ゼペルの街
夜の森は存外騒がしい。木々がざわざわと揺れ、姿の見えぬ虫や獣が鳴く。テンションの上がっているニンジャはあまり眠れず、ほぼ夜通し火の番をしていた。
空が微かに白み始めた。そろそろ皆起き出すころだろう。薪をくべて火を大きくし、湯を沸かす準備をする。
「むぅん……おはようございまっス……」
「おはようアーウィア」
簀巻きが活動を開始した。荷運び人たちも芋虫のように身じろぎをしている。毛布を被った細長い連中が一斉にお目覚めだ。
「ちゃんと寝たんスか? 今日もけっこう歩きますよ」
「大丈夫だ。もうじき湯ができるから飲むといい」
「うっス、飲むっス」
アーウィアはふらふらと頭を揺らしつつ毛布を畳んでいる。半自動モードだ。限界まで睡眠をとりつつ活動を開始するための形態だ。難しい話を聞かせるとバグるので取り扱いには気を付ける必要がある。
起き出した一同は荷を纏め、火の始末をして野営地を立った。荷馬を連れ、朝靄に煙る早朝の森を歩く。朝食は堅焼きのパンだ。切り分けた木材みたいな代物を齧りながら、行商隊は旅路を行く。
「次の目的地はハウスラってぇ町です。何もなきゃ昼ごろには着くでしょう。そこから先は馬車が使えやす」
荷運び人たちは大口を開けてあくびをしながら山のような荷物を背負って歩く。
「ほう、ようやくまともな道に出るか」
「あんまり期待しない方がいいっスよ。どうせ人が乗れるような道じゃねーっス」
アーウィアは口をむにゃむにゃしながら半自動モードのまま歩を進める。
「ちげぇねぇです。荷運びが楽になるだけで歩きですわ。あの町は近場の村から物が集まるんでね。ゼペルとの行き来に、荷馬車が通れるだけの道を開いたんでさ」
「ふむ、なるほどな」
荷物用エレベータみたいな存在の道だろう。台車がぎりぎり入るくらいの小さなやつだ。印象としてはデカいオーブンか食洗機にも似ている。我らエンジニアは、客先へ機材を納入するのによく使うのだ。三階建てくらいの古い建物なんかでよく見かけた気がする。
ゼペルの街といえば、オズローを含むなんとか子爵領の中心地だ。ユートの実家もある。ユートの親御さんである、なんとか子爵も住んでいるはずだ。いい加減なおぼえ方をしたせいで、領主のイメージがおもしろ貴族な感じである。変な襟巻きをして尖った靴とか履いているに違いない。
「カナタさん、笑ってます?」
「いや、気のせいだろう」
「そっスか。たまにそんな気がするっス」
やがて日も昇り、アーウィアも自律モードへと移行した。森を抜け、見渡す限りのなだらかな平地が続く。かつての俺の愛車であったスクーターがあれば、あっという間にあの先まで行けることだろう。あのスクーターはどうなっただろうか。俺と同じように、異世界で元気に走り回っていればいいのだが。
「平穏な旅だな。もっと山賊とか出てくるのかと思ったのだが」
「こんな場所じゃ山賊だってやってけねーっス。畑を耕してた方がマシっスよ」
いったい何のための護衛なのだろうか。役に立ったのは瘴気蜥蜴が出たときくらいだ。それにしたって、オズローでいらんことをした連中のせいで湧いた魔物だ。自業自得ではないか。
「護衛がいるから避けられる悶着もあるんでさぁ。昨日のリノイ村だって、護衛がいなきゃ荷をかっぱらおうって不届き者が出たかもしれやせん」
「ふむ、ならば精々睨みを利かせるとするか」
視線で相手を威嚇することにかけてはアーウィアの右に出るものはいない。
「大丈夫っス。黒ずくめの男が立ってるだけで、じゅうぶん警戒されるっスから」
お互い様であったようだ。じつに護衛向きの二人である。
何度か休憩を挟み、昼を少し過ぎたころに行商隊はハウスラの町へ到着した。
丸太を組んだ外塀に囲まれた賑やかな町。さすが物流の要、町全体が市場と宿場町を合わせたような雰囲気だ。俺たちのような行商人らしき姿がいたるところにある。荷を担ぎ、馬を連れている者たちだ。
「予定通りに着いたな。景気の良さそうな町だ。ここで一泊するのか?」
「ふむ、メシも酒もうまそうっス。悪くないっスね」
いちおうウォルターク商店から必要経費はいただいている。少しくらい贅沢をしても構わんだろう。このところ似たような食事ばかりだったのだ。
行商人の頭目に尋ねると、にやりと男臭い笑みが返ってきた。
「昼メシはここで食いますがね、どうせならゼペルまで行っちまいましょう。ちょいと無理すりゃ日暮れまでには着きやす。宿もメシも、ここより数段上ですぜ」
そう言われれば是非もない。一行は安い飯屋で得体の知れない煮込み料理をかっこんだ。臓物だの根菜だのがドロドロに煮込まれた獣臭い味だ。
「こいつは力仕事をする俺たちみたいな連中がよく食うんでさ。癖がありやすが、精がつくんでね」
「ライバル商品ではないか。いや、うちのオズロー鳥の方が味では負けていない」
思わぬところで市場調査である。確かに蝙蝠肉の味には自信があるが、この野趣に溢れる匂いが逆にヒットの秘訣かもしれない。うちは健康食路線だが、こちらはスタミナ料理だ。この方面にも進出すべきだろう。いやはや、ちゃんと仕事をしている感があってよろしい。
もはやニンジャだかラーメン屋の店主だかわからない状態になりつつ、荷馬車を借りに走る。ここで手間取っていると、今晩の宿はゼペル手前での野宿であろう。アーウィアはすでに酒宴のことしか頭にない様子だ。おあずけを食らわせてしまうと、どうなるか予想がつかん。
「カナタさん、荷馬車を押しましょう! うまい酒が待ってるっスよ!」
「あまり変わらんと思うが。馬に任せた方がいいのではないか」
「楽して酒が飲めたら必死に働くやつなんていねーっス! いいから押すっス!」
「わかったわかった。馬より先にバテるんじゃないぞ」
気が済むようにさせるしかあるまい。ニンジャと司教は荷馬車を押してゼペルを目指す。荒い作りの荷車だ。ウッドデッキみたいな木枠に車輪を二つ雑にくっ付けて、馬の力で無理やり引っ張っている感じである。二頭立ての馬を動力にして、ぎしぎしと派手な音を軋ませながらデコボコ道をガタガタと進む。今にもバラバラになりそうだ。
「余計なこと言っちまいましたかねぇ。無理はしねぇでくだせえよ」
心配そうな顔の頭目に見守られながら荷馬車を押す。行商に来たのだから、さっきのハウスラでも商売をするのが本来の役目だ。持ってきた商品を売って、ゼペル行きの商品を仕入れる。その一時すら惜しんでの強行軍だ。もはや酒を飲みに行くついでに荷物を運んでいるような状態である。
俺とアーウィアは必死に荷馬車を押し続けた。二頭の馬と息を合わせ、軽快に悪路を乗り越えていく。まさに人馬一体といえよう。人馬が二組あるし一体の仕方が少しおかしいが、それも些細な問題だ。
「見えた、ゼペルだ!」
「着きやしたぜ姐さん!」
「安心してくだせえ、もう大丈夫ですぜ!」
荷運び人たちが歓声を上げる。どうやら間に合ったようだ。
「というか、まだ明るいではないか。夕方くらいに着くのではなかったか」
「だから何度も、もういいって言ったんでさ」
頭目だけは少々呆れ顔だ。
「なにいってんスか、酒を飲むまでは安心できねーっス!」
「いや、さすがに安心してもよかろう」
「何でしたら荷運びは俺らに任せて、先に酒場に行っても大丈夫ですぜ?」
「冗談じゃねーっス! こういうのは全員で乾杯するから酒がうまくなるんス!」
アーウィアが気炎を上げている。この面倒見のいい兄貴分みたいなメンタルは、いったいどこで育んできたのだろうか。世話好きなのはいいのだが、常に自分は群れのボスだと思っている辺り大した自信である。
「しかし、よくもまぁこんなに石を集めたものだな」
ゼペルの街は石積みの高い城壁で囲われていた。壮観である。見張り塔に挟まれた城門は、それ自体が一つの砦のようだ。衛兵たちの数もオズローとは比較にならない。これと比べると、頑張って作ったオズローの西門も、ちんけなハリボテである。こういうものは一朝一夕には真似できない。
「そのうち崩れそうで落ち着かねーっス。さっさと街に入りましょう」
「ああ、そうしよう」
さっきまでの威勢はどこへやら。すっかり耳と尻尾を垂らして巨壁に怯えるアーウィアである。