第三話
台本を読むのを付き合ってから四日経った。
杼割ちゃんはもうセリフも完璧で演技も加えるようになった。日に日に台本が赤く埋まっていく。
「杼割ちゃんって結構すごいんじゃない?」
そう言ってみる。
素人目で見てるけど物覚えもいいし書かれていることにも忠実だ。これは本当にプロになれるんじゃないだろうか。
「すごくないよこれくらいは普通だよ。言われた通りしかできないなんて普通だ。って今日鵲ちゃんに言われたし」
「へえ」
いつかその鵲って先輩をぶん殴ってやろう。
「だからすごいのは鵲ちゃんで私じゃない。その端書もこうした方がいいっていうのも全部鵲ちゃんだから」
「へえ」
この書かれているのが。素人の僕が見てもいまいちわからない。わかるのは感情をもう少し出す。と書かれている部分だけだ。
でもそれって結構難しいな。見ながら読んでいても感情なんて出せる気がしない。
「でもできるの? こんなに書いてあること。一個のセリフに何個も書いてあるけど」
「できないんじゃないかな? だからこそ私はやっぱり普通なんだよ」
難しいな僕にはできそうにない。
何せいまだにセリフなんて覚えられていないしここに書かれていることなんか一つもできる気がしない。プロなら全部こなせるんだろうな。
「夏彦君はさ」
「何?」
「演劇に興味あるの?」
「んー」
どうなんだろう。少しくらいわかりたいっていうのはあるけれど。それは杼割ちゃんがいるからで演劇の興味ってわけじゃない気がする。
「少しくらい」
手でちょっとと隙間を作る。
「じゃあさ明日遊びに来ない?」
「え?」
どこに? 杼割ちゃんの家?
そりゃあ何度か遊びに行ったことはあるけどそれは流石に男女の区別もない保育園時代だし流石にこの年になってから行くのはいくら幼馴染でもやっぱり遠慮しといたほうがいいかな。
ほらやっぱり周りの目とか気になるし。
「部活」
「ああ、ああうん」
そりゃそうだ。当然だよね。どんだけ頭がお花畑なんだってはなしだよ。
「嫌?」
「嫌じゃないよ。じゃあ少しだけお邪魔しようかな」
「じゃあ明日帰りのHR終わったら一緒に行こう」
次の日は前日の約束通り放課後に演劇部にお邪魔することになった。
正直びっくりした、なにせ本当にHRが終わった瞬間に駆け寄ってくるとは思っていなかった。
「夏彦君。じゃあ早速行こうか」
と帰りの準備もままならないまま手を掴まれ引きずられるように連れてこられた。
驚きはしたものの内心ではやはり手を掴まれてのところに注目したい。温かくて柔らかくて小さくてとても心地よかった。
「ここでやってるんだ」
目的地について掴まれていた手を放される、名残惜しいのはいったん置いておくとして目的地は体育館のステージだった。
若さあふれる体育会系の声を聞きながらいるせいで制服の自分たちは周りから浮く。気のせいなのはわかっているが注目されている気がして落ち着かない。
そんな僕を置いて杼割ちゃんはステージ横のドアを開け中に入って行く。
僕としては初めての壇上だ。ドアを抜けると普段教師や生徒会の面々が待機しているであろう場所を過ぎてステージの上に立った。
「へえこんなになってんだ」
天井を見上げればライトが無数に並び横を見れば小さな部屋がある。おそらくブースというやつだ。
「体育の暇つぶしに来たことないの?」
「ないね。僕体育は結構真面目にやってるし、暇なときは端っこで談笑してる」
「そっか、基本的にこっち側は女子だし来る機会ってないのか」
「それもある」
気もそぞろでつい周りを見てしまう。反対側にはボールとかなのか。
「そうだ。鵲って人はいないの?」
「まだだね。もう少ししたら来るんじゃないかな?」
「もういる」
声に反応して周りを見ても誰もいない。ブースの中からか?
「上だよ上」
言われて見てみると確かに暗闇の中に誰かがいる。さっきは隠れていたのか見落としていたのか。それにしてもどうやって上がったんだ?どこかに階段があるのか?
「鵲ちゃん。降りてきてよ。体験入部者だよ」
体験入部するなんて僕は一言も言ってないけど。
「わかった」
がたがたと音を立てながら下りてくる。
「この子?」
「そうだよ。津久見夏彦君。同じクラスなんだ」
杼割ちゃんの紹介の後に僕は頭を下げる。
「へえ。私は渡橋鵲」
黒髪の短髪。色も白い。杼割ちゃんには及ばないまでも綺麗な人だ。それにしても目つきが悪い。でも他がいいとそれも個性になるものなのがなんかずるい。
「丁度いいから津久見くんとやらに私たちの本読みを手伝ってもらおうか」
挨拶もそこそこにあっという間に部活が始まってしまった。
三人車座になり本読みが始まった。
思ったことは鵲先輩は本当にすごかった。
杼割ちゃんにあれこれと指図するだけのことはあって上手い。これなら確かに杼割ちゃんがあくまで普通だとはっきりわかる。
感情を乗せるの意味がよくわかる。僕まで感化されてしまうほどだ。出来るだけ感情を乗せようとセリフを読み上げる。
「杼割」
「なに?」
今気付いたがため口なんだな。上下関係が緩いのかこの先輩が緩いのか。
「だいぶ上手くなった、後は繰り返していけばきっと大丈夫。でも声が小さいのはいただけない。小声のセリフでもはっきりと聞こえるように言わなかったら意味がない」
「うんわかった」
言われたとおり台本に書き込んでいく。
「それと君。そこそこだけどまだ全然だね」
「はい。すいません」
とりあえず僕も怒られた。細かく注意されないのは全然ダメで言うことが多すぎるからか体験入部だからかわからない。
「でも途中から上手かったよ。私と一緒に読んでたからかな?」
「ありがとう。そうかもね」
「じゃあ津久見くんとやら」
「はい」
とやらはいらないんじゃないか? もう名前知ってるでしょうよ。
「このまま演劇部に入らないか?」
「え?」
どうしたらいいんだろう? 入るのが得策か? それともやめるべき?でも入れば毎日杼割ちゃんと一緒かそれは嬉しい。でも……いやここを逃すわけにはいかない。
「入ります」
ここはもうはっきりと決めよう。進むために演劇部に入ろう!
「本当に? やった」
うん。杼割ちゃんに喜んでもらえたから満足。
「ああ」
「なんですか? その納得した風なのは?」
「まあ今は気にするな。お前の役は何がいい?まあ天帝か彦星かの二択だ」
「天帝は先輩じゃないんですか?」
「まあどっちでもいいんだ。私は今回脇役だからな」
「じゃあ彦星だね」
となぜか杼割ちゃんに決められた。
「まあいいか」
先輩も別に反対ではないらしいがいいんだろうか? 主役が新人二人とかドラマとかなら失敗の予感しかしないぞ?
「じゃあよろしく。夏彦」
急に下の名前を呼び捨てになった。部員か部員じゃないかがこの人の決まりなのか?
「じゃあもう一回読むぞ。今度はできるだけ動きも入れて」
それから下校のチャイムが鳴るまでひたすら台本を読まされた。流石にのどが疲れた。かすれはしないまでも声を出すのも億劫だ。
「じゃあ帰ろうか」
「悪いな杼割、夏彦は借りる。部長から新入りに話がある」
「わかった。じゃあね」
可愛らしく手を振る杼割ちゃんを見送りステージ上で二人きりになった。
僕は声を出したくはないし先輩もそんなに口数が多いわけではなく少しの間沈黙が流れた。
「夏彦」
「はい」
何かあるのだろうか。いやあるから残されたんだろうけどなんだろう。早くも退部しろとか言われたらどうしよう。
「私はお前の邪魔をさせてもらう」
「え?」
邪魔? 邪魔って何を邪魔するんだ? 勉強? 運動? 部活か?
色々なことが頭をめぐり混乱する。今日出会ったばかりだ。恨まれるようなことをしているはずもない。鵲なんて珍しい名前の人に出会ったこともない。
「お前じゃ無理だろう」
「さっきからまるで意味がわかりませんけど。誰かと勘違いしてるんですか?」
「いや? そんな初歩的なミスはしていない」
「僕は先輩から邪魔されるようなことは何もしてませんよ?」
先輩は何も言わずただ僕を見る。目つきの悪い目で僕を睨むように睨む。
「僕が入部したのが気に入らないんですか?」
無視するかと思ったがこれには答えた。
「いや? それについては気に入らないどころか感謝だ。他の人に助っ人を頼まなくてもいいからな」
余計に意味がわからない。僕と先輩の接点なんて演劇部以外にはない。なのにそれは違う。本当に意味がわからない。
「じゃあ何を邪魔するって言うんですか?」
「いつまでいるんだ?」
途中で話をさえぎられる。教師の見回り。
「すいません。少し部活の話をしていて。すぐ出ます」
教師とのやりとりを終わらせそのまま自分の荷物を持ちさっさと出て行った。
「お前も早く帰れよ。最後に部活の話だ。のどが痛いのは声の出し方が悪い。腹から声を出せば大丈夫だ」
一体何が何だったんだ?
わけのわからないまま帰路に立った。
家に着き、また河原を覗いてみる。いつも通りなら見たら杼割ちゃんはいるはずだ。
やっぱりいた。
今日あれほど練習をしたのにまだやるんだ。毎日あれだけやっているなら確かにあれだけできるのかもしれない。先輩にもほめられてたし。
自分で先輩を思い出したせいで少しだけむかついた。
気分なおしの散歩にでも出るか。
行先は当然杼割ちゃんのいる河原。早くも練習しているようで声を出していた。
「だから私はあなたの思っているような人間じゃない」
そんなセリフあったか?
「杼割ちゃん?」
「あ! 夏彦君。いなかったから今日は来ないのかと思ったよ」
「今のって」
「なんでもない。独り言だよ独り言」
そう言われてしまえば何も言えない。けど今のは独り言じゃなかったような。寧ろ誰かと話している。それを僕が来たせいで打ち切った。そんな感じだった。
「じゃあやろうか。正式に決まったしお互いに確認しながら織姫と彦星やってみようか」
なんか僕の知らないところで何かが動いている気がする。何かはまるでわからないけど、それはきっと大事な何かでもそれにきっと僕は無関係なのかもしれない。だから今は演劇のことを考えよう。
僕がちゃんとやれればきっと距離は縮まるから。
一度だけお互いの台本を確認しながら動き回ってみる。一日の長と言うべきか真剣さが違うのか杼割ちゃんは上手に演技をしていた。
「実際にやってみてやっぱり凄いね杼割ちゃんは」
「そんなことないよ。夏彦君も上手だよ」
「まさか。詰まりっぱなしだし言われたことさえまともにできてない。言われたことができて二流なら僕は三流もいいところだ」
「そこまで卑下する必要はないよ。今日始めたばかりなんだから当然。私だって最初の時はもう散々だったよ」
「最初? これが最初じゃないの?」
「えっとね。舞台に上がるのは初めてだよ。前にやったのは部員だけが見るやつ。エチュードって言ったかな」
「それってなんなの?」
「エチュードは台本がないアドリブの演技。もう詰まりまくりで失敗しまくり。でもそのおかげで少しだけできるようになったんだ」
と笑いながら言った。
「へえ面白そうだね」
「うん。部員が多ければもうちょっと凝った感じになるらしいけどたった二人だったから」
「増えるといいね部員」
「うん早速一人増えたし希望を持っていこう」
どう思うんだろうな僕が杼割ちゃん目当てで入ったって知ったら。がっかりするだろうか。笑って許してくれるだろうか。
「だから大丈夫だよ。夏彦君ならできる」
ちゃんとがんばろう。見直してもらえるように。
「それであの後鵲ちゃんと何を話してたの?」
「いやよくわからなくてさ。邪魔するって言われたんだけど」
改めて考えてみてもやっぱり思い当たる節はない。
「邪魔? 演劇を?」
「違うよ。寧ろ演劇は来てくれてありがとうと礼を言われた」
「え? ああなるほど」
「何かわかるの?今ので?」
「いや、んー」
言っていいのか悪いのかそれを考えている風に感じる。
「夏彦君はそう思ってないと思うけどな」
「何か言った?」
「独り言だよ。たぶん関係ないから大丈夫だよ」
いや、その言い方は気になる。杼割ちゃんにもわかったなら。やっぱりあの人だけが感じていることってわけじゃないのか。
「そう見えてるんだな。でも本当だったら嬉しいな」
「勝手に喜ばれても困るんだけど」
「気にしない気にしない」
杼割ちゃんは上機嫌に練習を続ける。
何があったんだ? っていうか何があるんだ? 本当に誰か知っているなら教えてほしいよ。