追い風
朝と言うにはやや遅い、日中の酒場。
いつもの席に座り、帳簿の整理をしているニンジャである。
この時間、冒険者たちが出払った店内は閑散としていた。寡黙な老ドワーフの店主も、無言で今夜の仕込みを行っている。事務仕事には最適な環境といえよう。
これで美味いコーヒーなど出してくれれば、言うことはないのだが。
「カナタさーん、炭が焼けたっスー」
奥の炊事場から、火かき棒を手にした目付きの悪い娘がひょっこりと姿を見せた。我らが大司教アーウィアだ。知らない人が見たら、押し込み強盗と勘違いしそうな姿である。財布を置いていけば許してくれるだろうか。
「ああ、すぐ片付ける。上に行くとしよう」
テーブルに広げた帳簿を一纏めにし、小脇に抱える。
炊事場を覗きに行くと、アーウィアは火かき棒で竈から焼けた炭を取り出し、バケツ代わりの鉄兜に集めていた。
その隣で、女給兼ギルド嬢の女が何をするでもなく突っ立っている。
「早くどいてくださいよ。火の番をしないといけないんで」
「うるせーっスな。どうせ火にあたりたいだけなのは知ってるっス。すこしは働けっス」
「だから、これから働くんですって。火の番は大事じゃないですか。寒いんで早くしてくださいよ」
炭を集め終えたアーウィアは火かき棒を立て掛け、鉄兜を手に立ち上がり、無言で女給の尻に蹴りを入れる。女給は何事もなかったように竈の前にしゃがみ込み、両手を火にかざしていた。ノーダメージだ。
「お待たせっス。そんじゃ上に行きますか」
「ああ。では、邪魔したなガル爺」
すべてを諦めた顔の店主に礼を言い、アーウィアと並んで階段を上る。
酒場の二階。冒険者ギルドの執務室には、下から借りてきた椅子が数脚、円陣を描くように並んでいる。アーウィアは鉄兜から、赤々と焼けた炭を火鉢に移す。
近々の案件に一区切り付いたので、今日はギルド会議だ。
「皆、集まっているかッ! 俺は忙しいんだ、さっさと終わらせるぞ!」
「ざけんなっス! おくれてきて偉そうなこと言ってんじゃねーっスよ!」
階段を足早に上ってきた大男が、アーウィアに蹴りを入れられている。
鎧の上に毛皮をまとった戦士のザウランだ。いちおうギルド幹部である。
「こら喧嘩をするな。早く座れザウラン。お前らもだ、会議を始めるぞ」
火鉢を囲み、ご歓談中の幹部どもを追い払う。
本日の参加者は、ギルド代表のボダイ、各派閥代表のザウラン、ルー、ディッジの三名。ご意見番の英雄ヘグン。そして、何か黒ずくめの怪しい男と目付きの悪い小娘である。
「てめーら静かにしろ。カナタさんが喋るっス」
「さくさく進めるぞ。まずは各部署の進捗を確認しておこう」
最初に魔法職派閥代表のルーから話を聞く。
あまり待たせると飽きて遊び始めるし、大事なことを忘れるかもしれない。
どうしてこんな奴が会議の場にいるのだろう。不可解なものである。
「石板からみつかった魔法は『幻影威』と『魔弾』、それと聖職系の魔法がひとつだったわ」
「最後の魔法については解読を進めている最中です。僧院の方々にも手を貸していただいていますが、なかなか大変ですね」
エルフの報告をボダイが補足する。
数日前に訪れた、オズロー南にある瘴気の沼近く。謎の地下室で発見された石板の解読は難航しているらしい。
新しい魔法が見つかれば冒険者の強化につながる。期待の持たれる分野だが、成果が出るにはもうしばらく時間が必要らしい。
「ふむ、そちらに関して俺たちは門外漢だ。いい感じに進めてくれ」
「――ありゃろくでもねェ魔法だぜ兄さん。俺ァひでえ目に遭った……」
ヘグンはアゴヒゲを撫で回しつつ、苦々しい表情を浮かべる。『幻影威』は対象に幻覚を見せる魔法だという。その魔法をルーから遊び半分でかけられ、何かとんでもない映像を見せられたらしい。軽くトラウマを植え付けられた様子である。
「あの魔法についてですが、敵意のない相手へ使うことを禁じましょう。術者たちには、よく言っておきます」
つやつやした頭を下げて、ボダイは詫びる。
本来そういうのは、魔法職代表であるルーの役目だ。しかし、そのような常識をこのエルフに求めるのは無駄であろう。食って遊んで魔法を使うだけの機能しか実装されていないのだ。無理難題である。
「ふむ、そちらはボダイに任せる。それでザウラン。地下室の発掘作業はどうなっている」
「おう、デカブツ。さっさと喋れっス」
毛皮の大将は一瞬憤怒の表情を浮かべたが、深々と息を吐き出し気を静める。
見た目は蛮族みたいなザウランだが、これでなかなか器の大きい男である。
「大工を入れて、支えの柱を噛ませているところだッ。それが終わってから石板を持ち出す。あらかた片付いたら土をどかせて部屋の奥を調べる。まだまだ手を付けたばかりだッ」
発掘調査に向かうには、瘴気蜥蜴の生息地を抜けていかねばならない。その護衛を務めるのは、ザウラン率いる冒険者たちだ。
「ラリッサの姉御が石板を寄越せってうるせぇです。二、三枚でいいんで、土産に持って帰れませんかね?」
「ぐっ――勝手なことを言うなッ! 荷運びの人手が足りん! 衛兵を連れてくるなり、荷馬を出すなりしろッ!」
ディッジ小僧の言葉にザウランがブチ切れた。ギルド幹部の地位と引き換えに、何かと都合よく使われている男である。色々と鬱憤が溜まっているようだ。
「残念だが、それはできん。馬が蜥蜴どもに襲われたら大損害だ。衛兵たちを借りてくる口実もない」
「はっ! いつもでけー口叩いてるくせに泣き言とは情けねーっスな!」
「これ、アーウィア。ザウランを虐めるな」
「うっス」
鬼みたいな顔で唸りを上げる大男をなだめつつ、会議を続ける。
「明日から治癒薬がうちの店に並びます。数が少ねぇんで、うまく冒険者に行き渡るよう旦那方で手を回してください」
怒れる巨人と化したザウランに怯えつつ、ディッジが報告する。冒険者揃いのこの場で唯一の民間人だ。暴力の気配に慣れていないのである。
「ふむ。具体的には、迷宮探索と小鬼狩り、それに瘴気蜥蜴を相手にする護衛のパーティーだな」
ようやく念願の治癒薬が、本格的な生産体制に入った。
アップデートからこちら、品切れの続いていた回復アイテムが供給される。我ら冒険者にとって大きな変化だ。いずれ赤字狩りも可能になるかもしれん。
「ならば俺たちに多く回せッ! トカゲどもは厄介だ、回復魔法がいくらあっても足らん!」
「うるせェよ、ザウラン。だが兄さん、あの毒息は面倒くせェ。まともに相手してたら切りがねえよ」
ヘグンとザウランの前衛コンビがやかましい。しかし実際、瘴気蜥蜴の脅威にさらされるのは彼ら戦士たちだ。その言い分はもっともだろう。
「ねえ、みんな。すきなものが食べられるなら、なにを食べたい?」
「魚だ。あの毒息については俺も対策を考えていた。これを見てくれ」
エルフの妄言を無視して、懐からアイテムを取り出す。
一同の視線がニンジャの手元に集まった。
「蕪のスープです。それは――円盾ですか、カナタ殿」
「肉だ。でかい円盾だな兄さん。それがどうした?」
ボダイとヘグンは揃って首をかしげる。仲良しだ。
「でかいだけではない。瘴気蜥蜴の革を張り、アーウィウムの鋲を打っている」
「酒っス。やっぱその名前やめねーっスか? わたしが他にいい名前考えてあげるっスから……」
ちょっとしたテーブルくらいの丸板に、鱗のある革が金色の鋲で打ち付けられている。職人たちに頼み、試作品を作ってもらったのだ。耐毒の大盾とでも名付けよう。
「肉ッ。お前の考えはわかった。トカゲどもの革とアーウィウムなら、奴らの毒息にも耐えるということか!?」
「俺も肉で。そんな上手くいくんですかね? 盾で煙を防ぐみたいな話ですよ」
耐毒の大盾をザウランに渡してやる。どうせこいつが使うのだ。いいデータを持ち帰ってくれるよう願うばかりである。
「見たところ、あの毒息は直撃さえしのげれば大したことはない。すぐにかき消える。一度吐かせてしまえば、迷宮上層の魔物と変わらん」
以前より、機会があれば瘴気蜥蜴の皮を剥いで回収しておいた。いまいち使い道が見つからなかったのだが、ここにきて役に立ちそうである。
もっとも、本番環境でのテストは未実施だ。毒息を食らって一瞬で消し飛ぶ可能性もある。まあ、そうなってもザウランなら大丈夫だろう。革を二枚重ねにした『耐毒の大盾Ver.2』を持たせて再出撃させればよい。
「ねえ、みんな。お肉と魚だったら、どっちがいい?」
「だから魚だ。ひとまず話題は出尽くしたな。細かい部分はそれぞれの代表を通して調整するとしよう。各自で話し合うように」
「酒っス。わたしはニコを呼んでくるっス。終わったらメシに行きましょう」
治癒薬に石板に新装備。
オズローの冒険者たちに、新たな強化要素が導入されつつある。