第八層の獣
五日目の朝だ。
『冒険者の酒場』で落ち合った俺たちは『商店』へ向かう。
今さら作戦会議もない。未知の第八層だ、出たとこ勝負である。
アイテム欄に治癒薬を満載し、朝も早くから迷宮入口までの丘をえっほえっほと登っていく。
いざ迷宮へ入ろうとしたところで、アーウィアに呼び止められた。
「カナタさん、ご安全がまだっス」
「……む、そうだな」
定例行事を忘れてしまった。少々勇み足になっているのかもしれない。風呂に入ろうとしたら湯船が空っぽで絶句している人みたいな状態だ。俺もたまにやってしまう。焦ってはいかん。
「これより第八層の調査だ。もはや作戦もない。生きて戻るぞ。ご安全に」
「「「「「ご安全に」」」」」
昇降機、隠し通路、回転床を乗り越えて、第八層へと降り立った。
この階層さえ攻略してしまえば勝利である。態勢も万全、気力も満ちる。
「……ルー……、三人……?」
なぜかユートだけは難しい顔だ。思えば毎朝こんな感じである。朝が苦手なタイプなのだろうか。
「よし、消耗はほぼないな。ここからが正念場だ。行けるところまで行くぞ」
「お前ら聞いたか? 気合入れろっス」
なぜか腰巾着みたいな感じでアーウィアが偉ぶっている。運動部とかでありそうな光景だ。
第八層は目立った特徴のない、迷宮らしい王道の構造だ。
階段を降りた部屋から、通路を折れ、小部屋を抜けて進んでいく。
「道が分かれてるぜ。兄さん、どっちに進む?」
「右だ」
適当に返事をする。考えて正解が出るような話ではない。迷宮探索は女子の会話ではない。『えーどっちー?』『悩むぅー』みたいな盛り上がりは不要である。
探知スキルを駆使して進んでいく。
避けられない戦闘では、常に激闘となった。
炎を吐く凶暴な黒犬、魔猟犬。第六層の小悪魔と黒牙狼を同時に相手をしているような敵だ。被害が広がる前に、接近戦で強引に潰していく。
六本の腕に剣や手斧、様々な得物を持つ六腕像。恐ろしい猛攻だ。次から次へと雪崩のように武器が襲ってくる。
どちらも伝承に現れる魔物の名だという。ご本人かどうかは知らないが、呼び名がないと不便なので拝借することにした。
「敵がとんでもねェ強さだ。盾がなきゃ危なかったぜ」
さすがのヘグンも楽勝とはいかない。地力の差でなんとか敵を捻じ伏せている。
「ああ、治癒薬がどんどん減っていく。だが、それで勝てるなら問題ない」
「カナタさん、他人事じゃねーっス。はやく治癒薬飲むっス」
ボロ雑巾みたいな状態で床に転がっているニンジャである。六腕像の猛攻撃を躱しきれず、そのままタコ殴りにされてしまった。HPが半分持っていかれた。
アーウィアに起こしてもらい、治癒薬を飲んで何とか復帰する。最近流行の老爺と孫ごっこをする余裕もない。
「宝箱も無視、ですねぇ……」
「ぜったい凄いの入ってるわよねぇ」
第八層の宝だ。迷宮の探索者にとっては垂涎の品だろう。しかし一歩間違えれば致命の罠ともなる。欲をかいて手を出せば、どうなるかは推して知るべし。
ニンジャと仲間たちは第八層を進む。
戦力をすり減らしつつ辿り着いた先で、一同は扉を発見した。迷宮の景色にそぐわない、古びた木製の扉だ。
「おいおい。まさかコイツは、アレか?」
「……見覚えのある扉ですね?」
ヒゲと坊主が目と目で通じ合っている。仲良しだ。
「ああ、『門番』、だろうな」
第七層ではなくこちらにお住まいだったか。
「ふむ、どうするのだカナタ」
もちろん行くのだろう? とお嬢が目で語っている。
「万全を期するなら補充に戻るべきだろう。しかしここは行くべきだ。出直したところで、さほど有利になるわけでもない」
ここで通行証となるアイテムを入手できれば、第七層の昇降機が使える公算が大きい。第一層から第八層の手前まで、直通で攻略を始められるかもしれない。
「手ぶらで帰るのも癪だしなァ」
「そっスな。どうせいま戦って倒せないなら、どの道倒せんス。この部屋を片付けて補給に戻りましょう」
「話を聞いていなかったわ。何をするの?」
動作不良のエルフに説明しつつ役割確認をする。とはいえ、例によって全力での速攻である。
「いくぜッ!」
扉をぶち破る勢いで跳ね飛ばし、盾を構えたヘグンが飛び込む。
左右に俺とユートが展開、ルーが魔法を詠唱する。
『よくぞ辿り着いた。待っていたぞ、か弱き魂よ』
――何だ?
思いもよらぬ声に、一同の足が止まる。
部屋の真ん中に、何かが蹲っている。
葡萄色の法衣を着た、奇妙な動物だ。
知性を感じさせる瞳でこちらを見つめている。
「――馬、か?」
馬小屋で見るやつとは若干違うようだが。
「おい貴様ァ、何者だぁ!?」
大きな身体に長い首。駱駝にも似た謎の動物がゆっくりと立ち上がる。そのまま前足をドスドスと踏み鳴らし始めた。
『よくぞ辿り着いた。待っていたぞ』
首を振り、床を蹴って走り出す。向かう先にいるのはヘグンだ。
『よくぞ待ってか弱きよくぞーッ』
「ただの鳴き声だ! 迎え討て!」
思わせぶりな振る舞いに騙された! ただの魔物か!
狙われたヘグンは慌てて突進を回避する。
「前衛で抑えるのだ! ルー、魔法を!」
『よくぞーッ!』
動物の口から轟々と煙が吹き出した。
「むぅ、毒の吐息だ!」
「気にすんじゃねェ、このまま倒してしまえッ!」
馬みたいな奴は部屋中をパカパカ駆け回る。いまいち何を考えているのかわからん相手だ。
「みっ! 『雷球弾』!」
稲妻が迸り、白光が謎生物を包み込む。
『魂よーッ!』
全身の毛を焦がした馬が雄叫びを上げる。ふいに、糸の切れた人形のようにヘグンが倒れた。何をした、魔法か!?
足を止めた馬に飛びつき、片手で首を締め上げる。棹立ちになった馬をユートが袈裟懸けに斬りつけた。ニンジャも短剣で追撃だ。アーウィアの放った魔弾は、馬の毛並みを乱しただけで終わった。
前衛の穴を埋めるため、ボダイが槌矛を手に前へ出る。
寄ってたかって攻撃されて、ついに馬は横倒しとなって息絶えた。
「何とか倒すことができたな」
戦闘中にぶっ倒れたヘグンも身体を起こして頭を振っている。命に別状はないようだ。
「へんな生き物でしたね。わたし、ああいう訳わからんの苦手っス」
そういうアーウィアが、おかしな顔色になっている。悪ふざけで適当に塗られた塗り絵のようだ。
「おい、どうした!?」
「すみません、毒食らっちゃったみたいっス。気持ちわりーっス」
即座にメニュー画面を開く。アーウィアの他に、ヘグンとルーも状態が『毒』になっていた。二人の顔色も愉快な感じに変わっていく。馬の毒息にやられたか。
「全員回復だ。ルーとヘグンは解毒薬を飲め。ボダイ、アーウィアに『解毒』を頼む」
毒を治療し『軽傷治癒』で身体を癒やして、ようやく一息つけた。高位の魔法である『解毒』も使ってしまったが、最小限の被害で済んだと言えよう。
「すまねェな、足を引っ張っちまったぜ」
「気にすんなっス。誰にでも失敗はあるっス」
この小娘はいったい何様なのだろう。何とも堂々としたものだ。俺も見習いたいものである。
「その辺にしておきましょう。さて、肝心の宝箱ですが」
「ああ、あるな」
宝箱だ。馬が運んでいた荷のような感じで木箱が転がっている。
おそらく深層の証、昇降機を動かすためのアイテムだろう。
「全員、回復は済ませたな? これから罠解除に挑む」
「うっス。あ、念のため『おまじない』をしておきましょう」
気休めに『兎足』の魔法を使ってもらった。これで幸運を味方につけることができればよいが。
いざ宝箱に挑もうとしたところで、ルーに頭を殴られた。
「……何をする」
「だって、宝箱を開けようとしたら殴れって……」
確かにそんなことを言った。おぼえていたのは偉い。
だが、残念なことに話の内容までは理解はしていなかったようだ。