月輪の聖女
「冒険者ギルドはあなた方を歓迎します。こちらをお受け取りください。冒険者の証です」
ギルドの女が首掛けの認識票をステランとパウラに手渡す。革の切れ端に紐を通した簡素な品だ。焼印でギルドの紋章と通しの番号が押されている。
「――なんだか呆気ないな」
「そりゃそうよステラン。大変なのはこれからよ!」
「わかってるって」
口ではそう言いながらも、二人は誇らしげに冒険者証を首から下げる。
オズローでは、しばらく前の騒動で革職人たちの工房が大きな被害を受けた。不幸な出来事だ。そんな彼らを支援するため、ギルドから冒険者証の製作という仕事が依頼されたのだ。断じて後ろめたいことなどない。
(よしアーウィア、そろそろだ。上で控えていてくれ)
(うっス。それじゃ行ってきまっス)
(ああ、頼んだ。何か問題が出たら合図してくれ。フォローに入る)
(心配いらんス。まぁ安心して見ててくださいよ)
アーウィアは酒場の外壁に据え付けられた梯子を登っていく。いよいよ出番だ。ここからは長丁場になる。
「これよりお二人には『ちうとりある』の修練に臨んでいただきます」
「ん? ちう……?」
「なんですか、それ?」
耳慣れないギルド嬢の言葉に、二人が眉を寄せて聞き返す。
「ギルドより熟練の冒険者を同行させます。しばし行動を共にし、冒険者の流儀を学んでください。この修練を含む『おぉぷにんぐ』を無事に終えますと、晴れて冒険者として独り立ちとなります」
「ふん、まだ俺たちは見習いってことか」
「やっぱり甘くないのね……」
「心配するなよパウラ。すぐに終わらせてやるさ」
「もう、調子がいいんだから!」
例によって何でもかんでもネタにしてイチャつき始める連中だ。彼らの後ろでゴロツキ役の冒険者たちが唇を尖らせたり首を掻き切る仕草などをしていた。バレると面倒だから余計なことはするんじゃない。
そんな安穏とした空気を払うように、こつりこつりと靴音が響く。誰かが酒場の二階から階段を降りてきたのだ。店の奥、衝立の向こうから一人の女が姿を見せた。
「――冒険者ギルドへようこそ。わたくしがあなた方の案内人を務めます。『月輪の聖女ああういあ』と申します。どうぞよしなに」
真紅の長衣に身を包み、仮面で素顔を覆った謎の女だ。口元だけが開いた仮面は白く硬質。おそらく兎を模したものであろう。兎面を被った月輪の聖女ああういあ、一体何者なのだろうか。
「見たところ戦支度もまだのご様子。まずは冒険者の店へご案内いたしましょう」
鼻に抜けるような裏声で喋る聖女である。
ニコの喉がヒュッと鋭い風切り音を鳴らした。ボダイは鼻をつまんで目を見開いている。ユートが蛙の鳴くような声を出した後、どこかへ走っていった。
(ねえ、月輪の聖女ですって。どんな人なのかしら?)
(――お前ら静かにするんだ。監視がバレたらどうする)
内輪受けを狙ってキャラ作りをした甲斐があった。異様な姿に動揺するだけの新人と違い、こちらの反応は様々である。
「ここはウォルターク商店だ。冒険者向けのアイテムを扱って――」
そこまで言って店番の小僧は下を向き、二、三度咳き込んで顔を上げた。
「――扱っている。見たところ新米だな」
何とか台本通りの台詞を言い切った。
「この二人の装備を揃えに参りましたの」
兎面の聖女が裏声で伝えると、小僧は顔を伏せて肩を震わせる。二人の新人は少々困惑しながらも店内を見回していた。所狭しと剣や戦斧、鎚鉾や短刀、盾や鎧などが並べられている。用途のわからない古道具のような品もあった。
「すごいな、武器がいっぱいだ……」
ステランは店内に陳列された武具に目を奪われている。
「もう、見とれてんじゃないわよ。ああういあさん、わたしたちどうすればいいんですか?」
店番の男はうつむいたままなので放っておき、パウラは聖女に問う。
「代金はひとまずギルドが支払います。いずれ報酬からお返しいただきますわ。修正値の付いていない武具から好きなものを選んでください」
「修正値……?」
「その辺りは追々説明いたします」
新人コンビは様々な武具を手にとった後、共に革の鎧と兜、円盾に片手剣を選んだ。この一式であれば安く買えると聞いたからだ。初心者セット割引を装った在庫処分セールである。
「まいどあり。初めは店で合わせるけど、今後は自分で手入れしてってくれよ」
鎧兜を身体に合わせてもらい、ひとまず冒険者らしい姿になった新人たちだ。
「ふむ、現時点では問題ないようだな」
「むぅ。我らにはふざけているようにしか見えんが、形としては順調なのだ」
「なぜアーウィア殿は、あのような珍妙な振る舞いをされているのですか?」
「ただのウケ狙いだ」
今後は他の冒険者にも案内人を務めてもらう。大した報酬は出せない以上、やりがいを煽って安く働かせるしかない。悪ノリの大好きな冒険者たちに合わせた戦略である。
「……先生、ここまで面倒を見てやる必要があるのですか?」
「昨今の若者には、このくらい親切な方がいい」
「なんだかまどろっこしいわ。とりあえず迷宮に放り込みましょう?」
そういうわけにもいかん。レトロゲーではあるまいに、死んで学べという方針は時代にマッチしないのだ。死んだら終わりである。
今後も続々と食い詰めた農家の子らがオズローに集ってくる。彼らには小鬼討伐だの大蝙蝠狩りだのといった軽作業に従事してもらうのだ。貴重な労働力である。レベルが一つ上がるだけで事故の確率は大きく減る。それまでは熟練冒険者を付けて安全に育成するのだ。
「今日はもう冒険に出るには遅い時間です。残業になるといけません。冒険者の宿へ向かいましょう」
裏声の聖女は新人を率いて来た道を戻っていく。
「残業……? パウラ、知ってるか?」
「さぁ、冒険者の言葉かしら?」
聖女は道すがら宿と飯屋について二人に語る。この二店はギルドの提携先だ。しっかり宣伝をしなければならない。
「この街の冒険者といえばオズロー鳥の麦粥ですわ。他所でオズロー鳥を食べようと思うと非常に高価です。そこの陽気な蛙亭でしたら銀貨一枚で好きなだけ食べられます」
オズロー鳥という名の蝙蝠である。そして迷宮の魔物だ。ブランド名のようなものだと思っていただきたい。けして食品偽装などという物騒な話ではない。
「へぇ、そりゃ食べるしかないな!」
「待ってよステラン! 宿代だってかかるのよ? わたしたちには銀貨一枚だって贅沢だわ」
なかば口減らしのように出稼ぎに出された二人だ。ステランはともかく、パウラの方は財布の紐を固く締めている。
「宿でしたら馬小屋に泊まればおカネはいりません。なかなか快適ですのでお勧めですわよ」
「ははっ、どうするパウラ。馬と一緒に寝るか?」
「もう、そんなことするわけないでしょ!」
仮面の聖女は首を傾げている。最近の若い子はそんなところには泊まらんのだ。ジェネレーションギャップである。もっとも、そのうち寝床にあぶれて馬小屋で一夜を明かすこともあるだろう。
「でしたら安部屋でしょう。二人部屋で銀貨二枚です」
「えっ!?」
「ふ、二人部屋って……」
若い二人が目を見合わせる。兎面の聖女が鼻を鳴らした。
「寝台が二つあるだけの小部屋です。それより高い部屋は贅沢でしょう」
「そ、それは……」
「どうせ寝るだけです。寝台だけあればじゅうぶんでしょう?」
「寝台……」
「壁板は薄いですけどね。大きな声など出すと他の迷惑になるのでお気をつけて」
「「大きな声」」
「明日は初めての実戦です。あまり遅くまで起きていては駄目ですよ」
「「初めての実戦」」
月輪の聖女ああういあは畳み掛けるように語る。新人たちの態度が急に余所余所しいものになった。上手い手だ。こちらが遠慮するから調子に乗る。無責任に煽ってやれば逆に尻込みするのだ。
さすが月輪の聖女ああういあ、鮮やかな手腕である。いったい何者なのだろう。