閑話!宿の冒険!
俺たちヘッポコ二匹と貧乏人四体は宿を訪れた。
「宿屋の中に入るの、はじめてっスね……」
アーウィアは緊張している。拳を固く握りしめて腰を落とし臨戦態勢だ。最初に迷宮へ連れて行ったときを思い出す。
「馬小屋の持ち主だとしか思っていなかったからな」
やけに空々しい場所だ。勝手がわからず心がザワザワと落ち着かない。健康しか取り柄のない人間が病院へ健康診断に行くとこんな感じだ。
俺とアーウィアは馬小屋に関しては玄人だ。寝床にカネを払ったことなどない。欲しいのは藁だけだ。何なら借りた部屋に邪魔な馬を押し込んで、俺たちが空いた馬房で寝ても構わんくらいだ。
しかし今回は事情が異なる。素直に宿の女将とヘグンから説明を受けた。
もっとも安いのは、共同の大部屋。うだつの上がらない冒険者たちが気の向くままに床の上でごろごろと雑魚寝しているそうだ。
次は安部屋。申し訳程度の壁板で仕切られた狭い小部屋だ。いちおう簡易な寝台と夜具があるとのこと。部屋数も多い。
その上は一等室。上等な部屋だ。金回りのいい奴が借りる。複数人で代金を折半して使えば安上がりだという。
最上級の一室は貴賓室。料金が高すぎる。借りる奴は馬鹿だ。しかし馬鹿なことをしたい連中がたまに出てくる。たいていは部屋の豪華さに興奮して大騒ぎしている間に夜が明ける。高い宿代を払って一睡もせず追い出されるのだ。実にバカバカしい。いずれ俺もやってみようと思う。
「わかったな兄さん、じゃあ部屋を借りようぜ」
説明はわかったが勝手がわからない。俺とアーウィアはヘグンに向かい、握手をし損ねた人みたいなポーズをとる。『どうぞ』の合図だ。
「あぁ? なんだそりゃ。まあいい、一等室を頼む」
ヘグンは迷うことなく一等室を選んだ。パーティー全員でゆっくり身体を休めるためには賢い選択だろう。大部屋にごろ寝では馬より待遇が悪い。
「女将、私にも一等室だ。よろしく頼む」
続けてユートも部屋をとっている。そういえばこいつは、いい家のお嬢だ。男女で部屋を分けるのか。その発想はなかった。馬小屋においては男女どころか人馬の区別すらない。
ユートとルーは別の部屋で寝るようだ。アーウィアも送り込んで女子力修行をさせた方がいいだろうか。
「わたしも一等室をお願いするわ」
「同じく一等室です」
四人ともバラバラに部屋をとりやがった。
「カ、カナタさん……」
「……狼狽えるなアーウィア」
そんな金銭感覚だから破産するんだ。酒場での斥候の話は何だったんだ。
生活レベルというものは現状より下に落とすのは難しい。人間、一度おぼえた贅沢はなかなか捨てられんのだ。株やベンチャーで小金を稼いだ人が陥りやすい罠である。成金は贅沢をおぼえてはいかんのだ。
他人のカネだからと贅沢をする連中ではない。本気で財布の紐が緩んでいる。おそらく頭のネジも同様だろう。ルー辺りはもう手遅れだ。パーティーの良心かと思われたボダイすら何の遠慮もなく一等室である。
「じゃあな。よく眠れよ、兄さんたち」
「おやすみなさい。また明日ね」
「遊んでないで早く寝るのだぞ」
「では、わたしたちは失礼します」
我らポンコツ衆と女将だけがその場に取り残された。
「……どうする、アーウィア」
「……う、うス……」
「……俺たちも、一等室……か?」
「……ぅ……ぁ……うぅ……」
アーウィアの目が泳いでいる。酒に関しては遠慮を知らないが、根っこでは贅沢を知らない小娘である。奴らを貧乏人だ何だと弄ってはいるが、こちらも所詮せこい成金である。
「……カナタさん、やっぱ馬小屋……」
アーウィアが日和っている。
「いまさら退けるかッ! 女将! 安部屋を、頼む。二人部屋はあるか?」
興奮して声が大きくなった。いきなり一等室などに泊まると逆に体調を崩しかねない。迷宮探索に支障が出る。物事には順序というものがあるのだ。
「そ、そうっスよね! わたしらはその辺でじゅうぶんス。高いカネ払って寝るなんてバカのやることっスよ!」
女将の前でそういうことを言うな。ちゃんと躾をしておかないと、こういうときに恥をかく。俺の責任である。
酔っぱらいの相手は慣れているのだろう。特に怒られることもなく、呼びつけられた小倅の案内で俺たちは部屋に通された。
宿代は小金貨と銀貨が二枚ずつ。銀貨の分が俺たちだ。もし安部屋だったら俺が一人とアーウィアが21人泊まれる計算になる。
室内が暗いのでアーウィアに光明の魔法を使ってもらう。意外なところで大活躍だ。
「カナタさん、見て下さい、寝台があるッス!」
「ああ、ちゃんと二つあるな」
便所の扉を剥がして持ってきたような長い板切れと、短い丸太を立てて脚にした寝台だ。まさに取って付けたような佇まいである。
「久しぶりに見たっス。なんで一段高くする必要があるんスかね。べつに床で寝るのとそう変わらんス」
文化とか人間性みたいなものを忘れつつあるアーウィアが寝台を無造作に押す。寝台はギシギシと悲鳴をあげた。
乱暴に壁を叩く音!
まずい、壁ドンだ!
(アーウィア、声を落とせ。すぐ隣にも客がいる)
(うっス、すみません)
俺たちは小声で会話をしつつ室内を探索する。
狭い部屋だ。もう一つ寝台を置くと床が埋まってしまう。床の上に高床式を設けるようなものだ。意味のないフルフラットである。
寝台には藁で編んだ筵が敷かれている。その上に畳んだ毛布。これが夜具か。藁山のような不定形の寝具に慣れた俺たちには扱いが難しい相手だ。
あっという間に探索は終了した。なにせ狭い部屋である。檻に入れられた獣のように、その場でウロウロしただけだ。
「こんだけっスか?」
「そうだな、見てのとおりだ」
念のためニンジャの探知スキルまで使ってみたが、もちろん何もない。
「あんまり、おもしろいもんじゃねーっスね、宿って」
探索を終えたアーウィアが鼻で笑った。それはそうだろう。
「やることもないし、もう寝るか」
「うっス、さっさと寝てレベルアップを喜びましょう」
こいつが言うと何もかも変なフラグに聞こえる。発言には注意してもらいたい。
寝ようとしたが光明の魔法が邪魔なので、宙に浮いている光の玉を廊下に追い払った。真っ暗になった部屋の中、それぞれの寝台に潜り込む。
「おやすみなさいっス」
「ああ、おやすみ」
やはり寝床が変わると落ち着かない。しばらく暗闇の中でもぞもぞしていたが、しっくりくる位置を見つけたので意識を深く沈めていく。
今日の探索は本当に順調だった。ヘグンたちには感謝しないといけない。
うつらうつらと寝入りかけたとき、壁越しに小さな舌打ちが聞こえた。
アーウィアの寝台がある方の壁からだ。
まあ気にするまい、と思ったら今度はこちらの壁側から声が聞こえた。
『……なんだ、やんねーのかよ……』
薄壁一枚の向こうに人がいる。少々気味が悪い。
失敗だ。こんなところに来るのではなかった。
やはり俺たちには馬小屋でじゅうぶんだったのだ。