くのいち
英雄は帰還する。
死闘の果てに、ガチョウと邪妖精を退けたヘグンである。彼の戦いはまだ続く。冒険者たちの今後を話し合う会議に呼ばれているのだ。
「俺ァこの後も用事だ。大人しくしてろよルー」
「はい」
「いいか、兄さんたちに迷惑かけんじゃねェぞ」
「はい」
こいつ絶対に話を聞いていないだろうと思わせる会話である。お手本のような生返事だ。ここまで何も考えてない顔など他所では見たことがない。
「じゃあな、兄さん」
去っていくヘグンをガチョウが見つめている。あの曲者が良からぬことを仕出かせば、すぐにでも成敗してやろうと考えているのだ。どこかのエルフより、よほど物を考えている鳥だ。
「カナタさん、風呂に行く前にニコの髪を切りたいんス。水がもったいねーっス」
「……すみません」
アーウィアは長屋の床板を剥がし、自分の着替えを取り出して愛用のズタ袋に詰めている。家具もなければ作り付けのクローゼットなどもない。何でもかんでも床下収納である。勝手に床板を剥いだので、大家さんにはバレないよう気を付けている。
「髪ごときにカネを払いたくねーっス。ムラサマで切っちゃいましょう」
「……お願いします」
生前の世界では『髪は女の命』などという言葉があったが、この世界では知ったことではないらしい。キャベツの外っかわのデカい葉っぱみたいな扱いだ。邪魔だから最初にむしっておけみたいな発想である。デリカシーなどという軟弱な概念とは無縁の世界だ。
「ニコ、髪を切っても構わんのだな?」
「……はい、覚悟はできています」
ドワーフ娘は思い詰めたような顔で返事をする。これはこれで考えが読めん。いいのか悪いのかはっきりしろ。まるで自分が悪人にでもなったような気になる。
懐から愛刀の村沙摩をぞろりと取り出す。剃刀にも負けぬ切れ味だ。散髪にはちょうどいい。
「嫌なら別にいいんだぞ?」
「……いえ、一思いに頼みます」
ニコは土間に跪き、神妙な顔で項垂れている。これから首を切られる罪人のような姿だ。隣りにいるのは抜き身のカタナを持ったニンジャである。山奥の村に落ち延びた武家の娘が追手に討ち取られるシーンの如きである。間違ってもお茶の間には流せない。
完全に俺が悪役だ。何かにつけ、相手の心を削ってくる邪妖精である。
「あまり難しい髪型など出来んぞ」
「構わんス。適当にばっさりやりゃいいんスよ」
「ええ、髪くらい勝手に伸びるわ」
二人とも自分は長く伸ばしている癖に、無遠慮な物言いをする奴らだ。
女子の髪など切ったことがない俺である。散髪に行くのが面倒なときにセルフカットをする程度の腕前だ。慣れれば後ろ髪も余裕である。若干長めにしておけば何となく誤魔化しがきくのだ。
とにかく、やってみるしかあるまい。失敗したら帽子でも被らせよう。
「……どうぞ」
「――むんッ!」
ばっさりといった。
「成功だな。なかなかの出来だ」
無事に呪いの日本人形が完成した。おかっぱだか姫カットだか前下りボブだか知らんが、そんな感じの何かだ。公立中学校の入学式とかでいっぱい見かけそうな感じの髪型である。
「悪くねーっスな。それじゃ風呂に行ってきます」
「……ありがとうございました」
土間に散らばった髪の毛を掃除するのは当然のように俺である。
「変な頭ね。子供らしくていいと思うわ」
率直なご意見である。二名のニンジャは揃って小さく舌打ちをした。
女性陣は三人連れ立って風呂に行った。
この世界の風呂は蒸気風呂だ。湯船ではなくサウナである。
とはいえ、風呂がサウナとして稼働するのはパン屋が窯に火を入れている間だけである。風呂とパン屋を併設し、窯の排熱を利用しているらしい。薪だってタダではないのだ。
この時間だとパンを焼いていないので水浴びしかできない。小さな瓶に一杯の水を買い、それを使って身体を洗うだけである。
「今のうちに使えそうな装備でも探しておくか」
床板を剥がして溜め込んだお宝を漁る。確か+1の鎖帷子があったはずだが。前に使っていた俺の短剣も貸してやろう。
準備が終わったら大家さんのところへ行かねば。ルーだけでなくニコの寝床も確保しないといけない。
ここは狭いので寝かせるとしたら土間しかない。それは駄目だ。ニコは犬猫ではないし俺は童話に出てくる意地悪な継母でもない。ちゃんと床の上で寝させてやらねばならん。
ルーと同室というのも考えたが、一緒に飼うと共食いをするかもしれん。もう一室、長屋を借りるのがベストだろう。空きがあればいいのだが。
ここの家賃は十日で小金貨一枚、1,000Gpである。
1Gpで日本円にして10~20円程度だろうと思っている。もっとも、物価が違うので何とも言えないところだ。衣類にしろ家具にしろ、新品を買おうと思ったら基本的に一品物になってくる。うまく中古品を探してやり繰りしないとお財布に厳しい。出来合いで安く買えるのは、木皿とか壺みたいな日用品が主である。それだって売っている店を探すのに苦労した。
ウォルターク商店は冒険者向けの店である。日用品などはあまり取り扱っていない。店のディッジ坊主や酒場の女給といった地元民に教えてもらって何とかしているのだ。
最近、異世界での生活能力が上がってきたと実感するニンジャである。実家を出て都会で社会人生活を始めた田舎娘みたいな気分である。未だ生活はラクではない。たまには実家から米でも送られてこないだろうかと思う日々である。
長屋はルーの分で埋まっていた。大家さんに頼み込んで、物置に使っているという一室を使わせてもらえることになった。粘り勝ちである。それでも家賃はきっちり持っていかれるのだから辛勝といったところか。
ニンジャが忙しく用事を済ませている間に、空は茜色へと変わっていた。
迷宮と酒場を往復していただけの頃が懐かしい。あの頃は馬小屋も使い放題だった。しかし、今の生活も気に入っている俺である。
「戻ったっスよー」
「さむいわー」
三体の風呂上がりが帰ってきた。
風呂上がりと言っても行水である。ほかほかした感じではなく、川に落ちたところを救助された人みたいな感じでガタガタ震えている濡れ髪の生物だ。アーウィアもルーも粗末な長衣に着替えている。
「おかえり。ニコの服も見付かったか」
「夏物の子供服しか見当たらんかったっスけどね」
仕方ない。子供服とはいえ衣類は高いのだ。古着屋で聞いた話では、貧乏人は寒くなると夏服を売って冬服を買い、暖かくなると冬服を売って夏服を買うという。
極まった自転車操業である。長屋などに住んでいる奴らがそういう生活をしているそうだ。俺たちである。
「……私には贅沢なくらいです」
竹馬に乗ったニコが言う。
半袖半ズボンである。コントに出てくる密林の探検隊みたいな服だ。ガールスカウトか何かにも見える。ニンジャも斥候系の職業だから、方向性としては間違ってはいないのかもしれない。いまいち女忍者っぽくないな。せめて黒く染めてもらうべきだろうか。要検討だ。
しかし、おかっぱのガールスカウトが竹馬に乗って、やれニンジャだ異世界だと言われても説得力のない光景である。
「酒場で明日の打ち合わせでもするか。ヘグンの土産も持っていこう」
「いいっスな! ニコの加入祝いっス、久々に高い酒でも飲みましょうか!」
みすぼらしい格好になったアーウィアが肉を引っ掴んできた。もうどこをどう見ても司教ではない。肉を掴んだ娘である。
「……私は骨だけでいいです」
「贅沢をおぼえるのも良くないが、せめて普通の生活はしろ。骨などエルフにくれてやれ」
「えっ、もらっても困るわ……?」
長い一日だった。
しかし、これで明日からは四人で迷宮探索ができる。その半数はニンジャで、片方はレベル1である。恐ろしくバランスの悪いパーティーであった。