どう生きていくか
イオンさんとフィオナさんに元の世界へ戻る手段が無い事が告げられて数日が経過した。
この数日間、二人に元気が無いのは誰が見ても明白で、ぼーっとしている事が多い。
どうしたのか聞いても二人ともなんでもないと答えるだけだ。
教えた張本人たるデリアさんはその落ち込むのを見て、教えるのが早かったかもしれない、と気落ちしていた。
教える時は軽い気持ちでは言ってはいけないのはよくわかっていたし、その事実にショックを受けるのはわかっていた。けれど、ここまでとは想像以上らしい。
食事の時ですら、味なんてわからないかのような、淡々と口にものを入れているだけの作業と化していて、見ていて不安になる様子だ。
なんとかしたいが、それが出来るほど彼女達を僕は知らないし、寄り添えるような事などもうしたくないので、そっとしておくしかないのだけれど。
夜。
今日の業務も無事に終わり、疲れた素振りを見せることなく、ココアが注がれたマグカップ三つが乗ったお盆を手に僕は自分の部屋の扉を開く。
そして、その部屋は数日にもおよぶ異様な、僕としてはあまり居続けたくない空気に包まれていた。
入ってすぐ、正面に見える机には色の抜けたような金髪を持つ少女、イオン・リヴィングストンがいつもの無表情よりも虚ろな目で新聞を眺めている。熱心に新聞を読んではノートに文字を写していく、なんてせずに、ただ見ている。それだけだ。
いつもならうつ伏せに寝ているか、部屋に入ってきた僕に「……おかえり」、の一言は言うのだが、それもない。
部屋の奥、窓際の椅子には尖った耳を持ち、とても長い赤みがかかった金髪の女性―――フィオナ・クレイヴン・ファーゲルホルムが力無く椅子に寄りかかって俯いていた。前に垂れた髪のせいで表情は窺えない。
僕が部屋に戻る時間には、シャワーでも浴びているのだが、意外にも今日はまだ浴びていないらしい。
片腕、二足歩行型のセントリーロボットが、所在なさげに立ち尽くしている。
『戻りましたか、チハヤユウキ』
抑揚のない無機質な、日本語で話しかけてきた。恐らく、二人に通じない言語で話した方がいいからだろう。
「ただいま」
僕も日本語で答える。久しぶりに喋った気がする。
「はい、ココアどうぞ」
それ以外は何も言わず、二人の手の届く位置にココアの入ったマグカップをそっと置く。
右手の二段ベッドの下段、誰も使っていない空いているベッドに腰をかけ、ココアに口を付ける。
新聞を捲る音と、僕がココアを啜る音だけが部屋に鳴り響く。
横目でチラリと見るが、二人の動きは変わらず僕が部屋に帰ってきてから何も変化がない。
『―――やはり、ショックなのでしょうか?』
僕に聞こえる程度の小さな音声で、HALが言った。
「普通なら―――ショックでしょう。彼女達だって元居た世界で、その世界の常識的な範囲で当たり前な、家族や友人達と過ごす毎日を送っていて。それが唐突に終わりを迎えたのだから」
私 みたいに、故郷が瓦礫と廃虚の世界へと変貌し大切な人たちを失ってから《ノーシアフォール》に呑まれ、この世界に来た訳でもなく。
HALみたいに、機械と人間の戦争後、人類が全て死んだ世界を何年も彷徨ってから《ノーシアフォール》に呑まれ、この世界に来た訳でもない。
その日、突然現れたそれになす術もなく呑まれて、この世界に来た人たちだ。
突然理解も出来ない現象で異世界に飛ばされ、帰る手段などない。隣人や友人、家族と何も言うことも出来ずに別れる事になった。もしかしたらこの世界で会えるかも知れないが―――基本的に最悪は、永遠の別れだ。また会える可能性なんて、そんなにない。
会えたとしても、私やセタ アイカさんのような最悪の形での再会かもしれない。
その現実を突き付けられて、落ち込まない、なんて事が出来る人は、もしかしたら少ないでしょう。もし、そんな人がいたら、よほどその世界で嫌気が刺していたか、天涯孤独となって帰る理由がない人か。私やHALみたいに。
「HAL。元の世界に戻ろうとする組織とか―――見つけれました?」
前にお願いした案件を切り出す。《ノーシアフォール》からやって来た少なくない人達が、何としてでも戻ろうという目的で作った組織がありそうだと何となく思ったからで。そこに二人の求める情報や何かがありそうだと考えたからで。
『―――残念ながら。何せ、《ノーシアフォール》の発生している場所が戦場。しかも最前線ですからね。発足してもすぐ解散を繰り返しているようです』
HAL曰く、数十年前にはいくつかあったようだが、レドニカという場所が悪かったらしい。次第に活動らしい活動が出来なくて、自然消滅したようだった。
各国の政府や連合の調査もあったようだが、結論から言えば不明の一言に尽きるらしい。そもそも、《ノーシアフォール》そのものに近付くことすら出来ないのだから。
「まあ、予想通りですよね」
『戻れるなら、すでに戻らせているでしょうね。でも、戻すこと自体、繋がっている世界が多くて逆に不可能なのでは』
ああ、なるほど。
物理的困難と、行き着く世界が複数あるから、元の世界に戻れる保証が出来ないのね。
「それもあるのかもしれませんね」
そう言ってココアを一口。
『―――私達には、二人の気持ちはわからない、でしょうか』
HALが二人の様子を見て呟く。
相変わらずイオンさんは新聞紙を捲り続けているし、フィオナさんは人形かのように動かない。…………ココアが冷えてしまいます。
「ええ、わかりませんよ。―――私とあなたは、周りの人が死んでからこの世界に来た。彼女達は、本人が認識する限りにおいては《ノーシアフォール》に巻き込まれ、大勢の内の一人として来た。もしかしたら、彼女らの隣人や友人、恋人や家族はあれに巻き込まれていないかもしれないとしたら―――もう二度と会えないでしょう。心中、察することしか出来ません」
他人が感じている事なんて、誰にもわかりません。
腹の内なんて、わかるはずがない。
『―――もし出会えたとしても、同一世界の同一人物とは限りませんからね。私の世界におけるチハヤユウキが死んでいて、異なる世界では同一人物が生きているように。それは私にとっては好運だった、のでしょうね』
少し嬉しそうにこちらに光学センサを向ける。
『私が自我を獲得した時とそう変わらない人物と、二度と会えない人物と再会することができたのですから』
「それこそ偶然でしょう。HALはともかく。彼女達にも、そんな事が起こり得る可能性なんてゼロもいいところでしょう」
そう言って、ココアを一口。
HALもこれ以上は話すことが無くなったのか、また静かになる。
二口、三口と啜っているとイオンさんがマグカップに手を伸ばした。口を付けてゆっくりと飲む。
そして、コトリと机に置いて、新聞を捲ろうとして、その手が止まった。
「―――チハヤ殿は、聞いていた、のだろうか」
そう静かに、イオンさんは訊ねつつ上半身だけを捻って振り返る。無表情に近いが、どこか落ち込んでいるようにも見えた。
聞いていた、とはあの話でしょう。この世界から、元居た世界へ戻る方法が無いこと。
異世界からの物が降ってくる《ノーシアフォール》へ向けて飛んでも、ある高度から上がる事が出来ない。つまりは戻れないのだ。
「××××××××××××」
フィオナさんがか細い声で何かを言った。続けてHALも何かを言ったあたり、通訳をお願いしたのだろう。
「この世界に来て、数週間には聞いていましたよ」
イオンさんの質問に答える。
「知っていて、私たちに黙っていたのか」
その問いに私は頷くだけで答える。
それは、ある程度様子を見て、落ち着いてきてからフォントノア騎士団が教えること。異世界人とはいえ、私個人の判断で教えるなと言われてたりします。
目を細めるイオンさん。何かを言いそうになったが、何も声に出さない。
代わりになのか、
「貴方は、もし元の世界に戻れるとしたら、戻りたい?」
そう質問をしてきた。帰る事を諦めているように思えたのかもしれない。
普通なら、そうでなくともその質問は肯定の答えが返されるでしょう。
―――でも。
「―――いいえ」
私は、その質問に否定の答えを返した。
その答えが意外だったのか、イオンさんの目が少し見開く。
HALの通訳を聞いたフィオナさんも、驚きの表情でこちらを見る。
「……どうして?」
「『どうして?』。それは、私が《ノーシアフォール》に呑まれたのは、最初にそれが現れてから11ヶ月後のこと。あれが出現して数日で政府や警察、軍は機能不全。インフラは崩壊。故郷は瓦礫と廃虚の街と化するのを見ましたし、法も秩序も無くなるのも見た。孤児院のみんなは―――」
「皆は?」
「死にましたから」
我ながら、驚くほどあっさりと言った。
二人とも、絶句している。予想外の、思いもしない答えだったのだろう。
短い沈黙。
「…………すまない。悪いことを聞いた」
頭を下げるイオンさん。プライバシーな事を聞いたからだろう。かなりショックな出来事であり、思い出したくない記憶なのは間違いないと思ったに違いない。
「気にしなくていいですよ。―――もう、過ぎたことですから」
「…………」
「両親は何年も前に死んでいますし、どちらもある意味ロクデナシです。家族に等しかった孤児院の皆さまも、もう世を去っている。帰っても、その世界には親しい人は誰もいない。私は一人です」
そんな誰もいない世界に戻りたいなんて、私は酔狂では無いし。そもそも―――。
そこまで思って、その事を言おうかを迷う。
イオンさんやフィオナさん。教えてあるとはいえHALとも違う経緯でこの世界に来ている事を。
「それに私は―――あなた達みたいに《ノーシアフォール》に呑み込まれた訳ではないの」
でも、戻りたくない理由を訊ねられているのだから。言わないと。
『どういうこと?』
久しぶりにフィオナさんが喋った。気になったのかもしれない。
「分かりやすく言いましょう。つまり―――私は自分からあれに飛び込んだのですから」
再び、絶句する二人。好きで得体のしれないものに飛び込む人など、正気を疑うだろう。
「異世界の存在を信じていた訳ではないのですよ? みんな死んでしまって、自分も死にたくなったから。ようは自殺目的です」
笑顔で言ってはいけないんでしょうけども。
「まあ、あれに飛び込む前にナイフを首に突き立てようとしたのですが、通りかかった人に止められてしまいまして。次にあれに飛び込んでも、結果的に死に損なった」
そして、彼に言われたように仕方なく。されど自分で決めたこと。
「何もかも失った。二度も自殺を図って、二度も死に損なった。そして、元の世界に戻れないのならこの世界で生きてみよう。――今はそれだけです」
死ぬまで。死に急ぐような事もするけれど――――私なりの、再スタート。
「あとは、得ていくだけ、なのでしょうから」
今までの経歴がこの世界に不用だったとしても。自分が持っている能力や特技は生かせるのだ。人間関係も、時間はかかるだろうが、一から作ればいい。
それは今までしてきた事の一部なのだろうから。
そう言って私はココアを飲み干す。
―――でも。
「―――でも、一つだけ言うなら。貴女達が羨ましい。元の世界に帰りたいって言えるような、未練の残る今までがあったのでしょうから。―――それが、それこそ普通です」
どうしても、今の私にはそう言えないのだから。
フィオナさんは少し、考えるような素振りを見せて、口を開く。
『私からすれば、貴方の方が大変な目にあっているのね……』
マグカップを手に持ち、一口飲む。
『その話を聞くと、私はまだ幸せなほうなのかもね。故郷がなくなってしまうのも、家族が死んでいくのも……見たくないわ。―――そうね、私はまだ幸せなほうか……』
そう言って、フィオナさんは天井を見上げる。
「似た者、か……」
「似た者、とは?」
イオンさんの呟きを聞き返す。
「いや、ある意味、なのだけれど。私も、親は居ない。親の顔を知らない。物心がつく前にお師匠の所へ預けられたのだから」
その回答に、確かに似た者かもと思う。でも、決定的に違うのは、それが物心付く前であることか。私とあの子は、両親が死んだから、だが。
そしてそれが、幸せなものなのか、望まれない生だったかはわからないけど。少なくとも、私のように後者ではないと思いたい。
「お師匠から両親の話は聞いているし、その話と当時の情勢から一つの解を出してもいた。―――そんな訳がないと、思っていたが」
そう言ってイオンさんは新聞紙へと向き直る。何ページか戻って、読み出した。
人の数だけ人生あり、とは言うが、彼女はどんな今までを生きてきたのだろうか。
「―――そうか、私も―――」
その小さな呟きだけ吐いたあと、イオンさんはそのまま何も言わなくなった。
そして、また部屋は静かになる。
現実を受け入れる時間は必要だ。
「HAL。少し夜風に当たってきます」
『わかりました。何かあれば連絡します』
私は、今ここにいなくてもいいだろう。
そう判断して、部屋を一旦出た。




