苦労人
ニンジャは崖から身を投げる。
世を儚んだわけではない。岩場の斜面ゆえ、足をかける場所などいくらでもあるのだ。ただしニンジャに限った話。不用意に真似をすると、『軽傷治癒』では手に負えない事態になる。
「……ッ、先生!?」
顔を上げたニコが驚愕する。それはそうだろう。崖上から反復横跳びをするような挙動でニンジャが降ってきたのだ。同業者といえど驚くだろう。こんな珍奇な登場をする変人は俺の知り合いにもいない。
「ちょっと用事で通りかかった。何をしていたんだ?」
「……蟻を見ておりました」
まっすぐな視線で答えるドワーフ娘である。やましいところなど一切ないと言わんばかりの毅然とした顔だ。さっきまで蟻を見ていたおかっぱの態度ではない。
「――そうか。楽しいのか?」
「……はい。悪くはありません」
ニコと二人で蟻を観察する。向かい合ってしゃがみ込み、これから相撲でも始まりそうな雰囲気である。
迷宮では嫌というほど巨大蟻を観察したが、それは戦闘相手を分析するためだ。この世界のスタンダードな蟻をまじまじと見るのは始めてであった。
「うむ、蟻だな。これこそが蟻といっていい」
「……ちいさいです。いっぱいいます」
「そうだな、落ち着きのない奴らだ。いや、なかなかの努力家と評すべきか」
常に何かを気にしながら、忙しなく動き回っている蟻たちだ。浮足立っている。ふいに団体客がやってきたときの新人アルバイトみたいな感じだ。きっとファミレスとかであろう。バイト初日から修羅場に放り込まれ、何をしたらいいか分からんのだ。店長もキッチンで忙しそうにしているから声をかけづらい。
「……ちょっとだけ大きいやつがいます」
「ああ、たぶん兵隊蟻だろう。戦うのが得意なのだ。こいつらが小鬼闘士だな」
ふむ。何となく言った言葉に自分で納得する。小鬼たちも蟻と同じで、役割によって姿が変化するのかもしれない。弱い方の小鬼が働き蟻だと考えればしっくりくる。ならば、小鬼君主が女王蟻だろうか。
そういえば、この世界でゴブリンと呼ばれていた例の虫。あいつの仲間にシロアリがいる。蟻とは無関係な赤の他人だが、蟻と同じく分業によって社会を築く。同じような戦略が通用する場では、同じような進化が起こるのだ。がんばって考えたアイデアが他所様と丸被りしたような状態だ。収斂進化というやつである。
「……その小鬼闘士は他の小鬼と何が違うのでしょう。種族が同じなら、職業かレベルでしょうか」
「さてはて、どうだろうな」
思えば冒険者パーティーも分業によって集団を維持している。中には、戦士そっくりに進化した司教やら、怪しい術を使うようになったニンジャなどもいるが。いろいろと謎の多い世界だ。
工房では職人たちが慌ただしく働いていた。矢の生産を行う働き蟻だ。木工職人が切り出した材木を削って矢柄を作り、居候の細工職人が矢羽を組み付ける。手の空いた冒険者たちが矢じりを装着する内職をしていた。
「そういえば、アーウィアへの土産を忘れていた。何かないか?」
「……少々お待ちを」
ごそごそと木箱を漁っていた女児ニンジャが角を出してきた。悪魔の角だ。
「いや、遠慮しておく。たぶん先方の好みではない。というか、なぜここにあるのだ」
「……細工職人が。仕事道具の箱と間違えて持ってきたそうです」
迷宮から拾ってきた宝箱はこの街に広く出回っている。大きさが揃っているので使い勝手がいいのだ。規格の統一された製品というのは便利である。ただし見た目も同じなので、こういう取り違えもたまに起こってしまうのだ。
邪魔をしてはいけないので、早々にお暇することにした。
戦利品としてガチョウの羽根を二枚手に入れた。矢羽の材料である。
「手作りの贈答品はもらう側の好みがあるのだが……」
道端の草をむしって手早く編み込む。俺は花冠とか作れる系の男子だ。昔から、ものづくりが好きな子だったのだ。てきぱきと編み上げる。あいにく花など咲いていなかったので、出来上がったのは草冠。左右にガチョウの羽根を挿して完成だ。
「うむ、格好いいな。サイドミラーみたいだ」
冠を頭に乗せて帰路につく。間もなく鍛冶場だ。これでアーウィアが機嫌を直してくれるといいのだが。
夕暮れ時の丘をニンジャは疾走する。土を蹴って坂を駆け登り、腰を落として曲がりくねった道を走り抜ける。気分はバイクだ。
鍛冶場が見えた。夕日を背負い、なにやら姿勢の良い人影が突っ立っている。
トップスピードで走り込んできたニンジャが停止。一呼吸してエンジンを落ち着かせる。立っていたのはアーウィアだ。
いつからそうしていたのか。アーウィアは両手を腰に当て仁王立ちの構えだ。帰宅してきたニンジャを見て一つ鼻を鳴らし、細い顎を突き出してみせる。『首尾はどうだ』の意味だ。怖い人がやった場合は『始末しろ』の合図になる。
俺は右手を胸に当て、左の手のひらを低い位置で前に出す。怖い人が仁義を切っているような格好。『無事に戻った』の意味だ。
司教の親分は鷹揚にうなずいてみせる。
俺はサイドミラー付きの草冠を外す。小娘の前に恭しく掲げた後、その頭にのせてやる。戴冠の儀か何かだろうか。
アーウィアは自分の頭を見ようとするかのように視線を上げ、しばし黙考。
腕組みをして、大きくため息をついた。
「――おそかったっスね。どこ行ってたんスか?」
「ちょっとニコのところに顔を出してきた」
どうやら許された様子だ。少しだけ険の落ちた目付きで『まったくもう』みたいな顔をしているアーウィアである。
「そっスか。がんばってました?」
「一人で蟻を観察していた。話し相手がいないようだ」
「うーん、引っ込み思案な子っスからねぇ……」
参観日の後みたいな会話をしつつ工房に入る。鍛冶職人たちの槌の音は止み、砥石を使った仕上げや、炉から灰を掻き出したりの作業が行われていた。工房の隅にしつらえた藁の寝床では、幾人かの冒険者が寝息を立てている。楽しみにしていた一番藁を横取りされてしまった。
「戻ったか、カナタ。無事で何よりなのだ。こちらは異常ないよ」
「お疲れ様でした。夜の見回りに備えて、代わり番の者たちを休ませています」
ユートとボダイだ。冒険者たちに混ざって矢の内職をしている。
その中に、耳が長いやつと鼻が高いやつもいた。
「ヘンリクはともかく、なぜルーがいるんだ?」
斥候の技能が図抜けているヘンリクは、単身で戦場を往来する伝令役だ。都合のいい小間使いである。バイト代を上げてやったので文句はないようだ。むしろ喜んで小金稼ぎの仕事を引き受けてくれる。変なやつである。
「ごはんを食べにきたのよ」
このエルフは無視しよう。
「ザウランの部隊が荷を取り違えたらしい。窯元の方に麦が行ってねえそうだ」
ヘンリクは器用に紐を結んで矢を仕上げる。なかなかの手付きだ。うちの司教様といい勝負ができそうである。
「事情を知ったその男が伝令に走ってくれたのだ」
「ですが、麦が届くのを待てない者がいまして……」
はらぺこ小隊の名は伊達ではない。腹が減って我慢ができなくなったエルフを一緒に連れてくるはめになったのだろう。身内の恥である。ユートとボダイも気まずそうに目を伏せている。
「あっ! 耳が生えてるわ! おめでとう!」
「ちょっ、やめっ! さわんなっス!」
アーウィアのサイドミラー目がけてルーが手を伸ばす。エルフが投げ出した矢をヘンリクが黙って拾い、紐を巻いていく。まともに相手をしても無駄だと学習したのだろう。苦労人である。
「カナタさん、このエルフしつけーっス! なんとかしてください!」
「その耳さわらせて! ちょっと変だけどいい耳よ!」
「うるせェーッ!! わたしの耳にケチつけんじゃねェーッ!」
静かにしろ。寝ているやつもいるのだ。
それに少し状況が見えてきた。考えをまとめたい。
「痛いわ。痛いわ」
「……マジでひっこぬくぞ?」
エルフが引っこ抜かれそうになっている。
アーウィアを本気で怒らせてしまったようだ。