HALからの話(2)
『こちらです』
圧縮空気が抜ける音と共に扉が開き、HALが《システムルーム》と書かれたプレートの部屋の中へ入っていく。僕もその後に続いた。
その部屋はとても広かった。
十メートル先までシステムエンジニアが作業する為のテーブルとパソコンが所々に置かれ、ケーブルが規則性を持って部屋の奥へと延びていく。
そこから先は中央に円柱状のポッドが立ち、奥にはびっしりとスーパーコンピュータのお化けのような機器が隙間なく詰められていた。
『ここが、私のメインフレーム―――当艦 《ウォースパイト》の中枢です』
HALはポッドの前で振り返る。
「……実質的、HALの私室って事か」
『まあ、そうですね。個人的な私室は別にあるのですが』
あるんだ。というか割り当ててるのか。
HAL個人の部屋って何があるのだろう? ベットとタンスとか置かれた小さな一室だとしたら、それは衝撃的かもしれない。
意外と書斎かもしれない。彼は意外にも紙媒体の本を読む。アルペジオを始めとする団員から本を借りてセントリーロボットのマニュピレーターで器用に一枚一枚ページを捲るのだ。実態を知る僕からすれば機械が紙媒体を読むという驚きの光景を目にしてる訳なのだけれど。本人曰く『人間らしいでしょう』とか言ってたけど。
もしくは古い機械が並ぶコレクションルームか。《コーアズィ》で回収した物品を保管している倉庫を案内したら、意外にも古い機械に目がないような話をしたぐらいである。
『チハヤユウキ! これを見て下さい。レコードですよ。―――ご存知ない? これはかつて音楽を録音した、貴方の時代でいうCDに値する録音媒体です。蓄音機で録音し、再生する必要がありますが…………そこに蓄音機があるじゃないですか! 後で聴きましょう。―――それにこれはフィルムタイプのカメラです。一度撮ったらフィルムを巻かないといけなかったそうですね。露出やピントなど、ほとんど手動だったとか。私の時代ではもはやデータ資料としてしか存在しないものばかりですね。コレクターにはもはや宝の山ですよこれ』
実は中に人がいるんじゃないかな、なんて思ったぐらいには語ったのである。機械故にどこか通ずる物があるのかもしれない。
『チハヤユウキ。少し、上の空ですね。先ほどのいずれ容姿が変わってしまう事に、ショックを受けましたか?』
などと思っていたら、HALに心配された。
「……それは複雑な気分だ。嫌だなという気持ちと、いいなという気持ちと、元居た世界でそうなればという気持ちでごちゃごちゃだ」
『ふむ、なるほど。僅かなれど自己消滅願望からの発言ですね。私の知るチハヤユウキと変わらない』
並行世界の僕はとことんなまでに考える事は同じらしい。余程の事まで同じ経験してると似てくるのかもしれない。
「それより……というか、話したいことって何?」
僕を呼んだ理由。身体の変調についてもあるだろうが、それは先ほど話した。それ以外の事もあるだろう。さっきもHALから『話したい事がありますが―――』なんて言っていたし。
『まず、二つあります。まずは《FK075》―――いえ、《FK計画》についてです』
「二つって……。もう一つは?」
『ただの推察ですが……。内容的にこちらを先に話したほうがいいかもしれませんが、《FK075》については長いこと黙ってましたから』
「なるほどね」
どちらにせよ、話してくれる事には変わりはない。
手短な椅子を見つけて、ポッドの前に座る。長話になるだろうし、立っているのも疲れるだろう。それなりに歩いたし。
『それでは、順を追って説明します。まずは《linksシステム》の成り立ち。《リンクス》の登場。そして、《FK075 バイター》、及び《XFK039》等を生み出した《FK計画》なるものについて、私の知る限り話しましょう。他言無用で、お願いします』
HALはそう語りだした。
《linksシステム》。
HALがいた世界において、とある時代にて各国は戦争の真っ只中だった。
科学技術が発達し、兵器はどんどん高性能化していく。
そして、それらを使う戦場では多くの人命が失われていった。
訓練された兵士が次から次へと死んでいく。
開発された兵器は、十全に扱える人がおらず格納庫で埃を被りかねない。
実戦投入しようにも、訓練期間が短くまともに操作出来ないパイロットでは役立たずだ。
それを打開する為に、訓練期間を遥かに短縮出来るシステムが要求された。
そして、パイロットの脳波を読み込み、まるで自分の身体のように兵器を扱え、その思考をダイレクトに兵器に反映させるシステムが開発された。
『それが《linksシステム》。繋がるとはよく言ったものですね』
ただ、問題が生まれた。
接続中は心的違和感に襲われ、接続解除後には幻肢に襲われるという問題だった。
それを緩和させる為に試行錯誤が繰り返され、
『人型機動兵器、《フレームウェポン》―――この世界では《リンクス》と呼ばれる兵器が戦場に現れました。人型故の高い汎用性、地形をものともしない機動性、装備を替えることによる作戦遂行能力は、瞬く間に普及。兵器のヒエラルキーのトップへと至りました』
問題は、男性よりも女性の方がシステムへの適性―――《links適性》が高く、パイロットは女性しかいないという状況だったらしい。
この話は、この世界でも最も推察されている話だ。
HALの話からすれば、おおよそ間違いのない事実だろう。
そして、パイロットが女性に頼らざるを得ないという問題を打開する為に、一つの計画が立ち上がった。
それが、《FK計画》。
これが何の略なのか、それとも意味のない記号の羅列か、ただの暗合かはHALはわからないらしい。というのも、この計画自身がトップレベルの機密扱いされた計画故だとか。
まず、この計画立ち上がった理由を聞いた。
『まず、当時の《フレームウェポン》―――この世界では《リンクス》と呼ばれる人型機動兵器が操縦システム、《links》システムの適性の違いにより女性しか乗っていないのは分かりますね?』
それは知っている。《links》システムへの適性は男性よりも女性の方が高い。負荷もどういうわけか男性は女性と比べ物にならないほどの精神的ダメージを受ける。この騎士団のパイロットが女性で占められているのがその証拠だろう。
『パイロットが限定される。それは兵器として見たら欠陥でしかない。その状況を打開する為の計画―――それが《FK計画》です』
最初は、男性が乗れるようにする事を念頭に置いた計画だったという。軍人なんぞ、どの国でも女性よりも男性の方が多いのがほとんどだ。
そして、何よりも。
『当時、統合軍は反統合同盟と自らが作りあげた自立兵器と三つ巴の戦争していました。反統合同盟軍はともかく、自立兵器群のほとんどが暴走機です。同盟軍側の生産プラントも自立兵器側に奪取されたせいで次から次へと兵器が生み出されていきました』
最初は統合軍と反統合同盟軍の戦争だった。それもすぐに自立兵器の暴走という形で模様を変えたらしい。同盟軍の生産プラントが自立兵器側に渡った事で戦力バランスが崩れ、同盟軍は《FK計画》が完了する前に壊滅してしまったらしい。
その原因は無人故の反応速度に、安定した戦力。そして物量だ。
故に対抗できる兵器は限られていたという。
その一つが《フレームウェポン》こと《リンクス》だった。
物量もある相手に、パイロットが限られる兵器では駄目だった。
『この計画はかなりの数の研究チームに分かれ、開発がスタートしたようです。中にはモーションを登録させておいてボタンとペダル操作で動かす事から始めたそうです。まあ、レスポンスは女性の駈るリンクスとは比べ物にならないほど悪かったそうですが』
いくつものチームに別れ、《FK計画》は始まったそうだ。
あるチームが通常のリンクスパイロットの脳の活動を記録し、統計して男性が発していない脳波パターンを見つけたという。それを男性でも出せるようにするために劇薬を投与してパイロットに仕立て上げたとか。
その結果は、女性の駈るリンクスと同程度の能力を発揮して魅せたものの、一回の劇薬の投与、一度の戦闘でパイロットは廃人と化したという。
あるチームはパイロットを“加工”してリンクスと直接繋げる事をしたという。その結果は要求されていた能力を達成していたものの、パイロットの四肢を切断する必要があったり、パイロット自身をモジュールの一部として扱う事自体、倫理的にも人道的にも問題ありで不採用となった。表向きには。
あるチームは試作パーツを使うのにいちいち新しくプログラムを作るのに時間を取られないようにと、あるOSを作り上げた。OSがその装備を独自に解析してドライバを自ら作るOS。それはいずれ、当時存在したOSの全てをそれに変えかねないとされ、《XFK039》や《FK075》に登載された物。
『汎用統合型OS《那由多》。それの前身がこの計画で開発され、後の研究開発に大きな影響を及ぼしました。このチームはこのあとOSの作成に移り、正式な《那由多》を開発しました』
様々な観点からプロジェクトチームが発足しては消えをひたすらに繰り返した末に。
その時には既に、論理も倫理も人道も全て消えていたという。
狂った発想で、造られていくのだ。
『一つのチームが、男性パイロットの脳に《links》システムの一部をインストールさせる技術を確立しました』
《links》に接続した男性と女性を比べ、活動していない脳の領域と、使われていないシステムの領域を調べたそうだ。その脳の領域に使われていなかったシステムの領域を書き込む事で、一定以上のレスポンスを得る事に成功したのだという。
ただ、その情報量が多くて書き込まれた人の少なくない数が死亡、もしくは廃人と化したという。生きていても半身麻痺だったそうだ。
それでも結局は、女性が駆る《リンクス》には届かなかったらしいが。
『とあるチームが、女性パイロットの中でも優秀な人達のDNAを使い、大量にクローンを製造する技術を確立させました』
パイロットが足りないなら、大量に作ればいい。
成長には時間がかかるから、早く成長するよう薬物を投与して。
教育する必要もある。なら、データとして脳に記憶させればいい。
これにより短期間で優秀なリンクスパイロットを“製造”出来るようになったが、個体差が激しい。同じDNAから製造してもリンクスの操縦はともかく、戦績に大差がつくことが多かったとか。
急速に成長させたのも良くなかった。手足が虚弱で、歩くこともままならなかった。
『そして―――あるチームは電脳化技術を確立させました。』
脳への負荷を解決するにはどうすればいいか。その一つの解答でもあった。
その人の人格や記憶を弱い身体からありとあらゆる負荷に耐えれる機械にしてしまえばいい。
老いや病気、怪我が原因で死ぬ人間を、データ化して死なないようにしてしまえばいい。
ただ、問題は男性ベースと女性ベースではリンクスの戦闘能力に違いが出たまま。
それにその電脳をコピーする事も出来なかった。
『この三つが揃った時、ある学者がこう言いました』
じゃあ、クローンを電脳化してリンクスのAIにしてしまおう。そのAIでパイロットの思考を読み、機体の操縦を担わせる。システムの一部をパイロットの脳に書き込んで、《links》システムを円滑に作動させ、火器管制やマニューバを担わせればどうだろうか。
同時期に新型OS、汎用統合型OS《那由多》も完成したのである。
今までバラバラに開発していたプロジェクトチームが一丸となって《那由多》を登載した新型機設計へと移行した。
開発スタート後しばらくして、統合軍からの要求にいくつか仕様変更が加わった。
曰く、運用形態の違う任務でも装備換装次第でありとあらゆる戦況に対応しうる機体を製造せよ。
この要求に対し開発チームはまず、一つの答えをだした。
コクピットやシステム中枢を持つ頭部とコアユニットを中心とし、手足からフェーズジェネレーター、果てにはブースターユニットまで、病的なまでの徹底的なユニット構造を採用する。ユニットも高機動戦仕様や砲撃戦仕様、近距離格闘仕様や拠点強襲仕様など多彩に揃え、必要に応じてユニットごと換装する。
その試作の果てに完成し、先行量産せれたのが。
「《XFK039》……?」
『その通りです』
「その話だと、登載されている《ヒビキ》はプログラム的なものではなく、元々は人間だってことに……」
それだけではなく、《FK075》に登載されていたのも。
『正確には電脳化されたクローン人間の内の一人、ですね』
僕が言った言葉に、HALは修正をしつつも肯定した。
彼女には人間らしい人格はない。システムとしての教育しか受けていない彼女には。
『開発陣はその時には既に、クローンはプログラムの一つ、程度しか考えていなかったと思われます。私の知るチハヤユウキは、自機に登載された彼女を人間として接してましたが、乗っていた機体の電脳は自我を獲得しませんでしたね』
《XFK039》は二十種類以上の仕様が設計され、2000機前後生産されたという。
『まあ、脳にプログラムを書き込む事でパイロットを死なせたり、半身麻痺に陥らせたり、記憶喪失にしたり、廃人にしたりとトラブルに見舞われ続けましたが。《XFK039》のデータはとても有用なもので、それをフィードバックし次の開発に移りました』
完全にパイロットを不要とする、クローン人間を電脳化したメインフレームと、可変する中央ユニットを中心に、あらゆるオプションパーツを揃えた機体が開発された。
『《FK075》。統合軍の要求に完全に答えた機体が出来上がりましたが、開発陣があるミスをしました』
クローン達に自我が芽生えた事など誰も気づくことなく。
そのクローン達が人類を激しく憎んでいる事に気づくこともなく。
その人格を抹消し、プログラムと化させる事を忘れて電脳化し、起動した末に。
『《FK075》の暴走。それは統合軍の分裂と壊滅の始まりでした。そして統制を失った人類は、滅ぶ道へと進んでいきました』
そして、43人が生き残り、フレームウェポン運用強襲母艦 《ヴィンディクティヴ》、改め《ウォースパイト》に乗り込み―――。
『無人兵器から逃げる日々と、数を減らし続ける日々。居ない人を探す毎日を繰り返し続け、最後には』
「誰もいなくなった、か」
最後の言葉を、僕が続けた。
『少し話が脱線しましたが、これが《FK計画》、及び《FK075》の詳細です。知りたくなかったでしょう』
ただのAIなら、ただのプログラムならどうだったのだろう。
その実は、科学者や研究者に弄ばれた被害者だった。
生まれが特殊なだけの、普通の人間だった。
この前 《FK075》がもたらした被害は、欠陥を抱えた暴走機の災害ではなく、“人間”の復讐心から来る人災だった。
人間が引き起こした事件だった。
『プログラム相手ならば壊せたでしょう。人間相手は、抵抗感を抱く。それも怒るだけの、ただの被害者。それを知って殺せる人は、そうはいません。通信を繋いでコミュニケーションを取ることも可能でしたが、会話にはなりません。許せないや死んでしまえ、殺して等と繰り返し言い続けるだけです』
それが、今まで言えなかった理由だった。
やっと、全てが府に落ちた気がした。《FK075》撃破直後のメッセージ受信。
『私は人間が憎い。けれど私を壊した事に感謝します』
あれは《FK075》に登載された、乗せられた電脳化したクローンからのメッセージだったのだ。
「なぁ……。実は―――」
そう口を開いて、撃破直後に《FK075》の電脳からメッセージがあった事をHALに伝える。
これが何を意味するのか、HALなら知っている気がした。
『彼女もまた、死にたかった、ということでしょう。はた迷惑な行為しかしていませんでしたが。―――私には、機体のシステムという檻から解放してくれた謝辞に思えます。そう、思いましょう』
「……そうだね」
HALの言葉に、僕は同意する。人を殺した事には変わらないが、一種の介錯と思えば。
少し、その場が静かになった。
聞こえるのは、空調機やHALのメインフレームのファンの稼働音のみ。
「騎士団の皆さんはどうかはわからないけどさ……。《FK075》のAIが実は人間だった、なんて知ったら殺せないだろう的な話だけど」
ポツリと口に出す。
『はい』
「僕はそれでも殺せた。あれは、彼女は殺しにきてた。理由なんてそれで充分だ」
思っていた事を、言葉に出した。
殺せない道理は、ない。殺しに来てたのだ。逃がせばまた殺しにくる。殺さないと、殺される。
「僕は、殺しに来た相手を殺さないと、怖くて仕方ない。だから、殺せる」
その一点だけは、変わらない。変えられない。
きっと、どれだけ時が経ってもこのままだろう。
『…………どこまでも、並行世界の同一人物だとしても、貴方は貴方はなのですね、チハヤユウキ』
HALのその声は、どこか哀れんでいるような気がした。




