪いぞ」
ノーブランドのタオルみたいにシンプルな顔付きの娘が疲れた表情をしている。どうしたのだろう。今日もヘグンらと迷宮へ行くというのに、そんな調子で大丈夫なのだろうか。
「誰のせいだと思ってるのよ……。ぜんぜん眠れなかったわ」
「何だ、俺たちは静かにしていただろう」
アーウィアはずっと眠っていたし、付き添いのニンジャ二名も気配を消していた。変な言いがかりはやめていただきたい。
「夜中に目を覚ましたら、あなたたち二人が隣の寝台を覗き込んでるのを見ちゃったのよ。気持ち悪くて眠れなくなったわよ」
「……アー姐さんの看病です」
「なにも夜通し見張ってなくてもいいでしょうに」
「アーウィアの容態が急変するかもしれんだろう。俺とニコで監視していたのだ」
「そんなことしてたんスか……」
体調が良かったり悪かったりおかっぱだったりな小娘どもを連れて、酒場へと足を運ぶ。閑散とした店内に、ヒゲだったりヒゲじゃなかったりエルフだったりな連中が待機していた。
一枚だけ置かれた皿をルーが真剣な面持ちで見つめている。ボダイがパンを千切って投げ入れると即座に喰らい、また皿を見つめる。再びボダイがパンを千切って放り込み、エルフが喰らう。
「おはよう、何をやっているんだ」
「おう兄さんか」
ぼんやりとエルフの餌付けを観察していたヘグンが顔を上げ、ひらひらと手を振ってみせる。縁側で雀を眺める老人のような姿だ。エルフで一句詠もうとしていたのだろうか。そういう奇をてらった題材は玄人受けが悪い。『もっと身近な風景にも目を向けましょう』とか評されるだろう。身近にエルフがいるのだから仕方がないではないか。
「ルーが余計なことを言わないよう気を逸らしていたのです」
「今さら何だ。余計なことしか言わないのがルーだろう」
ボダイが曖昧な笑顔でパンをむしり、放る。エルフが喰らう。
「俺たちにじゃねえよ、そっちは諦めてらァ。兄さんに客だぜ」
ヘグンは親指を立て、酒場の奥を指差した。
パウラ嬢とおかっぱを引き渡し、レベル上げに出かけるヒゲさんチームを見送る。あの新米聖騎士はうちの看板役者にする予定だ。念入りに仕上げねばならん。
「あいつら、皿を片付けずに行ったな」
「昨夜の皿っス。後で女将に返しておきましょう」
ルーの餌皿がぽつんと残されている。やはり冒険者という連中はこういうところがいい加減なのだ。ちゃんと洗った上で、御礼に菓子や果物などを盛って返すのが礼儀であろう。無頼の冒険者といえど、ご近所付き合いはおろそかにできん。
さて、やりっ放しの無精者たちのことは置いて、客とやらの応対だ。卓を挟み、男女二人連れの対面に腰を下ろす。
「それで、何用だ」
「ひとまずお借りしていた装備品をお返ししますね」
「ああ。勝手に売り払ったりしていないだろうな?」
「しませんよぉ、人聞きの悪い」
俺の客一号は女給だった。
ズタ袋を受け取って中身をあらためる。板金鎧やら茶筒のような鉄兜やらだ。もうちょっと早く返してくれたらパウラ嬢に貸してやれたのだが、間の悪い茶筒である。いや、すでに茶筒ではなくただの駄犬か。
「あと、これです」
卓越しに革袋が渡される。適度に重量があって柔らかい。はて、こんな装備品を貸しただろうか。
「昨日の猪を解体したんで、分け前を預かってきました。革袋はわたしのなんで返してくださいね」
猪はギルドの討伐報酬が設定されていない。そんなものが近所で穫れるなど知らなかったせいだ。捌いて現物支給することになったのだろう。一言相談してくれたら買い取ったのだが。この辺りの仕組みは要検討だ。
「ちょうどいいっスな。朝メシにしましょう。おい親父ー、肉焼いてくれっスー」
アーウィアが革袋を振り回しながら厨房へと向かう。病み上がりで狩猟肉など食べて大丈夫だろうか。いや、健啖なアーウィアのことだ。しっかり食べて体力を取り戻してもらおう。
「ふむ、他には」
「わたしの方はそれだけですね」
女給はそう言って、もう一人の方を横目で見る。こちらが本題だろう。
「――さて、待たせて申し訳ない。要件を伺おう」
俺の客二号に向かって両手を合わせ、片方の手を握り込む。犬の影絵だ。そろそろレパートリーが厳しくなってきた。兎の影絵も知っているが、あれは綺麗に見せるのが難しいのだ。
「どうも。お久しぶりです、ゴザールさん」
オロフである。
ようやく悪党の親玉が姿を現した。こんな場末の悪所までご足労いただけるとは痛み入る。いよいよ宣戦布告だろうか。
「昨日は大変なことをしてくださいましたね」
若い商人は、相変わらず人の良さそうな顔で穏やかに語る。胡散臭い男だ。
「何のことだ」
「小鬼討伐の一行ですよ。腕のいい『探索者』が大怪我をしてしまいました。ヨーナスという若者ですよ。ご存知でしょう?」
ご存知ではない。おそらく、ステランの補佐をしていたあの副長だろう。そうか、ヨーナスくんというのか。
「ひっどい怪我だったんですよぉ。腕の骨がポッキリで、曲がっちゃダメなとこでぷらんぷらんしてました。わたしああいうの苦手です、もう見てるだけで膝の力が抜けそうになる感じで」
「そうか、それは大変だな」
「猪に正面から突っ込んでたっスからねぇ。そりゃ腕も折れるっス。馬鹿正直にも程があるっスな」
アーウィアが焼けた猪肉を皿に載せて戻ってきた。思わず真顔で発言者の顔をまじまじと見る俺である。はて、この娘は腕が折れていないようだが。
自覚のない司教はニンジャの視線に小首を傾げ、肉をつまんで口に運ぶ。食欲旺盛なようで何よりだ。
「――俺たちのせいではあるまい。たかが猪一匹に壊滅させられかけた新人どもが力不足だっただけだ」
「うっス。てめーが間抜けだっただけっスな。世話が焼けるっス」
またしても発言者の顔をまじまじと見る俺だ。アーウィアは少し考えた後、皿をこちらに差し出してきた。そうではない。
せっかくなので、皿の肉を一切れつまんで食らう。アーウィアは納得したように頷きながら次の肉を口に運びだした。
「ゴザールさん、時間を無駄にするのはお互い望むところではないでしょう。腹を割って話をしませんか?」
「ふむ。よくわからんが、話を伺おう」
この男は商人だ。本当に腹を割るつもりなどあるまい。
何を企んでいるのかは不明だが、こうして接触をとってきたのだ。勝負を仕掛けるに足る交渉材料を持ってきたのだろう。お聞かせ願おうではないか。
「では率直に申しましょう。ヨーナスの負傷により、小鬼討伐に支障をきたしています。彼らの活動を『探索者ギルド』が支援していることはご存知ですよね?」
「ああ、もちろんだ」
「わたしらの縄張りで好き勝手に跳ね回って、知らねーはずがねえっス」
肉を食らいつつ話を聞く。噛みごたえのある、赤身の強い肉だ。皮下には分厚い脂肪の層があり、脂の甘味も存分に味わえる。がっつりと『肉を食った』感が得られる一品である。
「これは『探索者ギルド』が設立されて以来の大損害です。そして、なぜか現場には顔を隠した冒険者ギルドの方が潜り込んでおられました。これは信頼できる筋からの情報です。もっとも、もはや隠す気もないご様子ですが……」
信頼できる筋とやらは何だろう。まさか、さっきから物欲しげな顔で皿に視線を送っている女給などではなかろう。ちょっと小銭を握らせたら何でも喋るような女だ。こんな駄犬を信頼するようでは人として終わりである。
そもそも、俺たちが参加した小鬼狩りの報酬はどこへいったのだ。アーウィアは肉で誤魔化されたようだが、ちゃっかり懐に入れた駄犬がどこかに隠れているはずだ。
そして肉。どう考えても少ない。あの猪の巨体と参加人数を考えるに、朝メシにぺろっと食べられる量なわけがない。これは一人分以下だろう。
この駄犬、三人分の報酬の大半をちょろまかしたのだ。
よくもまあ、しれっとした顔でこの場にいられるものだと感心する。おまけに、囮として使った肉まで狙っている始末だ。強欲で、後先のことをまるで考えていない。柿を三つとも持っていこうとして置いたり掴んだりを延々と繰り返している猿のような欲深さ。まったく、こういうところが駄犬なのだ。