犬のにおい
場所をガルギモッサの酒場へ移し、安酒を飲む俺たちである。
薄い麦酒だ。発泡もしていなければ冷えてもいない。パンのような香りはするが、麦茶で日本酒を割って酢味噌の付いた箸でかき混ぜたような微妙な味である。若干濁りがあるし、得体の知れない変な物もぷかぷか浮いているが気にしない。今更である。
「戦士ギドーか。なかなかの掘り出し物かもしれんな」
「どんな奴っスかねぇ。使える奴ならいいんスけど」
『修練場』で新人を呼んでもらったのだが、酒場で落ち合う規則だという。仕方がないので酒を飲みつつ待っている。この店が冒険者の酒場などと呼ばれていたのにも理由があったようだ。背後に何か不正なカネが動いていそうな繋がりを感じさせる。
「ねぇ、頭がいたいわ。どうしたのかしら?」
「気にすんなっス。酒でも飲んでれば治るっス」
「そうかしら」
ルーは竹馬に乗ったまま酒場に入ろうとして看板に頭をぶつけた。前後の記憶が抜けているようだ。もともと半分くらい壊れているエルフなので、とりあえず動いているから問題なかろうと判断している。まだ買い換えるほどではない。
少々待ちくたびれた頃に、酒場に大きな声が響き渡った。
酒場の主人であるガルギモッサ爺の声だ。
「冒険者アーウィア! 冒険者アーウィアはいるか!」
呼ばれたアーウィアが酒を噴いた。
「な、なんスか!? わたし何もやってねーっスよ!?」
「ああ、新人が来たのだろう。お前の名前で手続きをしておいた」
ちょっとしたサプライズである。日常に彩りを加える演出である。
「何やってんスか。勝手に人の名前を使わんでください」
「まあ、面白かったから構わんじゃないか」
「そこは評価するっス」
鼻から麦酒の雫を垂らしているアーウィアの手を取って、ガル爺に向けて振ってやる。さて、ギドーとやらはどんな男だろう。
「お前がギドーか……」
「……はい」
姿を現したのは、ちょっと予想外な感じの人物であった。
「ちっちぇーっスな。なんスかこの砂利餓鬼は」
「……ギドーです」
陰気な子供である。血走った目でぎょろぎょろと俺たちを見ている。ちょっとヤバい感じだ。黒いざんばら髪は蔦のように乱れ、痩せこけた小さな身体に汚い襤褸布を纏っている。森の奥に住む邪悪な妖精みたいな感じである。道に迷った旅人を襲って腸とかを喰らう系の奴だ。
「アーウィア、ちょっとこっちに来い」
酒場の隅にアーウィアを引っ張って小声で緊急会議である。
「ヤバいのを引いてしまった。ちょっと面倒を見切れそうにない。森に返そう」
「なんスか。そういう身勝手な行いがアイテム倉庫みたいな可愛そうな連中を作るんスよ。ちゃんと面倒見るっス」
こういうときばかり正論を吐く司教様である。おそらく他人事だと思っているのだろう。利害関係になければ、いくらでも正論を吐けるのが人間というものである。言うのは簡単なのだ。俺もよく友人がゲームをしている後ろから『そこは小キックだろう』などと講釈をたれていた記憶がある。
「アレは大丈夫だ。きっと一人でも生きていける。人里離れた場所で暮せば誰にも迷惑をかけることはないはずだ」
「適当なこと言ってんじゃないっスよ。とりあえず話だけでも聞いてみましょう」
駄目だ、説得に失敗してしまった。危機感のない小娘である。このままでは俺たち二人とも、明日の朝には腹を食い破られた悲惨な骸と成り果てるであろう。何とかしなくてはならん。
「……両親は流行病で死にました。隣村の叔母を頼ったのですが財産を騙し取られ、人買いに売られそうになったのです。納屋に火をつけて村を逃げ出しました。もう戻る場所はありません……」
「……聞くのではなかった……」
こういう重い話は苦手なのだ。ソフトクリームを落とした子供を見ただけで泣きそうになる俺である。もともと涙腺が弱い方なのだ。最近はニンジャ要素が薄くなってきたので心に堪える。
「よくある話っスよ。仕方ねーっス、しばらく面倒を見ましょう。レベルが上がれば一人でも生きていけるっス」
ちょっと前までは似たような境遇だったアーウィアである。しばらく成金生活をしている間に、妙に姉御肌な人格が形成された。新入部員が入ってきて先輩としての自覚が芽生えてきた二年生みたいな感じである。『一年生、準備遅いよ!』とか言っているイメージだ。吹奏楽部とかでよくある光景である。
「たいへんねぇ。どうやって生活していたの?」
「……木の根とか、虫とか蛇を捕まえて食べていました。畑で捨てられていた腐った瓜を拾ったり……」
余計なことを聞くなルー。
そこまで開封してしまったら、もう返却は無理ではないか。
もはや諦めの境地にあるニンジャである。
「ギドーというのは本名か?」
「……いえ、曽祖父の名です。高名な戦士だったらしいので名前を借りました。登録のとき、私の名は長すぎると断られたので……」
「そうか」
納得である。
ギドーなどと言われると、どう考えても筋骨隆々の男がやってくると思うではないか。文字数制限など、余計なことをしてくれるシステムである。
俺たちは再び『修練場』へと戻ってきた。
「冒険者名の変更をしたい。そこのちっこい奴だ」
またしても例の職員に声を掛ける。いちいち酒場を通すせいで、本日二度目の来訪だ。改善していただきたいものである。
「では申請書の記入を。文字が書けなければ代筆もしますが」
「……いえ、文字は書けます」
これから『ギドー』ではなくなる小動物が流暢に筆を滑らせる。ガチョウの羽根を削った羽根ペンだ。もしかしたら長屋で飼われている奴の羽根かもしれん。
「カナタさん、こいつ意外と教養があるっスな。見てくれに騙されたっス」
「ああ、やはり能力値は高いようだな」
「綺麗な字を書くわねぇ。きっと育ちはいいのよ」
「ルー、ニンジャ式高馬から降りろ。向こうの職員が怖い顔をしている」
申請を終えて『ギドー』改め『ニコ』がパーティーに加わった。
「ずいぶん印象が変わったな」
メニュー画面のメンバーリストにも、最下段にニコが追加されている。
「……ドワーフの名前は長いので。幼い頃の愛称です。曽祖父は人間でしたから」
「意外と年齢も高い」
「……ドワーフには、背が高い者は少ないので」
「あと、女だったのか」
「……ええ、まあ」
名前:ニコ。種族:ドワーフ、18歳。職業:戦士、Lv.1。
新しいメンバーである。ちなみに属性は悪であった。
納屋を焼いたりしていれば、とうぜん悪にもなるであろう。
「とりあえずニコを洗うっス。さっきから犬みたいな匂いが鼻から取れんス」
「それはお前の左手だ。黒牙狼の口に手を突っ込むのをやめろ。ちゃんと法衣も洗っとけよ」
「……マジっスか?」
アーウィアが自分の左手を嗅ぎながら首を傾げている。もっとも、ニコが犬くさいのも事実ではある。さっさと洗いたいところではあるが、まだ用事は終わっていない。
「あと、転職も頼みたい。そこのちっこい奴だ」
「構いませんが、レベル1から転職ですか?」
なに、能力値はじゅうぶんに高いのだ。可能であれば早めに転職させた方がいいだろう。
「こいつをニンジャにしてくれ。能力値は足りているだろう?」
「ちょ、ずるいっスよカナタさん! ニコは司教にするんス! わたしが育てるんス!」
寝耳に水のアーウィアがわーわー騒いでいるが手遅れだ。すでに本人からは同意を得ている。こいつはニンジャ二号として育てるのだ。
「えー、それならエルフにしましょうよ! エルフは楽しいわよ?」
それは職業ではなくて種族である。
もしかしたら、エルフに噛まれるとエルフになったりするのであろうか。ゾッとする話である。