魔女の大釜
工房内では搬入された商品の荷解きが行われている。
作業するのは見知った荷運び人の連中だ。我らがギルドも最近は羽振りが良いので馬車など借りて使っているが、それで荷運び人の仕事が減るわけではない。荷の積み下ろしは人力だし、馬を扱うのもそれなりに技術がいる。
「これが例の釜っスか。でけーっスな」
「ああ、鍛冶場のドワーフ職人が頑張ってくれた」
部屋の中央に据えられたのは本日搬入の目玉商品、黄金色に輝くでかい釜だ。
丸々とした本体に短い脚が三本、口が少しすぼまっている形状。アーウィアが優に二人くらい入れるサイズだ。三人目が入ろうとすると若干苦労するかもしれない。他に具材を入れるなら二人が限界だろう。
「すごいわねえ、金ぴかだわ」
エルフが杖で釜をがんがん叩いている。最近は魔力がどうとかで杖を持ち歩いているらしい。それがなぜ釜を叩く棒になっているのかは不明だ。この耳が長いやつには常識とか理屈とかは通用しない。
「やめろルー、釜がヘコむと俺が兄さんに怒られちまう」
釜をかばうように割って入ったヘグンがエルフに杖で殴られた。痛そうだ。まだ治癒薬の生産は始まっていないというのに気の早い奴らである。
「しかし、じつに美しい色合いですね。この素材で細工物でも作れば高く売れるのではないですか?」
最後の木箱を抱えてオロフがやってきた。
「もちろん、それも考えている。しかし、このアーウィウムはただ色がいいだけではないからな」
「カナタさん、やっぱその名前やめません?」
「軽くて強靭、腐食にも強い。アーウィウムの使い道はいくらでもある」
「聞いてねーっスな」
ニンジャの懐から出てくる謎の1Gp硬貨。通称オズロー貨をばら撒いて経済を混乱させた俺たちであるが、悪いことばかりではなかった。ドワーフ職人たちによる研究の結果、硬貨を鋳潰した素材である軽銀と銅などを混ぜ合わせることで、新たな合金素材が生まれたのだ。軽銀銅『アーウィウム』の誕生である。
「アーウィウムの売り込み先が見つかってよかったです。まさか錬金術師たちが欲しがるとは思ってなかったですがね」
ディッジ小僧も釜を眺めてご満悦だ。ニンジャの口車に乗せられ、ウォルターク商店から研究開発費を引っ張り出してきた若造である。利益を出さねば立場が危ういのだ。
「ああ、おかげで治癒薬の量産設備を整えることができた。ここの錬金術師は安く道具が手に入る。冒険者は治癒薬が使えるし、お前のとこの店も儲かる。これもすべて、アーウィウムのおかげだ」
「それはいいんスけど、なんでわたしの名前から取ってんスか」
本日はアーウィウム製の錬金道具を納入しにきたのだ。腐食に強いというところが評価されたらしい。鍛冶場から職人間の口伝てで情報が回り、こっちが売り込む前に先方から発注がかかった形である。
「薬を入れる方の小瓶もいくらか都合できた。前ほど数は用意できんが、パーティーで数本くらいだったら持っていけるだろう」
「新人どもも第三層っスからね。治癒薬がねーとあぶねーっス」
硝子製の小瓶でないと、治癒薬は時間とともに効果が薄れていくらしい。
かつては商店で治癒薬を買えば、無限に瓶が湧いて出たものだ。今はそんな非常識なことは起こらない。飲んだらちゃんと回収して使いまわす必要がある。牛乳瓶みたいな感じである。
「そろそろここの親方に挨拶に行きましょう。それと、うちの親方も放してあげてください」
「そうだな。アーウィア、その娘を解放してやれ」
「うっス、大人しくしとけっス」
アーウィアに絞め落とされて、ぐったりしているラヴァルド商会の娘だ。
釜の部屋から工房の奥に向かうと、大学の実験室みたいな一室があった。
広い机を、奇妙な形をした器具が埋め尽くしている。個性豊かなヤカンの群れみたいな感じだ。展示会だろうか。遠目に見ると、まさに小さな工場が建っているような印象である。これが錬金術師の工房か。
「ご婦人、こいつァどこに置きやすか!」
「奥の物置きかな。うちの下っ端がいるから、そいつに聞くといいよ」
「へい、ほー!」
奇妙な形状のヤカンを抱えた荷運び人と、長い亜麻色の髪を一本に結んだ妙齢の女がいる。彼女がこの工房の主だろう。袖と裾を縛った、作業着っぽい服を着ている。ニンジャの黒装束とも少し似ている。何となく、親近感をおぼえる俺である。
「ラリッサさん、ギルドの旦那をお連れしましたよ」
「――だから、うちの代表はボダイだと言っているだろうに」
いちおう、ディッジ小僧に抗議をしておく。何か問題が起こったときに、怪しげなニンジャでは責任を負いきれん。あの善良な男が代表でなくてはならんのだ。
「ちょっとお待ちなさいな、もう少しで片付くとこだから」
ラリッサ女史がこちらを横目で見る。彫刻のように整った顔立ちのご婦人だが、目の下に濃い隈ができている。寝不足だろうか。そして口には何やら喫煙具らしき代物を咥えている。俺たちの顔を見て薄く笑みを浮かべ、鼻から煙を吐いた。
(ディッジ、この女性はヤバい奴か?)
(いえ、旦那んとこの程じゃねえです)
密談を交わしていると、絞め落とされた娘を小脇に抱えたアーウィアがのこのことやってきた。うちのヤバい奴とは、この娘のことだろうか。それなら問題ないだろう。ちょっとやんちゃなだけの素直な子である。
「なんか、がちゃがちゃした部屋っスな。お、エルフがいるっス」
「――ぅん?」
アーウィアの視線を追ってみるが、ルーの姿などどこにもない。はて、この娘の目には一体何が映っているのだろう。もしかして俺が思っているよりヤバい奴だったのだろうか。変なものを食わせたおぼえはないのだが。
「あー、あたしはハーフエルフ。半分だけだねえ」
そう言ってラリッサ女史は、自分の耳をつついてみせた。
ほう。横顔だったので気付かなかったが、少々耳がお長いご様子だ。
ふむ。エルフか。
鼻の穴からぷかぷかと煙を吐き出し、薄ら笑いのハーフエルフを見る。
(ディッジ、要するにヤバい奴ではないのか?)
(ですから、旦那のとこの程じゃねえです)
向こうの部屋から、杖で釜を叩くような音が聞こえてきた。
「製薬に必要な材料はそっちの若い子に伝えてるからさ。あと、使えそうなものがあったら持ってきてよ。物によっちゃ引き取ってあげるよ」
ラリッサ女史は鼻から煙を吹き出しながら顎をしゃくる。煙の直撃を受けたオロフが咳き込みながら羊皮紙を手渡してきたので、材料の一覧に目を通す。
「ふむ……この『死者の腰掛け』というのは何だ?」
「知りません」
即答するオロフの顔をじっと見る。薄々感じてはいたがこの男、自分が興味ないことに関しては恐ろしくいい加減である。
「知らないの!? キノコよ! 毒があって食べられないの! あと歩くわ!」
「うるせーっス。アレっスかねカナタさん、僧院にいっぱい生えてきた例のキノコっぽいです」
「ふむ、なるほど。他には『ドクアザミ』に『地霊の血』、『蒼頭石』、『ドングリ』、『蝕粘液』……」
「その辺はわかんねーのも多いっスな」
アーウィアは声のでかい娘を締め落としながら首を傾げる。その娘が知っていそうなのだが。まあいい、後で知ってる奴に聞いて回るとしよう。ボダイとかも物知りだから何とかなるだろう。羊皮紙を丸めて懐に突っ込む。
「あとさ、南も通れるようにしてよ。でっかい蜥蜴がうろついてるから危なっかしくて通れないんだよねえ」
「――南に何の用があるんだ?」
ラリッサ女史が鼻から吐く白煙を回避しながら問い返す。流れ弾でディッジが煙を食らって嫌そうな顔をした。借金取りに凄まれている大学生みたいな感じだ。南といえば瘴気蜥蜴の多く住む土地だ。そのせいでオズローの南門は現在封鎖されている。
「あっちには『精霊の泉』があるのよね。あそこが使えないと、ちょっと困るんだわ」
「精霊の泉、か」
煙を立ち上らせている女史から目を逸らし、アーウィアの方に視線を向ける。
「なーにが精霊の泉っスか。そんなおとぎ話みてーなこと真顔で言うやつ今まで見たことねーっスよ。このハーフエルフ頭がどうかしてんじゃねーっスか」
鼻で笑っているポンコツ娘である。非常に感じが悪い。
「これアーウィア、他人様にそういうことを言うのは良くないぞ」
「うっス、気を付けます」
いちおう注意をする格好だけ見せて、ニンジャは小さく頷く。アーウィアも反省する振りをしながら小さく頷き返してきた。俺が思っていても口に出せないことを代わりに言ってくれるので助かる。持ちつ持たれつの関係である。
「そちらもギルドの方で何とかしよう。また近々うちの者を寄越すから、細かい段取りはそのときに――」
用を済ませて立ち去りかけたところで、首根っこを掴まれたルーと保護者のヘグンがやってきた。人形のクオリティに気合いが入りすぎた腹話術師みたいな格好だ。ヘグンが裏声で喋っている姿を想像して勝手に楽しくなっているニンジャである。
「うっわ、何か耳の長いのがいるねえ……」
ラリッサ女史は奇怪なものを眺めるように、片目を細めながらパイプを燻らせている。他人のことを言える耳ではないだろうに。
「なんだァ、もう話は終わったのか? だったら早く出ようぜ兄さん。ルーが釜を叩きたがって仕方ねぇンだよ」
ヘグンに杖を取り上げられたエルフは、無言のまま激しく暴れている。
うむ。うちのヤバい奴に比べたら、常識人といっていいラリッサ女史だった。