咆哮
「――傷は治しましたが、麻痺が解けませんね。毒ではないので解毒の魔法も効かないようです」
大部屋に寝転された三人の冒険者を前に、ボダイはため息をつく。呼び集められた他の聖職系冒険者たちも匙を投げている様子だ。無駄に僧侶密度ばかり高くなっている。困った状況だ。
「ッたく、面倒くせえ魔法だぜ。何とかなんねェのかよルー?」
「そう言われても……わたしもこの魔法はよく知らないのよねえ……?」
ルーは長衣の袖口から革表紙の書物を取り出し、ぱらぱらとめくりつつ首を傾げる。横からヘグンも覗き込むが、片眉を持ち上げて肩をすくめてみせた。
――ふむ。
ルーの持っている書物は何なのだろう。アーウィアの『呪文書』とやらに似た品だが。オズロー女子なら誰でも持っているのだろうか。小物系の流行などさっぱり知らぬ俺である。
「わたしも探してはみますが……毒ではない麻痺を治療する魔法ですか……」
ボダイまで同じような書物を開いて難しい顔をしている。お前も持っていたのか。いかん、俺も後でこっそり買っておくべきだろうか。ウォルターク商店で取り扱っていればいいのだが。
「わたしはその魔法おぼえてるっスよ。まだ使ったことねーっスけど」
椅子の上であぐらをかいたうちの司教様も、公園で文庫本を読むおっさんみたいな姿で呪文書とやらを眺めている。
ちょっと話についていけてないニンジャである。
しかし、このヘッポコ司教様が魔法をおぼえただと?
「アーウィア」
「なんスか、カナタさん?」
「見栄をはるのは良くないことだ」
「なんのことっスか?」
「知らない魔法の話題を無理に広げなくていいだろう」
「いや、ほんとっス。この前おぼえたんス」
「今は冗談を言っていい場面じゃないんだ」
「いやいや、冗談じゃねーっスから」
「わかった、後で遊んでやるからちょっとだけ待ってろ」
「だーかーらー!」
ぷんすかしながら繰り出されるアーウィア・パンチを回避。この司教は変に腕力がある。食らえばニンジャといえど無傷では済まない。
しかし、この頓痴気な状況。こういうことが起こるのは十中八九、アップデートの影響と見て間違いないだろう。また知らぬ間に女神様が頑張っておられたのだ。
この『呪文書』とやらを持っているのは、ルーとボダイにアーウィア。ヘグンは持っていないようだ。
よく見ると、この場に集まっている聖職系の冒険者たちも知らぬ間に謎の革手帳を開き、調べ物をするかのようにぺらぺらとめくっている。スケジュールを調整するビジネスマンの群れみたいな光景だ。次回の会合の予定とかであろう。
これはやはり、そういうことなのだろうか。
動揺を隠しながら周囲を見回しているニンジャと、暇そうにしているお綺麗な顔の奴の目があった。
「――ユート、お前はどうなんだ?」
喉を鳴らして生唾を飲み込み、恐る恐る問いかけるニンジャである。
「ふむ……」
ユートは面倒くさそうに後頭などをぽりぽりと掻く。
次の瞬間、その手には謎の革手帳があった。
「――おい、今……」
「麻痺を治す魔法か。むぅ……そんなのがあったか?」
興味なさげな顔でユートはぺらぺら手帳をめくる。やはりこいつも向こう側か。
「――ニコ、お前は……」
最後の希望を込めて、おかっぱの姿を探す。
ニンジャ二号のドワーフ娘は謎の巻物を紐解き、目を細めながら首をひねっていた。こいつはちょっと毛色が違うようだ。しかし向こう側の住人である。
ということは、もしや俺も――
そう思って己の手を見ると、見覚えのない巻物が握られていた。
背筋がぞっとする。完全にホラーではないか。買ったおぼえのないプリンが冷蔵庫に鎮座していたような状態である。勝手に食っても大丈夫なのだろうか。
やはりそういうことだ。
これが俺の、『忍法』が収められた呪文書か。
色々と察しているニンジャをよそに、ユートが革手帳をぱたりと閉じる。
「――ふむ。よくわからんが、これを試してみるのだ。『獅子吼』ッ!」
聖騎士の雄叫びと同時に、不可視の波動が身体を突き抜けた。
瞬間、背筋が震え、腹の底から不思議な活力がみなぎってくる。理由もなく走り出したいような気分。まるで己の中に聞き分けのない子犬が住み着いたような感覚だ。こら、指を噛むんじゃない。
「おぉ、お嬢ーッ! なんスか、いきなりでけー声だして!」
「なんだァこりゃ! さっきのは魔法かッ!?」
「これは何事でしょうか! 広域の支援魔法のようですが!」
妙にハイテンションな集団となった一同がでかい声で叫びまわっている。俺だけではなかったようだ。聖職ズの皆さんも、意味もなく身構えて右往左往している。
「みっみみみっみんな見て! この人たち動き出したわよー!」
ルーの言葉に、ハイテンションな一同は揃って顔を向ける。ミュージカルみたいな感じの一場面である。
視線の先では、筵に寝かされていた三人の冒険者たちが身を震わせていた。磯に打ち上げられた鯖みたいな感じの姿だ。やがて彼らは身体の制御を取り戻したのか、床に手をつき、上体を起こす。
「……麻痺が……解けたんですかっ!」
おかっぱが歌舞伎役者みたいなポーズで驚愕している。いちいち大げさな連中である。しかし、自分でもどうにもならんのだ。俺もさっきから心の子犬に振り回されっ放しである。こら、スリッパを持っていくな。
「ねえっっ!! どうしたのっっ!! さっきのは何なのかしらっっ!!」
「アンタらうるさいよーッ!! 騒ぐなら出ていきなッ!!」
声の馬鹿でかい宿屋経営者たちが現れたので慌てて退散する我々である。
一同は顔を突き合わせてユートの呪文書を囲む。
「――で、書き写したけど。わたしに使えるのコレ?」
場所を酒場に移したところ、なのだじゃない方の聖騎士がいたので捕獲した。小鬼の魔法対策として有用そうなので、さっきの魔法をパウラ嬢の呪文書にもコピーしてみようという実験である。
「そんなのは知らんのだ。使ってみればいいではないか」
なのだの方の聖騎士は偉そうな格好で椅子にふんぞり返って麦酒などを召しておられる。パウラ嬢は少々むっとした表情を浮かべるが、反論する様子はない。
簡素な顔付きの娘である。お綺麗な顔を前に萎縮してしまっているのだろう。
「わたしにはよく読めないわ。聖職系の魔法なのはたしかよねえ?」
「そうですね。しかし少々扱いが違うといいますか――」
「……忍法とは全然ちがいます」
エルフだのドワーフだの坊主だのが、ユートの呪文書を回し読みして感想を述べあっている。ちゃんと判読できたのは無印顔の聖騎士娘だけだ。後はあの娘に任せておけばいいだろう。
「さて、待たせたなアーウィア。遊んでやろう」
待てができたので褒めてやらないといけない。こういうところで粗雑に扱うと信頼関係が損なわれる。自分は誤魔化した気になっていても、相手はちゃんとおぼえているのだ。何がいいだろう。冬場だし一緒に縄跳びでもやろうか。
振り返った視線の先、酒場の隅っこでアーウィアが背中を丸めていた。
激しい後悔がニンジャを襲う。
いかん、遅かったか! きちんと構ってやらなかったせいで、アーウィアが不貞腐れてしまった!
「――すまん、アーウィア。俺が悪かった」
恐る恐る声をかけるが返答はない。これは相当怒っているのだろう。何やら小声で恨み言のようなものを呟き続けている。ここは一発くらい殴られておくべきか。幸いここには回復魔法を使える連中が多い。最悪の事態は避けられるだろう。
「なぁ、アーウィ――」
「うっし、『雷矢弾』ッ!」
閃光。アーウィアの後ろ姿が逆光に霞む。衝撃音と一瞬の間。白い法衣を貫いて、青白い電撃が迫る。間一髪で仰け反って回避。アーウィアが棒のように倒れた。
「今度は何だァ! 伏せろお前らァーッ! 伏せ――」
「ヘグンーっ! しっかりしてー!」
冒険者たちを撃ち抜きながら、雷矢弾が縦横無尽に酒場を駆け巡った。そこら中でバタバタと人が倒れていく。まるで今朝の光景を再現するかのようだ。
「これが、雷矢弾の魔法ですか……」
「……さすがアー姐さんです」
「むぅ、もっと詰めるのだ。危ないではないか」
被害を逃れた者たちはテーブルの下に身を隠す。
猛威を振るった稲妻の矢は、女給を撃ち抜き、酒場の入り口に現れたステラン坊主を貫いて屋外へ飛び去っていった。死屍累々である。
「大丈夫かアーウィア、意識はあるか!?」
「ステランーっ! ちょっとこれ何なのよっ!?」
アーウィアが迂闊に放った魔法のせいで、酷い目にあった一同である。
麻痺した冒険者たちは、パウラ嬢の魔法で治療された。酒場にいた全員がハイテンションになって大騒ぎし、宿の女将に怒鳴り込まれた始末である。
女給もちゃんと生きていた。レベルアップしておいて正解である。