ふわり、空から
青白い火球のような魔物が、迷宮第四層を乱舞する。
迎え撃つのは銀章の冒険者パーティー。襲い来る鬼火の群れに、革鎧をまとった盗賊の少年が立ち向かう。
流星雨のごとき魔物たちの突進を、少年は紙一重で回避。
軽い身のこなしから繰り出される強襲が盗賊の基本戦法。反撃に移ろうとした少年の背後に、ゆらりと青の光球が浮かぶ。
「――ッ! ステラン、後ろだ! 回り込まれてる!」
仲間の警告は一瞬遅かった。鬼火に体当たりを食らい、盗賊の少年が激しく突き飛ばされた。すかさず仲間の戦士が加勢に入る。上段からの斬り下ろしを受けた鬼火が、閃光を放ち弾け飛んだ。
「おい、ステラン。怪我をしているぞ。治癒薬を使ってはどうだ」
ニンジャは敵中をぬるりと縫い進み、少年の肩を叩く。第四層の敵くらいであれば、目を閉じていても回避は難しくない。探知スキルのおかげである。
「そっスな。すぐに回復したほうがいいっス。待っててやるから、さっさと飲んでしまうっスよ」
身を低くした司教が、構えた円盾で鬱陶しげに鬼火を叩き散らす。守備力に関しては鉄壁を誇るアーウィアである。こちらも危なげない様子だ。
「こんなのかすり傷だ……っていうか邪魔だよ! あっち行っててくれよ!」
盗賊の少年ステランが両手の短刀を振るい、二体の鬼火が弾けて消えた。
しばらく前まで、盗賊としての戦い方を知らない若造だったが。見ない間に腕を上げたらしい。なかなかの手並みである。
「――邪魔とは失礼な。こうして敵を引きつけているではないか……」
「まぁまぁ、カナタさん。きっと周りが見えてないんスよ。自分のことで手一杯って感じっス。気にしなくて大丈夫っスから」
しょんぼりニンジャは司教の小娘に手を引かれ、戦線を離脱する。
鬼火の群れも数を減らし、一方的な試合運びだ。現在の俺たちは臨時メンバー。これ以上の手出しは無用であろう。
「ふむ、パーティーを率いる者がそれでは困るな。もっと心に余裕を持ってはどうだろう」
「まったくっス。まだまだ、あの小僧も半人前ってことっスな」
観戦席から野次を飛ばすニンジャと司教である。
「うるさいって! あっち行けって言ってるだろ! もう付いてくんなよッ!」
なんか怖い顔で怒鳴られたので、アーウィアを連れてカサカサと逃げ出す。
よかれと思って助太刀していたのだが。横暴な現場主任に追い出されてしまった。お払い箱である。
迷宮を支える柱のごとき巨大な人影が三体、地響きを立てて襲い来る。
第四層の強敵、石巨像の群れだ。対峙するのは鉄鎧を着込んだ聖騎士の娘。長剣を手にした冴えない顔の娘が、裂帛の気合を込めて敵に斬撃を見舞う。
一撃、二撃。大きな鐘が打ち鳴らされるような音を立て、乙女の剣が巨像に滅びの傷跡を刻んでいく。
「いいぞ、押している。治癒薬もあるんだ。そのまま倒してしまえ」
「そっスな、後のことは考えなくていいっス。治癒薬で回復できるっスから」
三撃目。石巨像の右腕を断ち割った娘が、勢い余って体勢を崩した。娘の簡素な顔に焦燥が浮かぶ。
隻腕となった巨像が、残る左腕を横薙ぎに振るった。回避は間に合わない。敵の剛腕になぎ倒されて、素朴女子の身体が迷宮の石床を転がっていく。
「おい、大丈夫か。気を確かにしろ。治癒薬は飲むか?」
「わたしらが抑えてるから早く飲むっス。ケチケチすんじゃねーっスよ」
ニンジャと司教は、巨像たちの周囲をぐるぐると駆け回る。
敵は鈍重。聖騎士パウラ嬢が立て直すまで、こうして足を使って時間を稼ぐのだ。石巨像の拳を回避して視線を戻すと、仲間の僧侶がパウラ嬢に回復魔法を使っているところだった。
「こら、どうして魔法を使うんだ。なぜ治癒薬を飲まない」
「そっスよ! 魔法の回数が切れたらどうすんスか、さきに治癒薬を使うっス!」
仲間の手を借りて、聖騎士の娘が立ち上がる。
気力を奮い起こして剣を構え、いまいちパッとしない顔をこちらに向けた。
「もうッ、うるさいわよ! 二人とも、あっち行ってなさいッ!」
すごい剣幕で怒られてしまった。
石巨像を中心とした周回軌道から外れ、迷宮の闇へと消えていく我々である。
長い階段を上って、俺とアーウィアは迷宮を抜け出した。
冬風の吹き抜ける地上広場は、まだ昼だというのに薄暗い。
見上げると、空は灰を撒いたように曇っていた。雪でも降りそうな気配だ。
「――失敗だな。あの連中、思ったより余裕がある」
「そっスねぇ。第四層まで連れていけば、治癒薬を使うと思ったんスけど」
懐のアイテム欄から外套を取り出して、アーウィアにもこもこと着せる。
風は冷たく、身を切るような寒さだ。温かくしておかねばならん。
「せっかく治癒薬が買えるようになったんだ。どうせなら使ってみようと思わんのだろうか」
「思い切りがよくねーっス。きっとアイツら、貧乏が染み付いてるんスよ」
「ふむ。前よりは羽振りがよくなった様子だが……」
ステランとパウラ嬢が第四層を目指すと聞き、二人で案内を買って出たのだ。先輩冒険者が付いていれば心強いだろうと思っての行動である。あいにくお役御免となったので、俺たちは一足先にオズローへと帰還することにした。
「まだ、ひよっこ気分が消えてねーんスよ。あの連中、生きるか死ぬかって経験をしてねーっスもん」
「ああ、ちょっと過保護にしすぎたかもしれんな」
「うっス。追い込みが足りなかったっスね」
アーウィアは自分のズタ袋から手袋を出しながら、ふすんと鼻息を吐き出した。
もこもこ司教を連れて、寒風吹きすさぶ丘を足早に下る。
本日、ウォルターク商店に治癒薬が入荷した。前もって宣伝しておいた結果、ぽつりぽつりと売れてはいる。
しかし、アップデート後に冒険者となった彼らは、この手の消費アイテムに馴染みがない。案の定、使いどころがわからず出し惜しみしているようなのだ。
「後は成り行きに任せよう。そのうち、嫌でも使わねばならん機会がくるだろう」
「いいんスか、カナタさん。薬瓶だって多くはねーっスよ。どんどん使って回していかないと見込みが狂うっス」
「ああ、まったくだ。せっかく生産体制を整えたのに、意味がないではないか」
アーウィアの正論が耳に痛い。
治癒薬の原料については、ラヴァルド商会を通して買い付けを行っている。冒険者への供給を安定させた後、余剰分を売りに出すという段取りで話は進んでいるのだ。治癒薬の生産には時間もかかるし、保存のための薬瓶も数が限られている。これでは事業計画が立てられんではないか。
ため息など吐きつつ歩いていると、ふいに司教の娘が立ち止まった。
「どうした、アーウィア」
隣のもこもこに目をやると、手袋をした両手で何かを押し頂くようにしている。
猫を受け取る人みたいな感じの姿だ。はて、俺は猫など抱えていない。何を渡してやればいいのだろう。
そんなことを考えつつ眺めていると、猫を受け取る娘の手に、ちいさな白いものが、ふわりと舞い降りた。
「ほら、カナタさん。見てください」
「――雪、か」
「雪っスね」
見上げた空に遠く。無数の花びらに似た、冬の欠片が忍び寄っていた。
冒険者の街オズローも、いよいよ冬本番である。
ふわふわとした、猫ではないものに降られつつ。
街に戻り、大通りを歩いていると何やら広場のほうが騒がしい。
「えらく賑やかだな。何かあったのだろうか」
「なんスかね。まさか、雪が降ってはしゃいでるわけじゃないと思うっスけど」
街の中央広場に顔を出す。
住人たちが様々な品を持ち寄って市を開いている中、ふだんは見かけない荷馬車が三台も停まっている。
「ラヴァルド商会だろうか。予定にはない便だな」
「そっスね。こんな大荷物がくるなんて聞いてねーっス」
馬たちは白い息をばふばふと吐き出している。こんな時間に到着するということは、早朝に隣のリノイ村を発ったのだろう。ご苦労なことだ。
アーウィアと遠巻きに様子を窺っていると、見知った二人連れが広場にやってきた。声のでかいラヴァルドの娘とオロフだ。到着の知らせを聞いてきたのだろう。
「早かったわね! ご領主のところへ荷を持っていきなさい! オロフ、馬車を案内して!」
「声が大きいです親方」
「馬車を動かさないと迷惑になるでしょ! ほら、早くする!」
「わかりましたから。声が大きいです」
娘の大声に追い立てられ、オロフが馬車を先導していく。
あの男は我らが冒険者ギルドの臨時職員だが、本来はラヴァルドの商人。
また何か、よからぬことを企てているのでなければいいが。
「おうコラ、てめー。さっきの馬車はなんスか。わたしらに隠れて妙なことしてんじゃねーっスな?」
目を離している間に、うちの鉄砲玉が絡みに行っている。
元気のいいことだ。せめて引き金を引くまで待ってほしいのだが。
「あら、お早いお帰りね! どこに行ってたのかしら!」
「ひとの話を聞けっス。さっきの馬車はなんだって言ってんスよ」
「ご領主に頼まれた品よ! あ、でも詳しいことは言えないわ! 何せ、ラヴァルド商会が直々にもがががが」
「もういいっス。うるせーから黙るっス」
声のでかい娘が、もふもふ司教にもふもふと絞め落とされている。
喋れだの喋るなだの、理不尽なことである。まさにチンピラの所業だ。
しかし、ユートか。十中八九、いらんことをしているのだろう。