抗う者
「ステランは変わってしまったわ……。最近の彼は値踏みをするような目で人を見るの。ちょっと意気地なしだけど、優しい男の子だったのに……」
「そうですか。心配ですね」
「帰ってくるのも夜遅くてね、疲れたって言って、そのまま寝ちゃうの。ごはんを一緒に食べようと思って待ってたのに……」
「なるほど。それは寂しいですね」
偵察に向かわせたボダイ相手に愚痴を吐くパウラ嬢である。顔見知りであることを利用して、偶然の再会を装った潜入作戦だ。善良そうな外見で相手を騙し、傷心の小娘とサシ飲みに持ち込むとは。あのボダイという男、さては手練れのナンパ師であろう。
(なかなか面白い話が出てこないな。あれではただの恋愛相談だ)
(酒が足りないんじゃないっスか? もっと飲ませましょう)
(ちげぇねェ、だがどうやって飲ませンだ?)
(塩気のあるものを食べさせましょうよ。喉が乾くはずだわ)
(……店の主人に伝えてきます)
おかっぱが油虫のように身を低くして駆けていく。我々はもっと際どい話が聞きたいのだ。恋人だかお母さんだかわからんような愚痴ではない。
「ステランの周りにいる人たちも怪しいの。よくない人たちと付き合ってるみたいだわ。きっと騙されているのよ……」
「そうですか。それは放っておけませんね」
店の主人は黙って塩漬け肉を焼き始めた。その足元から、影が転がるようにちびっ子ドワーフが帰還する。パウラ嬢には気付かれていない。ああ見えてニコもニンジャ、駆け出しの冒険者相手に遅れをとることはあるまい。
(ご苦労、ニコ。酒が回るまでしばらく待つとするか)
ボダイを残し、野次馬連合を引き連れて離れた卓に席を移す。
「あの若造になんかあった感じっスね。ただの仲違いみたいっス」
「そうだな。よくない連中とつるんでいるそうだが、反抗期だろうか」
悩める若人に語ってやれるほどの人生経験はない。しばらくそっとしておくのが一番だろうか。下手に周囲が干渉するといらぬ反発を生む。そういう時期なのだ。
「そういやァ、新人どもの中に見慣れねぇ男がいたな。悪い仲間と付き合ってんのは本当かもしれねぇ」
「えっ、あの男の子が別の男と付き合っていたの!?」
「……そうじゃありません。いえ、どうでしょうか」
ふむ、何やらきな臭い匂いを感じる。しばらく留守にしている間に良からぬ動きがあったか。残念ながら、俺たちの望むような話とは少し違う様子だ。
「知ってる話を聞かせろヘグン」
気の抜けきった麦酒を飲みつつヒゲに問う。せっかく面白そうな玩具を見付けたと思ったのにあてが外れた。あの娘と揃って自棄酒だ。
「俺もよく知らねぇがな、たぶん行商人か何かだぜ。何日か前から見かけるようになったんだ。あの坊やと親しげにしてんのを何度か見たぜ」
「ギルドはそいつの素性を調べてないのか?」
「俺ァ聞いてねぇな」
それがどうした、といった顔で酒杯をあおるヘグンである。危機感のない連中だ。隣人に無関心な現代人気取りだろうか。
「カナタさん、このままじゃ物足りねーっス。もうちょいイジるとしましょう」
「そうね、もうちょっと嗅ぎ回れば楽しい話が出てくるかもしれないわ」
まことに下世話な連中である。デリカシーというものがない。
「ふむ、ここはヘンリクの出番だろう。あの男なら何か掴んでいるかもしれん」
「……はっ、呼んできます」
「ついでに杏子をお裾分けに持っていけ。奥さんによろしく言っておいてくれ」
「…………」
使いっ走りドワーフは目をそらして聞こえない振りをしている。まさかの命令拒否だ。女児ニンジャは長く息を吐き、静かに目を閉じる。銃殺も覚悟の上といった雰囲気である。
「ちゃんとニコのぶんは残しとくっスから」
「…………」
「エルフも見張っとくっス」
「…………」
「仕方ねーっスな。ほら、口を開けるっス」
限界まで口に杏子を詰め込まれ、ようやくニコはお使いに走り出した。
「知ってるぜ。その男はステランって坊主の世話人みたいなことやってる」
「ほう、さすがヘンリク。耳が早いな」
ギルド御用達の敏腕斥候である。耳が早くて鼻が高いのが特徴だ。耳が長くて頭のおかしいエルフといい勝負であろう。奥さんが身重なこともあり、現在は冒険者を半隠居してもっぱら便利屋のような仕事ばかりしている。
「新人どもを纏めるのにカネを出してやってるらしい。俺から見りゃ、あのステランってのは担ぎ上げられただけだな」
「ふむ、そうか。ありそうな話だ」
何とも残念な結果だ。壁を乗り越えて一皮むけたのかと思っていたが、得体の知れない男に利用されていただけらしい。
「やれやれっスな。せっかく見直したと思ったのに、しょうがねー若造っス」
アーウィアは憤りを鼻息に乗せて吐き出しながらニコの口に杏子を詰める。そろそろやめさせるべきだろう。舌が肥えていつもの餌を食べなくなったら困る。
「しょうがねぇさ姉御。あの年頃の坊主だぜ? まだ子どもみてぇなもんだ」
ヘグンは顎ヒゲを撫でる振りをしつつ隠した杏子を口に運んだ。口をもぐもぐさせているヘグンを見てルーは不思議そうな顔をしている。エルフの目は節穴だ。
さて、ここで問題だ。ステランを担ぎ上げることで、その男には何の得があるのか。あの若造自身には特別な価値はなさそうだ。あくまで駆け出し冒険者どもの頭として利用されているだけだろう。
「ヘンリク、その男はどこに行けば会える?」
斥候はしばし視線を上げて考え、掌を突き出してきた。別料金だ。そんなに必死こいて小金を稼がなくても、ちゃんと子が産まれたらカンパを募って祝い金を渡す予定なのだが。懐から300Gpを掴み取り、銀貨三枚を乗せてやる。
「――少ねぇな。まぁいい、そいつが定宿にしてんのはクアント僧院だ。食客として世話になってるらしい」
「クアント僧院? どこだそれは」
聞き慣れない名前だ。そんな場所がオズローにあっただろうか。
「ああ、『寺院』だよ。そう言えばわかるだろ」
「そういえば、そんな施設もあったな」
用がないので、すっかり存在を忘れていた。かつて死者の復活を謳って多額の献金を集めていた、謎の多い団体だ。
「行くんスか? 野郎ども、殴り込みっスよ」
アーウィアは酒を飲み干し腰の戦棍を手に立ち上がる。喧嘩っ早いやつだ。とりあえず相手を殴れば物事が解決すると思っているフシがある。
「そうではない。まずは俺が様子を探ってくる」
裏口から長屋に帰り、ねずみ色の長衣を羽織って黒頭巾を脱ぐ。簡単な変装を済ませて酒場に戻ると、俺を一瞥したアーウィアが視線をそらした。ニンジャかと思ったら知らない人だったときの顔である。
他の連中もねずみ色の男には興味なさげなご様子だ。
「あー、ああうあさんじゃない。ひさしぶりねー」
ベロベロに酔っ払ったパウラ嬢だけが俺を認識していた。そういえば、この娘の存在も忘れていた。すっかり出来上がってしまっている。
隣に座っているボダイが俺に向かって曖昧な笑顔を見せた。知り合いの知り合いに会ったやつの態度である。
仲間の顔もおぼえていない薄情者どもを酒場に残し、ニンジャではない何者かは街に出る。
さて、例の寺院はどこだっただろう。記憶を頼りに街をぶらついていると、それっぽい建物を発見した。高い三角屋根を乗せた白壁の外観。両開きの扉は開かれ、訪れる者すべてを受け入れようという印象だ。
こそこそと入り口に身を隠し、建物内を伺う。人の気配はない。
「クアント僧院にご用ですか?」
逆サイドから不意打ちを受けた。若い女の声だ。咄嗟にフードを引き下げ顔を隠す。そちら側は警戒していなかった。ニンジャ失格である。
「いえ、そうではござらん」
「では『探索者ギルド』にご用なのですね」
「あん?」
思わず顔を上げて女を見る。緩やかな巻き毛にすっきりした目鼻立ち。素焼きの壺を小脇に抱えている。
「――ここで何をしている」
「えーっと、どなたでしたっけ?」
我らが冒険者ギルドの受付嬢でありガルギモッサの酒場の女給その人であった。