旅路
早朝の西門前広場で行商隊は出発前の準備をしていた。
馬が三頭と荷運び人が四人、山のような商品を背負っている。冗談のような大荷物だ。木箱だのズタ袋だのを、これでもかと背負子に括り付けている。膝を抱えたアーウィアがすっぽり収まるような大きさだ。七人のアーウィアを出荷できる計算である。
「ニコ、留守は頼んだっス」
「……お任せくださいアー姐さん」
「エルフの世話もしてやるっス。仲良くするように」
「……少しくらい放っておいても大丈夫です」
「ちゃんとお土産買ってくるっスから」
八人目のアーウィアがおかっぱに申し送りをしている。ボダイとディッジ小僧の姿もある。ディッジの方は仕事だが、ボダイはわざわざ見送りに来たらしい。律儀で早起きな男である。
「ではボダイ、後のことはよろしく頼む」
「ええ、こちらでもルーの面倒は見ておきます」
「そちらではなくギルドの方だ。ギルドの代表はお前だからな」
「そうですね。は? いまなんと?」
「詳しいことはディッジに聞いてくれ」
軽いサプライズを残して行商隊はオズローを出た。何ごとか必死に叫んでいる男がいる。大げさな見送りである。
「これで心置きなく出発できるっスね」
愛用のズタ袋をぱんぱんに膨らませたアーウィアと並んで歩く。
「ああ、せっかくの小旅行だ。楽しませてもらおう」
仕事を積み残したまま出張に出てはいかん。自分がいない間にも時間は進むのだ。長期旅行の前にゴミ出しをしておくようなものである。忘れると部屋中小蝿だらけになってしまう。
「昼までにリノイって村まで行きやす。そこで積荷を少し下ろして、その後は夕方までずっと歩きですわ」
荷運び人の頭目と思しき男が振り返って言う。日に焼けた浅黒い肌の中年男だ。
「ああ、わかった。道中よろしく頼む」
「へえ、こちらこそ旦那」
迷宮へと続く道から外れ、進路を西へ。緩く傾斜した草原の中を一筋の貧相な道が伸びている。オズローの街を振り返る。麦粒のような人影が三つ。その中の一体が手を振っていた。ニコだろう。その隣では別の麦粒が小競り合いをしていた。
ニンジャも手を振り、しばしこの街と麦粒たちに別れを告げる。
「アーウィア、馬を引いてみたい」
「引いてみればいいっス」
手綱を受け取り、馬と並んでポクポク歩く。力強い働き者だ。積荷を満載されているのに何食わぬ顔である。頼もしいではないか。やがて景色に木立が混ざり始めた。黄色だの赤茶色だのに葉を染め替えて、全力で秋を楽しんでいる様子である。
「アーウィア、あの鳥は何だろう」
「知らんス。なんか鳴くやつっス」
茶色っぽい小鳥を眺めつつ旅路を行く。街を離れてしばし、日が昇り始めた。見上げると雲ひとつない晴天。一行の後ろから風が吹き抜けた。木々のざわめきが耳に優しい。あの街にも人々の喧騒があったのだと離れて気付く。
「アーウィア、ここから先は下り道だ」
「そのようっスな。気を付けましょう」
やや足場の悪い谷あいを進んでいく。長年、旅人が踏み固めてきたであろう道。冒険者を志す若者たちも、オズローを目指してここを歩いてきたはずだ。道の両際を背の高い木々が覆う。雨が降れば水の通り道になるのだろうか。洗い流されたように木の根が露出している。
「アーウィア、森っぽい感じになってきたな」
「まぁ森っスな。木がたけーっス」
目に映る物をすべて逐一アーウィアに報告する。前日から気分が昂ぶりっぱなしだ。ようやく街の外を見て回れるのだ。この感動を分かち合いたいのである。
「アーウィア、あっちの茂みに何かいるぞ」
「んー、瘴気蜥蜴っスね。でけーっスな」
蛇のような尻尾が道にはみ出している。本体は草むらの中だ。よく見ると背中が見え隠れしている。昼寝でもしているのだろうか。おそらくオズローの南に湧いたやつだろう。こんなところまで縄張りを広げているようだ。
「トカゲがいるぞ! 止まれ、近付くんじゃねえッ!」
荷運び人たちが慌てて馬を止めた。
行商隊は馬を下がらせ、しばし休憩となった。行く手を遮るように寝そべっている瘴気蜥蜴のせいだ。開かずの踏切みたいな状態である。延々と貨物列車が通過していくのを眺めるのみだ。何も載っていない台車が何両も続くと損をしている気分になる俺である。
「そろそろ出発したいっスね」
「蜥蜴がどく気配がない。まさか抜け殻ではあるまいな」
「探知に引っかかったなら中身は入ってるっスよ」
「ふむ、ただ単に動かないだけか」
荷運び人には危険だからやり過ごそうと言われたのだが、あまりゆっくりはできない。遅延したスケジュールを挽回できた試しなどないのだ。納期が迫ってからどんなに慌てても無駄である。蜥蜴待ちに費やせる時間はここらが限度だ。
「あれがトカゲどものやり口らしいんですわ。毒の息が届くところまで近寄ると、わっと襲ってくるそうで」
頭目もお手上げらしい。避けて通ろうにも、道の両側は草の生した斜面になっている。馬が転んで足でも折っては大変だ。
「寝ているだけなら悪いかと思っていたが、敵意のある行動か。それなら遠慮はいらんな、力ずくで押し通ろう」
懐に手を突っ込んだのだが、愛刀ムラサマの他には壺しかなかった。
「カナタさん、シュリケンなら他の荷物といっしょに箱詰めしてるっス」
「しまった、そうだったな」
ニンジャの手荷物が多くなりすぎたので荷運び人と荷物を交換しているのだった。預かった商品の塩漬け肉を懐に納め、代わりにこちらの手荷物を持ってもらっている。その際に、細々したものを箱に無理やり押し込んだのだ。どうせ使わないからという判断である。
「あの箱を開けてしまうと面倒なことになるな」
昨日アーウィアと一緒に試行錯誤しながら何とか詰め込んだのだ。
「中身が膨れ上がって二度と蓋が閉まらんス。シュリケンは諦めましょう。わたしが魔法で追い払いますか」
「いや、できれば回数を温存したい。俺が出る。接近戦でなんとかしよう」
ムラサマを抜刀し、正面から向かっていく。毒息のかからないギリギリまで歩み出る。瘴気蜥蜴がのっそりと草むらから頭をもたげ、こちらを見た。
手漕ぎボートくらいの大きさだろうか。鰐に似た巨体に八本の短い足、頭部には鶏冠のようなものがある。蜥蜴は感情の読めない瞳をこちらに向けていた。
「ふむ、あくまで待ちの姿勢か」
目が合っているのだから何か反応がほしいところだ。ここで睨み合って時間を潰してしまっては本末転倒だ。さっさと片付けるとしよう。
刀を下段に構えて疾駆、一気に距離を詰める。瘴気蜥蜴はぎょろりと目を動かしニンジャの姿を捉える。口を開いた。ニンジャは横っ飛びに草むらへ飛び込む。吐き出された真っ黒な綿のような煙とすれ違った。狙い通りこちらは風上、押し流される黒煙を追いかけるように蜥蜴に迫る。すぐさま敵も真っ赤に開いた口内を向ける。ふす、と微かな音。立て続けには吐けないようだ。ガス切れである。
気合一閃、飛び込んで下から刀を跳ね上げる。顎下から入った刃が首の骨を切断。千切れかけた頭を揺らしつつ、蜥蜴の巨体が横倒しになった。
ムラサマを一振りして血を落とし、鞘に収める。
「お疲れ様っス。けっこうあっさり倒せましたね」
「最初からこうしておけば良かったな」
蜥蜴の吐息を浴びた草地が黒っぽく変色している。べったりと地面に張り付いているようだ。踏んでみると、ずるりとした感触がした。腐ってグズグズに溶けたような有様だ。
「ちょ、やべーっス……。人間が食らったらどうなるんスかね……?」
「うむ……やはり遠距離から攻撃すべきだな」
今さらになってゾワゾワと鳥肌を立てるポンコツ二匹である。
「馬の匂いにでも寄ってくんのか、たまにこうして待ち伏せしてやがるんでさぁ」
「ふむ。あの図体だ、馬くらいなら襲って食べるのだろう」
瘴気蜥蜴から剥いだ皮まで荷物に加え、一行はリノイの村を目指す。なんでも行商中の儲けに応じて商店から報酬が出る仕組みになっているらしい。下手にケチると売上に手を付けるやつが出るのだろう。
「そんな大食らいで餌に困らないんスかね」
結構な大荷物にもかかわらず、アーウィアはバテることもなく悪路を進む。荷運び人としてもやっていけそうだ。たくましく育ったものである。
「餌なら大量に小鬼が湧いたではないか」
湧きすぎて困ったくらいである。
「ああ、もしかしてさっきの蜥蜴は……」
すぐに思い至ったらしい。相変わらず理解の早い娘だ。
「北の小鬼が森から溢れ出たからな。南で湧いた瘴気蜥蜴が餌を求めて縄張りを広げたのだろう」
何もかも、どこかのギルドが暗躍したせいである。
「――ん? アーウィア、畑だ。畑があるぞ」
「畑っスね。ようやくリノイ村っス」
麦は刈り終わっているようだが、広々とした畑が広がっている。目を凝らせば遠くに集落らしきものが見える。初めて訪れる、オズロー以外で人間が住まう地だ。