指と軽銀
「……それでは、行ってきます」
「ああ、頼んだ」
「カナタ、もっとこっちに来たら? 生贄一号とのお別れよ」
「いや、遠慮しておく。俺はそいつと面識がないのでな」
おかっぱが腰にぶら下げた革袋から、かさかさと怪しげな音がする。
ギルドへの功績が認められ、あの虫は釈放されることになった。恐らく魔物化することはないだろうが、念のため瘴気蜥蜴の多く住むオズロー南へと放逐する。
次に見かけたときは互いに敵だ。二度と会うことのないよう祈るばかりである。
「そろそろいいですかルー。暗くなるとニコ殿が危険ですから」
「構わねェ、もう行ってくれ。ルーはこっちでどうにかしとくからよ」
「元気で暮らすのよ! 生贄一号、元気でねっ!」
名残惜しそうに手を振るルーに見送られ、ニコが階段を駆け下りていく。
「たかだか虫一匹捨てに行くだけっス。カナタさん、もう下りてくるっス。こっちきて火にあたるっスよ」
「ああ、そうさせてもらおう」
ニンジャは梁から飛び降りて、火鉢のところへ向かう。
物言いたげな視線のアーウィアと、手押し相撲みたいな格好で火鉢を囲む。階下の方が騒がしくなってきた。仕事を終えた冒険者たちがやってきたのだろう。
「ふむ、俺たちも下で飲むか」
「カナタ殿、先に食事にしましょう。我らもずっと見張りをしていたので、昼を食べそこねてしまいました」
視線を向けると、ボダイは大真面目な顔をしている。交代でメシを食いに行けばいいだけだろうに。四人もいて、丸一日虫を眺めて過ごしていたのか。なかなか、ぞっとする話だ。
「ニコとすれ違いになるっス。帰ってくるまで待っとくっスよ」
「ねえ、お腹が減って倒れそうだわ。はやくごはんに行きましょう?」
「ひとの話を聞けっス」
虫のことなどすっかり忘れた顔でルーが急かす。メシの話になった途端にこれだ。いや、虫を食わなかったことを褒めてやるべきか。このエルフが空腹を忘れるほど没頭するとは、あの虫のどこにそんな魅力があるのだろう。
「――仕方ない、下で伝言を残して飯屋に行くとするか」
「あんまり甘やかすのもよくねーっスよカナタさん。少しは我慢をおぼえさせないと駄目になるっス」
「面目ねえ姉御、いろいろやってはみたンだがよ……」
申し訳無さそうにしているヘグンを見て、諦めのため息をつくアーウィアである。火鉢の中で赤く焼けている炭に灰を被せ、一同は酒場に下りる。
女給を呼んでニコに伝言を残した。
「あっはー、任せてください! ばっちり伝えますから!」
「――すまんがガル爺も頼む。うちの小さいのが戻ったら、陽気な蛙亭へ来るよう伝えてくれ」
「顔見知りの連中にも声かけとくっス。どこかで話が伝わるでしょう」
「なんですかぁ! わたしだけじゃ心配ですかっ!?」
軽すぎる返事に危機感をおぼえたので、店主たちにも伝言を残す。
先日の騒動の中、意味もなくレベルアップした女給である。小鬼狩りに潜入した際に経験値が入っていたようだ。少しは女給っぽくなるのかと期待したが、特に変化はない。よく考えれば当然であろう。別に女給として活かせる経験を積んだわけではないのだ。電気工事士の資格を持ったパン屋さんみたいな感じである。もし店を改装する機会があれば活躍することだろう。もしくはパンに配電盤を組み込む必要が出たときだろうか。ないとは言い切れない。
無事に虫を捨てて戻ってきたニコと合流。温かい料理を腹に収め、人心地ついた頃には外は夕暮れ。酒場は迷宮帰りの冒険者たちで賑わっていた。
「メシを食ったばっかで酒って気分でもないっスね。今日はちびちびやるとしますか、カナタさん」
「うむ、たまにはそういうのもいい」
新入荷の葡萄酒を味わいつつ、いつもの席から酒場を眺める。手持ち無沙汰に座っている新人どもは、きっと女給に酒を頼んだのだろう。あの女に酒を頼んでも、三回に一回は忘れられる。酒が欲しければ自分で取りに行くのがこの店の暗黙のルールだ。もちろん、俺たちは自分で取ってきた。これもまた経験の差である。
「……渋いです。口の中がわーってします」
「ニコにはまだはえーっスかね。無理しなくていいっスよ」
「……いえ、飲みます」
おかっぱは葡萄酒を一口飲んでは目を細め、口元をくしゃくしゃにしている。苦いコーヒーを無理して飲んでいる子供みたいな感じだ。もしくは極端に口笛が下手な人の物真似である。たまに忘れそうになるが、こいつはアーウィアより歳は上。ドワーフというのも、いまいち得体の知れない種族である。
奥の方で安酒片手に騒がしくしているパーティーがいる。例の幼馴染コンビの姿もあるようだ。ようやく彼らも、酒場に出入りするくらいには懐に余裕が出てきたのだろう。身につけている武具も、それぞれの職業に合わせたものに変わっている。最近は初心者セットを使い続けている冒険者も見かけなくなった。
「明日から第三層を目指すわよ。いつまでも駆け出しの革札じゃみっともないわ」
「俺たちだって負けてないさ。どっちが先に銀章になるか勝負だぜパウラ!」
「あらー、いいのー? 手加減はしないわよステラン」
「へっ、うちのメンバーを甘く見てると後悔するぜ?」
パーティーの頭同士、仲良く張り合っている。
新しく作った冒険者証の効果が出ているようだ。熟練冒険者たちが、これみよがしに首から下げている銀色の冒険者証。『銀章』と呼ばれているが、本当に銀など使えるはずもない。鍛冶工房のドワーフに依頼し、オズロー貨を鋳潰して作ったのだ。材料費だけなら銅貨一枚以下である。
オズロー貨の回収は続けているが、問題となったのはその後だ。せっかくニンジャが懐からせっせと九枚ずつ取り出したのだ。結構な労力である。それをただ懐に戻すのも虚しいものだ。ならば素材として再利用しようという結論になったのである。どうも見覚えのある金属っぽい感じだが謎だ。ひとまず『軽銀』と呼ぶことにした。
「張り切るのはいいけど、気をつけなさいよね! あぶなくなっても地上にはすぐ戻れないんだから」
「……お前こそ、その、気を付けろよ……」
「えっ……そりゃ気をつけるけど……」
急に雰囲気の変わった相方に、パウラ嬢は戸惑う様子を見せる。しばしの沈黙。ステランは顔を上げ、真剣な眼差しで口を開く。
「三層の食屍鬼は毒を持ってるから、前衛が特にやばいらしい。昔、熟練の聖騎士がそれで死んだって話だ。仲間たちが泣きながら死体を抱えて帰ってきたって……」
そこまで言って、目を伏せる。少し耳が赤くなっているのは安酒のせいだけではあるまい。
「――ええ、わかったわ。お互い気をつけましょうステラン……」
「そうだな、パウラ……」
アーウィアが酒杯を傾けつつ鼻を鳴らした。
新人たちに語られる話の中には、部分的に誇張・曲解されたものも混じっている。実際、迷宮第三層からは危険度が大きく上がる。しかし見返りも大きい。第三層から下では修正値の付いた武具が産出されるのだ。その入手をもって、銀章の冒険者証が発行されることとなっている。革職人に頼んでいた革札の方は仮免扱いだ。
「あの二人もすっかり仲直りできたみたいねえ。男の子の方も元気そうだわ」
「本当に、無理はしないでほしいのですが。彼らもギルドの仲間ですから」
「……見てください! あの二人、隠れて手を繋いでいます! 指を絡め合ってますよ!」
「うわー、なんかいやらしい雰囲気ですねー。彼女のほうが積極的ですよ」
「おい女給、あんまり見るんじゃねェよ。気付かれンだろ」
古参の冒険者たちにも銀章は好評らしい。ギルドの紋章である、跳ねる兎の姿が彫り込まれたキュートな一品だ。カジュアルなコーデとも相性のいい、この冬を彩るマストアイテムである。
もっと上位の冒険者証も考えている。我らが英雄ヘグンには、豪華絢爛な一点物の冒険者証を作ってやろう。きっと喜んでくれるに違いない。
「皆、ここにいたか。二階に誰もいなかったから探したのだ」
「おう、お嬢じゃねーっスか! ほら、こっちきて座るっス。おい女給、お嬢に酒もってくるっス!」
「えー、今いいところなんで後でいいですかぁ?」
お忍びでやってきた領主様を加え、結局いつもの馬鹿騒ぎで夜は更けていく。
こっちの聖騎士は何だかんだで命拾いしたが、あちらの聖騎士も気を付けてもらいたいものだ。あの娘も、俺と気の合う飲み友達である。
あの盗賊の若造もだ。相棒を泣かせるような真似はしてほしくないものである。