既視感、過去の一部
第四宿舎、リビングの扉前。
ここまで来ると扉越しとはいえハープの音はよく聞こえる。きっと、もしかしなくてもフィオナさんだろう。
「上手に弾くなぁ……。綺麗な音ともいうか」
ハープ奏者は知り合いには神父かシスターしかいない。比べる対象が二人と僕としかいないが、そうだとしても綺麗な音を奏でていると思う。長寿なエルフなだけに演奏歴は長いからかもしれない。
静かにドアノブを回してゆっくりと開ける。
予想通り、フィオナさんが木製の丸椅子に座ってオーケストラ・ハープを演奏していた。
幼げでありながら妖艶な容姿を持つ彼女の演奏する様は美しいの一言に尽きるか。聴いていたいし見ていたくもある。実際、美人に見慣れた僕ですら見蕩れるのである。
それに、珍しくリビングルームは人が多い。フィオナさんのハープの演奏が聞こえてここに来た人なのだろう。
少なくとも楽器を弾くことはない人達で、聴くのが専門な人達が大半だ。見覚えのある人もちらほら。
HALのセントリーロボットは、アンプの隣か。四角いポッドの上にはテルミドールが丸まっている。人間はまだ嫌いらしい。この世界に来る前に、(便宜上)彼の身に何かあったのだろうか。人間が嫌いになるような。
曲がわかればピアノで参加したのになぁ……、なんて残念に思いながらも、座る椅子を探す。まあ、もちろんほとんど無い訳で。
唯一の例外はドラムのイスか。これに座っても、ドラムは叩く気は起きない。ドラムはさりげなく苦手なのです。できなくはないけど。
ともかく、音楽を聴いていると何か弾きたくなるので、邪魔になりがちな髪をポニテに結い上げておく。いっそのこと切ろうか。でも、《ノーシアフォール》発生前の学生時代と同じ長さに戻っているので切ろうにもなぁ、と悩むところである。
そう思っていると、ハープの演奏が静かに終わった。
たちまち拍手が上がる。僕ももちろん拍手を送る。全部聴くことは出来なかったが、それでも素晴らしい演奏だったのは間違いない。
少し照れた様子を見せるフィオナさん。ちょっと可愛い。誉められるのは苦手なのかもしれない。今度それで弄ってみようかな。
待っていたかのようにテルミドールがセントリーロボットから飛び降りて、フィオナさんの膝の上に。
「どうしたの、テルミドール? 撫でくり回されたい?」
彼女は猫なで声で訊いて、黒い獣の頭を撫でる。テルミドールはどこか心地よさそうだが、それよりもみたいな表情でこちらを前肢で指す。
「あ、チハヤ。遅いじゃない。聞きたいことあるのよ」
テルミドールの指した先を追って、こちらを見つけたフィオナさんがそう言ってきた。何かあったのだろうか。多分、足元にある7つのペダルのことだろう。このダブル・アクション・ハープ、ペダルさえ弄らなければ普通に大きいだけのハープなのだけれど。
「うん。団長から来月の演習についてけって言われてた。そのついでにフィオナさんとイオンさんを町へ歩かせるから子守りしろとも」
まずは遅い―――正確には遅れるつもりなど微塵もなかったのだけれど、戻ってくるのが遅かった理由を答える。
「それ聞いてたのね。―――そうじゃなくて、このハープのペダルの事を聞きたいのよ」
そう指差す。どのペダルもナチュラルの位置で、触っていないようだ。
彼女はテルミドールを抱えて椅子から立ち上がる。抱き抱えられフィオナさんの腕と豊満な胸部に挟まれたテルミドールに、部屋にいる男性諸君の嫉妬と羨望の眼差しが刺さる。小動物の役得に畜生め、みたいな視線だ。
余程不快だったのか、テルミドールは犬歯剥き出しにして低く唸る。羨ましいだろなんて気持ちよりも、文句あるかみたいな姿勢だ。
「……テルミドール」
まあ、フィオナさんがドスの聞いた声ですぐ収まるのだけど。
「このペダルって何をするもの?」
話の本題はそれだ。
「ペダルを踏んだり上げたりすると半音だけ音程が変わる」
以上。これじゃあまりにもあっさり過ぎるので、ちゃんと実践する。
ハープの共鳴板側、椅子に座ってこちらに少し傾ける。左のつま先をハープの左側にある三つのペダルの内、真ん中のペダルに掛ける。
「―――色つきの弦の意味は解るよね?」
赤の弦に触れて、弾く。ド、もしくはCの音が流れる。
「ええ。どの弦かわかってとても助かるわ」
「――で、今踏んでいるペダルを踏むと―――」
ペダルを静かに踏んで同じ赤い弦を弾くと。
「―――――音、変わった……?」
「うん。半音だけ上がった」
#のドになる。さらにペダルを二段階上げてまた鳴らす。今度は♭のド。
「これで全音下がった。最低音の二弦は対応してないけど、各音階に対してペダル一つずつ対応してるから、全ての音が変えられるんだよ」
それじゃ、一曲いきますか。
さっき弾いたのではない、覚えている別の曲を弾く。
ピアノ主体で連弾のような速い曲なのだけれど、同じパートが繰り返され、所々で変化を起こす曲なのでなんとか弾ける曲だ。
所々でペダルを操作して半音上げたり下げたり、全音変えたりと変化を与える。
上半身は優雅なのに、足はペダル操作で慌ただしい。その様は水面に浮かぶ白鳥、と形容してもいいか。白鳥は優雅に水面を泳いでいるが、その足は水を掻く為に忙しく動いているように。
どこか物悲しい曲が続いて、突然に、静かに弾き終わる。その場から消えてしまったかのような締めだ。
見ていた人達から拍手が上がる。フィオナさんには劣るけど。この容姿で性別男じゃ駄目なんだろうな。そんなに美しい女性がよかったか。
「―――とまあ、足元のペダルも使うと、ちょっとみっともなくなるけど、音が増える」
なんとかゆったりと踏んでいたつもりだが、それでもどこか、調和の取れていない様だっただろう。
……ホントなら、ペダル操作を隠す目的でロングスカート穿いて演奏するものなんだけどね。
うん。実際、オーケストラハープを演奏する人がロングスカートを穿いた女性である理由がそれだ。僕の場合は修道服(女性物)だったので足元を隠せたのたけれど。
まあ、よくよく考えれば演奏会でもないし、そんな事は気にしなくてもいいか。
「……だから、そんなに音が出せたのね……」
彼女はそう、納得の表情をする。
「ペダルがどの音階の弦と対応しているかさえ覚えれば、あとは簡単だよ」
そう言って実際にペダル操作と弦を弾く。左から、レ、ド、シ、が左足操作。真ん中から右へはミ、ファ、ソ、ラ、と右足操作だ。あとはフェルトを巻いているとはいえ、ペダル操作の音が目立たないようにしないといけないか。
「あと、これの構造上、どれだけ熟練しても瞬時に全てのペダル操作は出来ないから、演奏困難な曲が出てくる」
ピアノのように同時には鳴らせないから。ペダル操作でシャープからフラットまで上げるのに最低一回は横にスライドさせないといけないし、並んでいる以上は同時には踏めない。
「まあ、そんな曲を弾くことはないでしょう。―――はい、どうぞ」
その場合はオーケストラぐらいだし。そう呟いて席を譲る。
「どうも。それで、そうなった場合はどうするの?」
当然のような質問。昔、シスターにそんな質問した覚えがある。
「ハープをもう一つ、奏者ももう一人いればペダル操作の不完全さをカバー出来ます」
一人で出来ないのなら二人でやればいい、というわけだ。お互いをカバー出来るので一人の時よりも複雑な曲を弾けるようになる。
「二人で演奏、ね。いいわね、それ」
「―――まずはそれの操作を覚えること。それと―――」
そこまで言って、変な、されど大事な事が頭を過る。
この人、楽譜読めるのか? 聞いている話では森の中で暮らしていた、とかいうし。
「……楽譜って、読めます?」
音楽に関わっている人に聞いたら、間違いなくふざけるなと憤慨されそうな台詞だ。
一応、僕はピアノとギター、ハープを初めとする楽器なら楽譜は読めて書けて弾ける程度。
「ガクフ?」
『このような物です』
合成音声の助け船。HALが床に投影して楽譜を見せる。5本ばかしの直線と、あらゆる記号が書かれた譜面である。曲名は日本語で『二人並んで歩く』。知らない曲だ。
よく見るとこの楽譜、デュエット用か。楽譜が二つ並んでいる。
「……何、これ?」
不安的中。うん。文明的な生活してなかったらしいから、そういうのと無縁じゃないかと思ってたし。多分、今の今まで耳コピで覚えた曲を弾いていたのだろう。
「チハヤ、読めるの?」
地面の楽譜を指しながら聞かれた。
「読めるよ」
「なら教えて」
即答だった。
まあ、断る理由はないし。
「…………?」
何か、既視感を感じる。最初は見よう見真似で覚えて、後に詳しく教えるというその過程に。
そこまで思考して、ああ、なるほどと納得した。思い出したともいう。
昔の僕みたいだ。神父やシスターの演奏する様を見て、覚て。楽譜は読めなかったから教えてもらい。
今度は 私 の番、みたいなものですね。
「……どうしたのよ、そんな、嬉しそうな顔をして」
顔を背けながら、フィオナさんが訊ねてきた。さしずめ、可愛い子の美しい表情を見てしまったからだろう。
「……昔、 僕 も同じような事を言ったなと、思い出しただけ」
そう答えて、どう話題転換しようかと思案する。
深い詮索は、されたくない。
ふと思ったこと、でいいか。
「このハープって、この世界にあるのかな?」
少なくとも、ギターはオルレアン連合側は知らなかったし。
今、ハープが弾けるのは、HALがたまたま持っていたからにすぎない。そう、何個も持っていないだろう。
「その楽器はありますよ?」
と。ソファーに座る何人かの内、一人からその言葉が投げかけられた。
声からしてデリアさんだ。一応、視線をそちらへ向けるとやはり彼女だ。
昔、招待された演奏会で演奏しているのを見たことがあるらしい。
「その楽器のお値段は知りませんけど……。楽器屋さんに行けば売っていると思います」
そう締めくくった。
その事実を知れば当然のように。
「このハープって、大体いくらぐらいのお値段?」
やはり、フィオナさんは気になるらしい。
オーケストラ・ハープのお値段、ね。
元いた世界でのお値段は安くて200万前後。中古車よりは安いか。それでも簡単には買えない金額である。
こちらの世界ではどうか、と言われても知らないとしか言いようがない。物価は辛うじてわかっている程度。ざっと、日本円換算したとしても同じぐらいだろう。
でも、こちらの金銭の価値をあまり知らないフィオナさんに、どう説明したらいいか。
「……金に換算した方が理解しやすいかな?」
金はどこでも金、なんて言葉を聞いた事がある。金そのものの価値はどこへ行っても同じだという話だ。
この世界の金の相場は新聞紙に載っていたりするので、ちゃんと新聞紙を読んでいれば今のレートは知れたりする。
最近は……税抜きで1グラム辺り4000ミーグ台か。オーケストラ・ハープを仮に200万ミーグと考えると……。500グラムの金か。
「HAL。500グラムの金ってどれぐらいの大きさかな?」
生憎、そんな物は見たことはない。数字で伝えてもパッとしないだろう。
そうなると、実物か画像で見せた方が……。と思ってHALに話を振る。
『500グラムの金ですか。今、持っていますよ』
さらりと言ってくれた。しかも。
「今? 持ってる?」
なんで持ってるのやら。
『はい。ちょっとしたドッキリ目的で』
心の声が聞こえたのかそう答えて、セントリーロボットの胴体のカバーが上下に開く。
そして、印刷機からプリントアウトされるが如く、光り輝く金塊が出てきた。
なんと説明すればいいのやら。金のインゴット、と聞いて思い浮かべる形は。駐車場によくある台形の車止めみたいな形、が適切か。
いきなり金塊が出てくるのだから、部屋の中はどよめきが広がる。見ないもんね、こんな代物。
『ちょうど500グラムですよ。《ウォースパイト》の回路の修理用に積載していたのですが、下ろす暇がなく』
持っている理由を教えてくれた。うん、電導率いいもんね、金って。
「いや、うん。こちらの思惑にピンポイントすぎて困惑しかしないよ。―――えっと、うん」
まあ、実物があるので、それを指しながらフィオナさんの方へ振り向く。
「このオーケストラ・ハープは、あの金塊と同じ値段になります」
その回答に対する反応は僕の想像以上であり、少し反省する反応だった。
その赤い目を見開いてしばらく凝視した後、そのまま白目を向いて倒れたのだから。
後に聞いたところ、フィオナさんの世界では、あんな金のインゴットなんて城の宝物庫にしかないような代物だとか。
そんなの見せられて、何日暮らしていけるのよと途方も無いことを考えた末に気絶。
もう少し、考えて言い出すべきだったかもしれない。
まあ、そんな戯れ言よりも真っ先にしたのは倒れたフィオナさんをソファに運ぶことだったのだけれど。




