騎兵の一撃
突如現れた猪一匹によって新人どもは総崩れになった。
こいつらは小鬼にばかり慣れすぎたのだ。イレギュラーな事態に対応が追いついていない。醤油がドバッと出た人みたいな感じで浮足立っている。
「まったく、敵に背を見せるやつがあるか」
剣を捨ててニンジャは疾駆する。呆然と突っ立っているステランを蹴り倒し、森ゴブ目掛けて跳躍。棍棒を掌打で打ち払い、手刀一閃。致命の一撃、小鬼の首をはねた。
「おらぁーッ! 格の違いを教えてやらぁーッ!!」
「おいアーウィン、無茶をするな!」
両手に鉈を持ったちっちゃい奴が猪に向かっていく。猪は身を低くして数歩後ずさり、弾き出されたように突進。アーウィアと猪、二匹の獣が激しくぶつかりあった。
ぱかん、と軽妙な打撃音が響く。銭湯の床に洗面器を落としたような音だ。次の瞬間、撥ね飛ばされたアーウィアが高々と宙を舞っていた。
「アーウィン! 無事か、しっかりしろ!」
落下地点に駆け付け、うつ伏せになっている小娘を助け起こす。目は開いているが返事がない。脳震盪を起こしているのか、寄り目が苦手な人が頑張っているみたいな顔になっている。兎の面が二つに割れて、下草の中に転がっていた。
「皆、今だッ! 小鬼騎兵を仕留めろ!」
先輩一号の号令に、敵の姿を見る。猪のやつは酔っ払いのような千鳥足。不格好に足掻き、横倒しになった。剣を握った新米どもが蟻のように群がっていく。
「んがぁ……ふわっとしたっス……」
「気が付いたかアーウィン。怪我はないか。指は何本見える?」
「……二本っス。ドタマをかち割ってやるつもりだったんスけど、とんでもねー石頭だったっス」
考えれば無理もない。相手は頭から突っ込んでくる猪だ。当然、正面からの衝撃には強かろう。アーウィアの鉈は猪の額を強打したようだが、無力化させるには至らなかったのだ。
「おい、大丈夫かお前ら!」
先輩二号が駆け寄ってくる。猪の方は勝負が付いたようだ。
「大丈夫じゃないですよぉ! ここ、小鬼が残ってます! 猪に乗ってたやつ!」
草むらから突き出した茶筒が叫ぶ。猪の背中から放り出された小鬼がよろめきながら逃げていくのが見えた。そういえば、そんなのもいたか。言われるまで存在を忘れていた。
「先輩二号、そいつを頼む! 俺はアーウィンを連れて撤退する!」
「――おう、任せとけッ!」
アーウィアを背負って戦場を後にする。本隊もすぐに帰還するだろう。負傷兵の搬送を優先させてもらおう。
「ちょっとー! わたしは!? ちゃんと最後まで面倒みてー!?」
茶筒が何か言っているが無視しよう。それどころではない。
「カナッサン、そんな騒ぐほどの怪我じゃねーっスよ。ちょっといいヤツもらっただけっスから」
アーウィアも何か言っているが無視しよう。
頭を打ったのだ。ぱっと見た感じは元気そうでも、後で何が起こるかわからない。我ら仮面一族の長もそんなことを言っていたはずだ。一刻も早く医者に診せねばならん。
森を抜け丘を下り、救急車と化したニンジャはオズローへの道を行く。
「一応、『中傷治癒』を使いました。心配はありませんよ」
「助かったボダイ。しかしまだ気は抜けない」
「いえ、さすがにもう大丈夫だと思うのですが……」
宿の一等室である。大慌てで戻ったはいいが、そもそも医者の当てなどなかった俺だ。しばし狼狽えたあげく回復魔法に思い至ったのだが、生憎ボダイは留守にしていた。さらにひとしきり狼狽えた末、ひとまずちゃんとした寝台に寝かせようと、宿にアーウィアを担ぎ込んだのだ。
「だから心配しすぎなんス。っていうか、わたしの『軽傷治癒』でもじゅうぶんっスから」
「起き上がるなアーウィア! 頭を動かすんじゃない!」
「はいはい、ちゃんと寝とくから大きな声ださなくていいっス」
簀巻きではない状態で寝かせているアーウィアをじっと監視する。顔色は正常、視線や滑舌にもおかしなところはない。よくわからんが脈拍も体温も普段どおりだろう。
「気分は悪くないか? 吐き気や目眩があればすぐに教えろ」
「だから何もねーっス。腹ペコなんでメシが食べたいっス」
「女将に頼んで粥を作ってもらっている。もうちょっと待つんだ」
「なんで粥なんスか……」
俺だってよくわからん。しかし、粥だから駄目だということはなかろう。
「まぁ気持ちはわからなくもねェ。兄さんの気が済むまで付き合ってやれよ姉御」
「そりゃ構わんスけど、居心地がわりーっス」
「お節介かもしれませんが、これを機に戦い方を見直されては? アーウィア殿は魔法職なわけですし」
「ぶっ叩く方がはえーっス」
寝台を囲んで会話が交わされる。バイクで事故ったヤンキーのお見舞いみたいな光景だ。きっと峠のカーブを攻めすぎたのだろう。馬鹿なことをしたものだ。しかし、更生するにはいい機会だ。そろそろまっとうな道を歩む時期かもしれない。
「……ねぇ、わたしお邪魔じゃない? 自分の部屋に戻ってもいい?」
部屋の隅っこで所在なげにしている聖騎士のことを忘れていた。『なのだー』とか言わない方の聖騎士だ。というか、あっちは代官にうつつを抜かして聖騎士業をおろそかにしすぎだ。たまには迷宮に連れ出してやらねばなるまい。
「せっかく寝台が二つあるんだ。お前もここに泊まればいいだろう」
もっとも、俺もアーウィアの介添えで泊まり込む予定だが。しかし、寝台などという軟弱な寝床は必要ない。数の上では問題なかろう。
「えっ……でも、ステランが……」
言わない方の聖騎士ことパウラ嬢は何やらもじもじしている。
「何だ、まだ二人部屋を使っているのか?」
「カナタさん、一人部屋かもしれんスよ。寝台は二つもいらんでしょう」
「言ってやるな姉御。最近うまくいってねぇんだろ」
「やめましょうヘグン。きっとあの若者も疲れてそういう気分ではないのです」
「そんなんじゃないわよっ!!」
突如絶叫するパウラ嬢である。一等室とはいえ、あまり大きな声を出すと隣室の客に迷惑だ。気を付けてほしいものである。
「……先生、粥です。さっきの大声は何事ですか」
「ねえ、何の話をしていたの? おもしろそうな話の気配がするわ!」
頭に木皿を載せたニコと耳の長いルーが入ってきた。最近はよく一緒に行動しているドワーフとエルフだ。おかっぱの方は使いっぱしりだ。エルフの方は条件反射か何かだろう。他人の後を付いて回ると餌をもらえると思っているのかもしれない。
「で、お前らの方はどうだった」
「おぅ、予定どおり第三層だ。ルーの魔法が切れたから戻ってきた」
慎重に上体を起こしてやったアーウィアに粥を食わせつつ、ヒゲさんチームの報告を聞く。
「第四層より下に行くならパ……彼女の装備を見直さなきゃダメね。前衛としての戦力が足りてないわ」
「パウラよ」
「ルーの魔法で援護せねば前衛には出せません。もう少し力を付ければ回復しながら戦えるでしょうが」
「……敵に囲まれたら確実に死にます」
やはり戦力としてはそんなものか。回避に長けたニンジャであれば、やりようによっては格上の敵を食うこともできる。しかし、聖騎士の戦闘は正面からの殴り合いだ。地力の差を覆すのは容易ではなかろう。
「一晩寝てレベルが上がったら、もう少し無理をさせるか。使えそうな装備品があれば床下から持っていけ」
「もうちょい鍛えたら、わたしらが第六層に連れてってやるっス」
「アーウィアの容態が落ち着いてからだな。それまでは第三層で頑張れ」
「だから、わたしは大丈夫っスから……」
アーウィアの口に木匙を突っ込んで黙らせる。本人の自己申告ほど当てにならないものはない。しばらくは酒も禁止だ。
「おいこら、ルー! やめろ、食うんじゃねェ!」
「……それはアー姐さんのですよ!」
騒がしいので振り返ると、俺の持っている木皿に鼻先を突っ込んでいるエルフがいた。さっきまで普通にしていたのだが。なけなしの理性が空腹に負けたのだろう。
「すまんボダイ、そのエルフを長屋に連れて行ってくれ」
「申し訳ありません。ルー、行きますよ。ルー!」
「ニコは女将に粥のおかわりをもらってきてくれ」
「……はい。坊主さん、もう皿ごと連れて行ってください」
「パウラ、お前はどこに行くんだ?」
「えっ? えっと……」
今回の一件、きちんとカタを付けなくてはなるまい。すでにこの娘も計画の一部だ。逃してやるつもりはない。
「おいヒゲ、肉とか持ってねーっスか? 食った気がしねーっス」
「大人しくしてろ姉御。兄さんが怖えー顔してるぞ」
皿を持っていかれたので匙だけ握りしめる俺である。