交易所
冒険者ギルド設立から三日経った。
滑り出しは上々だ。今のところ大きな問題もなく機能している。これを継続するためには、きちんと利益を出していかなくてはならない。投下した資金を回収できなければ、どんなにいいサービスでも終了しなくてはならないのだ。何でもかんでも広告収益だけでやっていけるわけではない。
「カナタさん、さっさと朝飯を食べましょう。今日は迷宮探索に行く日っスよ」
アーウィアは黒っぽい粘土みたいな物を手掴みで食っている。ショッキングな絵面だ。目を離すと幼児は何でも口に入れてしまう。
「……これは何だ?」
「蕎麦粉をお湯で練ったやつっス。粥はやめたらしいっスよ」
「……美味いか?」
「美味くはねーっスな。こんなもんスよ」
街の食糧事情は急速に悪化している。どこかの悪代官が経済を停滞させたせいだ。早く何とかしなくてはならん。
冒険者ギルドの設立は、駆け出しどもにも好評である。
入会特典として、まずは第一層と第二層の地図を公開することにした。勧誘のための撒き餌である。今は少しでも多くの人手が必要なのだ。
今回のアップデートが来るまで、俺たちには『地図を描き写す』という考えすらなかったのだ。そこでアーウィアとルーが描いていた地図を元に、足りない部分を他の熟練パーティーの地図係から持ち寄った地図で完成させた。魔物との戦い方についても簡単に書き添えてある。
今にして思えば、白ひげ神の考えは理解できる。
きっと『初回プレイは自力でやってみろ』という方針だ。おせっかいなレトロゲー趣味者が他人に勧めるなら、間違いなくそう言うだろう。ネタバレやら裏技やらチートやら楽々プレイなど許すはずがない。『この鬼畜度がいいんだ』などと被虐的なことを平気で言うタイプだ。理解はできるが、他人の命がかかっている状況でそれをやるのは勘弁していただきたい。
「みんなで迷宮に行くのは久しぶりねぇ。楽しみだわ」
「……口元に蕎麦粉が付いてますよ。みっともないです」
「ニコも付いてるっスよ。二人とも顔を洗ってくるっス」
長屋で飼っている一匹のエルフと一人の欠食児童と一体のアーウィアを連れて酒場へ行く。ヒゲと坊主とも待ち合わせをしているのだ。
「よォ待ってたぜ兄さん。久々の迷宮だ、せいぜい暴れてやらァ」
慣れない内勤続きで鬱憤の溜まっていた戦士がワクワク顔で待っていた。浮足立っている。携帯ショップで機種変をするときのようなテンションだ。
「ヘグン、ヒゲに蕎麦粉が付いているぞ。迷宮の前に顔を洗ってこい。ボダイもだ」
「すみません、見苦しいところを。食べ慣れないものでして……」
水瓶へ向かう二人を見送る背後で、アーウィアがこそこそと自分の顔を触っていた。お前は付いてないから心配するな。
今日はいつもの第六層ではない。久々に深層へ潜るのだ。
本当ならユートも連れてきたかったのだが、奴は代官としての仕事が忙しいようだ。昨日誘いに行ったのだが衛兵にすげなく追い返されてしまった。
あいつのようなお嬢が頑張ったところで大した成果は出せんだろうに。人には向き不向きというものがある。ユートの特技は迷宮で硬いものを切ることだ。
街の大通りを抜けて丘を目指す。
「露店も数が減ってしまったな。前に食った干し杏子は美味かったのだが。たくさん買っておけば良かった」
「……エルフの腹を裂いてでも取り戻すべきでした。もう二度と後悔はしません」
「今度見かけたら買っとくっス。エルフには内緒で多めに食わせてやるから、そろそろ忘れるっスよ」
食い物の恨みは恐ろしい。アーウィアによると、たまに寝言でも言っているそうだ。専門医によるカウンセリングが必要である。
迷宮へ向かう丘の麓に天幕が建ち並んでいる。
子供会のイベントや運動会のPTA詰め所みたいな感じだ。
ギルドの臨時交易所である。迷宮から持ち出された魔物の部位買い取りと、迷宮で産出された装備品の買い取りも行っている。ウォルターク商店の派出所でもある。さながら地域物産展でも催しているようだ。
「繁盛しているようだな。やはり迷宮の近場に設営しておいて正解だった」
「ディッジの小僧もいるなァ。寄ってくか?」
「やめておきましょう、忙しそうです。帰りに寄ればいいでしょう」
アイテムの買い取り時にドロップ場所も報告させている。どこに行けば何が手に入るのかも把握しておかないといけない。俺は第六層より上ではさほど宝箱を開けていないから知らんのだ。こうして着々と攻略情報が集まってきている。
この交易所は勝手に設営した。
一度、衛兵が文句を言いに来たがユートの名前を使って追い払った。代官公認の組織だと言い張ったのだ。微妙に嘘ではない。ユートとの話し合いを、こちらの都合のいい風に解釈しただけである。
迷宮へ続く坂道を冒険者たちが行き来している。休日の登山道みたいな感じである。彼らは椅子みたいな物を背負って迷宮と交易所を往復していた。背負子である。昔話とかでお爺さんが薪とかを背負うときに使っているアレだ。
駆け出し冒険者の中でも目端の利く奴は荷運びの仕事をしている。代金をちょろまかしただの持ち逃げしただのという話も耳にする。
そのうち迷宮内でも、地図係と荷運びを兼ねた案内人のような職業も成立するかもしれん。登山におけるポーターとかシェルパみたいな感じの仕事だ。早いうちにギルドで取り締まって許可制にしたい職種だ。
神の欺瞞と呼ばれていた謎現象は影響を大きく減じた。
アイテムを8個しか持てないなどという思い込みも消えた。しかし持てる量には現実的な限界がある。むしろ物によっては8個も持てない。ちょっと例外のニンジャもいるが、それが当たり前である。
「もう少し道を整備して馬車でも通らせたいな」
「無理ですよ、馬は高けーっス。二頭もいれば蔵が建つっスから」
そういうものか。かつての同居人だったので気安く感じていたが、なかなかの贅沢品だったようだ。
「そンだけじゃねェ。餌も食わせなきゃならねェし、水だって大量に飲む。糞もするしブラシをかけてやらねェと機嫌を悪くする。手間がかかんだよ」
もちろん馬小屋も必要だろう。まだまだ我らがギルドは小規模な組織である。社用車などは持てないようだ。買っても維持費が大変そうである。高望みをしてしまったようだ。ご年配のお金持ちくらいにならないと外車など買うべきではないのだ。
「一度借りるだけならいいですが、毎日使うなら買わねばなりません。しばらくは人力ですね」
「馬を買うより人を雇ったほうが安いわ。人ならそこら辺にたくさんいるもの」
一人のエンジニアとしては歯がゆいところだ。何でもかんでも人力で片付けようとするのは技術発展の妨げである。へなちょこPC一台と簡単なプログラムを使えば3秒で片付くような事務仕事を、一時間もかけて猛烈な勢いで電卓を叩くことを許容する態度である。『人間がやったほうが早くて正確だから』などと本気で言ってくるのだ。意味不明すぎて足が震えたものである。
交易所の裏手には、木組みに筵を吊った不自然な一角がある。通行人に目隠しをした裏で大蝙蝠を干しているのだ。
冷蔵庫も冷凍庫もないのだ。とりあえず干すしかない。まずは干し肉と燻製からスタートである。塩漬けは開発中だ。塩と壺を手配したので実験中である。しばらく漬け込んでみないと結果がわからん。
冒険者の街というより漁師町か何かみたいな雰囲気になってきた。そこら辺で普通に魚を開いたやつとかタコとかを干しているような光景だ。地域一帯が漁業に特化していて観光に行くとなかなか見ごたえがある。道端に蛸壺とかが普通に転がっているのだ。車屋みたいな感覚で船を修理するドックが建っていたり、民家より船の方が多いのではないかという感じの港があったりする。
そんなこんなで迷宮入口に到着だ。
「まずは昇降機で第九層へ降りる。そこから逆走して第八層へ上がろう。目的は二番機の方の昇降機だ。アレが下に動くかもしれん」
「うっス」
おそらく迷宮は第九層が底ではない。
謎の魔神を倒して生還したときに流れた意味深なメッセージ。たぶん続きがあるのだ。隠しダンジョンか何かだろう。クリア後のおまけ要素である。
「そりゃ兄さんの勘か?」
「ああ、そうだ」
俺が製作者なら、きっとその辺りに仕込むだろう。