馬を押す者
いざ小鬼討伐である。
最近の定番メンバーにユートを加え、異例の七人編成パーティーとなった。
街の北門から川を挟んだ丘の先にある、小鬼が巣食うという森へと向かい出発する一同だ。奴らの侵入を足止めするため、川に架かっていた丸太橋を落としてしまっている。まずは川を渡るところから始めねばならない。
川の浅いところの水深は膝下くらいしかない。アーウィアとルーは靴を脱いで裾をからげ、素足でざぶざぶと川に入っていく。
「うぅ、水が冷たいわ……」
「我慢するっス。川幅は狭いからすぐ渡れるっスよ」
昔ながらのワイン造りで見る、葡萄踏みの乙女みたいな格好の二人である。伝統衣装に身を包んだ娘さんたちが、デカい桶の中で葡萄を踏み潰すアレだ。
あいにく俺たちが潰すのは葡萄ではなく小鬼の頭とかであろう。赤い液体がいっぱい流れるという点では一致しているが、一致したから何だという話である。
「ヘグン、我らも急ぎましょう。すでに他の冒険者たちは行ってしまいました」
「待ってくれボダイ、脛当てを外すのが手間なンだ」
鉄鎧のヘグンは地面に座り込んで脛当ての革紐を外そうと四苦八苦している。ワンタッチで着脱できるバックルなど存在しない世界である。金属の輪っかに紐を折り返しながら通して固定する方式だ。いちいち文明度が低いのである。
部位買い取りの準備やら情報伝達やらに手を取られている内に、俺たちは出遅れてしまった。将来的にこういったギルド周りの仕事は職員を雇って任せたいのだが、まだまだ黒字経営には程遠い。今回のゴブリン討伐に対する報酬も全額ギルド資金からの持ち出しである。
「……先生、後衛が先行してます。ヒゲと坊主は置いて先に行きましょう」
身軽なニンジャ二号は飛び石伝いに跳躍し、さっさと川を渡っていった。
「うぅむ、竹馬を持ってこなかったのは失敗だったか……」
おそらく竹馬を実用的に使える唯一の状況であろう。せっかく苦労して作ったのに活躍の場を逃してしまった。虚しい思いである。いざという時のための備えは、いざという時には見当たらないものなのだ。念のため予備も合わせて二つ買っておこうという判断が大抵において無駄になるのと同じである。俺の場合はボタン型電池などで経験がある。電池が切れたときには買い置きが行方不明になっているか、そもそも電池を必要とする頃には機器を捨ててしまっているのだ。やたら種類が多いので使い回しも不可能である。もう少し規格を統一するための努力をしていただきたいものだ。
「むぅ、待つのだ!」
ようやく渡河を始めた一同を呼び止める声があった。振り返ると板金鎧の奴がこちらに片手を伸ばしてまごまごしている。考えてみればユートは全身鎧をガッツリと着込んでいるので、膝下だけちょっと脱ぐというのが不可能であった。
「なんでそんな重装備で来ているんだお前は。状況というものを考えろ」
「いやしかし! 私の装備といえばこれしかないのだ」
マラソン大会だと言っているのにハイヒールを履いてきたような有様である。白い服なのにカレーうどんを注文するが如き無警戒さだ。きっと美容院にタートルネックを着ていくタイプであろう。
「カナタさん、お嬢がお荷物になってるっス。やっぱ置いていきますか?」
「むぅ、そんなことを言うな……」
いらんところで無駄に時間を食っている。俺の記憶が確かならゴブリン退治が目的のはずだが、たかだか小川を渡るだけでちょっとしたイベント事になっているではないか。
いや、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。我々は迷宮に潜るしか能のない冒険者である。野外活動における基本的なノウハウなど持っていないのだ。
「どうする兄さん、全員でユートを担いで渡るか?」
文字通りのお荷物扱いである。いつぞや毒に倒れたユートを全員で丸太のように運んだこともあるが、今回は足場が悪いので落としてしまうかもしれない。せいぜいずぶ濡れになる程度だが、仮にもこれから命のかかった戦闘を始めようというのだ。マイナス状態からのスタートは避けたいところである。
「――馬に乗ってこいユート。俺たちは向こう側で待っている」
「わかった、すぐ戻るのだ! 置いていくのではないぞ!」
対岸で一同が足を乾かしたり脛当てを結んだりしつつのんびり待っていると、馬に乗った代官様が嬉しそうに川を渡ってきた。
「今度は馬が帰らねーっス。だんだんイライラしてきたんスけど」
「気を付けろよアーウィア、馬の後ろにいると蹴られるぞ」
アーウィアは川に向かって馬の尻を乱暴に押しているが、当の馬は知らぬ顔でその場に足を踏ん張っている。
「ここに置いていけばいいんじゃないかしら。どうせ帰りも必要でしょ?」
「いや、こちら側に置いておくと小鬼に襲われる危険がある。仕方ない、誰か馬を向こう岸まで連れて帰ってくれ」
なにせ馬といえば、この世界では高級車並みの高額商品である。万一のことを考えると安全な場所に繋いでおくべきだろう。
何となく、家畜とか野菜を小舟で運ぶ論理パズルみたいな感じの状況になってきた。組み合わせが悪いと狼が山羊を食べたり山羊が野菜を食べたりするので、条件を考えながら順番に運ぶやつだ。論理学の入門書なんかには絶対に載っているので、プログラマなら全員知っているであろう。一度対岸に運んだ山羊を連れて戻るのが打開の鍵である。
「しょうがねーっスな。わたしが行ってきますよ」
「すまない、頼むのだ……」
ふたたび靴を脱いだアーウィアが手綱を引いて川をざぶざぶ渡っていく。人に引かれれば馬も素直についてくるようだ。
「こんな調子で大丈夫なのだろうか。不安しかないぞ」
街を出てすぐの場所でこの騒ぎである。まだ何もやっていないのだ。
「なァに、相手は小鬼だ。さっさと全滅させちまおうぜ」
「ヘグン、そういった軽口はやめましょう。わたしも嫌な予感がしてきました」
もはや当然のように悪い予感は的中するのである。
ようやく全員揃って靴を履き、移動を開始したパーティーめがけて丘の上からばらばらと石が飛んできた。
「投石だッ、盾を構えろォ!」
「後衛は我らの後ろに!」
ヘグンとボダイが盾を掲げて前に出る。ボダイの分はいつぞやの形見分けで分配した+2の円盾だ。ルーは両手で耳を隠しながら前衛の後ろに素早く身を伏せる。
石の飛んでくる方向、丘の上に複数の小柄な人影が蠢いていた。
「……小鬼が石を投げてきてます。高い場所にいるので面倒ですね」
「俺とニコは回避するぞ。アーウィアは伏せておけ」
「石ころくらい別に痛くねーっスけど鬱陶しいっスな。あとお嬢がうるせーっス」
両手剣を抜いて正眼に構えているユートであるが、別に剣で石を叩き落としたりできるわけではない。雰囲気だけの気休めであろう。板金鎧に包まれた身体を飛んでくる石で打たれまくっている。バッカンバッカンとブリキのバケツを蹴り回しているような景気のいい音だ。当たりどころが悪いのか、たまに鈍い音も混ざっていた。
「むぅ……地味に痛いのだ」
今日はまるっきりいい所のないユートが惰弱なむぅむぅ星人と化してきた。板金鎧といい両手剣といい、完全に装備品の選択ミスである。
「仕方ない、せめてこれでも被っておけ」
懐に仕舞いっぱなしだった魔法銀製の兜を出して頭に乗せてやった。お綺麗な顔に傷でも付いては一大事である。
「お嬢はそれ被って丸まってるっス」
「アーウィア、盾もあった。お前が持っておけ」
懐から取り出した円盾をアーウィアに渡してやる。麦を膨らませるときに鍋蓋として使っていた安物の盾だが、山なりの軌道で放られる石を防ぐくらいなら役に立つであろう。
「どうする兄さん、このままじゃやられっ放しだぜ」
「カナタさん、お嬢が狙い撃ちにされてるっス! 奴ら兜に石が当たるとおもしろい音がすることに気付いたみたいっスよ!」
「いや、盾を持ってるのだから庇ってくれると助かるのだ……」
小鬼どもの投げる石が円盾をボコボコと打ち、板金鎧をバッカンバッカン叩き、魔法銀の兜にコキンコキンと弾かれる。丘の上にいる小鬼も、攻撃を加えるという目的を見失って、ただ楽しいから石を投げているような印象である。
完全に投石の的になっている俺たちだ。
ニコが石を拾って投げ返したが、明後日の方向へと飛んでいった。驚くほどのノーコンである。仕方がないのだ、我ら冒険者には石を投げるための技能など備わっていないのだから。
「……高いところに陣取られているので届きませんね」
「そもそも敵のいるとこに向かって投げれてねーっスよ」
「……ギリギリ届いたとしても敵を倒すほどの威力はありません」
「だから威力とかじゃなくて、飛んでく方向が全然ちがうっス。妙な意地を張らんでいいっスから」
不毛な会話である。
迷宮内ならば魔神すら倒した俺たちだが、屋外では完全にポンコツ集団である。
さてはて、どうしたものか。