ニンジャの攻撃
ニンジャと司教は迷宮を行く。
地図さえ持たずに歩き回っているヘッポココンビである。あまり大十字路から離れるのは危険だ。こまめに退路の確認をして、敵の気配がなければさっさと引き返す。
そうして枝道を順番にのぞいていると、最初に巨大蟻と戦った小部屋に敵を見つけた。いたのは三体の巨大蟻だ。
「また蟻っスか。仲間を集めて仇討ちって感じっスかね。返り討ちっスよ」
アーウィアは戦闘前に軽口をたたく余裕さえある。余裕というより油断か。
もちろん、ここに蟻がいたのはただの偶然だ。
冒険者のいない場所ならどこにでも敵は湧く。倒した死骸もしばらく離れていれば勝手に消える。前にここで倒した蟻の死骸も残した宝箱も、すべて跡形もない。
口の汚い冒険者たちは、迷宮に消えるものを『餌』と呼び、迷宮から生み出されるものを『糞』と呼ぶ。俺たち冒険者の命がどちら側かは言うまでもない。
「アーウィア」
「ス?」
なにその返事。
この小娘は完全に油断しきっているようだ。適度に刺激を与えておかないと危険かもしれない。
なに、いい機会だ。このあたりで小手調べといこう。
「試したいことがある。蟻を一体残してくれ」
「思いつきで変なことするのダメなんじゃないんスか? ニンジャに怒られますよ?」
「いや、もとより機を見て試す心積もりだった」
「ほんとっスか? あと出しで適当なこと言ってないっスか? カナタさん、ちゃんとわたしの目を見て言えるっスか? バレるんスよそういう嘘は」
巨大蟻に見つからないよう距離をとって会話を続ける。
戦闘がはじまってからではおそい。意思疎通は前もって入念におこなう必要がある。業務を進めているところに後から電話口でわーわー言われてもすぐには対応できんのだ。
「無傷で二体を倒せたら、残る一体を相手に近接攻撃を挑む」
「あの、気付いてない可能性もあるんで、いちおう言っておきますけど。蟻ンコのカタチしてますけど結構でっけぇっスよ? 叩いてぷちっといけるサイズじゃねーっス」
「知っとるわ。いや、倒そうとは思っていない。回避に専念した場合との差を知りたい」
いずれ装備一式を買い整えて敵と真正面から戦う必要がある。その段階へ移るタイミングを見誤るとレベル上げの効率を大きく落としてしまうだろう。時間も大事だがカネも大事だ。俺たちは現在の所持金をうまく転がしていくしかない。そのための情報収集だ。
「もういいと判断したら合図する。魔弾で仕留めてくれ。もし俺が一撃でも食らったら、その時点で試験は中止だ、掃討する」
「うっス。合図は早めにお願いしまっス」
「他にもあぶないと判断したら自由に撃ってくれて構わん」
「うッス。安全第一」
「そのとおりだ。重要なのは俺たちの命。これはそのための下調べに過ぎん」
話をすぐに飲み込めるのはアーウィアの美点だ。
しつけのいい賢い犬を思わせる。酔うと噛むが。
「安全第一ってことで、アレいっときます?」
不敵な笑みのヘッポコ司教が親指を立てて謎めいたハンドサインを送ってくる。
ふむ、アレか。安全をとるべきか情報の正確性をとるべきか。そう問われては前者を選ぶしかあるまい。どうせ大した影響もなかろう。
「よし、アレを頼む」
「うッス、わたしの大魔法を披露しましょう!」
偉大な司教アーウィアから『兎足』の加護を受け、俺たちは巨大蟻との戦闘を開始した。
相手をよく観察すると細かな隙が見えてくる。
巨大蟻は六本の脚でその巨体を支えているために、一度に動かせる脚の数は多くない。すばやく小刻みに動く。それが予備動作として伝わってくる。
蟻酸を吐きかけてくる前に少し腹を持ち上げる。大顎を突き出す前にわずかに触角を下げる。
ただ攻撃を回避するだけではなく、こちらが打ち込める間合いと空隙。
「おらァ!『マジック・ミサイル』! いいっスよカナタさん、準備完了っス!」
アーウィアの魔弾で次々倒れ、残るは一体。
「よし、始める!」
蟻は足元を確かめるようにカツカツと床を踏む。
一直線にこちらへ、左にかわし、手刀を叩き込む。触角を打つが、硬い。後転して離脱。
戸惑ったように頭を下げる蟻。俺へと向き直る。酸ではない。突進、いや、捕まえる気か。
大きな隙を作らず距離を詰めてくる。嫌な手だ。
低く沈んで地を這うように接近。噛み付きの予備動作。すばやく横面に回し蹴りを入れる。蟻がよろめく。すぐに持ち直した、たいして効いていない。腹が上がった、酸がくる。回り込んで側面へ。隙だらけ、ここだ。
「せいッ!」
これ以上ない確とした瞬間、速さと重さのじゅうぶんに乗った手刀の一撃。
そこに、跳ねる兎の幻影を見た。
ん、うさぎ?
致命の一撃。
ニンジャは巨大蟻の首をはねた。
蟻の頭はごろりと転がり、力を失った胴体が置き物のように横たわる。
刎ね飛ばされた巨大蟻の頭部が兎に見えたのだろうか。
結果、俺はニンジャとしての初勝利を手にした。
「模擬戦のつもりだったのだが。しかし最後のアレは……、おいアーウィア?」
「うっわ……。すみません、ちょっと近寄らないでもらえますか?」
アーウィアはドン引きしていた。
「何を言う。さっきのはお前の魔法だろう」
「それこそ何いってんスか。わたしが使えるようなシャバい魔法でそんな無茶なことできんスよ」
「しかし魔法の効果は感じた。今の致命の一撃は俺の力だけではなかった。『兎足』のもたらした小さな幸運だ」
「まぐれで首スポー切り落とせる時点でおかしいっス。素手っスよ。手と頭どっちがおかしいんスか」
細かいことを気にする司教だ。致命の一撃が出れば首くらい飛ぶだろうに。
「見てのとおり何の変哲もない、ただの素手だ」
手をひらひら振って見せてやる。致命の一撃さえ出れば棒でも蹴りでも首は飛ばせる。
「じゃあ、おかしいのは頭っスか?」
「アーウィア、こっちにこい」
「え、ヤダ。なんスか?」
「いやなに、頭をなでてやろうかと思ってな」
「やめてくださいよカナタさん。ポロっと取れたらどうするんスか。けっこう取り返しのつかん事態スよ」
「アーウィア、肩にゴミがついてる。とってやろう」
「やめろニンジャ! その手を近づけるなッ!」
しばらくアーウィアときゃっきゃしながら遊んでいたが、それどころではないと思い出す。
「巻物は残り8本か。もう少し敵の数を増やして戦ってみたい。治癒薬もあるし五体までなら相手をしても大丈夫だろう」
「急にマジメになるのやめてほしいっス。遊んだら片付けましょうよ」
「出口に近い場所で見つかるといいが。引き返そう」
「だから聞いてねーんスよね。そういう不安定な感じ出されるとこっちも困るんスけど」
できればこの周回で、第一層で予定していた試験は済ませたい。