誰かの思惑の下④
『行け行け行け!』
『伏撃に気をつけろ! ここは奴らの土俵だ』
『構わねぇよ! 上から踏み潰せ!』
輸送ヘリから飛び降りて要塞の司令部や格納庫を制圧していく制圧部隊の通信が共通回線に流れる。
囚われたエルネスティーネ・クライネルト少将とその側近の救出作戦は既に最終段階だった。
ランディングポイントの制圧後、輸送ヘリから降りた歩兵によるキーパ要塞の司令部のどこかにいるとされる目標の捜索と救出が進行している。
状況を把握する為に通信を繋いでいるものの―――進行は順調だった。
『フロア一階を制圧! ここから予定通り部隊を分散し、司令部内を捜索する!』
瞬く間というほどでもないが、それでも退屈にはならない進捗。
クライネルト少将なる人物が見つかるのは時間の問題かもしれないと思うシオンは視線をレーダーに向ける。
「こっちは静かすぎて、逆に不気味よねぇ……」
友軍の反応以外なにもない、データリンクで共有された《ストラトスフィア》のレーダー情報にシオンは不穏な気配を感じ取る。
要塞とはいえど、国境や要所から遠く離れた古く小さな要塞だ。
リンクスや各種対空兵器。
戦闘車両の数は増員していたとしてもキリヤ要塞のような大部隊はいない。
そんな少ないヘリの脅威になるもの全てを撃破したので当然といえば当然だが。
重要人物の軟禁に対する戦力としても、罠にしても少ない。
正規軍は少なく、リンクスに至っては消耗品扱いの亡霊部隊のリンクスと《ヴックヴェルフェン》のみだ。
「増援の動きも《マンティコア》二機以外なかったし……」
要塞の上空で緩やかに旋回する《アルテミシア》のコクピットの中で、シオンは呟く。
これらの違和感の答えが僅かな正規部隊を犠牲にした罠だとしても、ミグラントの排除を考えたとしてもその投入戦力に見合う成果があるとは思えなかった。
ここにミグラントを引き付けるが目的だろうかと思い、HALに秘匿回線で繋げる。
「HAL」
『この回線で通信とは。何用ですかシオン』
コールサインでもない名称での呼び掛けに対して驚くことなく抑揚のない男性の合成音声―――HALは応じた。
「シベリウスとは通信は繋がってる?」
『いつでも繋がりますし、ハッキングで向こうの様子も確認できますよ』
「何か異変はない?」
『―――何も起きていないようですが……』
シオンの質問の意図を読んだのか、あっさりと委員会の本拠地でもあるシベリウスの状況を見たようだった。
さらっと味方に不正規なアクセスでの情報収集しているのだが、シオンはそこは気にせずに話に耳を傾ける。
『北部方面軍のレーダーにも異常なしですし、なんなら委員会の防衛レーダー網にも異常はありません。故障したものも無し。襲撃の気配はありません』
次々と情報が入るも―――動きは無しだ。
『帝国の動きも大したものはありませんね。少なくとも、《ストラトスフィア》のレーダー探知範囲内での特記すべきことはありません』
「……そう」
『状況が不気味ですか』
HALの的を得た発言にシオンはええと頷く。
「レアも警戒してるけど―――やっぱりね」
要塞外縁や周囲で待機する《ヴォルフ》や《デストリア》、《アクィラ》を見つつ言う。
「何か、罠の可能性がずっとちらつくの」
『……身構えていて損はありません。最悪は想定して然るべきです』
「最悪、ね」
HALの一言に、シオンはその部分だけをオウム返しする。
罠の可能性。
それによって取るべき行動は、いくらでも変わるものの―――。
―――一番嫌な対応だって、選択として存在はする。
「いろいろとありがとう。肝に銘じておくわ」
シオンはそう礼を言って通信の回線を切り換え、一度眼下の様子を見る。
全員、周囲を警戒しているのは変わらずだ。
『クリア! 次だ!』
『間取りを考えればそろそろだと思うが……!』
当然の変化といえば司令部地下に突入した部隊の進捗か。
通信で聞こえる限りでは順調に進んでいるようで、地下室の方はかなり探索が進んだらしかった。
「これでもぬけの殻は勘弁願いたいわね」
通信に繋がず、あり得る可能性を呟く。
ここまで順調だと、あまりにも上手くいきすぎて逆に不安に駆られての発言だが。
『―――クライネルト少将とヨナタン大佐を発見!』
通信に流れてきた目標の発見は、その懸念を吹き飛ばすには充分だった。
『―――よしっ!』
『やった!』
作戦中だというのにも関わらず、ナツメとマルゴットの嬉しそうな反応が通信に入る。
合流できなかった上司の無事に喜びを隠すことは、今回に限っては抑えきれなかったのだろうことは想像に難くない。
『これより二名を連れで離脱します!』
確保、保護ができたとなれば次の行動は決まっている。
ならば、シオンたちリンクス部隊の後の仕事は退路の確保となる。
―――などと言っても脅威となる敵はいないも同然なので大した仕事にはならないのだが。
「ストレイドより各機。聞いてたわね。予定通り輸送ヘリの護衛と退路の確保に移るわよ」
救出部隊からの通信を受けて、シオンはあくまで事務的な通達を行う。
すぐに了解の通信が返ってきて、各々が割り当てられた行動へと移り出す。
シオンに割り当てられた仕事は―――単純に先行して撤退ルートの安全確保だ。
さて、と呟いたタイミングでまた通信が入る。
『―――え、と……。クライネルト少将からお話があるそうだ……。代わります』
どこか意外そうな声と持ち手が代わるような物音が通信に紛れて、
『私はエルネスティーネ・クライネルト少将。聞こえてるわね?』
女性の蕩けるような声音が通信に入ってきました。
彼女が、名乗る通り私たちの救助対象なのでしょう。
先にお礼かしらとシオンは耳を傾けて、
『単刀直入に言うわよ―――作戦参加の全ユニットは今すぐに要塞から離脱しなさい。これは主戦派の罠よ』
次に聞こえたのは命令だった。
『ここに投入された亡霊部隊の全滅を以って、主戦派の作戦が始まっているわ。予定通りなら、《オルカ》による新型爆弾の超遠距離砲撃が実行されてるはずよ。かなり遠いとはいえ弾着までもう時間がない』
平静なまま、されど矢継ぎ早に繰り出される説明に一同はいきなりの情報に虚を突かれて言葉を失った。
主戦派の罠。
これは想定していたものだ。
超遠距離砲撃というのも何かぐらいはわかったとしても―――《オルカ》とは、新型爆弾とは一体。
そう頭に過る一行が質問の為に反応するよりも早く、
『新型爆弾の衝撃波と熱は直径二キロ範囲のものは文字通り吹き飛ばすわ。―――この要塞一つ無くなるわね。今から離れればリンクスに乗ってる人は間に合うでしょう』
新型爆弾の簡潔な効果範囲が伝えられた。
リンクスの移動速度ならばすぐに距離を取れる程度の距離で―――要塞の中心から四キロも離れれば耐えられるだろう範囲だ。
『待ってください少将!』
その話にナツメが切り込んだ。
彼女はエルネスティーネの配下でもあるので、誰よりも早くいえたのでしょう。
『いきなり話されても困りますし。まだ撃ち込まれたと判断するのは―――』
早計だと続くだろうその言葉を警報が遮った。
その警報を発したのはデータリンクで共有された無人早期警戒機《ストラトスフィア》からのレーダー情報だ。
―――それも、対砲兵レーダーによる感知だ。
『ジュピターワンより作戦参加の全ユニットへ。対砲兵レーダーに急速接近する反応を捉えました。速度を計測―――着弾までおよそ三分です』
HALの合成音声が通信に割り込み、その詳細がリンクスパイロットに告げられた。
それはエルネスティーネが語った事が本当の事であるということを証明するものでもあった。
抑揚のない機械の声が無慈悲に聞こえるのは状況のせいだろうか。
三分―――リンクスやマリオネッタのほとんどは要塞から離れるには充分な時間で、量産機の速度ならば一分の猶予はある。
しかし―――輸送ヘリは。
要塞に突入し、エルネスティーネやヨナタンの救出に向かった兵士は着弾までに間に合うかと問われればその答えは無慈悲なものだろう。
『……そういうことよ。もう行きなさい』
『待ってくださいよ! 仲間を置いていけって言うんですか!』
エルネスティーネのその促しに、男の声が抗議の声を上げた。
通信の雑音の無さからして《デストリア》のパイロットのものだろう。
その気持ちは―――シオンにとっても誰にとってもわからないものでもなかった。
置いていくとは言ったものの、それは言葉を選んで優しくした表現だ。
言い直せば―――ヘリ部隊とエルネスティーネとヨナタンの二人を見捨てる行動に他ならないのだから。
『ええ、そうよ。全員が全滅するよりも、ずっとずっといいわ』
それをさも当然のようにエルネスティーネは平静に言う。
『もう時間がない。早く行きなさい』
『いくらなんでも……!』
『そうよ、せめて―――』
『まだ間に合う可能性だって……!』
それでもと抗議する声が増えていく。
シオンはレーダーに視線を向けて―――要塞へ動き出した反応まで出ていることに気付いた。
エルネスティーネが言っていた事が本当ならば、今飛来してきているものはかなりの破壊力を有する爆弾である。
何で射出されたかはさておき、逃げて距離を取らなければいけない代物だ。
それ生じる損害は全体で見れば少数であっても―――知り合いであるならば見捨てれない。
故に助けに動きそうになる。
しかし、彼らのその行動は―――自らが助かる命であり、避けられた損害でもあることが頭から抜けている。
呼び止めるべきかとシオンは通信回線を開いて、
『―――ティターニアよりリンクス隊各機へ。クライネルト少将の言う通りよ。すぐにその場から離脱して』
自分が言う前にフィオナから命令が下された。
全体への命令ならばレアよりも彼女の方が権限は上なのだから、緊急事態となれば
『―――あなたは雇われ部隊の長であって我が軍の所属では……』
『私が今作戦の指揮官よ! 全体の指揮権は私にあるのはブリーフィングで知ってるわよね?!』
北部方面軍所属の誰かの抗議に似た口答えにフィオナは怒鳴り返す。
『雇われで帰る国まで揃ってるあんたたちにわからないだろうがな! 一緒に苦労してきた同胞を見捨てるなんて簡単には出来ねぇんだよ!』
『隊長! それはいくらなんでも言い過ぎ―――』
誰かの怒声と、声だけでとはいえ制止の声まで通信に入ってくる。
『―――じゃあ今逃げれば助かるはずの人達まで死ぬことになるけどそれでもいいの?! 』
何かを堪える一瞬の間のあとにフィオナが怒鳴り返した。
シオンは偉い、と言いたいところだが堪える。
『やらなきゃわからねぇだろうが!』
『現実を見なさい! 時間がないのよ!』
それでも怒鳴り合いが継続の模様を見せていた。
口喧嘩してる暇なんてないわよ、と言おうとした時だった。
『……こちらジョスト。了解したわ。ヴォル技術試験隊、全機離脱するわよ。私達までここで死ぬのは、ただの無駄死によ』
苦渋の声と共に、ナツメの了解の言葉が通信に流れた。
エルネスティーネの救出に拘りかかった人間のまさかの切り替えに、怒声の応酬が始まっていた通信が静まり返る。
声音からも、それが悩んだ末の判断というのもわかったからこそ、余計にだった。
『……こちらナイトメア。ティターニアとジャストの判断を支持する。総員、離脱しよう』
レアの一言とともに、渋々なれどや無念そうな声音で了解と応じる声が通信に次々と流れていく。
そして各リンクスやマリオネッタが離脱を開始する。
シオンは視線をモニターの片隅に向けて―――残りの猶予は二分弱という表示を見つける。
文字通りのタイムリミットだ。
『クライネルト少将の言葉を参考にレーダーマップに予想される被害範囲を表示しました。可能なかぎり離れてください』
HALの説明にシオンは言われたレーダーマップに視線を向ける。
それは簡素なものだがキーパ要塞を囲う円が表示されていて、エルネスティーネがいう新型爆弾の予想効果範囲なのは確かだ。
ナツメの率いるヴォル技術試験隊やレアの部隊とクラウスのフリントロック隊は当然ながら、ヘリ部隊の救助を叫んだ北部方面軍の部隊も要塞から離れている。
もちろん、《シエリジオ》や《ジラソーレ》も離脱に移ってる。
遅れている部隊は一つもない。
そのまま行けばどの機体も無事に効果範囲外は当然として比較的安全な距離まで退避できるだろう。
せめて挙げるならばシオンの《アルテミシア》ぐらいだが―――その速度ならば離脱は容易だ。
残り時間は―――一分半を切っていた。
―――離脱しましょうか。
シオンもそう決めて、《アルテミシア》を東へと振り向かせてフットペダルを踏む。
各部のブースターが咆えて―――一気に加速する。
驚くほどの短時間で効果範囲外へと飛び抜けて、最後尾を進むナツメの《アルメリア》を含むヴォル技術試験隊に追いつく。
ここまでこればいくらか大丈夫な距離だが―――念には念をと離れ続けるその隊列に並ぶ。
『先に行かないの?』
並んで飛行する《アルテミシア》を見てか、ナツメが問い掛けた。
状況と速度を考えればわざわざ並走する必要もないのだからそう尋ねられても不自然ではないけれど。
「一応は雇われの隊長だもの。―――損な役割を請け負うべきと思ってね」
そうシオンは答えて―――《アルテミシア》は反転して後進を始める。
小さくなっていく要塞―――その視界の片隅に小さな光が走ってきたのを見つけた。
それこそが―――エルネスティーネが語った新型爆弾だろうことは想像に難くない。
それは北から飛んで来ていて―――斜めに要塞内部へと突き刺さる。
『―――』
それと時を同じくして通信が入った。
『誰か―――!』
通信の主はキーパ要塞に突入した部隊の誰かのもので、
『待ってくれよ……! 死にたくな―――』
その嘆願の声が最後だった。
要塞から閃光が走って、火球が土砂を巻き上げながら膨れ上がった。
それを合図とするように要塞の方角から地面を這うように砂埃が凄まじい勢いで立ち上がり始める。
それが衝撃波の進む速度であることを見るものに教えていた。
「―――対ショック姿勢!」
シオンは通信に叫んで―――《アルテミシア》は両肩のヤタを前に掲げて防御姿勢を取った。
その言葉を受けてヴォル技術試験隊のリンクスも振り返って正面に盾を構えて体制を整える。
そして、一行を衝撃波が襲った。
「―――!」
衝撃波が《アルテミシア》を襲い、機体ごとシオンを揺さぶりに掛かる。
空中に浮いていたが故に堪えることも出来ず、《アルテミシア》は大きく姿勢を崩してきりもみ状態になりかける。
視界に姿勢制御用のジャイロを投影し、フットペダルを小刻みに踏んで―――砂埃が巻き上げる中でブースターを小刻みに噴かして、崩れた体勢を整えに掛かる。
いつまでも続くと思われた突風はすぐに吹き止んだ。
《アルテミシア》も何とか持ち直してホバリングを開始する。
「ヴォル技術試験隊、無事?」
レーダーでは反応を捉えているものの、立ち込めた砂埃によってその姿は見えないが故に、シオンは通信でナツメ達の安否を尋ねる。
『―――なんとか、ね』
案の定、無事なようですぐに返事が返ってきた。
『そっちは―――そこそこ流されたようね』
「ええ。着地してればよかったかも」
互いの無事を確認し合って、シオンはいよいよ爆発が起きたそこに視線を向けた。
そこには、巨大なキノコ雲が生まれていた。
その根本は、爆発の衝撃によって盛り上がっただろう土砂が爆発で生じているだろうクレーターを見えなくしているものの、黒煙に投影するように映し出された赤色がそこで何を起きているのかを暗にしめしている。
盛り上がった土砂の外側では巻き上げられた土砂や火のついた何かがが降り注いでいて、落下地点に小さなクレーターや砂山を作ったり、枯草に引火させたりと繰り返している。
そこには間違いなく―――小規模な軍事要塞の痕跡らしいものが見当たらなかった。
それは少なくとも、シオンにとっては見たことがない規模の破壊の痕がそこにはあって。
自分達の失敗した作戦の結末が、そこにあった。
それらをしばらく眺めて、シオンは溜息を一つ吐いて、
「さて、これからどうするかしらね……?」
誰にでも言うのでもなく。
通信に乗せることなく、呟いた。




