ねずみ色の長衣
あくる朝、冒険者の酒場に集まった新人たちの前に二人の男がいた。使い込まれた鉄鎧を着込んだヒゲ面の冒険者と、怪しげな魔術師風の男だ。
「お前らがギルドの新入りか。俺ァヘグンだ。戦士をやっている」
「えっ、大英雄ヘグン!? 僕ら、あなたに憧れて冒険者になったんです!」
農家の小倅は満面に喜色を浮かべて英雄の手を握りしめる。ヒゲと握手である。剣を振ることで生きてきた男の掌は硬い。ステランは少し驚いた顔をした。
「落ち着きなさいよステラン! すみませんヘグン様、連れが恥ずかしいところを……」
「構わねェが、ヘグン様はやめてくれ。俺ァただの戦士だぜ」
面倒臭そうに手を振ってみせるヘグン様だ。謙遜ではなく本心から嫌がっている様子である。じつに謙虚な男だ。
「すまんが姉……ああういあに頼みがあンだ。こいつの案内人をやってたんだが、ちょっと用事ができてな。そっちの二人とまとめて面倒見てくれ」
そう言ってヘグン様は傍らにいた男の肩を叩く。薄汚れたねずみ色の長衣を羽織り、目深に頭巾を被った陰気な男だ。何者だろうか。
「拙者は『ああうあ』と申す。貴殿らと同じ新入りの冒険者だ。短い間ではあるが、よろしく頼む」
俺である。普段のニンジャ的黒装束ではなく魔術師風コーデだ。私服で差を付ける男の着こなしである。愛刀ムラサマも懐に仕舞い、手にしているのはただの棒きれだ。本日は、実際の現場を体験するための潜入取材である。
「俺はステラン、こっちはパウラだ。よろしくな」
「ああうあさんね。わたしたちよりちょっと年上かしら」
二人の新人は愛想よく応じる。陰気な男に対する警戒より、共連れが増えた安心の方が大きいのかもしれない。おそらく教習所とかで周囲の人間に仲間意識を持つタイプであろう。『運転むずかしいよねー』みたいな感じだ。『クランクで乗り上げちゃってさー』である。
「拙者はゼペルの北にある村でガチョウを育てる暮らしをしていた。弟が結婚したのでガチョウを譲り、冒険者になる道を選んだのだ」
ちゃんと架空の経歴も用意してある。場当たり的な作り話は身を滅ぼす。オズローの冒険者たちに聞き込みをして、それっぽい生い立ちを考えておいたのだ。
「確かに承りました。それでは皆さん、窓口でギルドの依頼を受けましょう」
指導教官の聖女ああういあが裏声で促すと、大英雄ヘグンが後ろを向いて咳き込み出した。妙な咳だ。まるで笑いをこらえているようにも聞こえる。彼の癖だろうか。おかしな病ではないといいのだが。
一行が請け負ったのは、オズローの北にある丘陵地帯の巡回と採取の依頼だ。新人冒険者でもこなせる簡単な仕事だという。
「北の森には小鬼が住み着いています。彼らが縄張りを広げぬよう、こうして毎日見回りをするのです」
大通りを北に向かい無骨な門をくぐって街を出る。ちいさな小川に架かった丸太橋を渡って丘へと進む。遠く悠然と並み立つ山々はオズロー山脈というらしい。その裾野を覆う深い森の手前が丘陵地帯だ。この街の職人たちが通う工房があるという。
「小鬼と戦うこともあるんですか?」
腰に差した剣の柄を握りしめ、パウラが不安そうに問う。
「もちろんです。討伐の証に耳を切り取って帰るとギルドから報酬が出ますよ。両耳揃いで銀貨一枚です」
「そりゃすげぇ! 聞いたかパウラ、十匹倒せば小金貨だぜ!」
「もう、そんなうまい話があるわけないでしょ!」
いまだ剣を振るった経験もない二人だ。貧しい農村の出である。おそらく、自分の手で小金貨の一枚を稼いだこともないのだろう。
「いえ、小鬼は弱く数も多いです。そのくらいの報酬になることもありますよ」
農家の若造は歓声をあげて飛び上がり、村娘の方も戸惑いがちに奮い立つ。
「――ただし、大型の個体が出た場合は戦闘を控えますように。小鬼闘士という魔物です。駆け出しの冒険者だけで相手をするのは危険ですから」
「やはり美味いだけの話はござらんなぁ。銀貨一枚で命を落としては割に合わん」
長衣の男は合点がいったように頷く。聖女ああういあは仮面の奥で訝しげに目を細めていた。なぜだろう。まさか俺だと気付いていないわけではあるまいに。
それぞれの思いを胸に、丘を登っていく一行である。
昼なお暗い森との境界を歩いている。新人たちは硬い表情で何度も剣の柄を触っていた。初々しい姿だ。そんなに構えなくても良かろうに。
しかし正解かもしれない。先ほどからニンジャの探知スキルに反応がある。小鬼どもがこちらの様子を伺っているようだ。当然、新人冒険者たちは気付いていない。ここはアーウィアにだけ伝えておこう。俺は兎面の聖女に向かい、顔の前で人差し指を立てて逆の手で地蔵を撫でるような手付きをする。敵を発見した合図だ。
「――なにをしているのですか?」
普通に聞き返された。まさかとは思っていたが、どうやら俺の正体に気付いていないようだ。実家の犬に顔を忘れられたようなショックである。いや、もしかすると聖女ああういあの正体がアーウィアでない可能性はないだろうか。よく似た別の犬にすり替わっている疑いだ。それこそ誰だお前はという話である。
「あちらの方で物音がしたでござる。小鬼かもしれませぬ」
いまいちキャラが不安定な俺である。そんな魔術師モドキの言葉に、新人二人が腰の剣をガチャガチャさせ出した。過剰反応だ。一方で兎面の聖女ああういあは、のんびりと肘を掻いていた。長屋に虫が出て同居人のニンジャが大騒ぎしているときの反応と同じである。
「――どうする? 行くのか?」
「なによステラン、あっちから銀貨が来たわよ?」
「行ってみましょう、ああういあ殿。いざ小鬼狩りでござる」
「そうですね、行ってみますか」
緊張感のある奴とない奴の差が激しい一行は森へと踏み込む。新米剣士の二人を先頭に、赤い長衣の聖女とねずみ色のボンクラが後に続く。気配を探ると、小鬼たちは二手に分かれて挟み撃ちを仕掛けてくる様子だ。
「気をつけろパウラ! 小鬼だ!」
最初に三体の小鬼が行く手に現れた。手には節くれ立った木の棒を持っている。
「わたしは大丈夫! 行くわよステラン!」
村娘は果敢にも、安物の円盾を構えて相棒の隣に歩み出る。
前衛は二対三。勇ましいのは結構だが、後衛の聖女と棒きれを持った変なやつを気にかける余裕はないようだ。無理もない、これが彼らの初陣だ。
「いざ! 『まじっく、みさーいる』ッ!」
棒きれを振りかざした男が一声叫んで何かを投げる。驚いた仲間たちが目を向ける後ろで、一体の小鬼が額に手裏剣を食らって倒れた。
「拙者の魔法にござる! さあ、残りの二体は任せたでござるよ!」
敵に向き直った彼らも状況を悟り、数を減らした小鬼へと対面する。
「よし、いけるぞ!」
「気を抜いちゃだめよ!」
若い二人は息を合わせて小鬼たちに剣を振るう。危なっかしい身のこなしだが、小鬼に負けるほどではなかろう。聖女もうむうむと頷きながら彼らから視線を外した。その先にいたのは挟撃を狙って回り込んでいた小鬼の別働隊だ。
「後ろにもいます! ああうあさんは下がりなさい! くらえオラァーッ!!」
聖女ああういあは無手のまま小鬼に襲いかかる。振り下ろされる棍棒を掌で払い、相手の頭を鷲掴みにして森の樹木に叩きつけた。高木がビリビリと震え、鳥が飛び立つ。小鬼はぐったりと動かない。もう二体いる。
「うらァァーッ! かかってこいやァーッ!!」
「ご、ゴザール! ゴザァールッ!!」
聖女は戦棍を振り回し、ポンコツは意味不明な雄叫びを上げる。恐怖で頭がどうにかなったのだろうか。二体の小鬼たちは怖気づいたように身を翻し、森の奥へと去っていった。
新米たちの方も片付いたようだ。小鬼たちの死骸は凄惨な有様だった。及び腰の素人に何度も斬りつけられ、全身に無数の浅い刀傷が残されている。
「何とか倒せたようでござるな。まずは耳を集めるとするでござる」
怪しい長衣の男は小鬼の死骸へと近寄っていく。最初に倒した一体の頭部から何かを抜き取るような仕草をした後、死骸をうつ伏せに転がした。まるで隠し事でもあるかのような行動だ。
「悪い、ちょっと待ってくれ……」
「あ、あはは、今になって手が震えてきたわ……」
いろいろと奇妙なことも起こった気はするが、それどころではない様子の彼らである。聖女ああういあが鼻息を吐き出した。やれやれといった顔である。