亡き王家の紋章
「今さらだが、そもそもこの領地はどこの国家に属しているんだ。王様とかはいるのか?」
「わたしは知らんスな。気にしたこともねーっス」
アーウィアの酒杯に壺から葡萄酒を注いでやる。もう会議の開催は諦めた。俺も飲むとしよう。偉い奴に酒をたかっている我らである。
「む、何だ二人とも知らんのか?」
「そんなもん知らねーっス。下々の者を舐めんじゃねーぞお嬢」
「むぅ、カナタ。アーウィアの当たりが強いのだ」
「お前がいらんことをしたせいだろう。それで、何という国だ」
酒杯をあおる。渋みの強い葡萄酒だ。ユートに名を呼ばれたアーウィアは、もじもじと気後れしている。まだ慣れないらしい。内弁慶気質な小娘である。
「まぁ貴族でもなければ国など気にせんか。クラウディオ公国というのだ。王族の血筋などというものはとうに絶えたよ。現在、中央を治めておられるのはバーディン公という貴族だ」
「そうらしいぞアーウィア」
「いや、わたしは興味ねーっス」
政治に無関心なアーウィアに葡萄酒を注いでいると、天幕の外から威厳のある使用人が肴を持って戻ってきた。丸焼きの兎肉が入った籠を抱えたマッシモ氏だ。ギルドで用意した食材ではないので、ユートの自腹メシであろう。
「偽銀貨のことがあるからな。てっきり知っていると思ったのだ」
「――何のことだ?」
マッシモ氏に切り分けてもらった肉を皆でつまみつつ、葡萄酒を飲む。うちの教団は兎を拝んでいるが、食うのは自由だ。それはそれ、これはこれである。
「冒険者ギルドが発行した例の貨幣だよ。いま持っているかい?」
「ああ、ちょっと待て」
ニンジャの懐から1Gpを取り出し、ご領主様に手渡す。
「これだよ。わざわざメンフレイム王家の紋章など使っているのだ」
ユートは1Gp貨、通称オズロー貨をつまんで見せてくる。貨幣に刻まれた意匠。四角いのは盾だろうか。それに重ねて、左を向いた獅子の横顔が彫られている。
気になったので懐から110Gpを取り出し、掌でじゃらりと転がす。
「ふむ、銀貨にも同じ紋章があるな……銅貨もか。それで、そのメンフレイム王家とは何だ?」
「さっき話しただろう。血筋の絶えた王家だよ。かつて南方で栄えた王国の末裔だと伝えられていたのだ。半ば伝説、半ばお伽噺のようなものだがね」
ユートは1Gpをこちらに投げて返し、そのままの手で兎のあばら肉をつまんで食らいつく。衛生観念が蛮族だ。さすがに見かねたのか、マッシモ氏が口を開く。
「――クラウディオの南にある広大な荒野のさらに南、冬でも暖かく楽園のように豊かな土地があったと言い伝えられておりますな」
「ああ、そういうのはマッシモが詳しかったな。幼い頃によく聞かされたのだ」
ただ会話に参加したかっただけらしい。教えたがりな紳士である。どうせなら、食事の前に手を洗うことを教えてやってはどうだろうか。俺も人のことは言えんので、黙って兎肉に手を伸ばす。
「豊穣の女神マレイを祀っていたメンフレイム王国は、その地でたいそう栄えたといいます。しかし人々は享楽に溺れ、女神を祀る神官もいなくなりました。そうして女神の怒りに触れて滅ぼされたのだとか」
「あー、神様のこと忘れて罰があたったヤツらの昔話はよく聞いたっス」
ふむふむと頷きながら兎肉を食っているアーウィアと、得意げな顔をしているマッシモ氏である。小さい子に聞かせる教訓話の類だろうか。どこまで本当かは不明だ。貴族の教育係がこれでは、きちんとした歴史を知る人などいないのだろう。
「神に祈りはしても、力など借りるものではない。お前たちもなのだぞ。教団についてとやかく言うのはせんが、無闇に神の力など頼るでないぞ。大きな力には代償が付き物、供物は己が身だ」
「ふむ、だそうだ。わかったかアーウィア」
「うっス」
敬して遠ざける、というのだったか。この地にも独自の宗教観があるらしい。俺たちが兎を拝んでいるのは司教の力を使うための建前だ。深入りするつもりはない。
「いや待て。神に力を借りるというのは、聖職者系の魔法がそれではないのか?」
聖騎士のユートも司教のアーウィアもばんばん使っているではないか。ボダイなど、その道のエキスパートと言ってもいい。アカンではないか。
「むぅ……普通は駄目だな。神の力を使うのは災禍を招くのと同義なのだ。教団ではどうか知らんが、その地の領主によって禁じられていることが殆どだ」
「ユート、まさかお前――」
またいらんことを言う気ではあるまいな。
「もうここは私の領地になったのだ。私は別に何も言っておらんぞ?」
そっと目を伏せて、兎の骨を喰んでいる領主様である。
こいつ、自分に関わることについては知らんぷりだ。いい性格をしている。
「まあいい。どうせ今までも使っていたんだ。この街の伝統ということにしよう」
「カナタさん、酒がすすんでねーっスよ。しっかり飲むっス」
「待てアーウィア、この酒は強い。あまり飲みすぎるな」
「ふむん、じゃあもう一杯だけにしとくっス」
飲めだの飲むなだの、他人の酒を好き勝手している俺たちである。
「クアント僧院も、復活の儀式はもう引き受けぬことにすると言ってきたのだ。元より儀式が成ったという話も聞かんしな。無用な危険を冒したくないそうだ」
「そうか」
ついぞ目にすることのなかった復活の奇跡。
はたして実在したのかどうか、今となっては真実は藪の中である。
その後はユートも参加者として宴に加わった。こいつが元代官、現領主だと知る者は多くない。それこそ下々の者は、そういうのは知らんのだ。
ならず者どもが酔い潰れた宴会場を、麦酒片手にふらふらと歩き回る。騒がしい連中が減ったのでちょうどいい。取っ組み合いをしていた男たちは消え、篝火に照らされた演習場で歌と踊りが披露されている。いい雰囲気だ。まさに俺の想像する野外フェスの光景である。
「例の貨幣についても領内で使うぶんには問題ないのだ。しかし商人でもない領民たちがカネを使うことをおぼえてしまった」
「それがどうしたっス?」
アーウィアは壺を抱えてユートの杯に麦酒を注ぐ。半分くらいこぼれたが、二人とも気にする様子はない。酔っているのだろう。
「彼らはカネなど使い慣れていないからな。自分たちがどれだけの麦を蓄えているか、貨幣に変えてしまえば分からなくなるのだよ。これから冬だというのに……」
「ふむ、そういうもんスか」
そう、ここは物々交換が基本の蛮族社会だ。物流も貧弱、麦だの薪だの現物こそが最強な経済である。きちんと専門教育を受けた商人たちでないと、現金など扱いきれんのだ。実際、どこぞの組織がばら撒いたオズロー貨なる贋金を疑いもなく受け入れている。これで首謀者のニンジャに高飛びでもされたら大変だ。狸に化かされて小判が木の葉に変わるアレである。その結果、領民の半数は飢えて死ぬだろう。手加減を知らぬ狸である。
「おっスー、戻ったっスよてめーらー」
いつもの連中のところに戻ると、禿頭の男が地面に埋まっていた。
埋めているのはエルフとドワーフだ。猟奇的な砂遊びである。そういうのはやめろと言っておくべきだろうか。
「――むぅ、何をやっているのだ皆」
「ああユート、遅かったですね。もう皆もだいぶ飲んでいますよ」
首まで埋められているボダイは何事もないといった顔だ。きっと酔っているのだろう。これで素面なら逆にこの男に恐怖を感じる。
「畑だ、ボダイを増やそうと思ってな!」
ヘグンは腰掛けた木箱からずり落ちそうになりながら空の酒杯を傾けている。
「もうちょっと待ってね。まだ芽が出たばかりなの」
「……違います、苗を植えたんです」
耳の長い奴はともかく、伝令のおかっぱまですっかり赤ら顔だ。
まったく、いつまで待っても会議の参加者が集まらないはずである。