代償
「今日はここか、イサーク」
「―――デイビットさん。……ええ、まあ……」
「昨日と同じようにキリヤを見て回ると思っていた。一日じゃ、見て回れないほど広いから」
「……ええ、アルスキー王国の王都でしたから。でも、見覚えのあるものなんて防壁と堀と―――道路と水路と。半壊した司令部の土台だけです」
「司令部の土台?」
「はい。どうやら、王宮の土台をそのまま転用したようで―――昔、有事の際にと作られた隠し扉と通路があるんです。地下を通って南―――ヘイズ大橋より上流にある水位観測所に繋がった地下通路が」
「なるほど……。それで要塞の指揮官達が急に消えれたのか」
「おおよそ、そうでしょうね。その水位観測所にある隠し扉が開いていたようですから。司令部の人たちも知らない通路だったようです」
「要塞への砲撃は最初から規定路線だったか。余程、帝国の主戦派は度し難いらしい」
「デイビットさんはどうしてここに?」
「風景でも描こうかと。それと聞いたか? シオンが起きたらしい」
―――――――――――――――
―――長い長い夢から覚めたら、見覚えのない天井でした。
ベッドはパイプを溶接して組み上げただけの簡素なものにマットを乗せ、清潔な白いシーツと掛布団という組み合わせのもの。
周囲はカーテンで覆われていて、ベッドに横たわる私視点ではその向こうの様子は伺い知れない。
それに加え、部屋自体は常夜灯で暗い。
今の時間が夜なのか、昼なのかは―――見える範囲に時計はないのでわからない。
―――でも、それだけでここがどこかなんて、とてもとても簡単な問題。
「……《ウォースパイト》の病室……かしら」
微睡から抜け出しつつの思考で私は自分の居場所を推測する。
どうしてこんな所で寝ているのか不思議に思いながらも左へ寝返りを打って身を起そうとして
「―――おあ?」
左腕と右腕が私の身体を支えずにバランスを崩して、一度うつ伏せに倒れる。
どうしてでしょう、なんて疑問に思って自分の腕を見て、
「そういえば、そうでしたね」
病的に白い肌の右腕は下腕の半分から先が失われていて、左腕は上腕の半ばから先が失われている。
本来あるはずの手は――― オ ル レ ア ン 連 合 か ら 脱 走 し た 時 に 失 わ れ た の で す か ら 。
うつ伏せから右へ転がってベッドの端で横向きになる。
膝から先をベッドを先に出して、右肘を支えに今度こそ身体を起します。
着ていたのは貫頭衣のような服で実に入院患者な恰好でした。
まずは寝る前―――あるいは気を失う前に何をやっていたかを思い出さないとと思い、記憶を振り返る。
確か―――。
「―――帝国国内の一要塞、キリヤの攻略作戦でしたか」
記憶が正しければ、その作戦に参加したはず。
電撃侵攻攻撃機仕様こと《フロイライン装備》の《アルテミシア》にオーバードブースターをつけて単機強襲からの要塞砲と野砲の無力化によるヘイズ河を渡河する部隊の援護と、要塞内での戦闘と。
「……それと、西から砲撃と巡航ミサイルによる爆撃があって、それから―――」
そこから先の記憶は、無い。
―――なら、ここで気を失ったのでしょう。
何故、そこで気を失ったのかはわかりませんが。
あと気になるのは。
「あれから何日経過したのかしら?」
寝ていたという事は相応に時間が経っている可能性がある。
見える範囲―――と言ってもカーテンで囲われたこの場所には日付、時間を表すものは一つもないので現状知りようもない。
あるとすればカーテンの向こう側だろう。
ゆっくりと立ち上がって、カーテンの合わせ目から囲われた外側へと出る。
病室は四人部屋のようで相応に広い。
しかし、入っているのは私一人のようで残りの三つのベッドは空いている。
通路へと向かうだろう扉の前―――私から見て左には洗面台が。
右はお手洗いらしいマークが張られた引き戸がありました。
本格的に病室だ。
病室を出る前に時間だけは確認しようと時計を探すべく見渡して―――空気が抜けるような音と共に扉が開いた。
音に釣られてその砲口へ振り向くと、そこに白衣を着た人物が立っていた。
逆光でその容姿は見ずらいがシルエット的には女性のよう。
「お、起きたか。一週間寝るかと思ってたぞ」
その人物は実に荒っぽい口調でそういい、壁にあるボタンを押して部屋の明かりを常夜灯から昼光色へと切り替えた。
年齢は二十代後半といったところ。
目付きは悪いものの―――顔立ちは悪くはない。
白衣の下は上下共に黒で、シャツとジーンズというどこかラフな格好。
髪は染めているのでしょう―――根本が茶色になった長い深緑の髪をバレッタで止めている。
「戦闘がほぼ終了って所で『眠い』って言って気を失って、ここに運び込んだんだ。フィオナの奴が取り乱してたぞ?」
くっくっくと愉快そうな笑みを浮かべて、彼女は言う。
場所と服装から見れば彼女は医療関係者のようだけれど、その様子はとても医者の様には見えない。
せめて近しいものを言うなら乱暴な闇医者に見える。
そんな医療関係者らしき彼女は近くの机に乗った、陶磁器のように美しい外装の白い機械仕掛けの二本の腕の内、右の腕を手に取って私に近寄って来た。
「要塞攻略戦から一日飛んで二日目の午前七時半だ。いい時間に起きたな。おはようさん」
私の知りたかったことをあっさりと、親し気に伝えつつ右手に持ったその義手を私に差し出して言った。
「……ええ、おはよう」
余りの親し気な素振りに困惑しながらも、見覚えのあるその義手に下腕の半ばから先のない右腕を差し込んで―――義手がその腕を挟み込んで起動する。
機械仕掛けの手が一瞬だけびくりと動いて―――動作を確認するべく握っては開いてを繰り返す。
―――何も変ではないけれど、一番変なのは。
「ああ、先にフィオナに連絡しとくか。なんだかんだで一番心配しているからな、あの人。―――ハル、今大丈夫か?」
『今、伝えました。全力で向かって来ていますよ、ナナミ・スキガラ』
天井のスピーカーから男性の合成音声が流れた。
HALの声だ。
『おはようございます、シオン・フィオラヴァンティ。調子はどうでしょうか』
ナナミと呼んだ女医との会話を早々に打ち切り、私へその矛先を向ける。
二日ほど寝ていたようだし、心配はしたのでしょう。
―――けれど、一つ気になる事がある。
「悪くないけど……。ナナミっていう人、すごく、私に親切にするのね?」
そう疑問を口にして、女医へ視線を配る。
「お? あったりまえだろ? お前さんは言う事やる事はともかく、話は聞いてくれる患者だからな」
「そう? 私達は初対面のはずだと思うのだけれど……?」
本当に―――記憶にない。
話す様子ではそこそこ付き合いはあるような物言いだけど、名前を聞くのもHALから聞いたのが初めてのはず。
それでも彼女はまるで質の悪い、しかし愉快な冗談を受けているかのように大声で笑う。
「おいおい! 二日ばかし寝てたからってその冗談は通用しないぜ? なかなか面白いけどな!」
「いえ、本当に私はあなたの事を知らないのだけれど……。知り合いなの?」
その私の一言にナナミは私の顔を見て―――それが嘘の類ではないとわかったのか、その表情を凍り付かせた。
―――――――――――――――
一先ず、寝間着代わりの貫頭衣から普段着に着替えていると。
「―――シオン!!」
自動でスライドするはずの扉を、開き切るのを待たずに無理やり開けて一人の女性が病室に入ってきました。
長く伸ばした赤みのかかった金髪をツインテールにした、長く尖った耳の美女だ。
知っている人物でもある。
走ってきたのか息が上がっている。
「あらフィオナ。おはよう。そんなに焦ってどうしたの?」
ブラウスのボタンをかけて、彼女へと振り向く。
余計な心配はさせないよう平然と応対したからか、彼女はその妖艶な顔を困惑の色に変える。
「―――HAL? 記憶の欠落があるって聞いたけど?」
振り返って―――たった今入ってきたHALのセントリーロボットに話が若干違うと尋ねた。
どうやら、ここに来るまでの道中に私の容態を伝えていたらしい。
『はい。しかし、どの記憶をどれほど欠落させているかは未知数ですので、覚悟の程をと。―――どうやらフィオナの事は覚えているようですね』
「それは嬉しいけど……。あと、表情が異様に明るいっていうか……」
その指摘に「そう?」と丸椅子に座るナナミに視線を向けると無言で頷かれた。
「皇国に来てからのシオンは感情の起伏は少ないし、口数も少ないし、口ぶりも冷たくて素っ気なかったわよ?」
言われれみれば―――そう。
私の物言いは冷淡とも素っ気ないとも称されるような言い方をしていた。
今思えば、それは《アルテミシア》―――もとい《プライング》のシステム負荷や、その状態での一時重体に陥った程の大怪我から来る五カ月の昏睡というダメージを負い記憶喪失となった結果、生じた性格がそう振舞っていたのだけれど。
そう振舞えないこともないけれど、どう説明したものか、と考えて、
『《アルテミシア》のシステムログから推察するに、《linksシステム》のリミッタ―が自動で解除されています。―――脳がシステムの高負荷に晒された結果、シオンの人格に影響を及ぼしてしまったと見るべきかと』
説明に困っている私をそっちのけにするようにHALが事実を並べ、推測を上げる。
確かに―――勝手にリミッターが解除されて、視覚野に直接映像を投影されたのを覚えています。
その負荷が高かったのか、私は文字通り戦闘終了と共に眠りこけたのですが―――今回、それ以外の影響が起こってしまったという事になります。
そもそも、脳へシステムの一部を書き込むことの弊害は未知数ですから何が起きてもおかしくはありませんが。
丸椅子に座り、足を組んで成り行きを見ていたナナミが意見を述べる為に口を開きました。
「脳髄や精神科の分野はちょっと齧ってる程度じゃこうとは言えねぇし、検査も実験もできないが……。ハルからの話を考えれば《アルテミシア》独特のパイロットの脳に掛かるシステム負荷が原因の記憶の欠落と人格の豹変―――と言ったところか?」
唯一幸いなのは記憶が欠落という点だろうと彼女は言う。
―――欠落。一部分が欠け落ちている。
いい例がナナミの件でしょう。
私はナナミの事をほとんど覚えていないのだから。
フィオナが来るまでに彼女とHALの両名からいくらか質問されているけれど―――大雑把に言えば皇国で目覚めて以降の記憶がいくらか欠落しているのがわかった程度だ。
一番わかりやすいのは人名を聞いて、その人の事をどれだけ覚えているかなのだけれど―――これについては割愛で。
不幸な事にも、そこそこの人たちの事を忘れてしまったようでしたから。
「なんにせよ、政治家連中連れて一度皇国へ補給しに戻るんだ。その時にフウコ先生に診てもらおう―――つっても、それ以上悪化させない方法しか思いつかないかもしれないが……」
「……私との思い出さえ忘れてなければいいんだけど。シオン?」
なかなかに重い発言ですねぇ、なんて思いつつケープ付きの黒いコートを羽織った瞬間に名前を呼ばれました。
どれだけ記憶が欠落しているのか確認したいのでしょう。
「はい。なんでしょう?」
「まず、これは?」
最初の質問にフィオナはそう言って、左耳に付けた五枚の花弁を模したイヤリングと同じ花弁を掘ったイヤーカフをチェーンで繋いだ耳飾りを指した。
もちろん覚えていますとも。
「年末に私が買って贈った耳飾りね。それに対してフィオナはこのチョーカーを私に買って贈ったでしょう?」
そう答えて、銀の装飾が施されたチョーカーを首に巻く。
フィオナの耳飾りと同じ店で購入したものです。
「それじゃあ……。皇国で行ってきた温泉地の名前は?」
続けての質問。
それはもちろん覚えています。
「ヨウユって名前だったわね。旅館も部屋は綺麗だったしご飯も美味しかったわ」
あと付け足すことは―――。
「紅葉と天灯を見たわね。天灯に願い事を書けたから、あなたは私と一緒にいる時間が夢となって消えないようにと綴ったと言ってたわね」
帝国入りする前の話ねと付け加えて答えるとフィオナは小さく安堵の息を吐いた。
彼女にとってそこそこ重要な事は忘れていないというのが分かったからでしょう。
「あとは―――」
「すまねぇが、記憶の確認は他でやってくんな。仲睦まじいのはいいけどよぉ、独身のあたしに見せつけるのは苛めにちけーぞ」
まだまだ確認したそうな彼女をナナミが辟易しながら止めた。
独身なのね、この人。
―――そこはともかくとして、確かにそういう話は後でもいいでしょう。
個人的には気になる話もありますから。
「それで、聞き逃しそうになったけど……。補給と交渉に皇国へ戻る?」
フウコ先生なる人物のことはさておき、気になった言葉をオウム返しする。
あらかた私が寝ている間に決まった話でしょうか。
『はい。想定よりも武装を消耗しましたから』
HALの肯定に、フロイライン装備の脚部追加ブースターとかレールガンを破損させましたねと思い返す。
もちろん予備はあるのだけれど、それだっていくつもある訳ではないし、次に使いたいときに使用可能なものがないのでは出来ることも出来ません。
それ以外でも、武器も弾薬も相応に消費している。
定期的な補給が無ければ戦えないのです。
『ただ、数度の作戦毎に補給に皇国まで戻る、その移動時間は時間的にロスですし時差の観点から人間の負担となるので、それを減らす目的でも補給路の構築が必要ではないか、という意見が出まして』
HALの説明にそれもそうねと頷く。
移動だけでもここから皇国まで六時間程度。
往復で十二時間取られて、そこから搬入作業の時間と作業者の休息も考えればまる二日は必要になる。
数度の戦闘でこれを繰り返すのは効率的か、と問われれば疑問を抱くでしょう。
それに加え、東西への大移動は時差が発生する。
―――今いる場所と皇国の時差は四時間半ぐらいだったかしら?
これだけズレれば、人の生活リズムも少しは狂うというものだ。
それを個々の負担と考えれば―――予備部品や武器弾薬などの補給は近くで受けたいと考えるでしょう。
生憎、兵站を引き受けてくれる業者はおろか方法さえないのですが。
『それを聞いたヴィルヘルム氏より航空輸送艦を用いた輸送事業の構築の足掛かりに丁度いいとその提案や人員の育成―――その許可など諸々を話し合いたいと言って下さりまして』
「……ヴィルヘルム?」
出てきた人名は―――聞いた事が無かった。
誰だったかしら? と首を傾げて―――何とも言えない沈黙が訪れた。
どうやら面識のある人物のようで、つまり私はその記憶を欠落したという事だ。
そんな私の様子に、どこか嘆くような素振りでHALは言う。
『……朝食の後、あなたには今現在の状況を説明しないといけないのかもしれませんね』




