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2.「子どもは、沢山泣いた方がいいんだ」


 やわらかな布団に包まれて私は目を覚ました。



 ごしごしと目を擦って見えた世界は真っ白で、どうやら昨日のことは夢ではなかったようだ。

 窓から見える私の知らない街の外も、昨日と変わらず雪がしとしとと降っていた。


 そういえば、私はいつ寝たのだろうか。


 ヒイラギと名乗ったあのお兄さんが何か食べられるものを作ってくると言ったことまでは覚えているのだが、そこからどうしたのかは記憶になかった。

 さよならの街に来ると、こうして記憶がどんどん失われていくこともあるのだろうか。

 そう考えて少し怖くなり視線を部屋中に送ると、ベッドの隣にある小さな棚の上にトレイに乗ったおにぎりが見えた。丁寧にラップがかけられた上に薄桃色のメモ帳が貼られている。


 そこには几帳面そうな文字で『食べられる時に食べるといい』とだけ書いてあった。


 名前は書いていなかったが、ヒイラギだろうと思う。裸足をぶらりとベッドの横に揃えて出して、膝の上にトレイを乗せる。ラップを剥がすとおにぎりと小さな唐揚げの匂いが届いて、ぐうとお腹が鳴った。


 思えばいつからご飯を食べていなかっただろうか。両手でおにぎりを掴み一口。

 すると久々に食事にありついたからか、そのおにぎりがこの世で最も美味しい食べ物のような気がして、思わず涙が溢れそうになった。実際には全くもって涙なんか流れないのだけれど。


 ヒイラギが昨日言っていた、この街では泣くことが出来ないらしい。

 この街に来てまで泣き暮れないように、悲しくても嬉しくても思い出さない限り涙は出ないと聞いた。それでもとにかく私は、泣いてしまうかと思うくらい美味しく感じるおにぎりをぺろりと平らげてしまった。


 食べ終わり、まずはヒイラギに話をしにいこうと部屋から出ることにした。裸足で床に足をつくと、ひんやりとした寒さが全身に伝わったようでぶるりと身体が震える。真っ白な部屋の扉を開けると、そこは何と言えばいいのか、思ったより普通のアパートの廊下だった。


 私の部屋の左右に部屋が一つずつ、目の前は薄水色の壁。

 大きめの窓が二つあり、相変わらず外は真っ白。かなり遠くまで建物が見えるが、雪景色のため全て同じ色に見えた。右に歩いていくと下りの階段がある。この建物は二階建てでここはその二階のようで、上り階段はない。ぺたぺたと冷たい床を裸足で歩く。


 二階は私以外に人の気配はなくて、代わりに階下からの誰かの話し声がより大げさに聞こえた。そこにヒイラギもいるだろうか。階段を慎重に下りていると、踊り場にある小さな全身鏡に自分の姿が映った。お気に入りの白いワンピースは半袖で、雪の降っているこの街には不釣り合いな気がしてきた。寝起きで少しぼさぼさの色素の薄い髪と、私の嫌いな色素の薄い瞳がこちらを見ていた。半袖を着ているなら、どうにもやはり私がいた場所は冬ではなかったみたいだ。

 

 くるり、と姿見に背を向けて階段を下り切る。左手には二階と同じような部屋の扉が二つと、その先がひらけているのが見えたのでそちらに向かって歩くことにする。話し声がどんどんはっきりと聞こえてきた。声の主は少し高いがおそらく男性だろう。

 

 そこは玄関に繋がっている、所謂ロビーのような場所だった。四人掛けのテーブルと椅子が一つだけあり、そこにはヒイラギと、見たことのない人物が座っている。先ほどの声の主のようだったが、私はその人を視界に捉えると首を傾げた。


「あれ?」


 ヒイラギと話していた人物は、まるで向日葵のように眩しい色をした髪の毛をゆるくおさげにしている肌の白い女性だった。茶色のニットカーディガンに白のロングスカートをはいている。先ほど聞こえた声は男性だったのに、周囲には他に人のいる気配はない。


「目が覚めたか」


 私の存在に気が付いたヒイラギはそう言った後に「おはよう」と挨拶をくれた。ただの挨拶のはずなのにそれが私には酷く久しぶりの様な感覚に襲われ、少し照れ臭い。


「……おはよう」

「あっ、この子がヒイラギが言ってた子だね!」


 驚いた。

 目の前の向日葵の髪のお姉さんから発された声は、私が二階にいる時から聞こえてきた声だったのだ。中性的だけれど男性だと思っていた声の主は女性だったのか。どうやら勘違いをしてしまったようだ。

 一瞬だけ驚いたことがばれていたようで、ヒイラギは溜息をついた。


「驚いてるだろうが」

「ごめんごめん、嬉しくなっちゃってさ」

「リイラ、こいつはこんな見た目だがれっきとした男だ」

「えっ!」

「もう、勝手に言わないでよ」


 男と言われたおさげのお姉さんはわざわざ椅子から立ち上がってから私の前にしゃがみ込み、目線を合わせて私の手を優しく両手で包み込んだ。私の冷たい指先が溶けてしまうかと思うほど、彼女、いや、彼の手は温かかった。


「初めまして、リイラちゃん。僕はヒイロ。ヒイラギと同じで隣のアパートの管理人をしているの。こうしてたまに遊びに来るからまた会うことがあると思うけど、よろしくね」


 女の子の口調で彼はそう言って、可愛らしくウインクをした。


「たまに、ではなくほぼ毎日、の間違いだろう」

「いちいちうるさいなあヒイラギは」

「本当のことだ」


 これ見よがしに再び溜息をつくヒイラギを見て、ヒイロはけらけらと笑う。本当に向日葵みたいな人だ。会って間もないが、二人は仲が良いのだということが伝わってきた。


「管理人って、沢山いるの?」


 どちらかに限って問いかけたものではなかったが、答えてくれたのはヒイラギだった。


「廊下から窓の外を見たか?」

「少し」

「あそこから見える建物の大半はここと同じアパートだ」


 さっき見た。かなり遠くまでひたすらに建物が続いていた。あれのほとんどがアパートだとするならば、この街は一体どれだけの悲しみを抱えているのだろう。


「みんな、同じ?」

「そうだな。そしてその分だけ、管理人もいる」


 悲しみの数だけアパートがあって、ヒイラギ達みたいな人がいて、私みたいな人も沢山いる。

 泣いていた理由を思い出せない私にとっては他人事のような話だったが、きっと他の人たちも同じなのだろうと思った。この街では思い出すまで泣けないし、思い出せなかったらそのことで泣くことも出来なくなってしまう。その事実だけを伝えられて、不安を抱えながらもこの真っ白な街で少しの間だけ生活をする。何かもわからない自分にとってかけがえのないものを取り戻すために。

 私にとってそれは何だったのだろうか。ここに住む人達にとっては、何だったのだろうか。

 

 ぐるぐると考えを巡らせていると、頭をぐしゃぐしゃと少し乱暴に撫でられた。


「考えすぎる必要はない」


 顔を上げるとヒイラギが、私を安心させようとしてくれているかのように不器用に口角を上げながら言った。


「戸惑うことも多いとは思うが、いつもと変わらない生活を送るといい。普段と違うことをやってもその中に答えはない。思い出すとしたら、君が何気なく行ったことの中にある」


 ひゅう、とヒイロが口笛を鳴らす。


「何かあれだね、ヒイラギと小さい子の組み合わせって物凄く新鮮」

「うるさい」

「いてっ」


 私の頭を撫でてくれた右手でヒイロの頭を容赦なく殴った。大きくリアクションをした後、ヒイロはわざとらしく口を尖らせてぶつくさと文句をこぼす。ヒイラギはがしがしと自分の頭をかいてどこ吹く風だ。あまりにも自然体な二人のやり取りを見ていると、緊張していた私の心にほんの少しだけ余裕が生まれたような気がした。昨日は出てこなかった質問をぶつけてみようと思い、ヒイラギに声をかける。


「ねえ、ヒイラギ?」

「何だ」

「この街には子どもはいないの?」

「どうしてそう思った?」

「昨日ヒイラギは言っていたわ。『子どもに話す機会はあまりない』って。それってこの街には子どもが少ないってことでしょ?」


 それでも昨日のヒイラギの説明はわかりやすく、まるで学校の先生のようだった。


「よく覚えていたな」

「もう忘れたくないから」


 何気なく言った言葉だが、本心だった。

 私の言葉に面食らったような顔をしたヒイラギは一つ頷くと腕を組み口を開いた。


「この街にはリイラほどの子どもはほとんどいない。ゼロと言っても良い」

「ゼロ? どうして?」


 現に私はここにいるのに。理由がわからず、ヒイラギを見上げて答えを待つ。まるで苦手な算数の授業で答えがわからなかった時のようだった。分厚い眼鏡をかけたせっかちな先生は答えられない私を見てすぐに解答を話し始めていたが、ヒイラギは歌でも詠むかのように窓の外を見ながら言った。


「子どもは沢山泣いて成長する。泣くことは悲しいことだけじゃなく、大人になることだ。だから子どもは本来、この街には来ない」


 ねえ、だったら私は?


「子どもは、沢山泣いた方がいいんだ」



 その理由を理解することが、何故か私には出来なかった。



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