夜、始めるのは。
この日の夜。
その連絡がくるまでに僕は明日のメニューの下準備を済ませたところだった。まずはパン生地の作成とスープの出汁作り、それと肉の下味付け。
これが終わって初めて僕の一日の業務(?)は終わりを迎えるのである。
そして毎日のお楽しみ、自分用のデザートを味わうのだ。冷蔵庫の奥に、勝手に食べられないように『食べるな危険』と書かれた札を付けたカップ。そこにプリンがいくつか作り置きしてある。この世界にて再現した好きなお菓子。無断で食われたら犯人探し出して食材という意味で調理してやろうとか思ってたりしてるほどのささやかな楽しみである。
冷蔵庫からプリンを取り出し、さあ食べようとしたときだった。
ズボンのポケット入れてた通信端末『アイサイト』が鳴り出した。サイズ、見た目としてはスマートフォンぐらいの物だが、液晶画面は無い。
代わりに機器中央、上から全長の四分の一ぐらいの位置にレンズが覗いており、ここから網膜投影で画面を投影するという代物である。操作は機器側面のボタンやレンズ下のタッチパネル(この辺りはノートパソコンに近い)で行う。軍事民間問わず使われている物で機能事態は電話やメール、地図の表示、他機器とのデータリンクぐらいなものである。
画面を網膜投影で展開し、誰からかを確認する。アルペジオ殿下の文字が浮かび上がってきて、また菓子持ってきてとかの電話だろうなと思ってしまう。
かと言って無視するわけにもいかないので電話に出ることにする。
「はい」
『チハヤ? 今厨房かしら?』
やはりアルペジオ殿下だった。
「そうだけど」
『夜食で適当なお菓子持ってきてくれる? ちょっと何か食べたくなって』
「………」
手元のプリン見て、冷蔵庫(の中のストックしてるプリン一ヶ)を見る。これらは僕の分である。譲る気はあんまり無い。
「……ない。調理器具片付けたし、作るの面倒だから諦めて」
『料理人らしくない言葉が出たわよ? それに今のタメは何よ?』
「軽い葛藤。自分の菓子を譲るか譲らないかの」
あ、口が滑った。
『あるじゃない。しかも私に内緒で食べようとしてたわね?』
「まあね」
『否定しないのね。それじゃお菓子よろしく』
簡潔な用件を伝え、彼女からの通信は切れた。こういう時、彼女は片手間に何かやっているらしいのはこの数週間でなんとなくわかっている。ちゃっちゃか持っていかないとあーだこーだ言われるので、僕はプリンを小さなクーラーボックスに、口直しの紅茶を魔法瓶に入れて厨房から出た。
歩くこと数分でアルペジオがいる宿舎に着いた。
この基地、意外と小規模らしく五千人程度が宿泊出来るのだけの設備はあるのだけどいるのは騎士団と基地警備隊の千人ちょっとかいない(何故か宿舎や食堂は騎士団と警備隊とに別れている)。
なので空き部屋が大量に空いてたりするのだけど、意外や意外。宿舎の最上階たる三階は全室満室である。
まあ理由はここに騎士団長やら幹部やら腹ペコ殿下等ががここを占拠、自腹で改築して部屋を自分好みして、部屋数が減っているからである。いいのかそれと思うけど、文明レベルが一部中世前後なので仕方ない。
因みに僕は騎士団宿舎エリアでも一番遠い宿舎の一階、片隅の四人部屋を一人で使用中。
つまりぼっちである。別にいいし。色々勝手が出来るし(ギターや倉庫に埋もれてた楽器を弾いても文句言われないのがいい)。寂しくないし。気も楽だし。
そんな蛇足はさておき、アルペジオは第一宿舎三階の奥の部屋で寝泊まりしている。何度も来てはいるが、僕はこの部屋前に立つのが嫌だ。だって、ノックするのを躊躇いたくなるぐらいに装飾が華美で彫刻の美しい扉なのである。気が引けるというものだ。でもしない訳にもいかない。
ノック数回して、すぐに扉が開く。まず顔を見せるのが住み込みのメイドさん。日本の某所で見られるようなメイドではなく、マジもんのメイドさんである。丈の長い黒のワンピースに最低限の装飾が施されたエプロンドレス。メイド服について熱く語るような紳士が納得するに違いないメイドである。
僕もこっちが最良だと思う。ミニスカートは認めない。絶対に認めない。ミニスカート派とか言った奴は世界の敵だ。消えるべきイレギュラーだ。それは排除しなければならない。
そんな(僕にとってはそんな、どころではないが)蛇足で脱線しかしない話はともかく。
身長は僕と同じぐらい(因みに僕は170センチ前後、と言っておく)の美人が僕を見て口を開く。
「あらチハヤ様。こんな遅くにどうされました?」
「殿下にお菓子持って来いと言われて持ってきた。部屋にいる?」
「ええ、いらっしゃいますよ」
そんなやり取りをして、僕は部屋に入る。部屋にはメイドさん一人とアルペジオのみのようだった。
部屋の内装は、まさにお姫様の部屋と言えるだろう。天蓋付きのベットに豪奢な調度品の数々。幹部用個室を三部屋ほどの広さはあり、漏れ聞こえる噂話では完全防音の部屋らしい。もしかしたらこの基地一豪華な部屋かもとも。さすが王族の姫君。庶民の貧乏性な生活知れってんだ。
「アルペジオ殿下、持ってきたよ」
自分の机に座って本を読んでいるアルペジオにそう呼び掛けて、ティータイム用のテーブルに持ってきたプリンと紅茶を置く。
「ありがとう、チハヤ。それでそのカップの中身は何かしら?」
読んでいた本にしおりを挟み、テーブルの椅子に座るアルペジオ。シャツにズボン履いただけのラフな姿だが、座る諸動作はお嬢様らしさが出ている。お姫様だけど。
「プリンという、卵や牛乳を使ったデザート。この世界に似たような物は無いらしいね。まだカラメルっていう部分が無いけどそれだけでもプリンとは言えるし、まあ食べてみなよ」
簡単な説明して、食べよう促す。アルペジオはスプーンで表面を掬ってひと口。
「ん~~…。程よい甘さととろける食感……。こんなの初めて」
そう言って彼女は美味しそうに次から次へと口に運ぶ。なかなかのペースである。気に入ったのかもしれない。
紅茶を飲み、一息をつけてから、
「ごちそうさま、美味しかったわ。また食べたいわね」
「お粗末さまでした。……そう言われると安心するね」
料理振る舞っても、なにも言わず顔色一つ変えずにいる人がかつて居たし、と僕は呟くように続ける。
あいつが今まで食べた、僕が作った料理はどうだったのだろうか。この世界に来て一か月でそれを考え続けている。もう知ることは出来ない、答えのない答えでしかないのだけれど。
「失礼な人ね。美味しい料理作る人に対して何も言わないなんて。……ところでチハヤ?」
「嫌だ」
即答。アルペジオはため息をついて僕を睨み付ける。
ところで美人や美少女が睨み付けるときの目つきってゾクゾクしません? しない?
「……何でわかったのよ」
「何度も言われれば予想出来る。個人の為に腕は振るいたくないよ」
彼女の向かいの椅子に座りながら言う。そのうち雰囲気でわかるようになるかもしれない。
「ねえ、チハヤ。あなたがいた世界について、教えてくれるかしら?」
「いきなりどうしたんですか、食い意地殿下」
「変な別称を増やさないで。……単に興味が沸いただけよ」
アルペジオ曰く、大抵の異世界人は科学者などの技術屋かリンクス製造に携わっていた人は技研の方に行き、それ以外の一般人や戦争はもうこりごりな軍人は町で暮らすかの二択で、こうして話す機会がないのだとか。
「料理担当でここにいる僕は例外ですか」
「そうよ? あと、手続きが面倒だーってベルナデットが言って、書類上あなたフォントノア騎士団員で戦闘要員よ? そっちの方が手続き楽なんだって」
そもそもこの世界に居なかった人だったし、と彼女は言う。騎士団員にしとけば数枚の書類で戸籍関連とその他諸々が済むからとも。
「無断で軍人扱いかよ! ジルとかほかの料理担当は?」
「非戦闘員で準軍属。法律上は一般人ね」
畜生ぉぉおお! 団長貴っ様ぁぁぁぁぁああ! ――心の中でひとしきり叫んで、ため息をつく。
「それで、僕がいた世界だっけ?」
とりあえず話を戻す。
「こっちの世界ほど大した世界じゃ無いけどね。――僕が生きてた時代から百年近くの前に第一次世界大戦、八十年ぐらい前には第二次世界大戦があって、そのあとは三十年ほど前まで東西に別れて技術開発競争な冷戦があったぐらいだよ」
戦争してばっかりな事に変わりはない。
「世界大戦……」
「うん。世界中の大国が二つの陣営に別れてその惑星全体でドンパチ賑やかに殺しあいしててたと思えばいいよ。こっちの世界じゃ、そんな戦争はしてないのかな?」
「してないわ。有史以来、戦争なんて隣国同士でやってるものよ。今は連合王国軍と帝国軍と百年ぐらい戦争してるけど。惑星の裏の国と戦争するなんて、狭い星なのかしら」
「惑星の大きさはそう変わらないと思うよ。この世界、一年365日だろ? 1日は24時間。元居た世界と一緒だよ。――古いけどこれと近い通信技術はあったから、世界中どこの誰と話し合うことぐらいは出来たから、仲間の国々と連絡出来たり相手に宣戦布告したり出来たんだよ」
通信端末『アイサイト』を見せながら説明する。
「この世界、ノーシアフォール前までの戦争ってあれだろ? 小銃と銃剣とシャベルでの殴り合いだったとか」
シャベルは便利です。この僕も愛用しました。
「殴り合いかどうかはさておきね。そうだったというわ。ノーシアフォールで未来の銃器の出現。当時は電気式の工作機械もやっと日の目を見た時期ね。あれの出現と技術者達が来たことで一気に技術レベルが上がったそうよ」
そこからは機動兵器リンクスへと繋がっていくので割愛する。
僕が居た世界、暮らしてた国について話が進んでいく。
「――僕が居た国は日本って言って、豊かな自然と四季の美しい国なんだよ。第二次世界大戦後、敗戦から復興して世界で一番安全な国と言われるぐらいに治安がいい国なんだけど」
「そうなの……。敗戦から復興って、よく他の大国に支配されなかったのね」
「そこまで文明レベルは低くないよ、あの世界は。歴史ある国だったし、アメリカも支配するより仲良くするのがいいとしてたからね」
実際はどうかはよく覚えて無い(歴史はつまらないのでまともに授業受けてない)ので、大体あってそうなことを言う。
「治安はいいけど、別の意味じゃ危険な国だよ? 何せ数年に一度のペースでどこかで自然災害が発生して、街一つ瓦礫の山になったり溶岩や火砕流に呑まれたり水没したりして一度に多くの人命が失われてたりしてたから」
自然災害のバーゲンセールな国と表現してもいいかもしれない。不謹慎かもしれないけど。
「よくそんな土地に暮らしてたわね? 私、暮らしたくないと思ったわよ」
ですよねー。
「毎度毎度災害が起きるから個人レベルで刷り込みに近い対策と自衛隊……まあ防衛軍みたいな組織だけど、彼らのフットワークの軽さと救助活動は迅速でな? 災害の規模からしても人的被害とか少なかったりするんだよこれが」
「あなたの世界では防衛軍をジエータリ……」
「ジ、エ、イ、タ、イ。怪しい薬品みたいに言うな。それと僕が居た国は、憲法で軍隊持てないから、自衛隊は軍隊じゃないとされるんだよね」
「ちょっと待って!? 軍隊を持てない? 憲法で? しかも軍隊じゃない?」
その言葉にアルペジオは驚く。
「今あなた、防衛軍って言わなかった?」
「うん言ったよ。憲法じゃ軍隊は持たないと書いてはあるけど、自衛するための道具は持っちゃいけないとは書いてないんだよ。防衛するための組織だってアリ、って解釈されてね?」
この辺りは第二次世界大戦後に起きた冷戦とお隣の国の戦争が関係してると説明する。
「なるほど……。あんた達に構ってられなくなったから自分の身は自分で守れと言われて……」
「で、前身となる警察予備隊を経て自衛隊が発足したというわけ。防衛軍と名付けると憲法違反になるのでちょっと噛み砕いて自衛する部隊、自衛隊となってる。海外は日本防衛軍って言ってるけど」
この辺は話すと面白い。護衛艦とか言ってても実態はミサイル駆逐艦やらヘリ空母やらなのだから。
―――海上自衛隊は護衛艦しか持ってません。いいね?
時計を見ると、長話してしまったらしい。もう23時だった。
「そろそろ寝る時間だし、また今度話そう。カップやらスプーンやら片付けなきゃいけないし――」
それに夜更かしは美容に悪いと言おうとした時だった。
天井に付けられたスピーカーが喧しいほどのサイレンをならした。
スピーカーから、
『襲撃警報、襲撃警報。レーダーに多数の熱源を探知。帝国のリンクス、及び戦闘ヘリと思われます。至急――』
焦りと驚きが混在したような声がしだした。混乱してるなぁこの人。
「襲撃警報!? どうして!?」
アルペジオが真っ先に驚く。その表情は混乱しているようにも見えた。
「襲撃警報なのか、これ。珍しいのか?」
「珍しいも何も、基地を襲うなんて全くっていうほどない事だし、基地は条約で――」
そこで彼女の口が止まった。どうしたのだろうと思っていると、この部屋に居たメイドである、アンジェリカが説明してくれた。
「ノーシアフォールが起きて五十年でノーシア条約というのが制定、執行されました。これは両軍の軍拡を制限し、互いに利益を得るための条約なのです。この条約の中にこれ以上の基地の作成を禁じているのです。ノーシアフォールの中心から半径百キロ圏内の基地の陣地作成は不可。あるならその基地は使えないよう破壊して破棄。半径百五十キロ圏内に、一定の数未満までしか作成してはいけない、となっているのですが……」
そこまてまで聞いて、僕は気づいた。
「その範囲にあれば、規定数以下までなら奪ってもいいと解釈出来る条文があると? または決めてないとかか?」
その言葉にアルペジオがバツの悪そうな顔で頷く。
「《規定数までなら増やしていい》。でも増やし方って建築以外にもあるのよね。廃墟同然のを再利用すればいい。《あるならその基地を使う》。でも《その基地》ってかつてどっちの陣営のものかしら? 解釈すれば条約に穴がいくつもあるじゃない」
昔の人はその辺考えて条約作ったんだなーと感心してしまいそうになるが、された側はたまったもんじゃないのは自明の理。
とりあえず、僕(騎士団員とはいえ事実上非戦闘員)とアンジェリカは格納庫地下のシェルターに避難しなければいけないし、アルペジオは迎撃に出るために格納庫にある機体に乗らなければいけないので、僕らは急いで格納庫へ走りだした。
階段までの距離が異様に長く感じる。そこまで長い距離ではないけど急ぐのは何か久しぶりな気がする。あの煙をを見た時のような――――あの煙? なんだっけ、それ。
そんな事を思いながら階段に差し掛かる。
二段飛ばしで階段を下り踊り場へ。
不意に爆音が轟いた。格納庫正面の広場に榴弾か何かが着弾したらしい。僕の正面のガラス窓が震える。近くに着弾してたら割れていただろうか。これが始まりの合図なのか、次から次へと着弾して、何もかもを地面を耕していく。広場を、建物を無差別に。
「何かおかしいな」
それを見て僕は思わず呟く。
「何がおかしいのよ! 奴らここを占領する気なのよ?」
呟きが聞こえたらしいアルペジオがそう言い放つ。階段を降りながら答える。
「爆撃が無差別すぎる。占領目的なら威嚇で数発叩き込めばいいだろうに。そもそもコマンド部隊とか特殊部隊を先に強襲させて何らかの危害を加えてから増援でリンクス呼べばいいのに」
それこそ格納庫を強襲してリンクスを強奪して占領すれば手っ取り早いだろうに、と僕は思ったことを言う。
基地司令を遠距離から狙撃して、騎士団長もそうして指揮系統を奪い、レーダー班や無線等ををコマンド部隊で沈黙させて、別働隊が格納庫を占拠してリンクス強奪。そこから降伏勧告が吉なはずだ。
実際、そこまで綺麗にいかないだろうから腹案を複数用意して、事前に細かい調査をして用意周到な準備をして実行するだろう。僕は専門家ではないけど、やるとしたらそうする。
「基地を占拠するなら破壊は最小限にするほうがいい。その方が後々楽だから」
施設をそのまま利用できるからね、と続けて言う。
現状を見ても、破壊活動しかしてないように見える。
「占拠が目的じゃないなら何が目的よ?」
「基地を傷物にするとか、ただ単に戦闘したいだけか……」
他にも考えたけど、可能性でしかない。
一階まで降りきり、階段横の扉を開ける。緊急時の避難用に格納庫地下シェルターと繋がる隠し通路がそこにあった。僕らは一人ずつ列になって入っていった。