灰の月
馬の背に揺られ、ニンジャと司教は山道を行く。
雲に覆われた空は、あいにくの鈍色。吹き付ける冷たい風が骨身にしみる。
そろそろ雪が降るのかもしれない。そんな季節だ。
「見えてきやしたぜ旦那。火を焚いてますな、当たらせてもらいましょうや」
「うおーさみーっス。外套一枚じゃ足りねーっスよ」
道の先ではむさ苦しい男たちが集まって、大きな切り株を掘り返している。ゼペルまで続く交易路の拡張工事だ。そうと知らなければ、切り株が山賊たちに襲われているみたいな感じの光景だ。きっと裕福な切り株なのだろう。荷運びの頭目を伴って、現場の視察にやってきた我々である。
「馬の体温に助けられたな。帰ったら本格的な防寒着を都合しよう」
大した荷物はないので、馬に乗っての道程だ。巨大な湯たんぽのごとき馬体に跨っているおかげで、ほんのりとだが暖を取れた。床暖房の一種である。とはいえ、耳だの指だのは冷え切っている。お出かけ用の外套を羽織ってきたが甘かった。天候の悪化までは読めなかったのだ。
「自分で歩けばあったかくなるっス。馬に乗ってきたのが間違いっスよ」
「仕方ないだろう。乗ってみたかったんだ」
「もうじゅうぶんでしょう。馬を降りて歩けばいいんスよ」
「それだと馬を連れてきた意味がない。馬に失礼ではないか」
手綱を握るのはアーウィアである。俺は馬の運転に自信がないので、後ろに乗っているだけだ。借り物の馬を車庫入れとかでぶつけたくない。運転手の風除けくらいには役に立っているだろう。
「もう降りてくだせぇ旦那。馬の世話は俺に任せて、姐さんと火に当たってくりゃいいです。一人で降りれますかい?」
「ああ、大丈夫だ」
ニンジャの身軽さで、馬の背からするりと地上に降り立つ。長い時間揺られていたせいで足元がふわふわする。クラブでノっている人みたいな感じで無意識に上下動する俺である。アーウィアも難なく馬を降り、労うように馬の首をぽんぽん叩いている。
「カナタさん、踊ってないで焚き火のとこに行くっスよ」
「待ってくれアーウィア、もう少しこの感覚を堪能したい」
「今じゃなくていいっスから。どうせ帰りも馬っス」
呆れ顔のアーウィアに連れられて橙色の炎に向かう。
石を積んだ即席のかまどの前では、どこかで見た顔の男が火の番をしていた。革鎧を着ているので、護衛の冒険者だろう。軽く手を掲げて挨拶を交わし、火に当たらせてもらう。
「ふぁーあったけーっス。これで酒があれば言うことねーっスな」
「指をよく揉んでおけよ。霜焼けになってはいかん」
「うっス。揉んどくっス」
白くなった指を焚き火にかざし、熱心に揉み手をしているアーウィアである。
工事現場の方へ視線を向ける。汗だくの男たちが頭から湯気を上げながら切り株と格闘していた。竹馬の先に鉄の刃を付けたような道具を突き立てて土を掘り起こし、剥き出しになった根に手斧を叩きつける。
「よぉーし! いいぞ、引かせろッ!」
現場監督っぽい感じの男が号令を発し、手を止めた作業者たちが退避。太い縄で繋がれた二頭の馬が猛然と切り株を引く。
「見ろアーウィア、今いいところだぞ」
「なんか怖えーっス。ちょっと離れましょう」
怯えるアーウィアに袖を引かれ、少し離れて馬を応援する。土を蹴り上げる二馬力によって縄が軋み、根を引きちぎる音がぶつぶつと聞こえる。大地がめくり上がりそうだ。凄い迫力である。
「――変わった馬だな。耳が長いように見えるが」
「ほう……馬のエルフっスかね?」
「ありゃラバでさぁ旦那」
背後から荷運びの頭目が声をかけてきた。そちらに目をやった途端、ばつんと弾けるような音と共に男たちの歓声が上がる。視線を戻すと、抜けた切り株を引きずるラバの姿があった。決定的な瞬間を見損ねた俺たちである。
工事の進捗を確認した俺たちはオズローへと引き返す。
交易路の整備を主導するのはラヴァルド商会。麦の収穫を終え、閑散期に入ったリノイ村からも続々と働き手が集まった。切り倒した木はリノイ村に運ばれ材木として活用されるそうだ。払った枝や掘り返した切り株も薪として回収される。よく乾かさないと煙ばかり出て燃料としての価値は低いが、これから冬だ。薪はいくらあっても困ることはない。
「よく働いて蟻みたいな連中っスな」
「あの村はこれから忙しくなるな。働けば働いただけ肉が食えるとあって、目の色が変わっている」
「カナタさん気付いてたっスか。さっき村長の爺さんも混じってたっスよ」
「……マジか」
どこぞの領主様にも見習わせたいものだ。いや、そういう話ではないか。きっと、あの村長は肉を食うために働いているだけだろう。純粋な労働者である。
帰りにリノイ村へ寄って馬を休ませ、瘴気蜥蜴の生息エリアを抜けてオズローへと帰還。ゼペルまで大荷物を背負って二日弱の道を、中間地点で折り返してきた。朝に出発して戻ったのは日暮れ前。馬での日帰りツーリングには最適のコースだ。
「切り株くらいエルフの魔法で吹き飛ばせないっスかね」
「考えてはみたが、どこに飛んでいくかわからんからな。ご安全だ」
「ふむ、ご安全っスか。それなら仕方ないっス」
馬の返却を頭目に頼み、ガルギモッサの酒場へと向かう。
冒険者たちが集まるには早い時間だ。仕込みをしている店主の老ドワーフに挨拶し、二階への階段を登る。新しく表側に作られた階段だ。裏口の方とは違い、俺とアーウィアが並んで登れるだけの幅がある。頑張ればアーウィア三人くらい並んで登れるだろう。どうして彼女らがそんなに急いでいるのかは不明である。
「せっかくラヴァルド商会がカネを出してくれるんだ。リノイ村の連中に任せておこう。現場で何か技術を得られるかもしれんしな」
階段を上りきって二階の床を踏む。昨今の好景気に乗じ、大工を入れて床を張ったのだ。ハリボテではない、正真正銘の二階建てへと改築された酒場である。
「お、火鉢に火が入ってますね。ありがてーっス」
「戻ったぞ皆。変わりはないか?」
いつもの暇人連合が車座になって鉢を囲んでいる。冒険者ギルド関係者のたまり場だから構わんのだが、労働者たちの姿を見てきた後だ。こいつらはこれでいいのかと疑問に思わないでもない。
「ご苦労さまです、お二人とも。こちらは変わりありませんよ」
「……生贄一号の様子も変化ないです」
皆が囲んでいる鉢から、かさかさと不気味な音が聞こえてくる。ニンジャは視線をそらし、室内を見渡す。薄暗く殺風景な部屋だ。硝子窓などという高級品は使えないので、布を張った障子戸みたいな代物を通して明かり取りをしている。奥の方ではアーウィアが火鉢に覆い被さるような格好で暖を取っていた。その横には、砂が入った木箱とバケツ代わりの鉄兜。緊急時の消火用だ。椅子だの机だのといった洒落た代物はない。木箱がいくつか乱雑に積まれているだけだ。
「――ふむ。黒牙狼は素材にしても問題なさそうだな」
「ねえカナタ、どうしてそんなに離れているの? どうしてこっちを見ないの?」
「やめとけルー。兄さんはこの虫が嫌いなンだとよ」
こいつらが囲んでいる鉢は火鉢ではない。足がいっぱいある例の虫を入れた鉢だ。黒牙狼の肉を餌として与え、魔物化しないか検証している。常に虫を監視していないといけないので、俺には不可能な仕事だ。ご協力いただき感謝はしているが、傍から見ると地獄絵図か何かみたいな構図である。
「本当であれば、もっと日をかけて様子を見たいところですが。少なくとも例の肉のようなことはなさそうですね」
「ああ、職人たちに声をかけて加工を始めさせよう。寒さが厳しくなる前に毛皮を作っておきたい」
前に迷宮から悪魔の肉など持ち帰ったせいで、オズロー周辺を危険地帯に変えてしまった俺たちである。さすがに二度も同じ過ちは犯せない。ボダイの言うように長期の観察ができればベストだが、まぁたぶん大丈夫だろう。
「この虫はもう用済みだな。焼くか埋めるかしとくか?」
「なんてことを言うのヘグン!? ずっと一緒にいた仲間じゃない!」
気が動転したエルフが鉢を持ち上げようとしてひっくり返した。小さな影が走り出す。咄嗟に跳躍、ニンジャは階段下まで飛び降りて通りに駆け出す。反転。酒場へと振り返り、懐から取り出した手裏剣を油断なく構える。
「カナタさん、虫はつかまえたっス。もう戻ってもいいっスよ」
アーウィアが迎えに来るまで、寒空の下で戦闘態勢を維持していた俺である。