治癒の水薬
冒険者たちの集まる酒場の二階。
ギルド本部たるこの場所で、早朝から事務仕事などしているニンジャと司教だ。今日は予定が詰まっているので、少し片付けておきたかったのだ。
「アーウィア、そろそろ下に行くか」
「うっス、ちょっと待ってください。もう少しで片付くっスから」
「わかった、急がなくていいぞ」
アーウィアは殺し屋のような目付きで机に並べた石ころを弄っては、羊皮紙の束に羽根ペンで数字を書き込んでいく。あの小石はアーウィアの計算道具だ。どうやって計算しているのか不明だが、結果が間違っていなければ問題ない。小石とアーウィアを組み合わせると計算機になるのだ。そういう理解である。
暇人ニンジャは部屋の隅に置かれた火鉢に歩み寄り、赤々と焼けている炭に灰を被せて火の始末をする。冬も本番、暖房器具が必須な季節だ。コタツでもあればいいのだが火事が怖い。街での失火は大罪だ。安全性を重視すると大掛かりな設備になりそうなので、この冬は諦めるしかないだろう。
「うっし、お待たせっス。そんじゃ出ますか」
アーウィアは椅子を蹴って立ち上がる。羽根ペンを拭って小石と一緒に棚へ仕舞い、ニンジャのところにのこのことやってきた。ここもオフィス家具など増えて、いよいよ事務所らしくなってきたものだ。
「ちゃんと外套を羽織っておけよ。手袋も忘れるな。ああ、襟巻きがあったな、巻いてやろう」
「お母さんみてーっスよ、カナタさん」
帽子も被せてやろう。耳あてが付いたやつがあったはずだ。
厚手の外套に、毛皮の耳あてが付いた帽子と、同じく毛皮の手袋を装備。もこもこと着込んでいるアーウィアに、兎の毛皮でできた襟巻きを巻く。
もこもこ司教と連れ立って階段を降りる。朝っぱらから酒場でたむろしている冒険者たちの姿があった。首から下げられた冒険者証は、銀が七分に革が三分。煮炊きをしている店内で、わずかばかりの暖を取ろうという暇人どもである。
「――銀章の冒険者も増えたな」
「近ごろは魔法職の連中が跳ね回ってますからね。ひよっこどもでも、少し無理すりゃ第三層で通用するっス」
「ふむ、魔法の交換か。確かに有用な魔法が一つでもあればだいぶ違う」
「そういうことっスな」
他人事みたいな口調で言う司教様である。
少し肌寒い店内では、聖職系の冒険者らしき男が別パーティーの同業者に声をかけている姿があった。呪文書を片手に、何やら熱心に頼み込んでいる様子だ。何か教えて欲しい魔法があるのだろう。
「まさか、他人がおぼえている魔法を習えるとはな」
「てめーの呪文書にないなら、他のやつのを見て書き写せばいいっス。かんたんな話っスね」
「ふむ」
「まぁ、呪文書に写しても使えるかどうかは本人次第っスけど」
一昔前はこんな感じではなかったはずだが。気にしても仕方ない。現実としてそうなっているのだ。別に害があるわけでもない。
酒場を出て通りを南に進む。
東の空に日が昇っている。街は静かだ。ニンジャと司教は人通りの少ない大通りを行く。人々はまだ、温かい寝床で微睡んでいるのだろうか。
「――防寒具を買っておいてよかったな」
呟くが返事はない。来た道を振り返る。
少し離れた道の脇、日陰に残った霜柱を司教の娘がサクサクと踏み鳴らしている。冬の風物詩である。散歩であれば少し付き合ってやってもいいのだが、あいにく仕事だ。人を待たせている。
「アーウィア、あまり離れるな。迷子になるぞ」
「うっス、すぐ追いつくっスー」
アーウィアは白い息を吐きながら駆けてくる。少し鼻をピスピスいわせているが、寒くはなさそうだ。冬着に高いカネを払った甲斐があった。
俺のぶんは羊毛の肌着みたいな代物。黒装束の下に着込んでいるので、見た目に変化はない。少しニンジャがふっくらして見える程度だ。
しばし歩いて街の中央広場に差し掛かる。ここから東西南北に大通りが延びている。昼ごろになると露店で賑わうが、今は閑散としたものだ。
広場のど真ん中では、一体の石像が堂々たる姿で台座に直立している。たぶん偉い奴の像だろう。寒いのにご苦労なことだ。
「ふむ、これは誰なんだろうな」
「知らねーっス。そんなおっさん放っとくっスよ」
横顔に朝日を受ける謎の人を眺める。魔術師のような長衣に、厳しい顔付き。風雨に削られた相貌には、どこか見覚えがある気がするのだが。
「――まあいいか。ディッジに聞いた話では、ここから南に行けばそれらしい建物があるそうだが」
「わたしらそっち側には用がねーっスからね。とりあえず行ってみるっス」
広場を抜けて大通りを南へ進む。
「あそこに馬車っぽいやつが見える。あの建物かもしれん」
「そっスね。それっぽい感じっス」
北のオズロー山脈から吹き降ろす冷たい風に、司教の娘は目を細める。
玄関先に馬車が乗りつけている。きっとあそこだろう。ふっくらコンビは、もこもこした足並みで建物へと向かっていった。
「ねえ見てヘグン! ニンジャがいるわよ! カナタ以外のニンジャを見かけるなんて珍しいこともあるわねえ」
目的地では三人のボンクラが俺たちを待ち構えていた。何か耳が長いのとヒゲの戦士。それにウォルターク商店のディッジ小僧だ。
「ありゃ兄さんだルー。隣に姉御がいンだろ」
「あの着ぶくれしたのは司教の姐さんですか。見てもわかんなかったです」
まったく失礼な連中である。少しふっくらしているが、普段とそう違わんだろうに。俺はアーウィアとはぐれると謎の黒ずくめとしか見られないのだろうか。アイデンティティが揺らぐ話だ。
「すまん、待たせたなディッジ。ここが魔道具職人の工房か」
「ええ、うちらの間じゃ『ラリッサの釜』って呼ばれてます」
「でけー建物っスな。酒場とおんなじくらいあるっス」
怪しげな建物だ。年季の入った木造平屋、高い藁葺きの三角屋根。昔話に出てくる庄屋の家みたいな佇まい。庭先に停めてある馬車の荷台はほとんど空だ。工房の中では荷解きが始まっているらしい。
「俺も手伝おう。アーウィアは先に入っていていいぞ」
「うっス、後は任せたぞヒゲ。ついてこいエルフ」
「え、カナタを手伝えばいいの?」
「おめーはヒゲじゃなくてエルフっス。さっさと来いっス」
「中に入ってろルー。俺たちゃ残りの積荷を下ろしとく」
「ヒゲの旦那、さっさと片付けちまいましょう。エルフの姐さんに構ってるとキリがねぇです」
俺たちはわちゃわちゃしながら馬車から荷下ろしをする。寒いのだ。ディッジの言うとおり、さっさと屋内に入りたい。
「手伝いに来ました。後はそれだけですか?」
くっちゃべってばかりのボンクラどもを見かねたのか、工房内から若い男がやってきた。ギルドの臨時職員オロフだ。いきなり寒いところに出たせいか、変なくしゃみをしている。
「よし皆、後はオロフに任せて入るとするか」
「いいから早く運べよ兄さん」
「手を動かしてくださいよ旦那。早く温まりてえんです」
軽口を叩いたニンジャが袋叩きだ。了見の狭いことである。
俺だって早く工房に入りたいのだ。俺も技術者の端くれだ。ここでどうやって治癒薬を作っているのか興味がある。
「ここで、治癒薬が作られているのか」
「原料を加工するのは北の工房っすよ。ここでやってんのは仕上げの段階らしいですね」
「まさか治癒の水薬がこんな場所で……やはりこの街はおかしいです」
我らがオズローをディスってくるオロフを無視し、木箱を抱えて男三人で工房に上がり込む。屋内では荷運び人の連中が木箱をばらして商品を取り出していた。うちの女子連中は突っ立って眺めるのみである。
「ねえ、ニンジャがいるわよ! 今日だけでもう三人も見たわ」
「ありゃカナタさんっス。見りゃわかるだろエルフ」
冒険者の必需品でありながら、長らく品切れが続いていた治癒薬である。
ようやく再生産の目処がついたのだ。
「おはよう! ずいぶんおそかったのね!」
「うるせーっス。わたしらは別の仕事があったんス」
「おはよう。そっちは早いな」
荷運び人たちに指示を出しているのはラヴァルド商会の娘だ。朝っぱらから元気なことだ。客先なのだからもう少し大人しくしてほしいのだが。
「貴族に囲われていない錬金術師なんてめったにいないもの! これはまたとない儲け話よ! ここはうちもがげげげげげ!」
「こら、暴れんなっス。だからうるせーんスよ」
アーウィアはラヴァルドの娘に掴みかかり、無理やり口を塞ごうとしている。何でもかんでも力ずくだ。まあ、言葉で言って伝わる相手ではない。好きにさせておこう。