忘却の果て
祝勝の宴は賑やかに続いた。
冒険者たちは謎の干し肉を噛り、安い麦酒をガバガバと飲む。出荷を目前に控えた大蝙蝠肉の試食会である。厳重に管理されていたので、頭から角が生えてくることもないだろう。
エルフとドワーフが肉を奪い合い、司教に投げ飛ばされた大男が坊主を巻き込んで転がっていく。うるさくし過ぎたので宿の女将が怒鳴り込んできた。酒場の主人ガルギモッサ爺が女将に投げ飛ばされ、強敵を見付けたアーウィアが参戦。女将と司教の一騎打ちとなった。乱痴気騒ぎである。
「なにか忘れてますよね?」
ニンジャは背後を振り返る。粗末なワンピースに貫頭衣を被るという、オズローでは一般的な服装。緩やかな長い巻き毛、すっきりした顔立ちをした年頃の娘だ。
「なにか、忘れてますよね?」
「――お、お前は女給ッ!!」
近いうちに高い酒を頼むはめになりそうだ。安酒の宴はそろそろお開きとする。冒険者たちを帰らせ、酔い潰れた者を馬小屋へ放り込み、木箱を片付けて帰宅である。飲み代を払って酒場の裏口を抜け、目の前にある長屋が我らの住処だ。
「もう歩けねーっス。そこら辺に置いといてください」
「しっかりしろアーウィア。すぐ家だから寝るんじゃない」
「……先生、私の部屋でもうちょっと飲みませんか?」
「酒癖が酷すぎる。むやみにガードを下げるな」
二人とも、ぐでんぐでんの酔っ払いだ。千鳥足どころか脱臼したタコみたいになっている。飼育員は俺しかいない。ニコを物置部屋の床下に収納し、アーウィアを連れて部屋に戻る。毛布で司教巻きを作って床に転がし、ようやく人心地である。
「しまった、ルーを忘れていた」
慌てて酒場に引き返すと、人気のない店先の暗がりでエルフが干し肉を食んでいた。妖怪のような姿である。早急にハウスへお帰りいただくことにする。
ようやくすべてを片付けて部屋に戻り、瓶の水で喉を潤す。
簀巻きは安らかに寝息を立てていた。
System.Info
◆システムの更新を開始します
・私信:
お久しぶりです、オージロ・カナタさん。
お元気ですか? 女神はお元気です。
先日、有給を使ってプチ旅行と洒落込みました。
自分へのご褒美というやつです。
たまにはこういう贅沢もいいものですね。
お土産をお渡しできないのがとても残念です。
その代わりではありませんが、アップデートです。
それでは、引き続きこの世界をお楽しみくださいませ。
◆システムの更新が完了しました
小鬼騒動から数日後。三頭の荷馬と護衛の冒険者を連れて、ウォルターク商店の行商隊が出発した。他所の行商人たちがオズローに寄ってくれないので、こちらから売り込みをかけるのだ。
「うまく捌いてこれますかねぇ……」
ディッジは不安げに行商隊を見送っている。
「心配いらんだろう。今まで商店を仕切っていた男だ」
行商隊の頭はガンドゥーとかいう番頭の男だ。代官が忙しかったので、しばらく投獄されたままになっていた。人手が欲しかったのでギルドからも働きかけて無事釈放されたのだ。近隣に武器をばら撒いて治安を乱したのは事実なので、街への奉仕労働を科すという形に落ち着いた。
「店を任されてた男が行商人に逆戻りってのは、惨めなもんです」
「なに、務めを果たせば店に戻れるんだ。必死になって売ってくるだろう」
「そうですね、旦那から売り口上も教わりましたから」
番頭にはセールストークのネタをきっちり仕込んである。
オズロー近郊に住むオズロー鳥は不死鳥の末裔だと言われている。子宝に恵まれぬ夫婦に食わせたら一月で嫁が身籠ったとか、身体の弱い子に食わせたら村一番の力自慢になったとかいう噂だ。実際には蝙蝠の塩漬けと干し肉である。ヘンリクのところに子ができたし、力比べでザウランを投げ飛ばしたアーウィアもいる。完全な嘘にはなるまい。
さらに、今年は畑を荒らす獣が多く、自衛のためにも鉈が飛ぶように売れているという噂もある。そうなる予定だ。うちの街から小鬼が溢れ出たからな。骸骨護衛からかっ剥いだ鉈でよければご提供しよう。ちなみにオズロー冒険者ギルドでは、小鬼退治の経験が豊富なスタッフによる出張サービスもやっているという噂だ。
「物を売りたいときに値を下げるのは下策だ。価値があるのだと伝えれば相手の方から欲しがるものだ」
いや、釈迦に説法だったか。この小僧はそうやって駆け出しの俺に短剣を売ったのだ。懐かしい思い出である。
西へと旅立つ行商隊を見送って、迷宮前の交易所を通りかかる。前方から駆けてくるおかっぱの姿が見えた。
「旦那のとこのちびっ子ですね」
杏子の干したやつがあれば買ってくるよう番頭に頼んである。待ちきれずに走ってきたのだろうか。今さっき街を出たばかりだから、買ってくるにしても当分先なのだが。
「……来客です、先生」
「ふむ、ご苦労。相手は誰だ?」
「……なのだの人です」
ディッジと別れて長屋に戻る。代官が来ているという割に護衛もいない。いるのはガチョウに囲まれて相撲をとっている司教と当の代官だけである。
「何をやっているんだお前らは……」
「力比べっス! お嬢を倒して子分にするんス!」
「何を! 負けんのだ! 返り討ちだぞ!」
街のために手を尽くしているニンジャを前に、統治者がこの有様である。
茶も座布団もないが客を迎える準備をしようと扉を開く。薄暗い部屋の中、エルフが水瓶の裏に頭を突っ込んでいた。人の家で何をやっているんだ。
「あっ、カナタ。虫がいないのよ。おかしいと思わない?」
「足の多い虫か。いない方がいいではないか」
窓板を開けて軽く掃除などをしていると、服を土で汚した二人連れが入ってきた。わんぱく小僧である。アーウィアの法衣は汚れが落ちやすいからいいが、ユートの高そうな服はどうなのだろう。今日に限って鎧ではなく、裕福な商人みたいな感じの格好をしている。あまり汚して帰ると『あの子と遊ぶのはやめなさい』とか言われてしまう。菓子折りなど持って謝りに伺うべきだろうか。
「まぁ上がれユート。土を落としてからな」
「いや、ここでいいのだ」
お綺麗な顔のやつは他人ん家の土間で服をはたき、上り框に腰を下ろす。不調法なお嬢だが、この狭い長屋においては玄関先も何もない。このまま話そう。
「それで、今日は何の話だ?」
「うむ、例の食い扶持についてなのだ。商店と組んで何やら手を回しているという話は聞いている」
「良からぬことはしていない。そうだなアーウィア?」
「うっス。ぜんぜんしてねーっス」
揃って首を振る俺たちに、ユートは目を細めて疑いの眼差しである。
「そうではないのだ。もうじき亜麻の月も終わって帆の月になる。麦の刈り入れが始まるが、やはり実りは悪いようなのだ。食糧の方は当てにしていいのかい?」
「ああ、試算してみたが問題ない。あとは行商がうまくいけば、飢える者など出ないだろう」
ざっくりと蝙蝠肉の産出量からカロリー計算をした。毎日蝙蝠を食っていれば生きていける計算である。さすがにそれでは肉の出処がバレバレなので、行商で転がす必要がある。表向きは、猟兵が山で獲物をとってきたという話にする予定だ。何とかの月というやつは後でアーウィアに教えてもらおう。
「そうか。必要であればうちの食糧庫を使っても構わんのだ」
「それは助かる。お礼に食糧で一杯にしてやろうではないか」
「はは、そうなればよいのだがね」
なんとなく悪代官と悪商人の密談みたいな感じである。そんな会話をしていると、追加で来客があった。息を切らせたヘンリクだ。
「街の南で魔物が出た! でっけぇトカゲみたいなヤツだ、足がいっぱいある!」
「――なんだと?」
「むぅ、またなのか……?」
うんざり顔のユートである。おそらく俺も同じような顔をしていることだろう。
「虫がいないの。あんなにいたのに、おかしいわ」
「……あの虫ですか。バジリスクという名前ですよ」
「どこに行っちゃったのかしら」
「……干し肉でも置いとけば出てきます。肉を食べるので」
なにやらエルフとドワーフが気になる会話をしている。まったく関係ないが、そういえば悪魔の肉が減っているという話だった。小鬼の方は悪魔の皮から発生したのだ。肉が減った話とは別件である。思いがけず犯人が見付かったようだ。
「トカゲなんて放っとけばいいっス。寒くなれば勝手にくたばるっスよ」
「――そうだな。街に入ってこないようなら放っておこう」
「むぅ、南門を封鎖するのだ。どうせ使っている者はほとんどいない」
しばらくは、そういう話には関わりたくないのである。