冒険者の酒場
朝の日差しに照らされ草葉の露も消えたころ。
俺はいつものように『冒険者の酒場』へ足を踏み入れる。
無頼の冒険者とはいえ、さすがにこの時間から酒に酔っているような輩は少ない。
いつものテーブルへ向かい、いつもの椅子に腰を下ろす。
店内を見渡すと、見覚えのある顔ぶれが昨日と同じ席に座っている。せいぜいが粗末な革鎧を身につけているか、出来の悪い数打ちの剣を腰にぶら下げた、冒険者というよりゴロツキのような連中ばかりだ。どいつも揃って、口を半開きにして虚ろな目をしている。
いや、今日は違う。
一組だけ、装備の整った四人連れのパーティーがいた。見ない顔だ。
紺の長衣を羽織った華奢な赤毛の女エルフは魔法職だろう。鎖帷子と槌矛で武装した禿頭の男は聖職者か。板金鎧の優男は両手剣を背負っている。
もうひとり、無骨な鉄鎧を身に付けた、いかついヒゲ面の男が頭だろう。がっしりとした体格に、剣を振る者特有の筋肉。使い込まれた鎧も、しっかりと身体に馴染んでいる。手入れが行き届いていることが見て取れた。
男と俺の目が合う。
女エルフに何事かつぶやき、俺の方へ歩いてきた。
「よう兄さん、ここ座ってもいいかい?」
「ああ」
愛想のいい笑みを浮かべているが、目は笑っていない。歴戦の冒険者はよくこういう目をする。相手を値踏みしているときの目だ。
「俺ぁヘグンって名だ。そこにいる連中をまとめてる」
「そうか。俺は『ああうあ』だ」
「いま迷宮の第六層を攻略中なんだがな、昨日仲間の斥候に死なれちまってよ」
ヘグンと名乗る男はおどけたような仕草で片眉を上げてみせる。
仲間の死など、そんな風に軽く扱えることではない。命を預け合う戦友を失った悲しみもあるだろう。戦力の欠如は残されたパーティーが今後活動していく上でも深刻な被害だ。この男とてそれを感じていないわけはない。
わざとこういう話し方をしているのは、この男なりの交渉術だろう。意気消沈している落ち目のパーティーに関わりたい奴などいない。
「そういうことか」
「そうそう、だから声をかけさせてもらったってわけさ。一目でわかったぜ。兄さん、なかなか腕の立つ冒険者だろ? どうだ、職業とレベルを教えてくれねぇかな?」
「悪いが他をあたってくれ」
調子よく喋っていたヘグンの笑顔が一瞬固まり、卑屈な愛想笑いに変わっていく。
「……悪い話じゃないと思うんだがなぁ。どうしてだ?」
俺はため息を一つもらす。この手の誘いは何度か受けたが、皆同じことを言うのだと知っているからだ。
「俺はパーティー加入済み、職業ニンジャ、レベルは1だ!」
「畜生! コイツも『アイテム倉庫』かよッ!!」
ヘグンは長々とため息を吐き出し『邪魔したな』と言い残して仲間のもとに帰っていった。
俺たちの話が聞こえていたのだろう。彼の仲間たちも一様に陰気くさい顔でうつむいている。女エルフは両手で顔を覆っていた。
入れ替わるように、酒場の入口からこちらに向かってくる女がいた。妙に安っぽい法衣に傷んだ長い金髪、やさぐれた顔をした若い娘だ。ガラガラと金属音のするズタ袋を背負っている。
「おはようございまっス。何なんスか? さっきの人」
「メンバーの勧誘だ」
「『プレイヤー』の人スか。あてが外れてご愁傷様っスね。あ、わたし酒取ってくるっス」
「あ――」
声をかけようとしたが、彼女の名前を思い出せなかった。この娘はパーティーに加入してまだ十日の新参なうえに、おぼえにくい名前だったからだ。
俺は空中に指を這わせ、『メニュー画面』を開く。
パーティーメンバーを表示すると、リストの下の方に、俺と並んで彼女の名前があった。
名前:『ああういあ』。種族:人間、17歳。職業:司教、Lv.1。
俺と似たような名前だが、冒険者のあいだではよくあることらしい。
「『ああういあ』、俺のも頼む」
「うっス」
俺たちは通称『アイテム倉庫』と呼ばれる冒険者だった。
冒険者ではあるが戦うことは求められていない。
迷宮探索から帰還したパーティーメンバーに、不要なアイテムを持たされ、必要なアイテムを渡す。それだけのためにパーティー加入を許された存在だ。
この『冒険者の酒場』でしょぼくれている連中も、どこかのパーティーが抱える『アイテム倉庫』だ。
俺たちが所属しているのは、この二人を除く平均レベルが20近く。迷宮第八層を攻略中という、この街でも随一の実力を持つパーティーだ。
こういったパーティーには、所持アイテム枠の問題がついて回る。
迷宮攻略の鍵となる重要アイテムだが、今は役目を終えたもの。
使用頻度は低いが価値のある武具や魔道具など。
そういった、手放せない品が多くなる。
アイテム欄の圧迫を解決するために、荷物持ちの補欠メンバーが必要になってくるのだ。
なにしろ、『冒険者は8個しかアイテムを持てない』のだから。
「さっきの勧誘、やっぱ斥候系っスか?」
「ああ」
木彫りのカップを両手に戻ってきた『ああういあ』が、片方の杯を俺に渡して対面の椅子に腰を下ろす。
「選ぶ側なんて、いいご身分っスね。『プレイヤー』のいるパーティーじゃないと迷宮に入れないなんて理不尽ス。探索メンバーも6人までとか誰が決めたんスか。っていうか、なんで『冒険者はアイテムを8つしか持てない』んスか」
「言っても仕方ないことだ。そういう風に世界は出来ている」
「そりゃそうっスけど。わたしならこんな世界にしないっスよ」
カップの酒をちびちびと飲みながら、『ああういあ』は彼らのテーブルを横目で睨めつける。自分の方にも勧誘がこないかと無駄な期待をしているらしい。
視線に気付いたヘグンが仲間に何か言ったようだが、女エルフが首を横に振っている。一応は話題にしてもらえたらしい。
どうやら脈なしと理解した『ああういあ』は、酒臭い息を吐いてテーブルに突っ伏した。
「斥候系の職業って意外と探してる人多いんスよねぇ。なんで司教は必要とされないんだろ……」
「探知系や罠解除の技能を持つ斥候系は迷宮探索において必須だからな。パーティーに死人が出るときは、たいてい罠か奇襲が原因だ。斥候は真っ先に死ぬ」
「はかない命っスねぇ……」
「魔法でも代用できるが、そうなると他の魔法を使える回数が減る。司教の場合、使える魔法の種類は多いが、回数は他の魔法職と大差ない」
「微妙職っスよねぇ……」
「おまけに上級職だから成長が遅い。ふつうは一般職で十分にレベルを上げてから転職を経て上級職になる。その場合でも能力値の低下が起こるから、そもそも上級職になりたがる奴もほとんどいない。微妙というなら上級職自体が微妙だ」
突っ伏した『ああういあ』から、ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえてきた。
「ミスった……、取り返しのつかないレベルで人生ミスったっス……」
「ご愁傷様、だな」
人生をミスった小娘が勢いよく顔を上げ、テーブルをバンバン叩き始めた。
「っていうか! 『ああうあ』さんは何でそこまで知っててレベル1で上級職やってんスか!? っていうか!! ニンジャとか何なんスか!? 聞いたこともねえっスよ!?」
彼女の言うことは正しい。しかし、それに関しては自分でもよくわからないところがある。なぜ俺はレベル1でニンジャという道を選んだのか。思い出そうとしても、頭の中に靄がかかったように記憶が朧げになる。
この黒装束や黒頭巾の姿に、何とも言えない違和感があるのも事実だ。どこか、世界に馴染んでいないような。
俺には、彼女が納得する答えを返すことができなかった。
「……うまく話せないな、すまん」
「うっわ。この人、わたし以上に人生ミスってる」