痕跡
窪地を這い出し、そこら辺の岩に登った上。
寒々しい荒野を見渡しつつ、アーウィアを肩車している俺である。
「どうだアーウィア。ラリッサっぽい奴はいるか」
「うーん……いねーっスね。トカゲは何匹か見えるっスけど」
高所に設置された捜索用アーウィアからの回答は芳しくない。やはりラリッサ女史はこの近辺にいないようだ。
「むぅ、それならやはり蜥蜴に食われたのではないか?」
「――滅多なことを言うなユート」
「蜥蜴しかいないのだろう? ならば、きっと腹の中なのだ」
女史を捜索するため、手隙の連中にも声をかけている。
ラリッサ女史の痕跡は、地面に横たえられていた瘴気蜥蜴の死骸のみだ。彼女の背嚢は残されていなかった。おそらく自分の意志でどこかへ移動したのだろう。
「もしかしたら、一人で薬草採取に向かったのかもしれんな」
「そういや、そんな話してたっスね。ふつう声くらいかけて行くと思うっスけど」
「どうだろう。あの女も耳が長いからな」
「そっスな。耳が長いヤツにそんな期待するだけ無駄っス」
眼下の窪地では、もう一匹の耳が長い奴がふらふらと沼の周囲を散歩している。その側で、数名の衛兵が逆さにした槍で沼を突いて回っていた。
この寒空の下、沼に入ったとは思わんが念の為だ。万が一ということもある。
「それで、カナタ。我らはどうするのだ。当てもなく探し回ったところで時を無駄にするだけだぞ」
お綺麗な顔が、腕など組んで他人事みたいに言う。暇そうにしていたのでユートも捜索隊に加えてやった。今は人手がいるのだ、遊ばせておくわけにはいかん。
ニコはキャンプ地の見張りを命じておいた。あのおかっぱも探知スキル持ちだが、本隊の守りを手薄にするのもよろしくない。ルーは留守番だ。これ以上、耳の長い迷子を増やしても仕方ない。適当に遊ばせておこう。
「こんな荒れ地だ。この沼でないとすれば、薬草が生えるような場所も限られているだろう」
「ふむん。そうなると、水っけのありそうな場所っスか」
搭載式アーウィアが周囲の地形を走査する。
しばらくふむふむと解析した後、南東の方角を指差した。
「あっちが怪しいっスな。丘の間が藪になってるみたいっス。水の通り道になってるかもしれんスね」
「よし、ひとまず向かってみるか」
「うっス」
慎重に岩から降り、のしのしとニンジャは歩き出した。
我々の目指した先は、左右を丘に挟まれた草地であった。
麦畑を思わせる枯れ草色が眼前に広がっている。アーウィアの見立ては間違っていなかったようだ。
「二人とも、いつまでそうしているのだ。遊んでいる場合ではないだろう」
「お嬢がなんも言わんからっス。わたしらは悪くねーっスよ」
「そうだぞユート。俺たちを諌めるのもお前の役目だ。しっかりしろ」
目的地までアーウィアを肩車したままやってきた俺である。
わかりやすくツッコミ待ちをしていたのにユートが何も言わないせいで、やめ時を見失ったのだ。瘴気蜥蜴も襲ってこなかったので、延々ここまで歩き通しだ。
「そんなことは知らんのだ。それより見るべきものがあるだろう?」
ユートは靴の底で地面を擦る。ガムを踏んだ人の真似ではない。
枯れた草薮に、なかば埋もれるように敷き詰められているのは、四角く切り出された石だ。
「ふむ……これは石畳、か?」
「そんな感じっスね」
しゃがみ込んだニンジャの背から司教が這い下りる。ようやく腰が伸ばせるというものだ。それはそうとして、よく注意して見ると他にも不自然なものがある。
「あちらには石積みをされた跡があるな」
「ふむん。むかし家でも建ってたんスかね?」
緩やかな谷間となったこの場所は、やはり水が流れ込むらしい。少しだけ土が肥えているようだ。そして、その地にはかつて人の手が入った痕跡があった。
「――興味深い発見だが、今はその時ではないな。ラリッサを探そう」
「そっスね。その辺の藪にいるかもしれんス」
「薬草の根を採るのだと言っていた。穴掘りに夢中になっているかもしれん」
「うっス。犬みてーなヤツっスな」
枯れ藪は腰ほどの高さだ。ラリッサ女史がしゃがみ込んでいれば、すっぽりと隠れてしまうだろう。俺たちは手分けをして女史の捜索を始めることにした。
「おーい、ハーフエルフ! いねーっスかぁー!」
「むぅ、草の種がくっ付いて鬱陶しいのだ……」
藪に入れば草の種が付く。俺の黒装束はまだマシだが、アーウィアは凄いことになるだろう。また総出で種を取ってやらねばならん。
俺のムラサマで草を刈ってしまいたくなるが、ラリ女が隠れていたら大変なことになるのでやめておいた。領主やら衛兵を連れてきているのだ。血に塗れたポン刀を手に、『そんな奴いたっけ?』で押し通すのは難しいだろう。
「で、ユートまでいなくなったわけだが」
「うっス」
たかだかテニスコートほどの草薮を捜索しただけで、第二の行方不明者を出してしまった我々である。呪われているのだろうかと思ったが、実際アーウィアは例の護符に呪われている。軽い冗談のつもりが不謹慎な発言になるパターンだ。
「知らない間に他所へ行ったりはしていないよな」
「見てないっスね。そんなことしてりゃ気が付くっス」
アーウィアはぐるりと首を巡らせる。足元こそ枯れ草に覆われているが、見通しの悪い地形ではない。普通に歩いている人間を見失うことはないだろう。
「四つ這いで藪に隠れたまま、もの凄い速さで走っていったのかもしれん」
「カナタさん、いまは面白いこと考えてる場合じゃねーっスよ」
ふむ。だとすると、可能性が高いのは一つである。
「――どこかに深い穴でもありそうだな」
「そうなるっスね。もしかしたら古い井戸とかかもしれんス」
「薬草採取に夢中で、もの凄い穴を掘って出られなくなった可能性もある」
「だーかーらー、そういうのは後にするっス!」
草の種まみれの小娘に怒られてしまった。
自然薯と呼ばれる天然の山芋を採取するには、ときに背丈ほどの深い穴を掘らねばならんそうだ。その穴に落ちて怪我をする例などを耳にしたことがある。そういうのかもしれんではないか。
「とにかく、ユートを探そう。最後にあいつがいたのはどの辺りだろう」
「たぶん、あっちの方っスかね」
「よし、慎重に行くぞ。これ以上遭難者が出たら、パーティーは壊滅だ」
迷宮探索であれば、地下深くに潜るのは得意といえよう。しかし、そこらの穴ボコに落ちるぶんには一般人と変わらぬのだ。下手な魔物以上に脅威である。
足元を警戒しつつ、藪を漕いで進む。
しかし、探知スキルにも反応がないのはどうしたことか。周囲の環境がよろしくないのかとも思ったが、もしかしたら状況は想像より悪いのかもしれない。
「ここら辺だと思うんスけど。枯れ草が邪魔くさいっスな。わたしの火散弾で焼き払ってもいいっスか?」
「やめておこう。ここは貴重な薬草の群生地かもしれん。来年から生えてこなくなったら困る」
「そういやそうでしたね」
穴を警戒しながら、一歩ずつ藪を進んでいく。
探知スキルの反応にも気を配らねばならん。風に揺れる枯れ草のざわめきに翻弄されぬよう、意識を研ぎ澄ませる。
『……むぅ……むぅ……』
「――うるさいぞアーウィア。静かにしてくれ」
「なんスか。わたしなんも言ってねーっスよ」
変な声がするので苦情を入れたところ、種まみれの小娘に抗議されてしまった。よく考えれば、こんな非常時に悪ふざけをする娘ではない。勝手な思い込みでクレームなど入れるべきではなかった。悪いニンジャである。
「そうか、すまん。きっと風の音だ。気を付ける」
「うっス。はやくお嬢とハーフエルフを探しましょう。心細くて泣いてるかもしれんス」
そう言ってアーウィアは、鼻息荒く草むらを進んでいく。
やはり心根の優しい子だ。帰ったらご褒美を与えてやろう。久しぶりに酒場で高い酒でも頼もうか。
『……むぅ……むぅぅ……』
やはり変な声がする。
まるで地の底から響いてくるような、得体のしれない声だ。
「カナタさん! そこにでけー穴ボコがあるっス! 見つけたっスよ!」
「――待て、慌てるなアーウィア。ゆっくり近付くぞ」
藪をかき分けて向かった先に、その穴はあった。
座布団ほどの大きさだろうか。大地を四角く切り取ったように、地下深くへと縦穴が続いている。ここが事故現場であろう。