石に刻む
「お嬢ー! いるんスかー! いたら返事しろっスー!」
腹這いになったアーウィアが穴を覗き込む。
せっかく買ってやった、よそ行きの外套が土まみれである。もうあれは作業着に格下げだ。家計をやり繰りして、新しいのを買うことにしよう。
『……むぅ……暗いのだ……』
「無事かお嬢ー! 上がってこれねーっスか!」
『……気を失っていたようだ。頭が痛いし、何かべたべたしているのだ……』
暗い穴の底から、二日酔いの萌えキャラみたいな声が返ってくる。
美声で人を誘い出して食らう系の妖怪とかだろうか。薄気味悪い。いや、そんなことを考えている場合ではなかった。いかに高レベルな聖騎士とはいえ、頭部に怪我をしているのだ。はやく救助せねばならん。
かろうじて会話はできるが、こちらから地下の様子はわからない。迷宮の闇に慣れた冒険者と言えども、明るいところから暗闇を見通すのは難しいのだ。
「アーウィア、明かりを頼む」
「うっス! 『光明』ッ!」
白々とした光を放つ球体が現れた。
勝手には下りていかないので、球体を掴んで穴に投げ込む。光球が闇を払いつつ、二、三度壁に弾かれながら縦穴を進む。石組みの壁だ。穴の底で光が広がった。思ったより広い空間になっているらしい。
おそらく、この穴は地下室の入り口か何かだったのだろう。
「どうだ、ユート。状況を知らせてくれ」
アーウィアと二人、腹這いになって穴を覗き込む。
魔法の明かりで照らされる地下室に、暗灰色の髪をした頭頂が見えた。
ユートだ。項垂れるような格好で、石床に座り込んでいる。
『……むぅ……』
「むぅむぅ言ってる場合か。そっちはどうなっている」
地上からの呼びかけに、ユートが顔を上げた。
お綺麗な顔の半分が、真っ赤に染まっている。血だ。
『……やってしまったのだ……』
「お嬢! おめー怪我してんじゃねーっスか! さっさと回復するっス!」
ユートは無言のまま視線を下げ、よろめきながら立ち上がった。
『……あのハーフエルフだ。潰してしまったのだ……』
この穴の落下地点。
ユートが退けた、その石床の上。
血溜まりに倒れ伏す、ラリッサ女史の姿があった。
「ユート、回復魔法でラリッサの手当てを。俺たちは人を連れてくる」
「カナタさん、わたしも下りるっス! 回復ならわたしも使えるっスから!」
「どの道、穴から抜け出すには人手がいる。一緒に来い。俺が人を呼びに行って、別の穴に落ちたらどうする」
「そんなぽこぽこ穴なんてねーっスよ!」
いや、こういうときに限って、考えられないようなトラブルが追い打ちをかけてくるものだ。我が前職で学んだ。エラーと例外はどんな時でも発生する。『まぁ大丈夫でしょう』が大丈夫だった試しなどないのだ。『動けばいいんですよ』で作られたシステムはいつか暴走する。きっとニンジャは穴に落ちるだろう。
ゴネるアーウィアを引っ張って、本隊のいる沼地へと駆け出した。
ステラン率いるパーティーを本隊から借り受け、大急ぎで救助に戻ってきた我々である。即席の縄梯子を垂らして、ひとまず地上との往来は確保。地上にステランたちを残し、アーウィアと地下室へ降りた。
「いやー、助かったよ。よく見つけられたね」
「下手してたら死んでたっス。ふざけんなてめー」
「生きてたからいいじゃない。まだちょっと鼻がぐらぐらするけど」
「のんきなもんスな。自分じゃわからんと思うっスけど、顔が血だらけっスよ」
ユートが『軽傷治癒』を使えて助かった。幸い、ラリッサ女史も命に別状はない。鼻を折ったくらいだ。落下した際か、ユートに潰された際かは不明である。どちらにせよ、冒険者基準では軽症のうちだ。
「しかし、この地下室は何なのだ?」
「石の板が山積みだな。上の石畳を作った余り、というわけではあるまい」
ラリ女の鼻を折った疑惑のあるユートが室内を見渡す。
こいつも『生きてたから問題なし』の派閥だ。何ら悪びれることもなく、地下室の異様さに眉をひそめている。お綺麗な顔を汚しているのはラリッサ女史の鼻血だった。ほぼ無傷である。
地下室の広さは、うちの長屋とどっこいどっこいであろう。
ただ、一部の石壁が崩壊したようで、奥の方は土砂に押し潰されてしまっている。本来はもっと広いのだろう。
そんな室内に、無数の石板が乱雑に積まれている。朽木のようなものも混ざっているようだ。もしかしたら、遠い過去には棚に収められていたのかもしれない。
「石板だねえ。これは興味深いよ」
「それじゃ何もわからんス。どう興味深いか言えっス」
「読んでみればわかるよ」
「ふざけんなてめー。鼻をへし折るっスよ」
ラリッサ女史は石板を抱えて、何やら熱心に眺めている。アーウィアとの会話も上の空だ。救助に訪れてからずっと、こんな感じである。
アーウィアは渋々といった様子で、一枚の石板を抱えて目を落とす。
どうやら石板には文字が彫られているらしい。いかにも原始的な記憶媒体だが、保存性には優れているようだ。もっとも、棚が朽ちて落下したのか、割れてしまっているものもある。ここの管理者は詰めが甘かったようだ。
いや、想定していた保存期間より年月が経ってしまったのかもしれない。あまり他所様に偉そうなことを言うべきではなかろう。そういった発言は、いずれ自分にも返ってくるのだ。
「――カナタさん」
「ん、どうしたアーウィア」
呼ばれたので顔を向ける。
アーウィアの視線は石板に注がれたままだ。何だろう。軽く無視されているみたいで、ちょっと悲しいニンジャである。
「――いや、ちょっと待ってください。ほかのも見てみるっス」
「構わんが、上で待っている奴もいる。適当なところで切り上げるぞ」
「うっス。もうちょっとだけ待っててください」
熱狂的な石板読者と化したアーウィアに放置され、暇人仲間のユートと視線を交わす。何も考えていない顔だ。消費電力も少なそうである。
上を見上げる。緩く半球状になった石の天井だ。壁寄りの一角、四角く切り取られた穴から縄梯子が垂らされている。
ここから地上までの高さは結構ある。俺が四、五人のアーウィアを肩車すれば、どうにか一番上のアーウィアが脱出できるくらいだろうか。かつてはこの穴に梯子が設置されていたのか、あるいは土砂に埋もれた先に階段でもあったのだろうか。
こんな場所で気絶していれば、ニンジャの探知スキルにも反応がないはずだ。
「――こっちのは違うみたいっスな。なに書いてんのかわからんス」
「なあ、アーウィア。その石板がどうかしたのか」
知的好奇心が旺盛なのはいいが、物事には優先順位というものがある。
今回の遠征における目的は、精霊の泉とかいう沼地の調査だ。あの沼の瘴気も調べねばならん。さらには、ここらで大繁殖している瘴気蜥蜴の問題もある。俺とて石板に興味がないではないが、暇ができてからゆっくり調査すればいいではないか。
「カナタさん。こりゃちょっとしたお宝っスよ」
「ふむ」
「この石板、『呪文書』っス」
「――ほう」
アーウィアが得意げに石板を掲げてみせる。
褒めてほしそうな顔だ。うむうむと満足げに頷いてみせ、頭についている草の種を取ってやる。にやりと牙を見せて笑顔になった。よく訓練された猟犬である。
遭難者を救助し、思わぬ手土産まで得た一同は地下室を抜け出した。
「石板はいっぱいあるっス。きっとすげー魔法も見つかるっスよ」
「ああ、そうだといいな」
「これで大魔法使いにまた一歩近付いたっス。きっと神に愛されてんスな」
「さすがだアーウィア。いや、大賢者アーウィアと呼んだ方がいいか」
「ははっ、まだちょっとはえーっスよ」
上機嫌に頬を紅潮させたアーウィアを連れ、救助隊は帰還する。
地下室からは、何枚かの石板を持ち出すに留めておいた。あの場所は崩落の危険もあり、長居はできない。近いうちにギルドにより発掘調査の手が入る予定だ。
「おい、逃げようとするなよ! 頼むからちゃんと歩いてくれってば」
ステランが縄を引きながら歩く。繋がれているのは、鼻血で顔を染めたラリッサ女史だ。石板の山に未練があるらしく、すぐ脱走しようとするのだ。
「カナタさん、見てください。まるで人攫いっス」
「ああ、物騒なものだな」
腰に縄を打たれたハーフエルフを、武装した若者が引っ立てている。
どこかへ売り飛ばすのだろうか。あの鼻血はどうしたことか。反抗的な態度に腹を立てた若者が暴力でも振るったのかもしれない。ハーフエルフの女はただ、卑屈そうに笑みを浮かべるのみである。
「ステラン!? あなた何をしているのっ!?」
瘴気の沼がある窪地へと差し掛かったころ。一人の若い娘が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。鉄の胸当てを着け、腰には剣を吊るしている。
ぱっとしない顔立ちではあるが、きっと正義の騎士か何かであろう。