酔っ払いと不思議の部屋
空が茜色に色付き、迷宮探索を終えた冒険者たちが酒場に集まり始めた。そこかしこで今日の戦果など賑やかに話し合われている。運良く希少アイテムを手に入れたのか、乱痴気騒ぎをしているところもある。
「ウヒヒヒ! みなさん帰り遅せえっスね! もしかして全員死んだんじゃねっスかぁ?」
最終的にこの馬鹿娘は酒に逃げ切った。
俺はメニュー画面からパーティーの様子を確認する。酔っぱらいの馬鹿娘が、メニュー操作する俺の指を掴もうとしてくるのが鬱陶しかった。
相変わらずパーティーの現在地は第八層のままだ。
「しばらく戻りそうにないな。俺たちも一度宿に引き上げよう」
『ああういあ』に肩を貸して立ち上がらせるが、ぐでんぐでんに酔っ払ってまともに歩けないどころか、俺の頭をなでたり叩いたり、鼻を引っ張ったり口に指を突っ込もうとしたりと大暴れだ。酒に逃げるのは結構だが、コイツは日に日に扱いが面倒くさくなってきている。
「うるせーヘッポコニンジャ! あたしはまだ飲むって言ってんだろぉ! どこ連れて行く気だこのスケベやろぉ!!」
もう捨てて帰ろうかとも思ったが、これでも一応、パーティーの財産を預かる身だ。耳に噛みつかれながらも無理やり歩かせて宿へ向かう。
「よっスケベ兄ちゃん、これから夜の迷宮探索かぁ!?」
「うっかりパーティーメンバー増やすんじゃねえぞぉ!?」
「そんな女抱いてもゲロまみれになるぜ、それより俺とどうよっ!?」
冒険者どもの野次を聞き流しつつ、酒場の隣にある宿までぐねぐねの馬鹿を運び、馬小屋へ投げ込むことに成功した。空いている馬小屋は宿代を払わなくても使わせてもらえる。俺たち貧乏冒険者の強い味方だ。パーティーの資金は頭割りで預かっているが、これは自由に使っていいカネではない。『アイテム倉庫』である俺たち個人の取り分は、ほんの少しだけだ。
「ふざ、けんなぁ……、あたひゃ、司教、ぞ……、飲む……まだ、のむ……」
『ああういあ』は藁床の中で醜くうごめいていたが、次第におとなしくなっていった。
俺もコイツに付き合って少々飲みすぎた。さっさと寝て明日に備えよう。朝にはパーティーの奴らも戻っていることだろう。『アイテム倉庫』である俺の日々はまだまだ続くのだから。
俺は隣の房に入り、藁の山に潜り込んだ。
目を閉じて、今日の記憶を刻みつつ意識を手放していく。
System.Info
◇迷宮第八層が攻略されました
◇迷宮第九層が開放されます
◆システムの更新を開始します
・探索中のパーティーメンバーが全滅しました
・プレイヤーキャラクターが『ああうあ』に変更されました
◆システムの更新が完了しました
◇イベント『すまんゴッデス』を開始します
目を覚ました俺は、藁の寝床ではない、見知らぬ部屋にいた。
革張りの椅子は綿が詰まっているのか柔らかく、上等な寝床のような座り心地だ。そのせいか、俺はしばし夢見心地でぼんやりとしていた。
「戻られましたか?」
若い女の声に俺は跳ね起き、椅子を蹴って後方へ大きく飛んだ。空中で身を捻り、着地と同時に構えを取って、探知スキルを使い戦闘に備える。思えばレベル1の俺にとって、これが初めての戦闘行為であった。
部屋の広さは『冒険者の酒場』よりやや狭い程度。天井は高い。先ほど俺が蹴った椅子は鉄の一本脚で座面だけがくるくると回っており、その先に立派な木製の文机。隔てて奥に、先の椅子と同じものがあり、女が座っている。それ以外には何もない。見える範囲にも、探知スキルの反応にも、警戒すべきものはなかった。
ただ、女の実力まではわからない。
見たところ武具の類は帯びていない。着ているのは法衣のように見える。栗色の髪は肩で切りそろえられ、若葉色の瞳でこちらを伺っている。おそらく魔法職であろう。
一息に首を刎ね飛ばせそうにも見えるが、慎重に進めるべきだろう。知らぬ間にこのような状況になっているのだ。うかつに飛び込めばどんな罠があるかわからない。
「お前は何者だ。俺をどうやって連れてきた」
「あれ、オージロ・カナタさんですよね?」
女は眉を寄せ、人差し指を顎にあてて小首をかしげてみせる。見た目どおりの弱者なのか、あえて隙を見せて挑発しているのか、レベル1の俺には判断がつかない。
「俺は『ああうあ』だ。そんな面妖な名前ではない」
「『ああうあ』? あ、そういうことでしたか。バグっちゃってますねー。いま調整しますから少々お待ち下さいね」
女は両手を合わせ、納得したように笑顔で文机をあさりはじめた。ずるりと引き出されたのは細い縄。先端に四角い金属片が付いたそれを手に、女が文机を回り込んでこちらに近寄ってくる。
拘束する気か。相手の事情も力量も分からんが、身動きを封じられてしまえば戦って生き残ることもできない。
「おかしな真似をするな! それ以上近づくなら容赦せん!」
「はいはい、すぐ済みますから。おとなしくしててくださいねー。このままだと話がぜんぜん進みませんからー」
「問答無用か! ならば恨むなよ!」
戦闘職の中でもニンジャは素手による攻撃に適性がある。全速で踏み込んで首を狙えば、切り落とせなくともへし折るくらいは容易い。
そして俺は、足を踏み込む前に女の姿を見失い、気がつくと床に押し倒されて天井を眺めていた。腹の上に乗られ、両手は女の膝で抑え込まれている。あっという間に馬乗りで拘束されている。何が起こったのかも理解できぬほど、あざやかな技だった。
「くそ、体術使いか! まさか貴様、高レベルのニンジャだったか!?」
「はいはーい、じっとしててくださいねー。ちょっとチクっとしますけど怖くないですよー」
女は縄の先端を見て首を傾げつつ、なんと金属部を俺の耳穴に差し込んできた。これは急所攻撃、脳を破壊して殺す気だ! 俺は痛みと恐怖で絶叫した。
「すみません、逆でした。もう一回」
女は俺の耳を執拗に攻撃し続ける。そこには冷徹な殺意があった。俺はただ情けなく、泣きわめくことしかできない。
「ごめんなさい、やっぱ逆でした。ほんと紛らわしいですよねー」
何度目かの急所攻撃の末、耳穴にずぶりと深く差し込まれる感覚があった。女も手応えを感じたのか、嬉しそうに笑みを浮かべる。
これは死だ。直感的に俺は理解した。俺は冒険者として何も残せないまま、名もなきニンジャとして死んでいくのだと。
そして俺は、深く暗い場所へと落ちていった。