収容所にて
鉄格子が嵌められた窓の向こうはよく晴れているようだった。
監守が言うには、ハイゼンベルグ収容所があるこの地方は、十一月から十二月上旬までは曇りか晴れの日が多いという。
窓から差し込む冬日に目を細めて、先ほど受け取った湯気を立てる朝食をテーブルに乗せる。
コッペパンと厚切りハムと、簡潔に見える野菜スープとお茶という簡潔な朝食。
パンもスープも昨日の夕食と対して変わらない。
捕虜だから当然かと思えばそうではなく、帝国の一般的な朝食はだいたいこんな感じだという。
朝は昨日のあまりを温め直し、昼はそれよりも少し多めに、手早く食べれるものを。
そして夕食は温かく手の込んだ料理と多めに作られた汁物が出される。
それが帝国での一般的な食事という。
私たちはあれから―――殿を務め、帝国軍のリンクス部隊に包囲されたあの戦いで投降し、そのまま捕虜になった。
心憎しもあるだろうに、交戦していた部隊は律儀にも陸戦条約を守ってくれたこともあって、特に暴行を受けることもなく武装解除され拘束されて―――今に至る。
「おはようございます。カルメ准尉。今日も寒いね」
私の正面に座った、長いブラウンの髪をツインテールで纏めた少女―――リーアがそう声を掛けてきました。
私と共に殿を務め、捕虜として帝国軍に捕まって以降も一緒にいる兵站科の少女です。
「おはよう、リーア伍長。―――これからもっと寒くなるんですって」
彼女に挨拶を返して、監守から聞いた世間話を彼女にも聞かせます。
私達が収容されているハイゼンベルグ収容所は、かつて異世界に繋がっていて異世界のものが落ちて来る《ノーシアフォール》があったレドニカよりも緯度の高い所にあるらしい。
そうであるなら―――私が生まれ育った《バセロック》よりも寒くて当然でした。
「そっか、こっちは北国だもんね……」
その解説に、彼女は興味深そうに相槌を打ちます。
彼女―――リーア・ラミレスは私よりも年下の十五歳。
弟達の生活の為に軍に入ったと聞きますが―――それでも私も理解の出来る年頃の女の子です。
「カルメ准尉は『雪』というものを見た事ありますか?」
オルレアン連合に属する全ての国が《天層山脈》の南側にあって、かつ五大国出身者では冬に降る雪の存在は話にしか聞かないのだから。
でも。
「あるよ。レドニカで、一度っきり」
《ノーシアフォール》が消える前の年末年始。
レドニカで数年に一度とされる大寒波によってもたらされる雪の話は―――連合では貴重な雪の話題だ。
私の場合は。
「ちょうど休戦期間だったから、休み時間とかは外で遊んだわよ。雪ってふわふわしてるんだけど、それを丸く固めてボール状にして投げ合ったり、積み上げて中をくり抜いてカマクラっていうテントのようにしたりして、その中でお茶したりとか」
その提案というか遊び方を教えたのは―――宙に浮かぶ三胴艦《ウォースパイト》から出て来ず、代わりにセントリーロボットで交流していたハルだったか。
彼の意見と協力で作ったカマクラの中で食事すると話したのは当時まだ第八騎士団《フォントノア》に属していたチハヤで。
彼がその時作ったチーズフォンデユという料理は―――とても美味しかったのを、憶えている。
その話をすると、リーアは飛び上がりそうなぐらいに驚いた。
「え?! 准尉ってレドニカに勤務してたんですか?!」
予想外のリアクションに私はびっくりして身体を振るわせた。
そんな驚く話でもないでしょうに。
「そうだけど……」
彼女の大声で集まる視線を無視しつつ頷く。
私の経歴はそこそこ有名なハズだけど……。
「それでリンクスのパイロットって―――騎士団のってことじゃないですか!」
エリートじゃないですかって言われて―――そう言えばそうねと思い直す。
あの今は解体されて別名になっているとはいえ、連合が抱えるエリート集団の内の一騎士団だったのだ。
驚かれても仕方ないことだけど。
「元だけどね……。話してなかったっけ?」
その確認の一言に、
「聞いてない!」
即答されてしまった。
「なんなら准尉があたしの所属してた輸送部隊と合流してから一言も騎士団の名前を聞いてない!」
言われてみて―――そうだったと思い返す。
撤退の最中の友軍との合流だったし、そもそも私の所属は既にフォントノア騎士団ではなかったからそれを言う必要はなかったので当然か。
「落ち着いてリーア。元よ、元」
「元、ですか? せっかくエリート部隊に入れたのに、どうして離れることを―――」
「だって元所属はフォントノア騎士団だったもの」
その一言に、リーアは「あ……」と声を漏らします。
その騎士団の名前は―――よくも悪くも知られている。
裏切者で大罪人―――チハヤユウキを捕まえれなかった、彼が所属していた騎士団の名前だから。
「私は元そこの所属で―――わかるでしょ?」
実力はあるとはいえ、他国のストラスールが立ち上げた騎士団に志願して、経歴に傷つけている人物などバセロック軍のどこも欲しない。
そうなれば行き先など限られていて。
「それで前線にいたのよ。経歴的に厄介な人間は前線で潰すに限ると上は思ったんでしょうね」
それ故の前線勤務で―――運良く捕虜として生き延びているわけだけども。
「あとはあなたの知る通りね」
そう話を締めて、少し冷めてぬるいスープを一口飲む。
昨日作られたとしても、味が落ち着いたのかこれまた美味しい。
「そう、だったんですか」
どこか複雑そうに、リーアはそう声を漏らして―――気分が沈んだ表情のままコッペパンを頬張る。
楽しい雪の話題かと思えば、まさかの暗い話になったのだから当然と言えば当然。
フォントノア騎士団も、すっかり悪印象になってしまったものだと溜息をつきます。
それも―――チハヤの脱走が影響しているのだけれど。
―――彼の罪状の全ては濡れ衣だというのに、酷い影響です。
しかし、その冤罪を清算したとしても被害者当人はこの世にいないので名誉を回復しても何の意味のない徒労にしかならない。
虚しいものだ―――なんて内心で嘆いていると、
「聞きましたか?カルメお姉さま。リーアお姉さま。ここの地方ではもっと寒くなるんですって」
怠けることを妨げると少し元気になる人がやってきた。
はあ、と溜息を吐いて声がした方へ振り向くと、朝食が乗ったトレーを手にした癖のある長い銀髪と垂れ気味の灰混じりの青い目を持つ女性が立っていました。
身長は一七〇に届きそうなぐらいで―――体格が把握しにくい囚人服とはいえ彼女が細身であるのが辛うじて分かる。
「ああ、どうしましょう……。南国育ちのわたくしが労働しながら厳しい冬を越せるはずがありません。春が訪れるまでお布団の中に潜っているしかありませんわ……」
リーアの隣に座りながら、同性さえも見惚れる、化粧さえもいらなそうなぐらいに整った顔を本当に深刻そうに歪ませて堕落に尽きる嘆きを言い放ちます。
自分が捕虜であるにも関わらずです。
幸いにも、ここの監守たちは規則に厳格というわけでもないので彼女の自堕落発言を咎めはしないのですが。
「おはようございます。フレデリカ曹長」
「おはようフレデリカ。―――監守に聞かれたら怒られるわよ?」
彼女の自堕落な発言に慣れた私達はそんな言葉を聞き流して朝の挨拶を言います。
「おはようございます、お二方。―――聞き流すなんて酷いではありませんか」
無理にでも話を戻すつもりのようです。
仕方ない。
その話題に付き合うとしましょう。
「監守は怒りはしないでしょうけど、それを許してくれないでしょうね」
現実を突き付ける方向で。
「ああ、なんて無常なのでしょう。わたくしの世話をしてくださるお二方から無理矢理離すだけでなく、この世の極楽から追い出そうとは!」
「監守さんも寒い中布団から出たくないと思いますけど……」
「わかるならどうして……!」
「自分が働いてるのに敵国の捕虜が美人でも怠けてるのを見たら心を鬼にするでしょうよ」
その私の一言でフレデリカは撃たれたかのように「うっ」という声を漏らしました。
自堕落な面が強いですがやる時はやるし、そこはわかってくれる人なのが妙な憎めなさがあります。
「せめてわたくしの部屋にもう一人……」
「自立した大人になれって言われたと思いなさい?」
なんなら身の回りの世話を年下の人にやってもらってることの方が多いのだ。
少しは恥じて欲しいものである。
―――これでいて、逃避行の時は狙撃手として頼もしかったのが未だに夢ではないかとさえ思っているけれど。
それらの指摘に相応にダメージは受けたようで、
「うう、カルメさんは鬼です……」
噓泣きしながら両手を祈るように重ねて、食前の祈りを始めます。
目を瞑って祈るその姿は、なかなかに綺麗でした。
彼女は宗教国家でもあるソルノープル法国の出身です。
法国の軍人は尽くが規則正しく敬虔なティリエール教信徒なのですけれど―――彼女がそうではないのはこれまでの言動と自堕落さで十分に証明されています。
個人的に法国とその軍はチハヤさんの一件以来信じていないのですが―――フレデリカ個人はその人柄は邪険には出来ませんし、部隊から見捨てられたという経歴とこれまでの状況と行動で無用な疑いはしていない。
個人的には、どうして食事の所作は綺麗なのだろうと不思議で。
そして、その姿が既視感を覚えるから―――チハヤさんの所作に似ているから、懐かしく思っているのは内緒です。
そんな内心を隠しつつ、今日の予定は何かと話し合いなながら朝食を食べていき。
「ところで、お二方。最近急に人が増えまして?」
そういえばとフレデリカが切り出しました。
彼女の言う通り、この収容所はそこそこ広いのですが―――人が増えれば流石に気付きます。
その理由は、
「はい。話に聞くと、なんでも帝国内の反政府組織とか反乱分子がそこそこ捕まえたからここに収容したのだ、とか」
リーアがどこからか訊いてきたようでした。
監守が国内の内情を語るとは思えないですが―――もしかしたら昨日の作業で一緒になった人から聞いたのかもしれません。
「反政府組織と反乱分子、ね」
「帝国は侵略戦争で拡大した国ですから、属領と呼ばれる地域では独立運動とか本邦に逆らっていることとかよくあるそうです」
「それは、穏やかではありませんわね」
「特に東だと軍の兵器を持ち出して独立を目指してまずは自治権を要求している団体もいるようで。そういう人達なんだとか」
帝国国内もなかなかに不安定な情勢だった。
まあ、リーアが話した通りランツフート帝国は侵略戦争で大きくなった国だ。
本邦はともかく、吸収された地域が占領後どうなっていったのかは―――おおよそ見当はつく。
いくつかの例はあるとしても、気になるのは。
「帝国に攻め滅ぼされた国の一つにクオン公国という国があるんだけど……。これに関して何か聞けた?」
いつか亡くなった友人―――ヒュリア・バラミールの先祖の故郷とされるその国の名を尋ねてみる。
かの国は海に面していて、その風景は綺麗らしいとしか聞かないけれど。
「クオン公国と関係がありそうな話ですと、クオン解放戦線っていうテロ組織が帝国内で軍、民間問わず危害を与えているということぐらいですかね」
「………そう」
どうも、その手の暗い話題しか聞けなかったらしい。
私も労働で話を聞いたものの―――クオン公国に関する話は滅んだこととその場所は誰も知らないということぐらいだ。
何かヒュリアの目指した夢の地に関して情報が得られればと思っていたけれど―――そう上手くはいかない。
しょげた私に、リーアはどこか慌てながらも、
「ああ。でも、興味深い話もありましたよ」
カルメさんなら嬉しい話かもと言って続けます。
「なんでも、以前連合に身を寄せていた宙に浮かぶ三胴艦《ウォースパイト》が―――」
その懐かしい名称を聞いて顔を上げて詳しくと言おうとして。
―――何かが破砕する音と。
耳をつんざき、空気を振るわせる爆音が轟くのが同時でした。




