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並行異世界ストレイド  作者: 機刈二暮
[第一二章]The torch shines on the frontlines
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論文




 シベリウスは雪に覆われていた。


 しんしんと降る雪は止む気配を見せることなく、気温の低さも相まって地面に落ちた雪は解けることなく積もっていく。


 北部方面軍司令部。


 その一室。


 窓際に近い場所に広めの執務机が置かれ、その前に低いテーブルとソファが並んでいる。


 壁際にはいくつもの棚が並んでおり、ある棚には真新しいファイルが並んでいて、ある棚には古びた書籍が敷き詰められている。


 ある棚には、アンティークと言うには汚れや破損が目立つ陶器や土器。


 果てには錆びた金属片に、絵が描かれた石板まで。


 そんな部屋の片隅は石油ストーブが部屋を暖め、その上に置かれたやかんがお湯を沸かしている、そんな執務室。


「やっと眼鏡を検眼枠から新調したか」


「―――ミグラントの医官のナナミとエアリスがうるさいんだ。『早く眼鏡作ってその検眼枠を返せ』だの『いい加減、眼科で使う検眼枠じゃなくて普通の眼鏡を使え』と」


 入室して、挨拶もそこそこにと放たれた感心の一言を言い放ったヴィルヘルムに俺はうんざりと答える。


 そういう俺の眼鏡は―――黒縁の四角い眼鏡だった。


 合流前に使っていた眼鏡は昔に一度作ったきりのもので、ヒビが入っても直すこともなく使っていたものだ。


 合流後は―――度が合っていなかった上に眼鏡屋に行く機会がなく、仕方なく検眼枠というレンズの交換が容易な、眼鏡作成の為の眼鏡を愛用―――もとい、借用していたのだが。


 そして先ほど答えた通り、そんな経緯で眼鏡を新調することになった。


「あの検眼枠、使い心地は良かったんだぞ。―――レンズを変えるのがとても楽なんだ。使いたい距離に応じてすぐに取り換えられる。眼鏡をいくつも持ち歩かなくていい」


「そういうものじゃないだろう、あれは。それにあの検眼枠はミグラントの所有物だろう? 借り物は返さねば」


「検眼枠にしたかったんだ。それをエアリスに阻止された」


 俺のその一言に、ヴィルヘルムはこみ上げる笑いを抑えているのか、少し俯いて肩を震わせた。


「そうか、そうか。―――それはそうだろうな。あなたに検眼枠は似合わない」


 何が愉快なのか、クククと笑うヴィルヘルムに―――少し、面を食らった。


 個人的に、涼しい顔ばかりしていると思っていたが―――存外、そうでもないらしい。


「その黒縁メガネはエアリスさんの選択か?」


「ああ。これがいいと押し付けられた」


「だろうな。―――似合っているぞ。これからの委員会の重役に相応しい」


「俺は不満だ。それと委員会の重役になるつもりもない」


 そして、サラリと付けられた願望は見逃さない。


 俺は一度、クオン解放戦線の壊滅と委員会の未来を見据えた確かな根拠を以って委員会から距離を置いている。


「それは無理な話だよ、プラムさん。―――あなたの合流は当然として、委員会の代表選に出て欲しいという声は多いからな」


「立候補するつもりはないぞ」


「沢山の人間を委員会に導き、誘っておいて何を言うか。それだけ、あなたを慕うものがいるということだよ」


 ヴィルヘルムのその一言は―――否定できなかった。


 それもそうだ。


 ラインハルト自治推進委員会は俺が立ち上げ、人を集めた組織なのだから。


 いつまでもリーダーが同じなのは思想が固まるからよくないとヨーゼフに組織の長を押し付けて委員会から離れてもなお、志を同じくする人を委員会へ導いていたのは、紛れもなく俺だ。


 その積み重ねの結果が―――代表を望まれる状況に至るのは当然と言えるだろう。


 そのつもりが微塵もなかったとしても。


「そんな話をしたくて、俺を呼んだのか?」


「いや、違うよ。本題はある」


 ヴィルヘルムは一度首を振って、執務机の引き出しから纏められた紙の束を取り出した。


「メフライルさんから、あなたが私が出した歴史書を読んでいたと。属領各地の過去がわかって助かると称賛していたと。そのお礼、という訳では無いが―――私の研究と現段階の成果を見て欲しくてね」


 確かに、彼が出版していた歴史書は読んでいるし、それを参考に各地の有力者と交渉したこともある。


 その程度で、とは思うものの貰って欲しいと差し出されては拒否もしづらい。


 右手で受け取って、ソファに座りながら一枚目の紙に書かれた題目に目を通す。


「……《惑星間入植説。この世界の過去に関する考察とその根拠》?」


 書かれていた文字を読み上げ、いつか聞いた話だなと思いながらも次のページを捲る。


 この論文は以下の地域、人物の協力の下書き上げられたものであるという(むね)が強調されており、ずらりと協力したらしき人物名や地域や街、果てには地図の座標まで書かれてる。


 それが一〇ページまで続いて、やっと本題だ。


 要約すれば。


 この世界における人類の起源は何かというテーマの論文であり、かつてあった(俺はこの目で見ていないのでわからないが)ノーシアフォールという異世界から繋がり、異世界のものが降ってくる黒い球体から来た異世界人が語る彼らの世界の歴史も参考にした考察だった。


 一部の異世界人は《進化論》なる何億という年月の中、数多の生命が進化と淘汰を繰り返しを経て、今の人類になったのだという推測が、地面から発掘される遺跡や骨を根拠に支持されているという。


 それと比べてこの世界は、神なる存在がこの世界を作り、ありとあらゆる生き物を創造したという空想のような話をする。


 あるいは―――先祖は沈みゆく大地を棄て、箱舟で海を越えてこの大陸に来たのだという言い伝えを信じているか。


 ヴィルヘルムはこの世界も異世界で語られている進化論のように、永い年月を経て四足動物のような生き物から世代交代を繰り返して人間になったのではないかと仮定し、帝国領土各地の遺構を掘り返し調査を行うことにした。


 しかし、発掘される人骨を含む生物の骨は今を生きる生物と大差ないものしか発掘されず、発達や退化のような痕跡を見ることはない。


 発掘される人類の生活の痕跡は、《天層山脈》より北の地域では東に行けば行くほどにその痕跡が古くなる。


 しかし、三五〇〇年ほど前から先はまだ見つからないこと。


 五千年ほど前の地層から過去の地層に含まれる酸化物の多さから、推測される当時の大気は人間にとって有害なほどの酸素濃度の高さではないかという推測。


 東に行けば行くほどに、極東地域でもあるポロト皇国にも『空を飛ぶ箱舟』の言い伝えが存在すること。


 この世界に生きる人間の言語がどこへ行っても《フロムクェル語》で通じる事。


 これらに加えて、異世界の話を参考にして―――ヴィルヘルムはこの星に生きている人類の先祖は星外からやってきた可能性がある、と推測するに至った。


 この推測を―――《惑星間入植説》と定義する、という内容の論文である。


 最後のページには、今年の暦と日付と共に『この論文は天層山脈より北の地域での調査に基づく推測であり、大陸の南地域を調査していない以上は未完成である』とまで書かれていた。


「―――どうしてこれを?」


 一通り読んで、これを渡された事の理由を尋ねた。


 まだ未発表のこの論文を俺に渡す、その理由を。


「私が書いた歴史書を参考に活動していたという話のお礼と、少しでも研究成果を誰かに知って欲しくてね」


 委員会で副代表代理をやっているとやりたい好きな調査が何も出来ないと、彼は嘆いた。


 そういえば、彼は元々は考古学者だったなと思い出す。


 皇帝陛下の血族という立場もあって一時的に軍にも席を置いていたようだが、やりたいことの為に退団したとか、なんとか。


「重役をやっていると、いつ暗殺されるのやらと考えてしまうんだ。何とか纏めて見せたが―――発表する暇もないし、それが出来るような悠長な情勢でもない」


 これを発表でもすれば、大混乱が起こるだろうしなと彼は怪しく笑う。


「この大地が丸いと聞いただけで混乱が起きたんだったか」


 いつか読んだ、ヴィルヘルムが出版した歴史書を思い出す。


 当時の学者は世界の中心がこの大地の下にあるといい加減なことを言って暴徒たちを宥めやり過ごしたという。


 他にもこの惑星を中心に太陽や月が周回しているのか、それとも太陽を中心にこの惑星が月を引き連れて周回しているのか、という話でも大混乱が起きていたわけだが。


 その二つに共通するのは、今まで信じられていた価値観の否定された衆目の暴走だ。


「そうだとも。歴史とはどうしても繰り返してしまうものだ。―――今の情勢での混乱は想像を絶するだろうな」


 彼の言うように、エルネスティーネ・クライネルト少将が残した告発映像を発端とする、帝国政府機関の不信と貴族層主戦派と穏健派が武力衝突を起しているような情勢下で、そのような発表をすれば、それこそ記録に残る以上の混乱が容易に想像がつく。


 故の発表の先延ばしだ。


「ならお前が持っていろ。執筆者が持っているべきものだろう」


 そう言って論文をテーブルに置くが、ヴィルヘルムは持って行って良いという。


「さっきも言ったろう。暗殺に備えてだよ。それに」


「それに?」


「原本は既にデータ化してエアリスさんに渡してあるし、コピーはまだあるんだ。一つ失った所で問題はない」


 どうやら既に複製され、原本共々方々に渡されているようだった。


 そして、そのコピーの一つが俺に渡されていると。


「わかった。受け取っておく。だが―――」


「うむ」


「これは、アンタが発表するべきものだ。各地の遺跡や逸話を集めて、考察したものを形にしたのは誰でもないアンタだからな」


 俺に、その資格はない。


 彼の手伝いなど、何一つしていないのだから。


 ―――まあ、もしも最悪の事態が訪れたとしても、関わった誰かが発表するのだろうが。


「もちろん。そのつもりだとも」


 本人は当然と頷くだけだ。


 まだ、やるべきことがあると言わんばかりに。


「それに、この大陸の他に別の大陸があるならば見てみたいからな」


「アンタもか」


「もしも、そこに人が暮らしているならば、なんて考えたらな」


 そこの過去を、歴史を知りたいとヴィルヘルムは言う。


 ―――なんて無邪気な反応だ。


 そんな先はいつ見れるかわからないが。


 それでも、目指す先だ。


「何かあるといいな」


「無いと困る。調べることが多い方が楽しいからな―――と」


 歴史を追い求める考古学者らしい事を言うのと同時に、執務机の上の電話が鳴り出した。

 

 この司令部の内線だろう―――ヴィルヘルムは受話器を手に取り、


「―――私だ。―――サイカさんが? ―――わかった。すまないが、応接間で待たせて欲しい。私が出迎える」


 時計を見ながらやり取りし、すぐに受話器を置く。


 どこか困った顔を見せるも、どことなくその表情は綻んでいる。


 会話の内容からしてポロト皇国の女帝の妹君―――外交官としてミグラントに同行しているサイカ・M・センノミヤが司令部に来たのだろう。


 ヴィルヘルムと会う予定でもあったのだろうが。


「呼びつけておいて申し訳ないが、予定より早く客人が来てしまった」


 言葉通りの表情でヴィルヘルムは事情を説明する。


 あらかた予想通りだ。


「サイカ氏も呼んでいたのか」


「うむ。彼女も、ポロト皇国関連の情報で論文に協力して貰ったからな。論文を読んで貰おうと」


「彼女にはまだ渡してなかったのか」


「最後が良いだろうと思ってたんだ。彼女との会話は長くなるからな」


 お茶でもしながらな、と言うヴィルヘルム。


 その予定が向こうから無視している訳だが。


 この話の脈路からしてヴィルヘルムはサイカと二人きりで話すつもりのようだ。


 エアリスの話では政治的な話ではなく、互いの文化や歴史についてや趣味についてなどよく二人で話をしていると聞く。


 二人の邪魔はしないようにしないと、などと話してもいたか。


 ―――なら、邪魔者はいないほうが良かろう。


「なら、俺はこれで失礼しよう。―――用事はこれで終わりなのだろう?」


 そう言って、渡された論文を手に杖を軸にして立ち上がる。


「そうだが、気を使わなくとも―――」


 恐らく、彼なりに予定を組んだ上での招待だったろうが、それを自分の事情で覆すのは気乗りはしないのだろう。


 予定外で協力先の()の機嫌を損なうのも、寝覚めのいい話ではないし。


 裏口から帰る、というとヴィルヘルムはどこか気まずそうだ。


「こちらでも、やることはあるんだ。また時間を作ればいいさ」


 だから気にするな、というと「すまない」の一言が返ってきた。


「それに」


「それに?」


「女の子は待たせるな、とエアリスがな。―――そういうものなのだろう?」


 眼鏡選びでエアリスと出かける際に、少し遅刻したことを上げる。


 四肢の麻痺があるから早め早めの行動をとしていても―――今回はそうはいかなかったというだけである。


 その一言に、ヴィルヘルムは「そうだな」とどこか観念したように頷いた。


 この反応からしてエアリスの推測通りなのかもしれない。


 そんな余計な事は口にせず、それではと俺は部屋を後にした。


 ―――普段、涼しい顔をするこの人物にも意外な面があるものだと思いながら。




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