瘴気
探索隊の列を離れ、探知スキルに反応があった岩陰へと向かう。
「やはり何かいるな。ニコは反対側から回り込め。あと踊るのをやめろ」
「……先生に言われては仕方ないです」
二匹のニンジャは二手に分かれ挟撃を試みる。藪の中にぽつんと一つの岩。テーブル代わりになりそうなサイズ感だ。瘴気蜥蜴が隠れるには小さい。小鬼か野生動物でもいるのだろうか。
「……います、そっちに行きました!」
小さな何かが草むらに身を隠しながら走り込んでくる。イノシシの子どもとかだろうか。非情なニンジャといえど、いきなり小動物に斬りかかるほど頭がどうかしていない。耳の長さも普通な常識人である。
「ふむ、速いな」
のんびり見ていると、謎生物は俺の手前で進路を変えて本隊の方へと向かっていく。茂みを抜けて、衛兵たちの眼前に姿を現したのは――
「うわぁ! 出たぞ、トカゲだッ!」
「槍だ、槍を構えろ!」
「逃げろ、毒の息を食らうぞーッ!」
衛兵たちが蜂の巣をつついたような大騒ぎを始めた。
蜥蜴一匹に大げさな連中だ。たかだか中型犬くらいの大きさではないか。
「うるせーっスな。こんなもんぶっ叩きゃ済むっス」
戦棍を抜いたアーウィアが素早く駆け寄り、すくい上げるような一撃を放つ。古タイヤを叩いたような音がして、八本足の蜥蜴が宙に舞った。熟練のテニスプレイヤーみたいな無駄のない動きをする司教である。
アーウィアは戦棍を振り切った姿のまま、風が強い日のゴルファーみたいな険しい表情で打球を眺める。飛距離は15ヤードといったところか。
「アーウィア、見つかったか? 見当たらんなら別に構わんぞ」
「んにゃ、発見っスー。そっち持ってくっスよー」
アーウィアが枯れ草の茂みから頭を出した。首根っこを掴んだ蜥蜴を振ってみせる。仕留めた獲物を掲げて、藪を漕ぎながら戻ってきた。じつに優秀な猟犬だ。
「瘴気蜥蜴の子っぽいわねえ。ヘグン、そっちはどうかしら?」
「あァ……こりゃトカゲ野郎の巣だなァ」
子蜥蜴が隠れていた岩陰には生物の暮らしていた痕跡があった。土を掘り返した様子と、そこに転がる割れた茶碗のような代物。およそ人の頭ほどはあったと思われる卵の殻だ。瘴気蜥蜴の巣と見て間違いないだろう。
「むぅ、増えているのだ……私の領地が、蜥蜴だらけに……」
ご領主様が情けない顔でこちらに視線を送ってくる。そんな顔をされても困るではないか。蜥蜴が勝手に繁殖したことなど俺の関知するところではない。魔物とはいえ、生きているのだから卵くらい産むだろう。
「皆、先を急ぐぞ。ここで考えていても何もならん。泉までの探索を済ませてから、後日あらためて対策を練るとしよう」
「そっスね。こんなとこで突っ立っててもしょうがねーっス」
北の小鬼といい、やっかいな隣人に恵まれたオズローである。この地に住む瘴気蜥蜴をすべて駆除するのは容易なことではなかろう。こうなってしまっては、慌てても無駄だ。
問題を放置している間に、収拾不可能な事態に陥るという典型ではないか。まったく、誰がこんな無責任な対応をしたのだろう。責任者の顔を見てみたいものだ。
「ねえねえ、そのトカゲどうするの? 捨てるなら、もらってもいいかな?」
「ふむん。カナタさん、このハーフエルフにトカゲをやってもいいっスか?」
荷物になるから後にしろと言ったはずだが。仕方ない、耳が長いやつに我慢しろとか他人の話を聞けとかいうのは無理な話だろう。
「構わんが、あまり腹を押すなよ。毒息が漏れてきたら困る」
「わたしがぶっ叩いても出なかったから大丈夫っスよ。ほれ、くれてやるっス」
「へへっ、ありがと。いやぁ、解体するのが楽しみだねえ」
ラリッサ女史は、受け取った蜥蜴を嬉しそうに背嚢に押し込んでいる。背負っていくつもりらしい。死んでいるとはいえ、もし毒息が漏れてきたらどうしようかとか不安にならんのだろうか。きっとイカを雑に扱って墨袋を破くタイプに違いない。後で洗えばいいという話ではないのだ。
探索を続けているうちに、オズロー南部の実情が明らかになってきた。
ここは瘴気蜥蜴たちの楽園だ。奴らは無警戒にそこらを徘徊し、適当な岩陰に卵を産み落とす。天敵もいないので増え放題に増えているようだ。
「カナタさん、もういいっスよ。だいたい取れたっスから」
「いやまだだ。背中側がぜんぜん取れていない」
「むぅ、種だらけなのだ。切りがないぞ」
「……黙って手を動かしてください。一粒残らず取ってみせます」
草むらに入ったアーウィアが全身に草の種を付けてきたので、総出で除去に励む我々である。瘴気蜥蜴の相手は衛兵に任せきりだ。何のために大勢で連れ立ってやってきたのだろう。
「お、またトカゲだぜ。小鬼みてェに襲ってはこねぇが、うようよいやがるな」
「ふむ、今回は討伐が目的ではない。追い散らして進めるなら問題ないだろう」
「もっと魔法を使いたいわー。小鬼でもいいから出てこないかしら」
たまに進路を塞がれるが、衛兵たちの弓で先制攻撃を加えて追い払う。刺さったまま逃げていった蜥蜴のせいで、おかっぱはまた一枚手裏剣をなくした。少し考えればわかりそうなものだが。ちなみに俺も一つなくした。一撃で倒せるだろうと高をくくった結果だ。揃いも揃ってポンコツニンジャである。
「――も、もう少しで、精霊の泉だから……もうちょっとで……」
「カナタさん、ハーフエルフが吐きそうな顔してるっス」
「だから帰りに拾っていこうと言ったんだ」
ラリッサ女史は不健康を通り越して不死者みたいな顔色だ。背嚢から半分くらいはみ出している子蜥蜴のせいだろう。中型犬を背負って歩いているようなものだ。見るからに体力などなさそうなインドア女史には重荷である。
「もうコイツをここで捨てて帰りに拾ってくっスか」
「道案内として同行願っているんだ。それにきっと蜥蜴に食われる」
「あと少しで着くらしいっス。ここまで来りゃこっちのもんスよ」
「そういうのは駄目だぞ。ちゃんと最後まで面倒をみなくてはいかん」
「うっス。おいハーフエルフ、しっかりするっスよ」
目的地が近いとあって、すっかり油断しながら歩いていると異変があった。
ふいにアーウィアが落ち着かない様子となった。そわそわと辺りをうかがって、腰に吊るした戦棍を握りしめる。これから突発的な犯行に及ぼうとしている悪人みたいな感じの素振りである。
「どうしたアーウィア。一発芸か?」
「ちがうっス。なんかよくねー感じがするんスよ」
真顔で返された。ふむ、珍しい反応だ。どうしたことだろう。そういう思わせぶりな行動をされると、こちらまで落ち着かないではないか。
「……皆さん、警戒を。アー姐さんが言うならきっと何かあります」
「おう衛兵、いったん止まれェ! 周りに気を付けろッ!」
そわそわ司教に付き合って周囲を警戒していると、もう一人そわそわしている奴がいた。ユートだ。お綺麗な顔が乗っかった首を捻りつつ、何かを探すような仕草で視線をさまよわせている。誰かに呼ばれたような気がした人みたいな感じだ。駅前とかでたまに見かける。
「みんな何してんの? 精霊の泉はすぐそこだよ」
吐きそうな顔のラリッサ女史が空気を読まずにスタスタ歩いていく。
背嚢からはみ出してぶらぶら揺れる蜥蜴越しに、その光景はあった。
「ほらおいでよ、ここが精霊の泉だよ。いやぁ疲れた疲れた」
道の先。窪地に下りていくラリッサ女史が目指すのは、灰褐色に濁った沼。
その泥沼の水面近くを、黒くおぼろな影が漂っている。一掴みの闇が意思を持ったかのように、尾を引いてぬるぬると空中を動き回るその姿は――
「どこかで見た気がするわねえ。えっと、めろめろ広場だったかしら?」
「――カナタ、あれは……『瘴気』とかいう奴ではないか?」
ユートが忌々しげに沼を眺めて問う。
こいつとアーウィアだけが反応していたのは、そういうことか。
迷宮第八層の『闇の間』で見て以来だろうか。
ご無沙汰しております、といったところである。