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提出前夜狂騒曲

作者: 猫人

本当は8月31日に投稿したかったんですが、間に合わなかったため本日投稿する運びとなりました。

〆切ぶっちぎった自分が言うのも何ですが、皆様の宿題が提出期限までに片付くことを心より願っております。

 8月31日、23時59分。


「まずいな……」


 ここは都内某所の下宿、はるにれ荘。


「これは非常にまずい……」


 その203号室。


「かくなる上は……呼ぶか、あいつらを」


 下宿人、覇道卓兵(はどうたくへい)は部屋に備え付けの通信機を取り、同居人たちに呼びかけた。


「あー、緊急連絡、緊急連絡。至急、203号室まで来られたし。下宿ルール1条及び2条、並びに13条を根拠に召集権を発動する!」


 日本中の不真面目学生が慌て、喚き、己を呪う夜。

ここでも一人のどうしようもない自業自得野郎が、提出前夜狂騒曲を奏でようとしていた。




 9月1日、0時10分。


「ったく、こんな夜遅くに呼び出すなんて、何考えてるのよ」


「すやぁ~」


「ゆきちゃん、ねむいなら部屋戻ったら?」


「だいじょ~ぶばい~」


 連絡を受けた3名が203号室に集まった。みんな寝る前だったらしく、揃ってパジャマ姿だ。

それを見て、卓兵は満足げに頷く。


「諸君、よく来てくれた」


 卓兵は、この近くにある私立高校、茗荷谷学園(みょうがだにがくえん)の1年生。

彼は今、危機に直面していた。対応を誤れば、今後の人生を左右しかねない大問題だった。


「実は」


「宿題でしょ」


 卓兵が口を開きかけた瞬間、隣の202号室の住人、神無月千舞姫(かんなづきちまき)が呆れた顔で言い放った。彼女も卓兵と同じく、茗荷谷学園の1年生だ。


「明日、ていうか日付はもう今日だけど、提出する課題が終わってない。だから手伝ってくれ。でしょ?」


「うえ~、またなの?」


 103号室の内田百(うちだもも)も白い目になる。


「すか~」


 102号室の坂町(さかまち)ゆきみに至っては壁にもたれて完全に船を漕いでいた。そんなに眠いなら来なきゃいいのに。ちなみに、百とゆきみも卓兵の同級生だ。


「ご名答、というわけでぶほっ」


 千舞姫の正拳が卓兵の顔面に炸裂した。


「つきあってられないわ」


「ボクも今日は早く寝たいから」


 話にならないといった顔で六畳一間を出て行こうとする千舞姫と百。その行く手に素早く回り込んだ卓兵が両手を広げて、大声で制止する。


「ちょっと待ったぁっ!」


 ばごっ! 再び千舞姫の正拳が炸裂した。


「近所迷惑でしょ! やめなさい!」


 しかし卓兵はめげない。

それどころか、ニタリと不敵な笑みを浮かべて立ち上がる。


「いいのか? そんな言い方をして……言ったよなぁ、下宿ルール1条及び2条、並びに13条を招集の根拠にするとな」


「う……」


 千舞姫と百が言葉に詰まる。

勝ち誇った目で彼女たちを見下ろし、卓兵はすらすらと暗唱してみせた。


 はるにれ荘・下宿ルール。


 1条。下宿人同士、いかなる時も助け合い、協力を惜しまないこと。 

 2条。学業成績、生活態度が芳しくない者が出た場合、下宿人全体の連帯責任とする。

 13条。放送設備はみだりに使用してはならないが、無視することも禁止とする。


 1条と2条は元々下宿人同士で勉強を教え合うなどさせ、絆を深めると同時に成績を向上させるためのシステムだったはずだ。だが、どんな立派なお題目の下に作られたルールであろうと、クズの手にかかれば容易に悪法へとなり果てる。

卓兵は1条と2条を理由に千舞姫たちに宿題を手伝わせるべく、13条により無視できない放送という手段を用いて彼女たちを自室に呼び寄せたのだ(各種SNSで卓兵はとっくにブロックされている)。ちなみにこの放送設備と下宿ルール13条は、発明マニアだった先代管理人の負の遺産である。


「で、でもっ、掟はそれだけじゃないもん! ルール3条、『他の下宿人に著しく迷惑をかけた場合、最高で追放処分とする』っていうのもあるし!」


 むきになって反論する百。それには理由があった。この後朝6時から放送されるテレビ番組「鉄子と秘境駅の旅へ行こう」をリアルタイム視聴しツイート実況しつつチャットで語り合うという超重要な予定があるのだ。鉄道研究会会長としてこれだけは絶対に譲ることはできない。本来なら、もうとっくに寝ていなければならない時間だった。


「往生際が悪いぜ?」


 しかし卓兵ときたらそんな必死な百を鼻で笑うと、吐き捨てるように言ってみせた。


「百の好きな鉄道だって1等2等の方が3等より格上だよなぁ? つ・ま・り、3条ごときじゃ俺様の1条と2条の相手にはならねーんだよ!」


「なにその屁理屈……」


「ほらほらいい加減観念して、素直に俺の宿題を手伝っちまおうぜ! カモン!」


 千舞姫と百は顔を見合わせると、頷き合って廊下に向かおうとした。


「ちょ、ちょっと? 千舞姫さん? 百さん? 俺の話を聞いていましたでしょうか?」


「うん。だからルールが対立した場合はどうしたらいいか、管理人に決めてもらいましょ?」


 言って千舞姫はにこやかに微笑んだ。自分の勝ちを、微塵も疑っていない顔だ。


「もちろんたくへーも異存ないよねー? だってボクの3条より圧倒的格上なんだもんね?」


 ここぞとばかりに百も追撃する。卓兵は呆気なく陥落した。


「すみませんでしたーーー!」


 物凄い勢いで土下座する。


「もう二度とこんな状況は作りませんので! どうか! なにとぞ! わたくしめの宿題を手伝ってはいただけませんでしょうかー!」


 しかし当然ながら、二人ともはいそうですかと簡単に首を縦に振ったりはしない。

だってこんな奴いなくなったって構わないし。むしろいなくなってほしいし。


「というかもう今この瞬間に追い出したいんだけど」


「それいいねちーちゃん。やっちゃおう」


「お、お二人とも? おめめがマジでございますよ?」


 卓兵の悪運も遂にここまでかと思われたその時、すっかり忘れられていたゆきみが口を開いた。


よかよ(いいよ)~、ちょこっとぐらい~」


 ゆきみはそう言って壁から離れると、卓兵が机代わりにしているみかん箱の前までひょこひょこ歩いていき、ちょこんと座った。


「みんなでぱぱ~っとやれば、そっこ~でしゅ~りょ~ばい」


「ゆっきー、やはり信じられるのは君だけだ。これこそがあるべき正しい人間の姿だというのに……美しい思いやりの心はこの現代では失われてしまったというのか!」


 卓兵はさっさと土下座をやめ、ははーっとゆきみを拝んでみせる。そして、当てつけのように千舞姫と百にちらちらと視線をくれた。


「最低。知ってたけど、改めて最低」


 千舞姫が脳内で必殺コマンド入力を完了し、百烈拳を卓兵の顔面にぶちかまそうと一歩を踏み出した、その時だった。百がゆきみを見ながら恐る恐る言った。


「もしかして……ゆきちゃんも宿題終わってないの?」


 にぱ☆ という満面の笑みが答えだった。


「困ったときは、おたばってんいさま(おたがいさま)ばい」


 卓兵なんかどうでもいい。が、この笑顔と長崎弁には逆らえない。

千舞姫と百は降参の意を示し、みかん箱の前に座った。


「状況は?」


 千舞姫がぶっきらぼうに尋ねる。あくまでもゆきみを助けるのが目的。卓兵なんかは副産物のオマケでしかない。都合のいい女と思われぬよう、それを態度で示さなくてはならない。まぁ今更遅いが。


 しかし、早速課題を広げる卓兵に遠慮の色などは皆無だった。


「いやー感謝感謝マジ感謝。で、課題はですねー」


「ちょい待ち」


「?」


「千舞姫百烈拳!」


 ズドドドッと少年漫画的な効果音が響き、卓兵は窓を突き破って部屋の外へと吹き飛んだ。


「あースカッとした! 安心しなさい、外がベランダなのは計算済みよ!」


「お、お前の必殺技だって十分近所迷惑だ!」


 そんな感じで。卓兵たちの提出前夜狂騒曲が幕を開けた。




 9月1日、0時30分。


「本日中に提出しなければならない課題は三つ!」


 四人はみかん箱を囲んで座っている。

仕切るのは千舞姫だ。彼女はプロ野球球団「岸和田モー牛ズ」の私設応援団に所属しており、試合では数千人をリードして応援の音頭を取っている。

それでいて学校の成績も悪くはない。

自然、どこに行っても仕切りポジションに収まってしまうのだった。


「三つの課題。何だったか、自分で言ってみなさい!」


「うーい。ってあれ、何だったっけ?」


 性懲りもなくとぼけてみせる卓兵。しかし千舞姫が殺意に満ちた笑顔を浮かべているのを見て、慌てて正直に答えた。


「まずは、一行日記だな。7月16日から今日までの」


「いつから書いてないわけ?」


「もちろん最初から」


「あんたの課題を日記と認めることは、世界中の日記を書いている人に対する冒涜ね」


「別にいいだろそんな細かいことは」


 その細かいことを疎かにした結果がこれだろうと言いたい女性陣だったが、それを言っている時間が惜しいのでこらえる。まったく、とんだ同居人をつかまされたものだ。


「ぐ~」


「ゆきみ、普通に寝ない! 目覚ましついでに答えなさい! 他の課題は?」


「ふにゃ、えっと……日記?」


「それはさっき言いました」


「ん~、あ、読書感想文」


 ゆきみが心底眠そうに答える。しかしこの落ち着きっぷり、ある意味卓兵以上の大物だ。


「面倒だから、三つ目は私が言うわね。何で高校生になってまでやるのか分からないけど、自由研究よ」


「あああ!」


 百が突如叫んだ。千舞姫は思わずのけぞってしまう。


「ははは、これで三人目の近所迷惑だぜ!」


 お前らマジで近隣住民から苦情が来かねないぞ。


「ちょっと、どーしたの百? まさか……」


「えっとね……実はさっき、自由研究の完成原稿を見返してたら間違いがあるのを見つけて……でも用事があったから後回しにしちゃったんだ。それを……思い出したの」


「っしゃああああ! 更にお仲間キター!」


 俄然上がる卓兵のテンション。こういう状況は道連れが多い程いいものだ。


「ち~ちゃんも、なんか忘れておるねもしれん(忘れてるかもしれない)な~」


「冗談じゃないわよ! 私だけは大丈夫っ! とにかく……また予想外の懸案が出てきたけど、目の前の一マスをひたすら埋めてくのは変わりないわ。一気にいくわよ!」


 おーっ、と拳を突き上げる四人。さて一丁やりますかと、ここでようやく卓兵が重い腕を持ち上げる。それを尻目に、千舞姫がおもむろに立ち上がった。


「どこ行くんだ?」


「いやちょっとスポーツニュース。今日モー牛ズ勝ったから」


 えへへ、とさっきまでの威勢とは別人のようなふにゃけた笑みを浮かべる千舞姫。


「ケッ、いいですねー、終わってる人は」


「そうばいね~」


 卓兵とゆきみがブーブー不平を垂れる。お前らに恥という概念はないのか。


「あーもー、分かったわよ。夜食と飲み物持ってきてあげるから、ちゃんとやってなさいよね!」


「恩に着ます姉御! なんか、盛り上がってきたな!」


「実はボクもテンションあがってきたかも」


「いっちょ、やっつくるけん(やっちゃおう)


 そんなお気楽三人衆の声を背に、千舞姫は廊下に出る。


(ったく、なんでうちの連中はこうなのかしら。でも……頼られるのは悪い気はしないわね。あのバカだけは例外だけど)


 典型的なダメンズを掴む女の思考をしていることになど気付かず、千舞姫は鼻歌を歌いながら階段を下りて行った。


(宿題たおせー、おー! なんてね)




 0時45分。居間。


 夏休みの間は毎晩遅くまで住人たちが騒いでいた居間も、今日は管理人が一人ノンアルコールカクテルを舐めているだけである。


小森(こもり)さん、あいつやっぱり宿題ためてました」


「ほーん、まぁこのタイミングの放送っつーとそれしかないよな。毎度大変だね、ちーも」


 千舞姫が愚痴をこぼせる数少ない人物、その一人がはるにれ荘管理人、小森永遠(とわ)である。

下宿管理人こそ我が天職! 家にいるのが仕事とかマジ至高! このまま一生、永遠(とわ)小森(こも)ってやるぜ! と公言している卓兵といい勝負のダメ人間だが、少なくとも年上としての頼りがいは一応ある。


「んでー? どーなの? おわんの?」


「とりあえず今日提出するのは一行日記と読書感想文と自由研究だけですから、何とかならないこともないと思いますけど……まぁ、あいつ次第ですね。私は適当なところで切り上げて寝ます」


「ホントかー? ちーのことだから、結局仲良く徹夜ーってオチが見え見えなんだよなー」


「はぁ? しないしっ!」


 千舞姫は断りなくチャンネルを回す。言わなくても、この時間に千舞姫がスポーツニュースを見に来ることは住人なら誰でも知っている。

グラウンドをバックにした、さわやかなイケメンキャスターの姿が映し出される。


(このキャスターのさわやかさとか、モー牛ズの潔さとかが、百分の一でもあいつにあればねー)


 番組のトップはメジャーリーグだった。この時期は高校野球も大相撲もないし、今は他競技の大きな大会もやってないから、プロ野球が始まるのはメジャーの後、大体六、七分後かしらね……通の経験からそう判断し、千舞姫は台所へ向かう。眠気覚ましにコーヒーは必須。頭を働かせるためにチョコなど糖分のあるお菓子もいる。うーん、罪人ハバネロは集中力を削いで逆効果かな?


 真剣に選んでいる千舞姫を見て、永遠はにやにやと笑う。


「お前らってホント仲良いよなー。そこまで一連托生張れる仲間がいりゃ、さぞ学園生活も楽しいんだろうなー」


「好きでやってるわけじゃないですから。いい加減、下宿ルール見直しませんか? 明らかにあいつばっかり得してるじゃないですか」


「まー考えとくわ」


「ホントお願いしますよ! あんなルールさえなければ私はこんなことしなくて良かったんですから!」


 ようやく夜食一式を選び終えた千舞姫がテーブルに戻ってくる。


「その割には随分真剣に選んでたじゃんよー? もう野球終わっちゃったぜ?」


「ええっ? そんなっ!」


「っははは、うっそー。今始まるとこだよーん」


 千舞姫の怒りゲージが再び上昇する。しかし、永遠に百裂拳をお見舞いすることはできない。下宿ルール第4条「管理人に対する狼藉行為の禁止」に抵触するからだ。


「お、ちーが抜かれてる。かっこよく映ってんじゃん」


「トーゼンよ、私はモー牛ズに一切手抜きはしないもの。その分疲れてるから、今日はマジで勘弁してほしかったわ……」


「ま、ほどほどになー」


 溜息をついて居間を出て行く千舞姫の背中を見て、永遠はやれやれと思う。


(ちーほどの優等生なら、こんなローカルルールなんてシカトしても問題ないのになー。ほーんと、見てるこっちが心配になるほどの世話焼きちゃんだぜ)




 0時45分。203号室。


 千舞姫が居間に向かった後のこと。


「じゃあ、進行状況の確認しよっか!」


 百が千舞姫に代わって進行役をがんばる。


「俺は日記ゼロ、作文ゼロ、自由研究、なにそれ? 自分で言うのも何だが、かなり絶望的だぜ」


「いばらないでよっ! んじゃ、ゆきちゃんは?」


「うちはな~、自由研究だけばい」


 卓兵に比べかなり少ないので百は安堵した。しかし、そもそも一つでも残っていること自体問題なのだ。卓兵らに毒され、自分の価値観が狂ってきていることに百は戦慄する。


「ボクはね、さっきも言ったけど、レポートの訂正が少し」


「そんなん、ある内に入らねーよ。俺だったら学校ついてからやるね」


 ふんぞりかえる卓兵に「だからその考えがいけないのに何でいばるかなぁ」と百はうなってしまう。


「それで、自由研究のテーマはどうするつもりなの?」


 気を取り直し一番肝心の問題を卓兵にぶつける百。

それに対し、卓兵は不敵な笑みを浮かべた。


「くっくっく」


 不敵というよりも、むしろ不気味だった。


「任しとけ。俺にイケてるアイディアがあるぜ」


 この期に及んでイケてるもなにもないだろう。


「へ、へぇ……」


 百の顔には疑心しか浮かんでいない。

そんなことなど全く意に介さず、ジャジャン、と効果音を自分で発し、卓兵は高らかに宣言した。


「俺たち学生にとって神聖なる戦い、課題提出前夜が何とすごろくになったぞ! 題して、この夜をサバイブしろ! 激闘! 提出前夜すごろく!」


 ガチャ。千舞姫さん入場。


「はいそこのアホ約一名とりあえずぶっとばーす!」


(少年漫画的効果音)


 卓兵が再び宙を舞う。

オールナイト下宿、はるにれ荘の夜はこれからが本番だ。




 1時15分。


「模造紙確保!」


 物置から帰還した卓兵が、嬉々として模造紙を広げる。


「まさか本気ですごろく製作おっぱじめるとはね」


 麦茶のコップ片手に、千舞姫が汚物でも見るような目を卓兵に向ける。


「しかし、物置って変なもんたくさんあるよな。今度探検してみようぜ」


「いいねそれっ! 面白そう!」


「今度、ね」


 卓兵と百を横道から千舞姫が引き戻す。やっぱり私がいないとダメね、と千舞姫は改めて思った。きっと、場を締める役がいなくなったが最後、こいつは一分後にはゲームを始めているに違いない。


「すぴ~」


「はいあんたも当然のように寝てるんじゃないの」


「ゆきちゃんは自由研究どうするの? コピペで済ませちゃう?」


「ん~、どうすっかな(どうしようかな)~」


 ちりん、と風鈴の音が部屋に響く。

窓の外では、町はもう寝静まっていた。聞こえるのは、車の音、風の音、虫の声。


(寝たい……)


 この夏の音を子守歌にして眠りに落ちたら、気持ちいいだろうなぁ……そんな千舞姫の願いなどどこ吹く風と、卓兵たちはどこまでもマイペースだ。


「自由研究のテーマが決まらない、一回休む」


「む~、うちをねたにせんで(しないで)~」


「贔屓チームが負けた隣人が大暴れ、二回休む。うへー、難易度高ぇなこれ」


「あんたは余程、私の怒りを買いたいようね」


 火花を散らす二人を尻目に、ゆきみがファイルから紙切れを取り出した。気付いた百が声をかける。


「ゆきちゃん、それなに?」


「へへ~、これがうちの研究テーマばい」


 自慢げに紙切れをみかん箱の上に置くゆきみ。

それは写真だった。


「お、写真?」


「この前のじゃない」


 それはこの夏休みにはるにれ荘の住人と鉄道研究会のメンバーが合同で行った、土合駅&谷川岳の旅の集合写真だった。トンネルの奥深くにある駅・土合のホームで撮影されたものだ。一見、何の変哲もない記念写真だが……


「ねぇ……ここ、なんか変じゃない?」


「え? どこよ……あっ!」


 ポーズをきめている千舞姫。

その背後に、髪の長い女の顔のようなものが写っていた。


「き、きっと目の錯覚よ……よくあることだわ!」


「ま、そい(それ)が普通の反応やろうね」


 千舞姫の必死の否定を、のほほんと受け流すゆきみ。

彼女の手には、この写真が収納されていたファイルがあった。なんかお札がたくさん貼られていて、見るからにおどろおどろしい雰囲気。


「けど、そいが写っとっとが(それが写っているのが)そん(その)一枚だけじゃなかったらどうすっ(どうする)?」


 邪気など微塵も感じられない顔で、ゆきみはファイルを開いてみかん箱の上に置いた。

土合駅、谷川岳、帰りの電車……全てのシーンで、千舞姫の背後に女の影があった。しかも時間が経つにつれ、その影ははっきりと濃くなり、表情までも読み取れるようになっていたのだ。


「うそ……うそでしょ? 私、憑かれちゃったの?」


 千舞姫はすっかり涙目になり、胸を抱いてガタガタと震えている。

そんな彼女に、卓兵は珍しく優しい声をかけた。


「そんなわけないだろ。大体、この日からどれだけ経ったと思ってるんだよ。もし祟りが本当にあるのなら、とっくに何かが起こってるはずさ」


「そ、そうよね? 大丈夫だよね?」


「ああ、今お前の後ろにいる女も言ってるぞ。せっかく捕まえた宿主に危害なんて加えるわけないってな」


 ぐっと親指を立てる卓兵を見て、千舞姫の中で何かが壊れた。

彼女の叫びとともに、本日五回目の攻撃が卓兵の顔面に吸い込まれた。




 3時15分。


「やっと下書きが終わったぜ。あとは色塗りだけだ」


「ボクもたくへーの読書感想文終わったよーん」


「うちも一段落ば~い」


 召集から三時間が過ぎ、戦いは折り返しを迎えた。

自身の自由研究「関東の駅100選・内田百バージョン」の訂正を終えた百が卓兵の読書感想文の代筆を片づけ(報酬は卓兵が次回の旅行の荷物持ちを請け負うことで決着した)、ゆきみが「山間部地下駅の悪霊」レポートを書き上げ、そして卓兵が「提出前夜すごろく」の下書きを終えた。


「はい、お疲れ様」


 千舞姫が心底眠そうに、あくびをかみ殺しながら言った。彼女はすごろくの下書きを一部手伝っていた。幽霊への恐怖も、今は眠気が勝っている。


「んじゃ休憩するか。あんまり根詰めると参っちまうからな」


「休憩しつつ、一行日記の内容も考えるのよ」


「んなもん、テキトーでいいだろ。あつい、とか、ねむい、とか、だるい、とか」


「どんだけ無気力なのあんたは」


 千舞姫に呆れられながらやかんを傾けていた卓兵だったが、そこで麦茶が底をついてしまった。麦茶だけではなく、夜食もあらかた食べ尽くされていた。彼らが集中していない証拠である。

卓兵はよっこらせと立ち上がると、廊下へと向かった。


「麦茶入れてくるわ」


「あ、ボクも行くー」


「うちも~」


「はーい、行ってらっしゃーい」


 尋常の精神状態であれば、幽霊の話をした後に一人部屋に残るなどありえない。逆説的に、それほどまでに千舞姫の体力は限界を迎えていた。卓兵たちが部屋を出て行くと、彼女はすぐみかん箱に突っ伏してしまう。


(ちょっとだけ……あいつらが戻ってくるまで……)


 だがしかし、こういったケースが「ちょっと」で済んだためしなどないのである。




 3時30分。居間。


「おっつー。随分はしゃいでたみたいだけど、進み具合はどーよ?」


 卓兵たちが居間に入ると、アニメを見ていた永遠がラリった目を向けてきた。ノンアルオンリーにも関わらず完全に出来上がっていた。


「まずまずってとこですかね! あ、『ものモザ』じゃないっすか。俺、声優が炎上するまでは見てましたよ」


 ロシアに憧れる女子高生とロシア人留学生の少女、そしてふたりを取り巻く美少女たちによるキャッキャウフフのゆるふわ日常アニメ。それが「ものくろモザイク」だ。

数多い日常アニメの中でも高い人気を誇り、第二期「ズドラーストヴィチェ☆ものくろモザイク」まで作られたが、放送中に中の人の熱愛写真が流出し大炎上となった。もちろん円盤の売上は壊滅的で、三期は絶望的とみられている。


「だからこそこれ見ながら食う飯は美味いんだよ。これの中の人に一体どれだけの声豚が夢見てたのかなーとか、アニメに携わる人はみんな純粋で清らかだとどれだけのキッズが信じてたのかなーとか考えるとさぁ、たまんないよねー」


 永遠の邪悪な笑みを見た百は、次いでゆきみを見て、同じ人間なのにどうしてここまで真逆の笑顔ができるんだろうと本気で考えてしまう。


「最高のシロップは空腹じゃない、他人の不幸なのさ。あーひゃひゃひゃ!」


「早く夜食準備して、部屋戻ろ?」


 ついていけないとばかりに台所に入り、棚の中を漁り始める百。

しかし、はるにれ荘が誇るぐーたら二人組の手綱を引くには、まだ百は実力不足だったようだ。


「マジで? この声優出てたのかよ! 知らなかったわー」


 エンディングのクレジットを見た卓兵が嬌声を上げる。


「こん歌死ぬごと(とっても)よかね~」


 ゆきみはエンディングテーマを気に入ったようだ。


「せっかくだから見てけよー。どうせ徹夜すんだろー? 中途半端に寝たら逆に起きるのが辛いぞー」


 学生の健全な生活を支える下宿管理人の本分を完全に忘れている永遠。まぁ、酔ってなくてもこの人は普段からアレだが。


「だめだよ! 宿題が先! ちーちゃんも待ってるんだから! 宿題を手伝ってもらっておいてアニメ見てるなんて、そんなのちーちゃんにひどすぎるよ!」


 友達思いの百は、必死に訴えた。

高校に入って初めてできた友達だから、千舞姫のことは自分が一番知っているという自負が百にはあった。威勢が良くて頼りになる姉御肌だけど、本当は自信がなくて寂しがり屋なのだ。その千舞姫をほったらかしてアニメ鑑賞なんて、絶対に許されない!


「な~、こい(これ)何線?」


 突如ゆきみに話を振られた百は、「何線」というワードにビビっときたこともあり咄嗟にテレビ画面を見てしまった。ものモザの次回予告、次は鉄道で出かける回のようで鉄道車両や駅、車内の様子が描かれている。


「そーいやこれ確か千葉が舞台なんだよな。てことは、これも実在の駅だったりするのか?」


「黙ってて!」


 人が変わったような百の叫びが、卓兵の言葉を遮った。


「今考えてるんだから! えーっと、これどこだったっけ……ここまで出かかってるんだけどなー」


 うーうーと頭を抱えて悩む百に、永遠が言った。


「これ一挙放送だから次のもすぐやるよ。気になってたら課題どころじゃないだろうし、まぁ見てけよ」


「はいっ!」


 夜食調達部隊の良心、内田百。陥落。

三人は夜食をテーブルにどっさり積み、ものモザ鑑賞へとなだれ込んだ。




 6時30分。203号室。


「ん……あ、やばっ! 寝ちゃってた! しかも外明るいじゃない! 今何時?」


 時計を見た千舞姫は絶句する。

部屋に誰もいないのを見て更に絶句する。

課題がそのままなのを見てまた更に絶句する。


「え……あいつ……課題ほっぽり出して逃げたの?」


 千舞姫は、足元がガラガラと崩れ落ちていくのを感じた。

結局あいつは宿題を手伝ってもらう気なんてなかった。

全て押し付け、自分は何もしないで成果を待つつもりだったのだ。


「ひどい……私、自分の寝る時間削って頑張ったのに……」


 その時、階下から百の叫び声が聞こえた。

正直、卓兵はもちろんのこと、他の二人だって顔も見たくなかったが、それでも千舞姫は階段を駆け下りた。百に、もしものことが起きていたら。


 しかし、運命は残酷だった。


「鉄子終わっちゃったよー! どうして教えてくれなかったの?」


「ものモザに夢中になって忘れるなんて、所詮その程度の情熱だったんだよ」


「はぁ? ボクの鉄道愛を馬鹿にしないでくれるかな? いくらたくへーでも許さないんだから!」


 テレビの前でいがみ合う卓兵と百。その傍らでは、永遠とゆきみがテーブルに突っ伏して鼻提灯を膨らませている。そのテーブルの上には、大量のお菓子の袋。

千舞姫は、一瞬で状況を把握した。


「あ、ちーちゃん、おはよ! ねー、何とか言ってやってよ! たくへーってば、ボクの情熱をその程度なんて言うんだ! 許せないよね!」


「何でもかんでも人のせいにしていたら、成長はないぜ。 人を責める前に、自分を責めるべきだ」


 千舞姫は無言で二人の間に歩み寄る。そして両手で二人の頭を掴んで、言った。


「ふざけんなよ?」


 卓兵と百がその意味に気付く前に、千舞姫は二人の頭を渾身の力で衝突させた。




 8時00分。玄関。


「忘れ物ないわね?」


 戸口に立った千舞姫が、卓兵、百、ゆきみを見渡して確認する。


「もちろんさ。一行日記に読書感想文、それに自由研究。オールオッケーさ」


「ボクもー!」


「うちもばっちしや~」


 三人は、寝不足の疲れを浮かべながらも、充実感に溢れた笑顔で答えた。

千舞姫の制裁が下った後、卓兵たちは三人がかりですごろくの仕上げに取り掛かった。突貫も突貫だったが、それでどうにか間に合った。提出前夜狂騒曲を奏で終え、三人とも満足げに自らの課題を掲げる。


 そんな三人に溜息をつきつつ、子供を見守る母のような優しさを浮かべて千舞姫は言った。


「卓兵に言っとくけど、あんたの本番はこれからだからね? 数学に英語、理科とそれから日本史世界史とかがまだまだ控えてるんだから。ちゃんと自分でやるのよ!」


「その辺はまぁ、お前の使用済みバスタオルとかを景品に代行者を募集して……」


「それが人生最後の言葉ってわけねオッケー地獄へ堕ちろ」


 晴天澄み渡る朝に落雷のような音が轟き、卓兵は壁に突っ込んでぴくりとも動かなくなった。


「おーい、あんまし建物を破壊しないでくれよー」


「小森さんもっ! 今日帰ったら下宿ルール改定会議開きますからね! 管理人としてちゃんと仕事してくださいねっ!」


「うわ会議とかだりー」


 心底嫌そうな顔で奥に引っ込む永遠にまだ何か言いたい千舞姫だったが、不意にゆきみが声をかけた。


「なぁ、ち~ちゃん。ほんとに忘れもんしとらん(してない)?」


「え? 当たり前じゃない。不吉なこと言わないでよね……」


 強がったものの、そう言われると急に不安になってくる。千舞姫は鞄を開けて課題を確認することにした。

彼女の自由研究は「関東モー牛ズ応援団活動記録」。この団体が担当している東日本で開催された全試合の活動記録を網羅したそれは、自由研究の域を超えマニア垂涎の逸品の出来栄えだった。4月1日から8月31日までの、対象の全ての試合のスタンドの情景が事細かに……


「……あ」


 そこで千舞姫は思い出した。

この活動記録は他の団員にも大いに期待されている。昨日も完成前の原稿を見せてくれと言われて、ファイルごと貸し出したのだ。


 それを、返してもらうのを忘れていた。


 千舞姫の手から鞄が落下する。

事情を察した百が青い顔に、ゆきみが気まずい顔になる。

あんまりだ。これはあまりにも、あんまりすぎる。


「い……嫌あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 この世の終わりのような悲鳴を上げながら千舞姫は、この瞬間本当にこの世が終わってくれないかと心の底から思ったのだった。

雲一つない秋晴れがどこまでも広がる、清々しい新学期の朝のことだった。

実はこの話、9年前に勢いだけで書き始め、途中でほったらかしていたものでした。

先月下旬に創作物保存用USBを漁っていて発見し、完成させて8月31日に投稿したら面白いかなと思って9年の時を超えて続きを書くことに。まぁ、当初の予定日には投稿できませんでしたが笑


長編メインに執筆をしてきた自分ですが、今後はこうした短編もちょくちょく出していければと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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