出航
今日は《ラインハルト自治推進委員会》のヴィルヘルム・ランツフート副代表代理を含む三名を連れて、皇国へ帰還するだけのはずだった。
必要な事務仕事と言う名の、二ヵ月間の戦闘で得られた情報を元にした《ジラソーレ》の改修、修正の確認は既に終わっているので、やることと言えばもう食堂の手伝いぐらいだったのだけれど―――。
出発までの僅かな時間で、北方三連王国の軍事作戦の最前線に立ち続けた《ミグラント》にお礼を兼ねた慰問に訪れたツバメ・ユキシロ陛下の《ウォースパイト》 艦内の案内のお供として付いて行くことになった。
―――それも終わりに差し掛かっていて、リンクスを並べた格納庫へと戻って来ているのだが。
ここで働く人達への挨拶は終えているので、後部ランチを降りるだけ。
時刻は―――午後四時。
ポロト皇国よりも緯度の高い北方三連国は皇国よりも日が沈む時間が少し早いようで、自分が知る時間の空よりも少し朱に染まり出している。
復興の最中の首都の街並みも空と同様で、僅かながら朱が差していた。
「今日は―――いえ、この二カ月間。ありがとうございました。……イサーク」
そんな帰り道に等しいタイミングで、白のブラウスに藍色のブレザーとタイトスカートを着た、編み込んだアッシュブロンドの女性―――ツバメ陛下が私に何度目になるかわからない礼を述べる。
今は彼女の希望(?)もあって後部ランチの片隅で二人きりだ。
どうして私なのかは―――保護やサイヨウでの窮地などを始めとして、いろいろと縁があって接していたからだろう。
彼女は今や一国の主であるし、シオンさん達が会って話すのはだいたい仕事の案件ぐらいで―――それを差し置いて接する機会が多かったのはツバメと友人であるサイカか、私ぐらいなものだったのだから。
「いえいえ、仕事、ですから」
あまり言いたくはない、表向きで情のない返事で本心を濁す。
本当は、国土奪還の力になれてよかったと答えたいのだが、それは私情だ。
―――これはシオンさんやノブユキさんから何度も言い聞かされている事だが、私達は傭兵で。
皇国の思惑の下、仕事でここに来ていて、三連合王国と協働したに過ぎない。
結局は、帝国内の組織である《ラインハルト自治推進委員会》の協力も無ければ達成できなかっただろうけど。
「それと……お礼はシオンさんか、サイカ殿下にでも。私は一介の兵士に―――」
「そう畏まらないで下さい。―――本当は、わかってますから」
可能なかぎり情を押し殺す私に対して、ツバメ陛下は優しく微笑む。
「シオンさんやデイビットさんをはじめとして、一部の方々の表向きの姿勢はともかく……。あなた達の肩入れ様で本心はわかっております」
彼女の言う通りでもあった。
《ミグラント》の構成員はほとんどが皇国民だ。
そして、その少なくない数が帝国の侵攻で四肢を失い、家族や友人、恋人まで亡くした人がいる。
せめて、自分のような人を増やさない為に―――。
せめて、立ち向かう彼らの助けになりたい―――。
そんな私情を隠さずに支援した人達がいるのも事実だ。
そして立場上は咎めつつも、自身の良心やその私情を汲んで大目に見たシオンの言動や行動も知られている。
「特に、あなたには勇気付けられました。―――あなたが居なければ私は今も逃げ回っていたことでしょう」
その言葉に、もう三ヶ月近くにもなる出来事を思い出す。
あまりの劣勢に弱音を吐いた彼女に、国民は諦めていないと鼓舞し―――結果として、その後すぐに訪れた防衛戦で防衛部隊全体の士気を上げるきっかけとなったのだから。
「―――その節は失礼しました」
彼女から見ればそうかもしれないけれど、私個人としてはさる御身の方へ無礼を働いたようなもの。
戦う事を選んだ国民達を無下にし兼ねない諦めの発言は、聞いていて嫌になったからこその窘める言動にもなったのだけれど。
―――それは、結局のところ私情でしかない。
そう何度目かになる謝罪に、とんでもないとツバメ陛下は両手を横に振る。
「むしろ感謝しているのですから、そう、頭を下げないで下さい」
「ですが……」
「その件はもう謝らないでください。そのおかげで私はここに立っているのですから」
だからと言うように彼女は私の肩を持ち上げるように無理やり顔を上げさせる。
「―――あなたに出会えて、本当に良かった」
そうして見せたのは花が咲くかのような笑顔だった。
いつかの彼女は護衛が減っていく逃避行や、絶望的だった状況もあってその端麗な顔をやつれさせてはいたものの、その状況から解放されたからかすっかり健康なものに戻っている。
その容姿と―――その言葉は異性を惹くには十全過ぎる。
直視しずらさに私は視線を彼女の首あたりに合わせて、むずがゆさをなんとか誤魔化す。
「それは、幸い……ですね」
「ええ、そうですとも。―――だから、ちょっと別れが惜しい」
言葉通りの表情を見せて、彼女は一歩下がって姿勢を正す。
そして、
「―――イサーク様」
「はい?」
思いもしない敬称付きで名前を呼ばれたが故に、返事に疑問符がついてしまった。
それは彼女にとっては気にするべくもない、些細な問題なのだろうけど。
「……今度、ここにいらしたら……その……」
口ごもりながらもツバメは続ける。
頬は少し赤く、その視線は―――完全に泳いでいて、私を直視しにくそうだ。
「―――一緒に、街を散策しませんか? 復興した街を、その、案内したいな、と……」
いつ再訪するかわからないのにツバメ陛下は約束の取り付けを提案してきた。
そんな暇は作れるだろうか。
一応、《ミグラント》は傭兵部隊と言えど―――ある種の企業、会社である。
その気になれば、休みは取れそうでもある。
しかし今回は一度切りの特殊ケース―――北方三連国の外交官の独断による審査抜きのビザの発行や入国の方法である以上、皇国に戻ればビザの効力は消失する。
ビザの再取得の時間も含めれば、じっくりと予定を組まないといけない休暇になるのは確実だ。
その機会を、なんとか作りますか。
ただ、その思考をそのまま言うのはナンセンスだろうから、少し言葉を飾る。
「……はい、私でよろしければ」
「………! はい! 是非!」
その言葉に彼女は嬉しそうに私の手を取る。
あまりの勢いに呆気に取られて言葉も出ない。
『ツバメ陛下。時間ですので、そろそろ退艦を願います』
それを待っていたかのようにハルのアナウンスが天井から響いた。
どうやら出発時刻らしい。
その宣言にツバメはどこか不満そうに了承して手を解く。
「―――それでは、御機嫌よう」
優雅に一礼。
「はい。お元気で」
私も―――軍隊式ながらの敬礼で返して、振り返った彼女をその場で見送る。
後部ランチは相応に長いので降りるにも時間が掛かる。
彼女が地面に降り立ってすぐに、喧しいブザーが鳴り響いて、
『後部ランチ、閉門します。付近の作業員は安全の為、離れて下さい』
そのアナウンスに従って下がって―――それと同時に後部ランチが持ち上がり始めた。
すぐにツバメの姿は見えなくなって―――
「ファンが増えたわね」
「―――っ!?」
背後から投げ掛けられた、どこか愉しそうな声にびっくりして体を震わせる。
誰かと思って振り返ると―――そこには黒いロングコートを着た、白髪白皮の女性が立っていた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない」
その人―――シオンさんは私の反応を愉快そうに受け止めた。
「気配消して後ろに居たら驚きますよシオンさん……」
せめての抗議にシオンさんは小さくクスクスと笑って答える。
「そんなつもりはなかったわよ。―――それで、イザベル、だったかしら。サイヨウであなたが撃破した専用機のパイロットの」
話題は変わらず、私についたファン―――もとい厄介になりそうな案件だ。
二か月ほど前のサイヨウ防衛戦で交戦した《トゥルブレンツ・リッター》というリンクスとの交戦は―――結果を言うなら痛み分けだった。
乗機である《ジラソーレ》は中破―――左腕損壊と頭部損壊と、そのダメージのフィードバックで私は激しい頭痛とめまいで朦朧となって。
対する敵機―――《トゥルブレンツ・リッター》は腹部をブレードで貫かれ機能停止。
ただ、そのリンクスのコクピットは頭部の真下という配置のお蔭でイザベルと名乗った女性は無事だった。
その後は救助に動いた三連国、帝国双方の部隊が銃撃戦で睨み合いを経て、《ラインハルト自治推進委員会》と《アーベント大隊》の介入により無事に救出となったのだが。
『この勝負、今回は預けさせて貰うわよ! 次こそアタシが勝つんだから!』
その別れ際、イザベル―――二十代前半あたりの金髪の女性にそう宣言されている。
それも、シオンさんの目の前で。
その時は、『宿敵登場ね』などと茶化されたが。
「イザベルさんはファンというか、ライバル視だと思いますが」
「どっちも一緒よ。機会があればいつまでも追いかけてくるのだから」
私の修正はばっさりと切られた。
確かに、そこだけを取るならば共通点は見いだせれるけれど。
もう少し適切な言い方はないものだろうか。
「それよりも、どうしてここに? いつから近くに……?」
閑話休題と、彼女がここに来たタイミングと理由を尋ねる。
「―――そろそろ出発なので、って言おうとしに来たらHALがその仕事を取っちゃったのよ」
あっさりと目的を答えた。
特に大事な用事ではなかったらしい。
そして、いつから私の背後にいたかをは続けて答えた。
「会話が聞こえる距離で、ツバメが別れが惜しいって言ったあたりから」
状況の半分は把握されていた。
意外と長く離れた場所から聞き耳を立てていたらしい。
これはかなり、恥ずかしい。
なんとか抗議しようとして、言いごもっていると、
「一つアドバイスしましょうか」
と、どこか得意げに人差し指を立てて言う。
アドバイス? と私は首を傾げるが―――確かに、彼女にはフィオナさんが居ます。
きっと有益な話になるだろうと、抗議する事を止めて話を聞く事にする。
「今後がどうなるかはさておき、ちゃんと彼女に向き合いなさいな。気を付けないと―――」
「……気を付けないと?」
そのオウム返しに、シオンさんは視線を逸らした。
「感情を拗らせて大変な目に遭うわよ」
その一言に、私は「ああ……」と頷く。
いつか、喫茶バクシナで残業した際のフィオナ突撃の一件のことだ。
確かに、これ以上ない説得力はありません。
彼女は―――そうならなければいいけれど。
シオンさんは一息吐いて、
「……さて、出航よ。HAL」
振り返りながらの呼びかけに、音声を拾ったらしいHALは応じた。
『了解です。HALより乗艦している皆様へ。六〇秒後に《ウォースパイト》は浮上を開始します。揺れる足元にご注意ください』
アナウンスを聞きながら、私は視線を後ろへと向ける。
そこには既に北方三連国の首都の景色は広がってはおらず、後部ランチの無機質な床だけが広がってて。
後部ランチが閉まる、重い音が格納庫に鳴り響いた。
―――――――――――――――――――――
宙へと浮かび、遠くへ去っていく巨大な三胴艦―――《ウォースパイト》の背を見届けながら、
「そう言えば、先ほど、陛下とお話をされていた赤髪の彼―――イサークでしたか?」
背広を着た、気持ちふくよかな体格の五〇代前半の男性―――名をモノイ・タカナシという、生き残っていた外務省の大臣が口を開いた。
母の友人であり、父の学徒時代の後輩でもあった、キミヒロと同じぐらい付き合いの長い友人でもある方で、私も良く知っている方でもある。
彼のように、運よく生き残っていた人物は意外にも多い。
逃走中に身代わりとなった友人のマイは私ではないとバレたものの非武装を理由に丁重な扱いを受けていたし、一部の大臣は後々の事を想定してか捕虜になっていたぐらいで―――この辺りは運がよかったとしか言いようがない。
―――反対に、抵抗して死んだ人達も多いけれど。
それでも前に―――という話は今は横に置いておいて。
「はい、彼はイサークと名乗っておりましたが……」
モノイの確認するような質問に肯定すると、次の質問が投げかけられた。
「苗字はお聞きになられて?」
その質問に、私は思わず固まった。
そう言われれば、彼の名前を聞いていても苗字は聞いていない。
―――『私はイサークといいます』としか聞いていない。
「……いいえ」
なんて失礼を、なんて思いながら大臣の質問に答える。
「髪の色や顔立ちからして、皇国を含むこの地域の生まれではなさそうですが……。陛下は何か伺っておられますかな?」
次の質問は答えられる。
「ここより遥か西にあるアルスキー王国出身と仰っておりました」
それは彼自らが私に語った境遇なのだから。
王都が焼かれるのを見たと。
生き残った僅かな国民を逃す為に、軍人たちは戦ったと。
「そう、で御座います、か……。まさか、な……」
その答えに、なにか思い当たるのか意味深な事をモノイは呟いた。
「どうされましたか?」
気になって尋ねると、モノイはええと頷いて続ける。
「いえ、少々、思い当たるものがございまして。―――かつて、あなたの父君が遠い地にあるアルスキー王国と交易を始めようとしたことは憶えておられますかな?」
勿論、知っている。
その後も知っているし、誰が赴いたのかも憶えている。
「え? ええ、憶えていますよ。……確か、大臣もかの国との交渉に赴いておられたとか」
「はい。勿論、アルスキー王にも謁見しております。野性味のある豪快な方でおられましたよ。その性格に赤い髪は相応しいと思えるほどに」
「赤い髪……?」
気になる言葉に、思わず反応する。
彼も、赤い髪だ。
「ええ。子息も一人おられました。顔は母君に似たようですが、髪の色は父君と同じで。名は―――」
この話の流れでその言葉の続きが予想出来ないはずもなく、
「イサーク、だったと?」
思わず口を挟んでしまった。
「はい。彼と同じ名前で、赤い髪でしたからもしや、と」
返ってきた答えに、私は思わず息を呑み、口を両の手で覆う。
そんな偶然があるでしょうか?
いえ、あり得なくもない。
三ヶ月ほど前―――イサークは逃走生活で見て来た光景や状況に心が折れて弱音を吐いた私を窘める言動をした。
それは帝国に滅ぼされた国の民―――故郷を無くした者という経歴故と思っていたけれど。
彼がかの国の王子だったとしても、そういう言動が出来る辻褄は合う。
あったとして―――それはつまり。
別に―――いいような。いや、その思考はちょっと良くない。
そんな隙をつけこむような事は悪い女のする事だ。
彼の過去を利用して添い遂げようなんて、そんな方法は私は許しません。
「―――陛下?」
思いの外、口を覆い顔を背けて黙っていたからか、大臣がどこか心配そうに呼んだ。
長く黙っている訳にもいかないと思う。
でも、内容が内容なので。
「……これは、私の意思だというのと……怒らないで欲しいんですけど、いいですか?」
一応の釘刺しに、大臣は「ええ、どうぞ?」と頷いた。
言質は取ったとして、
「いつか聞いた御伽噺のお姫様のようになってしまいますが……そんな出自を隠した彼を、夫として……と」
―――素直に打ち明けた。
そうとも―――私は、彼の事が気になっている。
今日の《ミグラント》 所属の方々に挨拶まわりのお供役に彼を指名したのだって少しでも距離を縮めようという思惑です。
「………」
今度は大臣が固まる番だった。
これは予想外だったのか、しばらくの思慮による沈黙を経て何かを思い出したらしく再び口を開いた。
勿論、視線を私から《ウォースパイト》に逸らして。
「―――いつかのあなたの母君のような乱心でないのが唯一の救いですかな」
「……父と母の馴れ初めは聞いてますけど、あの逸話と比べないでください」
ちょっと失礼な事を言う大臣を私は細やかに窘めた。




