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4.「……本当に、最低なこと言ってもいい?」


 私には、小さな秘密がある。


 出来ればヒイロにも、ヒイラギにも知られたくない秘密だ。

 毎日が楽しくて、つい忘れてしまっていた。お気に入りの真っ白いワンピースを脱ぐ度に、私は嫌でも思い出さなければならない。

 

 風呂上り、私はいつもより早めに自分の部屋に戻った。心臓がまだばくばくといっている。見てはいけないものを見てしまった、そんな気分だ。


 一時間ほど前、王子さまの本を何度も読んで、風呂に入ろうとロビーにおりようとした時だった。隣の部屋からこの街では聞こえないはずの声が聞こえてきたのだ。


 

 ――女の人の泣き声。



 隣の部屋に住んでいるのは、いつも私の髪の毛をとかしてくれるミズキというおばさんだった。声も恐らくミズキさんのもので間違いない。

 大人であるミズキさんが、わんわんと声をあげて泣いている。これはどういうことだろう。


 私はヒイラギに言われた言葉を思い出していた。この街では思い出さない限り泣くことが出来ない。そう言っていた。つまり、思い出せば、泣くことが出来るということだ。


 思い出したのだ、ミズキさんは。


 その事実に気が付いた途端、私の心臓はうるさく鼓動を始めた。聞こえてしまったらどうしようと、意味もなく焦った。部屋の扉は少しだけ開いていた。駄目だ、これは悪いことだ。そう思いながらもその隙間から覗くことを止める人は周りに誰もいなかった。


 部屋の中には、背を向けて崩れるように座り込んでいるミズキさんと、その正面に立っている小さな男の子がいた。その男の子は窓からの白い光でどうにも透けているように見えた。そしてミズキさんの周りには沢山の分厚いアルバムが広げられたまま散らばっていて、私から見える一番手前にあるアルバムには、ミズキさんと目の前に立っている男の子が、ミズキさんと同い年くらいの男性と仲良く写っている写真が貼られていた。


 この男の子は、ミズキさんの息子だ。


 わんわんと泣き続けるミズキさんは、何度も「シュウト」と名前を呼ぶ。

 それに何度も頷いて、シュウトと呼ばれた男の子は口をとある言葉を発するように動かす。にこにこ、にこにこと笑いながら、シュウトくんは何度も同じ言葉を言う。聞こえないけれど、わかった。


「おかあさん、ありがとう」


 彼は何度もそう言って、泣き崩れている母親に甘えるように抱きついた。ミズキさんは抱き着かれると、さっきまで泣いていたのが嘘のようにぴたりと泣くのを堪え、優しく抱き締めかえす。それが、母親ということなのだろうと思った。


「シュウト、ありがとう。大好きよ。……さようなら」


 別れの言葉を名残惜しそうに、でも決心をしたように告げたミズキさんはそのまま、シュウトくんと一緒に――消えてしまった。


 私はそれを見てしまったことが、とてもとてもいけないことのような気がして、うるさい鼓動がばれないようにそのまま階段を駆け下りて風呂へ入った。いつもより五分は早くシャワーを終えて、湯船も百を数えきる前にあがって、肩口まである髪の毛を乱暴に乾かして、部屋に戻ってきた。寝心地の良い布団にくるまって、それでもおさまらない胸の鼓動を左手でぎゅうと押さえつけた。

 そのまま、私も消えてしまいたかった。


 コン、コン。


 部屋の扉がノックされた。私は息をするのに精一杯で、声をあげることが出来なかった。


 コンコン。


 もう一度ノックされた。声はまだ出なかったし、誰かに会いたくもなかった。一つ寝返りを打つと丁寧にドアノブの回る音がした。


「リイラ」


 私の好きな声で、名前が呼ばれた。


「……喋りたくない」


 やっとの思いで出した声はかすかすで、何日も水を飲んでいないような酷いものだった。私は布団にくるまったまま、ヒイラギの方を向きたくはなかった。


「ミズキさん、帰って行ったな」

「……」

「よかったな」

「…………うん」


 それは本当だった。でも、私は。


「リイラ、今どんな気分だ?」

「……本当に、最低なこと言ってもいい?」

「言ってみなくちゃわからないだろう」

「そう、だね」


 言っても、大丈夫だろうか。ヒイラギは軽蔑しないだろうか。

 私が不安に思うこと全てを判断するために、私は意を決して布団から出て立ち上がり、目を細めて私を見ているヒイラギの前に立った。きっと心配して、来てくれたんだ。

 

 ヒイラギの声はゆるゆると、私の心臓の音を小さくしてくれる。


「シュウトくんが、ずるいって思った」


 ワンピースの裾を持ち上げて、普段は絶対に見せない太ももをヒイラギに晒した。


 一瞬顔を逸らしたヒイラギだったが、私がずっとそのままでいるので再びこちらを向く。細められた目が最初に会った時のように見開かれるのを、私はしばらく黙って見ていた。

 スカートで隠れていた膝から太ももにかけて、数えきれないくらいの痣が私にはあった。


「リイラ、」

「これね、私の秘密。上はもっと酷いの」

「……」

「全部、お父さんとお母さんがやったの。もう痛くないんだけどね、大好きだ、愛してる、って言って。いっつも家にいると二人は私を殴ったり蹴ったり。でもヒイラギ、それはこの街に来た最初からちゃんと覚えていたことなの。だから、私にとっての大切なものは、お父さんでもお母さんでもないみたい」


 だから、ずるいなあって思っちゃった。


 シュウトくんは、お母さんにあんなにも愛されていたのに、私は言葉だけの愛してるしかくれなかった。殴られて、蹴られて、それでも私はただあんな風に抱き締めてもらえるだけでよかったのに。


「ねえヒイラギ、私この街にずっと住んでいたい。戻っても、大切な人はもういないんでしょう?でも、お父さんとお母さんは変わらずに私に消えない傷を作り続ける。だったら、私ずっとここにいたい。ヒイラギとヒイロと。そうだ、私も二人みたいに管理人になる。だったらいいでしょう? ねえ、ヒイラギ、ねえ、」


 もう一度名前を呼ぼうとしたところで、力強く抱き寄せられた。

 視界が真っ白から真っ黒になる。ぎゅうぎゅうと、ヒイラギの胸に私の頭を押し付けられる。


「駄目だ」

「……どうして?」

「辛くなったら逃げてもいい、でも、本当に最後の最後は逃げちゃ駄目なんだ」

「ねえ、どうしてよ」


 涙は出ないのに、私は涙声になって反論する。涙は出ないけれど、私が悲しんでいるってヒイラギはわかっているだろうか?もしかしたら、誰かに悲しんでいることを知らせるために、涙は流れるようになっているのかもしれない。


「それが、大人になるってことだから」

「大人って何、ヒイラギまで王子さまが嫌いな大人の話をするの?」

「違う、リイラ。大人になるってことはね、泣いても前を向いて成長していくことだ」


 顔を上げなくてもわかる。普段より少し声の調子が上がって掠れてしまったその声は、ヒイラギが笑っている証だ。


「だから、子どもは沢山泣いた方がいいんだ」



 赤ん坊をあやすように、酷く優しい声でヒイラギはそう言って私の頭を不器用に撫で続けた。

 涙が出ないまま、私は泣き続けた。



 

 明日で、私がこの街に来て七日目になる。



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